- 12/26……切明畑テラス 追加
- 花崎澪、大畑天志
あくびを一つ、校門をくぐった。
後期は一限をとる人が前期より少ないせいか、人通りが以前よりも減っている。減った分のゆとりを使いこなそうと、朝の校門近くは人がそれぞれのスピードで歩く。ぶつからないよう殊更ゆっくり歩く羽住の横を、男女二人が通り過ぎて行った。厚着の女性と薄着の男性は外見だけはまったくの正反対だったが、ただ何となく、仲が良さそうだと思った。そんな雰囲気をまとっていた。
青年が女性に何か指摘されて慌てたように見えた。それを女性が不思議がり、更に青年が焦っているようだった。なんとも仲むつまじいことだとほほえましい気分になったところで、今日の一限を思い出してげんなりした。
後期は一限をとる人が前期より少ないせいか、人通りが以前よりも減っている。減った分のゆとりを使いこなそうと、朝の校門近くは人がそれぞれのスピードで歩く。ぶつからないよう殊更ゆっくり歩く羽住の横を、男女二人が通り過ぎて行った。厚着の女性と薄着の男性は外見だけはまったくの正反対だったが、ただ何となく、仲が良さそうだと思った。そんな雰囲気をまとっていた。
青年が女性に何か指摘されて慌てたように見えた。それを女性が不思議がり、更に青年が焦っているようだった。なんとも仲むつまじいことだとほほえましい気分になったところで、今日の一限を思い出してげんなりした。
- 井筒隆幸
井筒さん、と呼ぶと、童顔の後輩が顔を上げた。彼に向けて片手を上げ、その隣に腰掛ける。
一限だからだけではないだろう、教室の中に学生は少ない。学科内でも一、二を争う人気の無さで有名な授業だ。評価が厳しい割に内容が空っぽかつ眠くなるともっぱらの評判である。
「しまったなあ、この授業とるんじゃなかった」
「なんでですか?」
「眠くなるんだ」
正直に言うと、彼は笑う。途端幼さの増す顔は、とても大学生には見えなかった。
「じゃあ先輩寝てたら起こしますよ。少し痛くても構いませんよね」
「いや、それはちょっと構って欲しいことだね」
一限だからだけではないだろう、教室の中に学生は少ない。学科内でも一、二を争う人気の無さで有名な授業だ。評価が厳しい割に内容が空っぽかつ眠くなるともっぱらの評判である。
「しまったなあ、この授業とるんじゃなかった」
「なんでですか?」
「眠くなるんだ」
正直に言うと、彼は笑う。途端幼さの増す顔は、とても大学生には見えなかった。
「じゃあ先輩寝てたら起こしますよ。少し痛くても構いませんよね」
「いや、それはちょっと構って欲しいことだね」
- 名瀬良之助、黒曜翼
名瀬良之助という教授は優しいと評判だが、どう間違っても教授である。レポートは出すし試験も行う。当然羽住は彼の研究室のポストにレポートを提出しなければいけない。さて、彼の研究室はどこかと探していると、女性が一人、あるドアの前に立っていた。
ドアの横につけられたネームプレートは、「名瀬良之助」。なんとなく嫌な予感がした。
「どうかしましたか?」
羽住と同じくレポートを提出に来たのだろう、ドアの前に立っていた女性は紙の束を手に、困ったような笑みを浮かべた。
「ポストがレポートでいっぱいなんです」
女性の手がポストを指し示す。視線を向けた先、ドアのポストには大量のレポートが挟まり、羽住と女性の分は受け入れられそうにない状態だった。
「……ああ」
そしてこういう時に限って教授本人はいないのだ。
「どうしましょう」
「どうするべきなんでしょうね」
黒髪の女性と羽住はお互い向き合って、半笑いを浮かべる。
ドアの横につけられたネームプレートは、「名瀬良之助」。なんとなく嫌な予感がした。
「どうかしましたか?」
羽住と同じくレポートを提出に来たのだろう、ドアの前に立っていた女性は紙の束を手に、困ったような笑みを浮かべた。
「ポストがレポートでいっぱいなんです」
女性の手がポストを指し示す。視線を向けた先、ドアのポストには大量のレポートが挟まり、羽住と女性の分は受け入れられそうにない状態だった。
「……ああ」
そしてこういう時に限って教授本人はいないのだ。
「どうしましょう」
「どうするべきなんでしょうね」
黒髪の女性と羽住はお互い向き合って、半笑いを浮かべる。
- 轟博文
通っている大学内で道に迷う、というのは珍しいことではないと羽住は良く思う。自分の学部棟やよく使う総合校舎さえ覚えておけば普段の授業では事足りるからだ。
あれー、と間抜けな声を上げて頭を掻く。カフェテリアに行こうとして、どうやら教育学部棟の端まで来ていたようだ。ピアノの音が聞こえる辺り、おそらく音楽関連の学科で使われている棟なのだろう。
耳を澄ますと、そのピアノの音に人の声が混じっていることに気付いた。思わず気になり、ピアノが聞こえる建物の窓を覗いた。男性が一人、楽しげにピアノを弾いていた。
楽器を何一つとして弾けない羽住には、彼の姿がとても眩しく見えた。良いなあ、と素直に思い、感嘆する。ピアノの音は止まない。
あれー、と間抜けな声を上げて頭を掻く。カフェテリアに行こうとして、どうやら教育学部棟の端まで来ていたようだ。ピアノの音が聞こえる辺り、おそらく音楽関連の学科で使われている棟なのだろう。
耳を澄ますと、そのピアノの音に人の声が混じっていることに気付いた。思わず気になり、ピアノが聞こえる建物の窓を覗いた。男性が一人、楽しげにピアノを弾いていた。
楽器を何一つとして弾けない羽住には、彼の姿がとても眩しく見えた。良いなあ、と素直に思い、感嘆する。ピアノの音は止まない。
- 目々澤藤、山崎なゆき
カフェテリアで食事を摂ろうと思ったが、店内の行列に食べる気が失せ、代わりにカップ麺を食べたいという欲求が現れてきた。予定を変更して隣の店舗へ入る。昼休みも半ばだがこちらも人の波は衰えていない。ぶつからないようカップ麺が置かれた棚に近付くと、女性が二人、棚の前に並んでいた。
「藤、早く決めなよ」
「もうちょっとまって」
「それさっきから何回言ってると思ってるの」
「だって」
食べるカップ麺の種類に悩んでいるらしい一人の横で、もう一人が呆れたように軽くため息をついた。そしてその更に横で、羽住はビッグサイズのカップ焼きそばを手に取った。
「藤、早く決めなよ」
「もうちょっとまって」
「それさっきから何回言ってると思ってるの」
「だって」
食べるカップ麺の種類に悩んでいるらしい一人の横で、もう一人が呆れたように軽くため息をついた。そしてその更に横で、羽住はビッグサイズのカップ焼きそばを手に取った。
- 綾瀬結
去年のミスコン優勝者が大きく映った看板が広場に掲示されていた。昼食にと買ったカップ麺を手に、ドレス姿の女性がはにかむそれに目を奪われ立ち尽くした。
その羽住の横で、顔を赤くしている女性が一人。控えめに言ってもかなり可愛い女性だ。見覚えはない。だが、見覚えがあるような気がした。
「結ー?」
名前を呼ばれたようで、顔を赤くしていた女性が声の方へと駆けていった。ゆい、という名前を小さく反芻した。そして看板を見る。
――××年度ミスコン優勝者、綾瀬結
もう見えないと分かっていながら、女性が駆けていった方を振り向いた。これは話しかけるべきだったな、とほんの少し後悔しながら。
その羽住の横で、顔を赤くしている女性が一人。控えめに言ってもかなり可愛い女性だ。見覚えはない。だが、見覚えがあるような気がした。
「結ー?」
名前を呼ばれたようで、顔を赤くしていた女性が声の方へと駆けていった。ゆい、という名前を小さく反芻した。そして看板を見る。
――××年度ミスコン優勝者、綾瀬結
もう見えないと分かっていながら、女性が駆けていった方を振り向いた。これは話しかけるべきだったな、とほんの少し後悔しながら。
- 佐々木紘華
目の前を通り過ぎた女性のポケットから、白いうさぎが落ちた。
羽住の目の前に落ちたそれに女性は気付いていないらしい。どんどん先に行く女性に慌てて声を掛けたが、彼女がつけているイヤホンのせいなのか否か、反応がなかった。
拾ったうさぎの軽くはたいてゴミを落とし、足早に近付いた。
「すいません」
今度は、肩に手を置いた。案の定女性の体が一瞬驚いたように跳ね、怪訝そうな顔で羽住を振り返った。良くわからない圧迫感に押されつつ、うさぎを差し出す。
「これ」
「……あっ」
怪訝から驚き、そして安堵へ。女性の表情が変わる。いつの間にか外れていた女性のイヤホンからは、男性五人グループの歌声が聞こえた。
羽住の目の前に落ちたそれに女性は気付いていないらしい。どんどん先に行く女性に慌てて声を掛けたが、彼女がつけているイヤホンのせいなのか否か、反応がなかった。
拾ったうさぎの軽くはたいてゴミを落とし、足早に近付いた。
「すいません」
今度は、肩に手を置いた。案の定女性の体が一瞬驚いたように跳ね、怪訝そうな顔で羽住を振り返った。良くわからない圧迫感に押されつつ、うさぎを差し出す。
「これ」
「……あっ」
怪訝から驚き、そして安堵へ。女性の表情が変わる。いつの間にか外れていた女性のイヤホンからは、男性五人グループの歌声が聞こえた。
- 水野春、水野尊
風が吹いたと思ったが、それは少女が横を駆けていったせいだった。
「お兄ちゃん!」
「うおっ!?」
一瞬の甘い香りの後、数メートル先の見覚えのある背中に突撃した少女が呼ぶ。突撃されたのは経済学科の水野尊だ。少女はおそらく妹だろう。制服らしいスカートに紺色のセーターを着ていた。
尊は恥ずかしそうに辺りを見渡したが、そのまま少女と並んで歩き出した。
あとでからかってやろうと考えながら、そう言えば自分の妹は元気だろうか、となんとなく思った。
「お兄ちゃん!」
「うおっ!?」
一瞬の甘い香りの後、数メートル先の見覚えのある背中に突撃した少女が呼ぶ。突撃されたのは経済学科の水野尊だ。少女はおそらく妹だろう。制服らしいスカートに紺色のセーターを着ていた。
尊は恥ずかしそうに辺りを見渡したが、そのまま少女と並んで歩き出した。
あとでからかってやろうと考えながら、そう言えば自分の妹は元気だろうか、となんとなく思った。
- 綾坂冴姫、蜜木優見
「冴姫」
「だが断る」
「何よまだ何も言ってないじゃない」
「どうせお前のことだから、またメイド喫茶のヘルプ入れとか言うんだろ」
「うっ」
「ほらな」
女にしては低く、男にしては高い、中性的な声だった。昼休みも終わり、午後の講義は始まっている。人もまばらな生協前をボーイッシュな格好をした女性が早足で歩いていた。おそらく声の主だろう。その後ろをもう一人の女性が慌てて追い掛けていた。
「お願い! ほんとこれ一回で良いから!」
「お前、俺の性別分かってるよな?」
「分かってるよ、分かった上でお願いしてるの」
「嫌だ」
「そこをなんとか!」
早足の女性が更にスピードを上げ、追い掛ける方は必死の形相だった。何やら大変だなあと思いつつ、羽住はゆっくり、図書館へと足を向ける。声は遠ざかっていく。
「だが断る」
「何よまだ何も言ってないじゃない」
「どうせお前のことだから、またメイド喫茶のヘルプ入れとか言うんだろ」
「うっ」
「ほらな」
女にしては低く、男にしては高い、中性的な声だった。昼休みも終わり、午後の講義は始まっている。人もまばらな生協前をボーイッシュな格好をした女性が早足で歩いていた。おそらく声の主だろう。その後ろをもう一人の女性が慌てて追い掛けていた。
「お願い! ほんとこれ一回で良いから!」
「お前、俺の性別分かってるよな?」
「分かってるよ、分かった上でお願いしてるの」
「嫌だ」
「そこをなんとか!」
早足の女性が更にスピードを上げ、追い掛ける方は必死の形相だった。何やら大変だなあと思いつつ、羽住はゆっくり、図書館へと足を向ける。声は遠ざかっていく。
- 久賀千景、八千代さん、崇永成汰
ラブラドールレトリーバーと青年の組み合わせは、この大学ではちょっとした有名人だ。よく大学構内を散歩しているのを目撃されていて、気がつけば一緒に会話をしてしまうとまことしやかに噂されている。そしてそれは間違っていない。羽住も何度かその調子で話したことがあるからだ。
その噂の人物こと、久賀と八千代さん(さんをつけないと久賀に怒られる)が、図書館近くのベンチに座っていた。声をかけようとも思ったが、彼と彼女には先客がいるらしかった。出かけた声を飲み込む。
先客は、崇永成汰という、彼らを通じて知り合った教育学部の青年だ。彼は学科で苦労しているらしい。久賀は今日も、彼の苦労話を聞いているようだ。話しかけるのは止めた。
「マジありえねえあいつら……」
代わりに、少しだけ距離をとって、崇永の苦労話に耳を傾けることにした。盗み聞きのようだという僅かな良心は、この際捨てた。
その噂の人物こと、久賀と八千代さん(さんをつけないと久賀に怒られる)が、図書館近くのベンチに座っていた。声をかけようとも思ったが、彼と彼女には先客がいるらしかった。出かけた声を飲み込む。
先客は、崇永成汰という、彼らを通じて知り合った教育学部の青年だ。彼は学科で苦労しているらしい。久賀は今日も、彼の苦労話を聞いているようだ。話しかけるのは止めた。
「マジありえねえあいつら……」
代わりに、少しだけ距離をとって、崇永の苦労話に耳を傾けることにした。盗み聞きのようだという僅かな良心は、この際捨てた。
- 倉沢加奈子
柔らかな声で絵本を読む、その目の前で絵本に食い入る子供達。図書館の児童スペースで、長い三つ編みの女性が読み聞かせをしていた。
手作りらしい絵本のページには、兎、ネズミ、青空、雲。いつか見た絵本を思い出す。どこかの童話。女性は静かに微笑みながらそっと物語を語り続ける。
「――おしまい」
伏せ気味だった目を上げた女性と目が合って、羽住は静かに動揺した。女性は不思議そうに首を傾げたが、すぐに目の前の子供達に意識を戻したようだった。羽住は苦笑しながら視線を外し、二階への階段へ向かった。女性はまた新しい本を読み始めたらしく、その声が階段の途中まで聞こえていたが、すぐにいい加減な静寂に飲み込まれた。
読み聞かせに夢中になるほどには、羽住自身にもまだ子供らしさがあるらしかった。
手作りらしい絵本のページには、兎、ネズミ、青空、雲。いつか見た絵本を思い出す。どこかの童話。女性は静かに微笑みながらそっと物語を語り続ける。
「――おしまい」
伏せ気味だった目を上げた女性と目が合って、羽住は静かに動揺した。女性は不思議そうに首を傾げたが、すぐに目の前の子供達に意識を戻したようだった。羽住は苦笑しながら視線を外し、二階への階段へ向かった。女性はまた新しい本を読み始めたらしく、その声が階段の途中まで聞こえていたが、すぐにいい加減な静寂に飲み込まれた。
読み聞かせに夢中になるほどには、羽住自身にもまだ子供らしさがあるらしかった。
- 小川吉宏
「あんた、さっきあの女を見てただろ」
ぎょろりとした目が羽住を睨みつけていた。
「……あの、なんでしょう」
「ロビーだよ。読み聞かせの」
「ああ、あの人」
羽住よりいくらか身長の低い、どこか蛙に似た男は血走った目を羽住から逸らそうともしない。睨まれる原因など知らない羽住が視線を逸らそうとした時だった。
「あの女はダメだ。近付いたらやばいんだよ!」
「……?」
「あの女は本当にやばい。やばいんだよ。自分の命が惜しけりゃ近付くなよ、これは俺からの警告だ」
一方的に男は言う。吐き捨てるような人を見下すような、それでいて怯えきった声色だった。図書館の一階で読み聞かせを行っていた女性に近付くな。もとより近付くも何も読み聞かせに気を引かれただけだ。反論しようとした。だが、男はそれだけ言って満足したのか羽住の前から消えていた。
残るは男に対する不信感のみ。
ぎょろりとした目が羽住を睨みつけていた。
「……あの、なんでしょう」
「ロビーだよ。読み聞かせの」
「ああ、あの人」
羽住よりいくらか身長の低い、どこか蛙に似た男は血走った目を羽住から逸らそうともしない。睨まれる原因など知らない羽住が視線を逸らそうとした時だった。
「あの女はダメだ。近付いたらやばいんだよ!」
「……?」
「あの女は本当にやばい。やばいんだよ。自分の命が惜しけりゃ近付くなよ、これは俺からの警告だ」
一方的に男は言う。吐き捨てるような人を見下すような、それでいて怯えきった声色だった。図書館の一階で読み聞かせを行っていた女性に近付くな。もとより近付くも何も読み聞かせに気を引かれただけだ。反論しようとした。だが、男はそれだけ言って満足したのか羽住の前から消えていた。
残るは男に対する不信感のみ。
- 倉田敏郎、志村佳子
志村という同学科生が、青年をひきずるように歩いているのが見えた。
「先輩、やっぱり止めましょうよ」
「今更何を言ってるんだね」
「よくよく考えなくてもゲテモノじゃないですか」
「そんなことはないぞ、多分」
「多分ってなんですか」
茶髪のボブショートにあかぶち眼鏡の彼女は意気揚々と歩いている。その彼女にひきずられている茶髪の青年は、おそらく彼女のサークルの後輩だろう。ずり落ちかけた眼鏡を指先で直し、なおも何か言いつのろうとしていたが、それを志村が押しとどめた。羽住の視線に気付いたらしく、一度足を止め、にっこり笑って一言。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよ、う?」
羽住の返答に満足そうに頷き、彼女はそのまま去っていった。青年を引きずったまま。
「先輩、やっぱり止めましょうよ」
「今更何を言ってるんだね」
「よくよく考えなくてもゲテモノじゃないですか」
「そんなことはないぞ、多分」
「多分ってなんですか」
茶髪のボブショートにあかぶち眼鏡の彼女は意気揚々と歩いている。その彼女にひきずられている茶髪の青年は、おそらく彼女のサークルの後輩だろう。ずり落ちかけた眼鏡を指先で直し、なおも何か言いつのろうとしていたが、それを志村が押しとどめた。羽住の視線に気付いたらしく、一度足を止め、にっこり笑って一言。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよ、う?」
羽住の返答に満足そうに頷き、彼女はそのまま去っていった。青年を引きずったまま。
- 切明畑テラス
「おう、元気?」
「あ、テラスさん。……?」
「どうした?」
「いつもと違うくないですか、主にボタン」
「ああ、これ? 今日寒いからちょっと締めてみた」
「そうするとイメージ変わりますよね」
「それって良い方向? 悪い方向?」
「……」
「オイコラそこなんで黙るんだ」
「いて、いててててテラスさん勘弁してくださいってええええ!」
「あ、テラスさん。……?」
「どうした?」
「いつもと違うくないですか、主にボタン」
「ああ、これ? 今日寒いからちょっと締めてみた」
「そうするとイメージ変わりますよね」
「それって良い方向? 悪い方向?」
「……」
「オイコラそこなんで黙るんだ」
「いて、いててててテラスさん勘弁してくださいってええええ!」
- 水森思信、判花手
パウワウワウー、とよく分からない音と共に開く自動ドアの向こう側で、レジの青年と目が合った。本の甘い匂いがする中をかき分けるようにレジに近付いた。
「すいません、取り寄せていた本を」
「あ、はいお名前は」
「羽住です」
代金を支払い、数日前に注文していた本を彼の手から受け取る。ありがとうございましたー、という声を背に、また奇妙な音の自動ドアをくぐろうとして、本屋に入ろうとした少年にぶつかりそうになった。
「っと」
「うおっ」
羽住より大柄な少年だった。やはり目が合い、お互い頭を下げ合う。今日は妙に目が合うな、と思いながらその横を通り抜ける、後ろで、少年がレジの青年に親しげに声を掛けるのが聞こえた。
「すいません、取り寄せていた本を」
「あ、はいお名前は」
「羽住です」
代金を支払い、数日前に注文していた本を彼の手から受け取る。ありがとうございましたー、という声を背に、また奇妙な音の自動ドアをくぐろうとして、本屋に入ろうとした少年にぶつかりそうになった。
「っと」
「うおっ」
羽住より大柄な少年だった。やはり目が合い、お互い頭を下げ合う。今日は妙に目が合うな、と思いながらその横を通り抜ける、後ろで、少年がレジの青年に親しげに声を掛けるのが聞こえた。
- マスター
「そうだマスター、聞いてください。俺、今日は卵をきれいに割れたんですよ」
「そうか、それで割った卵はどうした」
「……」
「…………」
「あー」
「さっさと言え」
「目玉焼きを作ろうとしたんですけど」
「……それで?」
「食べるのは、難しそうです」
食べ物は大切に、と店主が一言。うなだれる羽住の目の前に、きれいな円を作った目玉焼きを盛ったプレートを差し出した。
「そうか、それで割った卵はどうした」
「……」
「…………」
「あー」
「さっさと言え」
「目玉焼きを作ろうとしたんですけど」
「……それで?」
「食べるのは、難しそうです」
食べ物は大切に、と店主が一言。うなだれる羽住の目の前に、きれいな円を作った目玉焼きを盛ったプレートを差し出した。