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ボウリングとメンタリティー

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powerkoil18

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ボウリングとメンタリティー

目次



メンタルの力も技能の一つ


ボウリングの技量でメンタルの占める割合は50%はあると考えるべきである。
しかし大半の人は意識的であるか無意識であるかはともかく
ボウリングの技量は投球技術がその9割を占めていると思っているだろう。
レーンコンディションを読む技術を持っていないため尚のことそうなるはずである。
すなわち点数がいいか悪いかはレーンでもライン取りの問題でもなく
自分の「投げ方」の問題なのである。
メンタルが極めて重要な問題であるなどとは考えてもいないだろう。

しかし現実には「強靭な精神を持っているが投球技術はそこそこな人」と、
「投球技術は高いが精神的に脆い人」ならば前者が勝つ可能性が高い。
強靭な精神で常に冷静沈着な人ならば自分を客観的に見ているため
自分の投球技術を高く見積もったりはしない。
タップが飛ばないと思えばラインを微調整するだけで、
たとえそれで飛ばなくてもそれ以上のこと、たとえばスピードを上げたり、
回転数、回転軸をいじったりはしないだろう。
なぜならそれは自分にはできないこと、
使い物になるほどの技術ではないとわかっているからである。

一方、投げ方で打っていると思っている人は
自分の能力を過信しているために、タップが飛ばなければ
ラインを微調整するより投球技術でなんとかしようとする。
まずスピードやリリースを変えてくるだろう。
またボールの威力でピンが倒れるなどの根拠のない持論があるため、
ピンが飛ばなくなればどんどんスピードを上げていく。
そうなるといま自分が投げているところが遅くなっていても気づかない。

さすがにボールが裏までいくようになればインサイドに入るが、
とてつもなくスピードが上がっているため入ったとたんワッシャーである。
あわてて外に出るだろうが、薄めにいったというイメージが残っているので
次の投球では無意識にスピードが落ちてしまう。
外に戻ったのだからさっきまで投げていた遅くなったゾーンに近く、
当然のことながら投げれば真ん中にいってスプリットである。

レーンコンディションを読みながら投げていれば
上記の動作と結果でオイルの分布はほぼわかるのであるが、
投げ方で打っていると考えているためレーンの変化などおよそ頭になく、
そのスプリットをラインの問題でなく「投げ間違い」と判断する。
次はなかば無意識にリリースを変え薄めに持っていくだろう。
そのようにどんどんサイドローテーションを減らし、
濃淡のないところを投げ、自ずからラインの幅を狭くしていく。
なおかつオープンフレームが続いているので強引に挽回しにかかる。
ローゲームになるのは当然至極である。

メンタルの強い人はそういった泥沼には陥らない。
ほぼ一定の動作で投球しレーンの変化を読みながら、
ちびちびとラインを調整して動いていく。
なおかつちゃんと自分の失敗は覚えているものである。
それは次のビッグゲームにつながっていく。
しかし投げ方が上手いから打っていると思っている人は失敗から学ばない。
単に「投げ損なっただけ」で「ちゃんと投げれば打てる」のだから、
「この次はちゃんと投げよう」と考えるだけで、
自分のボウリングが間違っているのではないかなど考えもつかない。
繰り返すがボウリングはメンタルが極めて重要である。

ボウリングの「上手下手」はレーンに合わせる「上手下手」


ボウリングは「レーンに合わせて投球し、倒したピン数を競うゲーム」である。
レーンに合わせるというのはオイルの分布状態に合わせるということである。
いくら球威があってもレーンコンディションに合っていなければ打てない。
上手下手以前にそのボウラーの球質とオイルの分布状態が
マッチしていなければラインというのは出ないものである。
また球質というのはボウラーごとに異なりコロコロ変えられるものではない。
それは曲がる、曲がらないという問題だけでなく、
同じぐらいに曲がるボウラーでも球質というのは違うのである。
しかし大半のボウラーはレーンに関わらず自分の投げ方や
コントロールがいいから良い点数を打っていると考えている。
信念に近いぐらいそう思って譲らないボウラーばかりである。

これはボウラーのタイプによらない問題だが、
ローダウンのWikiであるからとくに曲がるボウラーについていえば、
ほぼ例外なく回転や球速でピンが倒れると考えていて、
ロバート・スミスやクリス・バーンズのような球が投げられれば、
比例してアベレージも上がっていくと思っている。

もし仮にロバート・スミスやクリス・バーンズのような
球速や回転がでるようになれば彼らのように打てるのだろうか?

打てるわけがないのである。

たまたまラインが出たときはビッグゲームを打つだろうが、
レーンの変化についていけないので同じぐらいの頻度でローゲームも打つ。
他のボウラーの投球もレーンの変化も見ずに投げ、
順位を上がったり下がったりしながら、
結果的にはトータル200前後のアベレージに落ち着くだろう。
200ちょっとのアベでは選抜も厳しいのである。
そもそも200アベぐらいは回転などなくても打てる。

もちろん強いボールを投げるならホームではかなり打つだろう。
しかしそれは4ゲームコンペの話である。
毎日同じメンテ、毎日同じ変化、
毎日同じ板目を投げ、毎日同じアングルの4ゲームコンペである。
もう習慣としてポケットにいくラインを体が覚えている。
つまり無自覚に「レーンに合わせて投げている」わけである。
しかしボウラー自身はレーンにオイルが敷いてあることを覚えているかすら怪しい。
それでも200アップしていれば「自分は上手い」のである。

ボウリングは「レーンに合わせて投球し、倒したピン数を競うゲーム」である。
心底から「オイルに助けてもらっている」と思えれば、
そのボウラーはもうその時点で頭一つ抜けているといえる。
本来ボウリングはレーンに合わせて投げるところから始まるが、
大半のボウラーがそうは考えていないのだから
レーンを読み始めた時点でそのボウラーはすでに例外的であり、
ボウリングという競技の性質からいってその内容は上なのである。

ただし本気で「オイルの使い方が下手では上位にはいけない」思うと
レーンを読みながら丁寧に投げるようになるので、
もうロバート・スミスのような剛球は投げられない。
むしろそこで気づくのはPBAの剛球が100%の力ではなく、
レーンを読みながら丁寧に投げてあの状態であって、
彼らにはまだまだ余力があるということである。
PBAは投球技術だけでなくライン取りの引き出しの多さ、
レーンの読みなどあらゆる部分で極めてハイレベルである。

しかしPBAに憧れるボウラーは思い切り投げて
PBAのゲーム中程度のボールがいけばかなり近づいたと思う。
しかし実際にはほど遠い。
たとえ球威が同等になっても次はコントロールである。
本当に回転が増えてくるとボールが大きく動くので、
アジャスティングも難しくなる上に、まずスペアが取れない。
投球練習と同時にレーンを読む訓練をするのが身のためである。

大半のボウラーはレーンに関わらず自分の投げ方や
コントロールがいいから良い点数を打っていると考えている。
レーンが読めない、読もうともしないので、
そういう状態のままなのもわからないでもない。
いかにボールの軌道がオイルに影響されているのかが見えないので、
レーンが荒れていてボールがあっちにいったりこっちにいったりしていても
「投げ手のコントロールが悪い」としか思えない。
一方で不正メンテにも程があるといいたくなるくらいにバリバリのハイスコで、
とんでもない内ミスがブロックに当たって全部ポケットにいっている状態でも、
そのブロックの存在に気づかず「自分のコントロールがいい」と思ってしまう。

そのようにレーンが読めないと上手下手の基準が点数しかなくなる。
数十年と投げているボウラーでも大半がその状態である。
いうなればレーンコンディションを考えないボウラーは
投げているボールの値段が二万円ほど高いという以外に
ハウスボウラーとさほど違いはないのである。
そういうとハウスボウラーと一緒にするなと怒るだろう。
ではハウスボウラーと何が違うというのか。
それはやはり「点数」であろう。
「ライン取りやアジャスティング技術が違う」とはいうまい。
もし「投球技術が違う」というならその技術はホーム以外で発揮できるのか。
外で打てなければ「今日は調子が悪い」のではないのか。
ハウスボウラーも点数が悪ければ「今日は調子が悪い」というだろう。
レーンに合わせない投球技術などホームでしか使い物にならない。
そもそも「自分の投げ方やコントロールがいいから良い点数を打っている」のなら
ハウスボウラーとハウスボールで勝負して勝てるのかと問いたい。
「そんなのは本当のボウリングではない」ならボウリングとは一体何なのか?

「レーンに合わせて投球し、倒したピン数を競う」というところから
「レーンに合わせて」を取り除くと「投球し、倒したピン数を競う」が残る。
すなわち「投げて倒す」だけの単なる的当てゲームである。
ボウリングからレーンアジャスティングを取り去れば点数しか残らない。
レーンに合わせないのならばやっていることはハウスボウラーと同じである。
ハウスボウラーは打てなければ「今日は調子が悪い」というが、
「インサイドに入るのが遅れたのが敗因」などとは絶対にいわない。

ボウリングは「レーンに合わせて投球し、倒したピン数を競うゲーム」である。
それがわからなければどんなに難しいレーンでも目指せ200点である。
点数さえ良ければいかに簡単なレーンであろうと
いかに難しいレーンであろうとも「自分は上手い」のである。
そういうボウラーはクリス・バーンズがTV決勝で
150点を打っているのを見てやはり「自分の方がうまい」と思うのだろうか?

技量不足は<気合い>で補えるか


ボウリングはメンタルが重要な競技である。
そのため能力的に対等な者同士ならば場慣れしていたり、
プラス思考で流れにノッていけるタイプの方が大舞台に強い。
目立てば目立つほど燃えるというのは非常に望ましいことである。
優勝経験の多いボウラーは総じてプレッシャーをパワーに変えられるタイプである。

日頃の練習から大舞台に立ったときなど
緊張しそうな場面で自分をリラックスさせる方法や
自分をノせられる方法などを考えていた方がいいだろう。
PBAもやっているような「声出し」などでテンションを高めて
心理的プレッシャーなどのマイナス要素を
プラス要素に変えられるようにすべきである。

ボウリングは投球やアジャスティングなど
ボウラーの操作ですべてどうにかできる競技ではない。
たとえばパーフェクトゲームなどはなんらかの偶然性が必要である。
ボウラーが本当に寸分の狂いもなく投球したならば、
そのライン上のオイルは確実に削られていくので
途中で厚めにいき12個も連続してストライクにはならない。
その意味で「パーフェクトゲームはミスしなければ出ない」のである。

ストライクが続いているときはボウラーのテンションが高まっている。
レーンコンディションは一投ごとに遅くなっていくため、
ボウラーのテンションが高まり無意識に球速が上がることで、
それがちょうどレーンの変化とマッチしストライクに繋がっていくのである。

だからといってわざと少し間違えて投球することなど人間にはできない。
やろうとしても「完全に間違い」でとんでもないところにいくだけである。
しっかりと狙った板目に投げようとして自分ではわからないほどの
「ちょっとした興奮」による微妙な差異だからちょうどいいのである。
そのようにプラス思考なメンタルコントロールによって
偶然性を自分にプラスな方向に作用させるようにすべきである。

失投でストライクになっても「おいしい」と思ったほうがよい。
ストライクの「おいしさ」と「今の失投でジャストにいくのは危険だ」という
判断はきっちり分けて考えるべきである。
おかしなところに行くかもしれないと思うと「本当に行く」ものだ。
自分が良いラインだと判断したのなら「良いライン」なのである。
想定と違う動きをしたのなら「レーンが変化した」のだから変わればいい。
失投でストライクが出てなおかつレーンの変化も見えたのだから
それは「1投で2度おいしい」と思うべきである。
ボウリングは偶然でしか満点が出ないような競技なのだ。
自分で計算できる範囲外のことまで心配するより「大当たり」を待つべきだろう。

「やればできる」はできない


「自分もやればできる」と口にする人間は例外なく練習しない。
それは逆説的に「自分はやる気が足りない」と表明しているのであり、
その言葉は「実は能力はあるけどもやらないだけ」という意味よりも、
「<意欲>という才能がないためできない」という
事実を露呈させているといったほうがよい。

一般に運動能力や記憶力などは才能であると認められているが、
<意欲>というのを才能であると考える人は少ない。
考えてみればこれは不思議なことである。
<意欲>というのも重要な才能の一部であることは明白だからだ。
「天才と狂人は紙一重」というようになにかに秀でた人間は、
取り憑かれたように物事に集中できる能力を持っている。
ひとはそれを知っているのにも関わらず、
そのこと自体を才能とは考えない。
メンタリティーを才能と関連づけ<意欲>の有無が
創造性の決定的な差であるとは考えないのである。

単なる練習不足を<気合い>でごまかせるわけはない。
いくら<気合い>を入れても「ない袖は振れない」のである。

自分にできること、自分にできないこと


人間が自分の意思でコントロールできる範囲などほんの一部である。
ならば自分にできることとできないことを見極めるべきである。
できもしないことをやろうとして無駄に時間や労力を使うよりも
自分にできることを精一杯やる方が有益なのは疑いない。
思い通りに動かないのはボールや手足だけではなく、
身のまわりの社会もそうであるし、自分の感情だってそうなのだ。

ボウリングはチェスや将棋のような
マインドスポーツとしての側面を持っているため
メンタルは極めて重要な要素である。
いつどこで動くか、どう攻めるか、冷静に状況を見なければならない。
また攻める時は躊躇せず自分をノせて投げきり
ビッグゲームを持って来れる必要がある。
つまり「大胆かつ繊細」でなければならない。
ボウリングにおいてメンタルコントロールは技能である。

しかしボウラーは思うように10番ピンが飛ばないと腹が立つ。
苛立つほどにレーンが見えなくなるのは重々わかっていてもである。
あげくはいうことを利かないレーンを攻めて
ローゲームを打ってさらに苛立ち、次のゲームからますます崩れていく。
そんなことはやる前からわかっていることのはずである。
しかし人間は懲りもせず同じ失敗を繰り返す。
世の中思い通りにいかないことばかりならば、
少なくとも自分自身くらいは自分の味方になるようにしたいものだ。



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