アルバイト先のコンビニエンスストアから電話がかかってきたのは、ホテルでの仕事を終えて帰ってきた、朝七時のことだった。ホテルのフロントは十時頃に終わる。だがその日に限って従業員が体調を崩し、羽住が代理で一晩中フロント係をすることになった。仕事は電話の受付が大半だが、深夜に電話がかかってくることなどほとんどない。結局朝六時まで仕事とではなく眠気と戦い、体を引きずるようにして自宅に帰ってきた。六時半のことである。
つまり、羽住は疲れていた。
それから三十分程度の休憩を挟んでかかってきた電話に、最初は手が止まった。こう言うときに限って働く勘が電話に出てはいけないと頭の中で叫んでいたのだ。しかし結局通話ボタンを押してしまったのは、ひとえに鳴り続ける電話をうるさいと思ったからに他ならない。徹夜の人間の耳には電話の無機質なコール音はあまりに響いて聞こえた。
「……羽住です」
発した声の低さに羽住は自分のことながら驚いた。だが電話越しの相手は気にした風もなく、ほがらかな声で羽住の鼓膜を揺らす。朝から何故そうも元気なのか。疲れた頭に電話相手の声はあまりに高すぎて、眉間にしわが寄った。
そしてその眉間のしわがさらに深くなる。
いわく、今日の朝九時からのシフトに入ってくれないか。
つまり、羽住は疲れていた。
それから三十分程度の休憩を挟んでかかってきた電話に、最初は手が止まった。こう言うときに限って働く勘が電話に出てはいけないと頭の中で叫んでいたのだ。しかし結局通話ボタンを押してしまったのは、ひとえに鳴り続ける電話をうるさいと思ったからに他ならない。徹夜の人間の耳には電話の無機質なコール音はあまりに響いて聞こえた。
「……羽住です」
発した声の低さに羽住は自分のことながら驚いた。だが電話越しの相手は気にした風もなく、ほがらかな声で羽住の鼓膜を揺らす。朝から何故そうも元気なのか。疲れた頭に電話相手の声はあまりに高すぎて、眉間にしわが寄った。
そしてその眉間のしわがさらに深くなる。
いわく、今日の朝九時からのシフトに入ってくれないか。
休んで良いよと言われ腰掛けたパイプイスが甲高い音を立てて軋む。
大きく息を吐いて、羽住は目の前のテーブルに突っ伏した。肩に何かがどっしり腰掛けているような疲労が襲いかかってきた。夕方六時から朝六時まで、計十二時間労働した後だ。疲れているしいい加減寝て午後の講義に備えたいと思っていたはずである。ところが結局、羽住は職場のコンビニでレジを打ち、棚の品出しをしていた。突っ伏したまま携帯電話を取り出す。画面が明るくなる前の一瞬、黒い画面に映ったのは、目の下に盛大な隈を作った疲れた青年の顔だった。もともと羽住は徹夜をしない。仕事で徹夜した後に更に仕事という状況は体に響いているようだ。午後の講義に出られるだろうか心配になったが、休める講義ではないので這ってでも出るしかない。
しばらく突っ伏したまま、眠っているような起きているような状態のまま数分過ごした。自動ドアが開く音、チャイム、店員の声。それが連続する。重い瞼をこじ開けて時計をみると、二限から大学に行く学生が大量にくる、そんな時間帯だった。もう一度息を大きく吐き、羽住は立ち上がった。
案の定、客は多かった。レジに置いていたプラカードを下げ、並んでいた客を誘導する。さて働こうと頭を切り替えようとしたところで、携帯電話の着信音が店内に響いた。
羽住の物とは違うが、電話のコール音はどれも似たような音を出す。狭い店内で響く着信音が朝の電話を思わせた。耳の奥にこびりついた音を思いだし、朝と同じように眉間にしわが寄るのが分かった。レジの片手間に視線を巡らすと、一人の男が片手におにぎりを、片手でドリンクのドアを開けようとしてわたわたしていた。顔に見覚えがあったが、名前は思い出せない。持っている鞄や格好からして、同じ学生だということは分かった。もしかしたら、いつかどこかですれ違ったのかもしれない。
ドアから手を離せば良いものを、男はその発想がないのか慌て続け、電話はしばらく鳴り続けた。ようやく出たのは一分近く鳴った後で、出たと分かったのはレジにいながら男の話し声が聞こえたからだ。コール音もさることながら話し声もずいぶんと大きい。レジに並んだ客が嫌そうな顔で男を見ていたが、それは羽住も同じだった。羽住自身が思っていたよりも、電話のあの音は羽住にとって恐怖を連想させるものになっていたらしい。つきそうになったため息を押し殺す。寄っていたしわを意識して戻し、笑顔を作った。
嫌がらせの一つでもしてやろう、と思ったのは、レジに並んだ男が鮭とすじこのおにぎりと、紙パックのコーヒー牛乳を置いた瞬間だった。
「おにぎり温めますか?」
「んじゃよろしく。あ、でもすじこはや」
「はいかしこまりましたー」
男が言い切る前に羽住は鮭とすじこのおにぎりを二つ、コーヒー牛乳を手にして、電子レンジにつっこんだ。普通はスパゲティや弁当を温める時に使うボタンを力一杯押し込むと、オレンジ色の光が電子レンジの中でまばゆく輝き始める。まぶしい。おそらくすじこは温めなくて良い、と言いたかったのだろう、絶句した男は、腹を抱えて笑いたくなるような滑稽な表情をしていた。
酸欠の金魚のように口を開閉した男が何か言う前に、
「三点で三五〇円になります」
「ちょ、おいあんた何を」
「三点で三五〇円になります」
「おにぎりが、いや紙パック」
「三五〇円になります」
「あんた」
「さんびゃくごじゅうえん、に、なります」
「…………」
「では四〇〇円お預かりします。五〇円のお返しとレシートです」
「…………おい」
「そちらに並んでお待ちください。次のお客様、どうぞー」
何か言おうとする男の言葉をひたすらさえぎり、徹底的に無視をする。やりとりを聞いていたのだろう次の客は、笑いをかみ殺すような顔で紙パックの紅茶を置いた。誰かと思えば崇永成汰だった。
「ストロー要りません。あ、温めなくていいから」
「はい、かしこまりました。一〇五円になります」
「…………」
ホテルのフロントマンとして鍛えた営業スマイルが役だった瞬間だった。必死で無愛想な表情を作ろうとしている崇永の背中を見送る。そこでようやく、客に対して何をやっているのかという考えにいたったが、男のこの表情だけでいまわしい電話をしばらく忘れられそうなので、結果オーライとした。
背後で電子レンジの軽快な音が鳴った。
大きく息を吐いて、羽住は目の前のテーブルに突っ伏した。肩に何かがどっしり腰掛けているような疲労が襲いかかってきた。夕方六時から朝六時まで、計十二時間労働した後だ。疲れているしいい加減寝て午後の講義に備えたいと思っていたはずである。ところが結局、羽住は職場のコンビニでレジを打ち、棚の品出しをしていた。突っ伏したまま携帯電話を取り出す。画面が明るくなる前の一瞬、黒い画面に映ったのは、目の下に盛大な隈を作った疲れた青年の顔だった。もともと羽住は徹夜をしない。仕事で徹夜した後に更に仕事という状況は体に響いているようだ。午後の講義に出られるだろうか心配になったが、休める講義ではないので這ってでも出るしかない。
しばらく突っ伏したまま、眠っているような起きているような状態のまま数分過ごした。自動ドアが開く音、チャイム、店員の声。それが連続する。重い瞼をこじ開けて時計をみると、二限から大学に行く学生が大量にくる、そんな時間帯だった。もう一度息を大きく吐き、羽住は立ち上がった。
案の定、客は多かった。レジに置いていたプラカードを下げ、並んでいた客を誘導する。さて働こうと頭を切り替えようとしたところで、携帯電話の着信音が店内に響いた。
羽住の物とは違うが、電話のコール音はどれも似たような音を出す。狭い店内で響く着信音が朝の電話を思わせた。耳の奥にこびりついた音を思いだし、朝と同じように眉間にしわが寄るのが分かった。レジの片手間に視線を巡らすと、一人の男が片手におにぎりを、片手でドリンクのドアを開けようとしてわたわたしていた。顔に見覚えがあったが、名前は思い出せない。持っている鞄や格好からして、同じ学生だということは分かった。もしかしたら、いつかどこかですれ違ったのかもしれない。
ドアから手を離せば良いものを、男はその発想がないのか慌て続け、電話はしばらく鳴り続けた。ようやく出たのは一分近く鳴った後で、出たと分かったのはレジにいながら男の話し声が聞こえたからだ。コール音もさることながら話し声もずいぶんと大きい。レジに並んだ客が嫌そうな顔で男を見ていたが、それは羽住も同じだった。羽住自身が思っていたよりも、電話のあの音は羽住にとって恐怖を連想させるものになっていたらしい。つきそうになったため息を押し殺す。寄っていたしわを意識して戻し、笑顔を作った。
嫌がらせの一つでもしてやろう、と思ったのは、レジに並んだ男が鮭とすじこのおにぎりと、紙パックのコーヒー牛乳を置いた瞬間だった。
「おにぎり温めますか?」
「んじゃよろしく。あ、でもすじこはや」
「はいかしこまりましたー」
男が言い切る前に羽住は鮭とすじこのおにぎりを二つ、コーヒー牛乳を手にして、電子レンジにつっこんだ。普通はスパゲティや弁当を温める時に使うボタンを力一杯押し込むと、オレンジ色の光が電子レンジの中でまばゆく輝き始める。まぶしい。おそらくすじこは温めなくて良い、と言いたかったのだろう、絶句した男は、腹を抱えて笑いたくなるような滑稽な表情をしていた。
酸欠の金魚のように口を開閉した男が何か言う前に、
「三点で三五〇円になります」
「ちょ、おいあんた何を」
「三点で三五〇円になります」
「おにぎりが、いや紙パック」
「三五〇円になります」
「あんた」
「さんびゃくごじゅうえん、に、なります」
「…………」
「では四〇〇円お預かりします。五〇円のお返しとレシートです」
「…………おい」
「そちらに並んでお待ちください。次のお客様、どうぞー」
何か言おうとする男の言葉をひたすらさえぎり、徹底的に無視をする。やりとりを聞いていたのだろう次の客は、笑いをかみ殺すような顔で紙パックの紅茶を置いた。誰かと思えば崇永成汰だった。
「ストロー要りません。あ、温めなくていいから」
「はい、かしこまりました。一〇五円になります」
「…………」
ホテルのフロントマンとして鍛えた営業スマイルが役だった瞬間だった。必死で無愛想な表情を作ろうとしている崇永の背中を見送る。そこでようやく、客に対して何をやっているのかという考えにいたったが、男のこの表情だけでいまわしい電話をしばらく忘れられそうなので、結果オーライとした。
背後で電子レンジの軽快な音が鳴った。
※よい子はまねしないでね!
※羽住はおにぎり(すじこ)と紙パックのコーヒー牛乳を温めた!小川に99ぐらいのダメージ!
※羽住はおにぎり(すじこ)と紙パックのコーヒー牛乳を温めた!小川に99ぐらいのダメージ!