朝の六時。目覚ましの音が聞こえる。また朝がやってきたんだなあと、ぼんやりした頭で考える。
「うーん」
顔だけ布団から出して、唸る。最近めっきり寒くなって布団から出るのが難しくなってきた。体を少しでも温めようと布団の中で動いていると、いきなり目の前が真っ暗になった。
「うわっ」
慌てて飛び起きると、いつも枕の横に座っている大きなクマのぬいぐるみが覆いかぶさっていた。どうやらもぞぞしすぎて倒れてきてしまったらしい。
「ごめんよクマくん」
突き飛ばしてしまったところを撫でながら、元の位置に戻す。布団から出るとひんやりとした空気が体に直接触れて、一瞬にして鳥肌が立った。
「さむい……」
まだ秋のはずなのに寒すぎる。さっさと着替えてしまおう。体をさすりながら昨晩選んだ服を手に取る。時計を見て、ちらと下のベッドをのぞき見る。
「お母さんは……まだ寝てるか」
昨日も夜遅かったみたいだし、今は寝かせておこう。出来るだけ音をたてないように着替えて、静かに二段ベッドから降りる。部屋から出ても自分が立てる物音しかしなくて、動きまわるのが躊躇われた。どうやら兄もまだ寝ているらしい。
「ま、いつものことか」
身支度を整え、洗濯機を回して、三人分の朝食と弁当を作り始める。まだみんな寝ているから、冷めてもおいしいように味付けを濃くする。今日は寒いから夕食は鍋にでもしようかな。帰りに野菜買わなくちゃ。
「……おはよー」
「あ、お兄ちゃんおはよう」
気だるそうに兄が起きてきた。就活が上手くいかないというのはなかなか大変なのだろう。ひどく疲れた顔をしている。
「今日も面接?」
「んー、今日はバイトだけ」
兄は寝癖もそのままに、リビングの椅子に座った。放心状態といった感じで明後日の方を向いている。
「そっか。……顔くらい洗ってきたら?」
「あー」
反応が薄い。まだ頭は寝ているようだ。とりあえず、用意ができた朝食を兄の目の前に置く。
「……おー、ありがと」
かろうじて反応が返ってきた。自分の席にも皿を置き、もう一つの皿にはラップをかける。食べる準備を整えて席に座る。
「いただきます」
六時四十五分。もう少しで洗濯も終わるはずだから、さっさと食べてしまおう。特に話すこともないので、二人で黙々と食べる。
「……ねみい」
兄は食べ終えるとそうつぶやいた。瞼が半分以上閉じていて、今にも寝てしまいそうだ。
「もうちょっと寝てきたら? 出る時にお母さんを起こすつもりだから、ついでに起こすよ」
今からなら三十分は眠れるはず。それだけでも大分違うだろう。
「そうする……」
ふらふらと自分の部屋に帰っていく兄を見送り、二人分の皿を洗う。そして洗濯物を干し終えると、やることがなくなった。
「七時二十分か……」
本を読むほどの時間はないけれど、まだ出かけるには早い。今日は天気もいいから窓際で日向ぼっこでもしようかな。さっそく椅子を窓際に持ってきて外を眺める。日差しがポカポカと暖かい。
空は雲一つなくて綺麗だ。こうして眺めていると吸い込まれてしまいそうだと思う。空に吸い込まれたら、色んな世界を見ることができて楽しいかもしれないな。
ぼうっとしていると、一羽の鳥が目の前を通り過ぎて行った。今の鳥は何て名前なんだろう。結構大きかったな。
ピンポーン
物思いにふけっていると、玄関のチャイムが鳴った。時間を見るといつの間にか十分が過ぎていた。インターフォンを手に取って、相手の確認もせずに言う。
「ごめん、タカ。あと五分待って」
『了解』
阿吽の呼吸とでも言うのだろうか。丁度いいタイミングで返事が返ってくる。
「お兄ちゃん、七時半だよ」
兄の部屋に入って声をかける。
「んー……あと五分……」
「はいはい、起きてねー」
起きようとしない兄を力ずくで起こす。こういう時、鍛えておいて良かったなと思う。
「うー」
まだ唸っている兄は放っておいて、自分の部屋に戻る。
「母さん、起きてー」
下のベッドで熟睡している母を揺さぶる。
「……おはよう、今何時?」
こちらは寝覚めが良くて助かる。
「七時半だよ。朝ごはんと弁当作っておいたから」
今日は母の担当日だったけれど、疲れていたようだから。
「あら……ありがとう、澪」
母はそう言ってベッドから起き上がった。私はコートを着て自分のカバンを持ち、リビングに戻る。弁当を取って兄の部屋をのぞき見る。まだベッドから降りてもいない。
「母さん、お兄ちゃんがまだ寝てるから起こしてあげてね」
呆れたように言うと、母はそれに笑って答えた。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
母の声を背にドアを開けると、そこには幼馴染の姿があった。出てきた私に向かって軽く手を上げて挨拶をする。
「おはよ」
幼馴染―大畑天志、通商タカ―の家族はアパートの隣の部屋に住んでいる。小学校に入学する前からの付き合いだから、腐れ縁と言ってもいいほど長い付き合いだ。
「おはよう……そのかっこ、寒くないの?」
シャツ一枚にジーパンという薄着だった。私はヒートテックにセーター、その上に薄手のコートという厚着なのに。
「全然。澪こそ暑くねーの?」
肩をすくめて応える。二人で並んで歩いていると、季節感が違い過ぎて可笑しくなってくる。
「これでもまだ寒いんだけど……」
マフラー巻いてくれば良かった、とつぶやくとタカは信じられないという顔をした。
「まじかよ」
毎年のことだが、私たちの気候に関する感覚は相容れないようだ。それもこれも私が尋常じゃないくらい寒がりなせいなのだが。
「澪はほんと寒がりだよな」
呆れたように言う。好きでなったわけではないのだが、まあ仕方ない。どうにかしたいと思ったこともあったが、どうしようもないということがわかってしまったからだ。努力でなんとか出来ることなら全力を尽くすが、寒いものは寒いのだから。
「それにしても、おれの方が早いとか久しぶりだな」
タカが自慢気に笑う。確かに私が七時半に家を出ていないのは珍しいと思う。わざわざチャイムを鳴らしにくる物好きも珍しいとは思うが。
「ちょっとぼーっとしてたんだ。空が綺麗だったからさ」
私は空を仰いで言う。さっき見た鳥がまた頭上を通り過ぎた。
「あ、あれ」
遠くなっていく鳥を指差して尋ねる。
「何て鳥かわかる?」
「ああ、ノスリだな。あの腹の黒い斑点はノスリの特徴だから」
即答。流石獣医の卵だ。
「すごいねー、さっきも見たんだけど、気になってて」
鳥はあっという間に見えなくなった。それこそ空に吸い込まれたみたいに。
「ま、好きだからな」
照れたように笑う。動物の話をしているタカはすごく楽しそうだと思う。
「ふふっ」
思わずこちらも楽しくなって、笑う。
「何だよ、人の顔見て笑うなよ」
むくれる様子を見ていると、自分に弟がいたらこんな感じかな、という気分になる。ほほえましい、というのが一番適切だろうか。
「だって、本当に楽しそうに話すんだもの」
言いながらも、何となく口角が上がっているのがわかる。
「……そうかよ」
そう言うと、タカはそっぽを向いた。別段怒っているという風でもないのだが、どうしたことか。心なしか顔が赤い気がする。
「どうした? 大丈夫?」
「どうええっ、ちょっ、何してんの!」
回り込んで尋ねると、タカは予想以上にびくりとして後ずさった。
「何してんのって……タカの顔が赤かったから、大丈夫かなーって」
私が言うと、タカはしばらく口をぱくぱくさせていたが、深呼吸をしてから言った。
「……大丈夫だから、」
心臓に悪いことすんなよな、とタカは言った。私、そんなに変なことしたかなあ……。
それからは中間テストの話題や昨日のテレビの話などたわいもない話をしながら、電車に乗って大学へ向かった。
「あーあ、テストまじめんどくせー。受験でもう十分だっつーの」
最寄り駅に着いたころ、タカは改めてそう言った。
「まあ仕方ないよ。知識の確認なんだし」
私が言うと、大げさにため息をついて言う。
「澪も浪人ならこの気持ちわかると思うんだけどな」
そんなことを言われても困る。確かに浪人生は一年余計に受験勉強しているわけだから、テストというものに辟易していてもおかしくはないと思うけど。
「現役だから、残念ながらわからないなー」
苦笑いして言う。……決して嫌味じゃないよ!
「みおー」
後ろから声をかけられる。振り向くと学科の友人、浜野由梨がいた。いつもと同じように、にこにこと笑っている。
「おはよ!」
「おはよう」
私に向かって挨拶をすると、隣にいたタカに向かって言った。敬礼っぽいことをしている。
「いつも送り迎えご苦労様です、王子」
「別に送り迎えでも、王子でもねーって何度言ったらわかんだよ」
めんどくさそうにタカが言う。
「残念ながら止める気ないからね?」
にこやかに、さわやかに、由梨は言う。
「後輩いじり、大好きだもん♪ ねー、たっくん」
タカに向かって小悪魔的に笑いながら言う由梨は、すごく楽しそうだ。タカは心底嫌そうな顔をしてため息をついた。
二人は同じサッカー部に所属している。と言っても由梨はマネージャーでタカはプレイヤーなのだが。同い年でも大学では学年の方が重要だから、タカは由梨に頭が上がらないようだ。
「サッカー部のエースも、うちの前じゃただのヘタレってね」
そう言って楽しそうに笑う。いつもはこんな感じでどちらかというと適当な印象だけれど、部活の時の由梨は本当にすごいのだ。タカ曰く、部員の大部分は先輩であっても由梨に頭が上がらないらしい。
「そう言えばさ、今日の一限って何の教科だっけ?」
由梨が私に尋ねる。教科書は大学のロッカーに入れられるから、こういう会話も成り立ってしまう。
「神経生理かな」
「あー、寝るわ。みお、後でノート見せてー」
「いつものことじゃん」
笑いながら言うと、そろそろ医学部が見えてきた。
「あ、タカじゃーね」
「また後でねー」
「おー」
道が枝分かれしたところでタカと別れる。完全に姿が見えなくなったころに、由梨がつぶやいた。
「……あいつももうちょい頑張ればいいのになあ」
「? 何かあったの?」
私が首をかしげて尋ねると、由梨にしては珍しく、歯切れの悪い返事が返ってきた。苦笑いしながら由梨は言う。
「あー、いや、うん。こっちの話」
一旦言葉を切ってから、独り言ともつかない声の大きさで由梨は言った。
「ま、うちは今みたいなぬるま湯状態の方が好きだけどね!」
「?」
私はよくわからなくて、もう一度首をかしげた。自分なりに解釈して答える。
「……私も、由梨大好きだよ」
本心を言うのが少し恥ずかしくて、私は言ってからすぐに目をそらした。
「~っ、ったくもうかわいいなあ、みおは!」
由梨はそう言って、私の肩を抱いた。
「うーん」
顔だけ布団から出して、唸る。最近めっきり寒くなって布団から出るのが難しくなってきた。体を少しでも温めようと布団の中で動いていると、いきなり目の前が真っ暗になった。
「うわっ」
慌てて飛び起きると、いつも枕の横に座っている大きなクマのぬいぐるみが覆いかぶさっていた。どうやらもぞぞしすぎて倒れてきてしまったらしい。
「ごめんよクマくん」
突き飛ばしてしまったところを撫でながら、元の位置に戻す。布団から出るとひんやりとした空気が体に直接触れて、一瞬にして鳥肌が立った。
「さむい……」
まだ秋のはずなのに寒すぎる。さっさと着替えてしまおう。体をさすりながら昨晩選んだ服を手に取る。時計を見て、ちらと下のベッドをのぞき見る。
「お母さんは……まだ寝てるか」
昨日も夜遅かったみたいだし、今は寝かせておこう。出来るだけ音をたてないように着替えて、静かに二段ベッドから降りる。部屋から出ても自分が立てる物音しかしなくて、動きまわるのが躊躇われた。どうやら兄もまだ寝ているらしい。
「ま、いつものことか」
身支度を整え、洗濯機を回して、三人分の朝食と弁当を作り始める。まだみんな寝ているから、冷めてもおいしいように味付けを濃くする。今日は寒いから夕食は鍋にでもしようかな。帰りに野菜買わなくちゃ。
「……おはよー」
「あ、お兄ちゃんおはよう」
気だるそうに兄が起きてきた。就活が上手くいかないというのはなかなか大変なのだろう。ひどく疲れた顔をしている。
「今日も面接?」
「んー、今日はバイトだけ」
兄は寝癖もそのままに、リビングの椅子に座った。放心状態といった感じで明後日の方を向いている。
「そっか。……顔くらい洗ってきたら?」
「あー」
反応が薄い。まだ頭は寝ているようだ。とりあえず、用意ができた朝食を兄の目の前に置く。
「……おー、ありがと」
かろうじて反応が返ってきた。自分の席にも皿を置き、もう一つの皿にはラップをかける。食べる準備を整えて席に座る。
「いただきます」
六時四十五分。もう少しで洗濯も終わるはずだから、さっさと食べてしまおう。特に話すこともないので、二人で黙々と食べる。
「……ねみい」
兄は食べ終えるとそうつぶやいた。瞼が半分以上閉じていて、今にも寝てしまいそうだ。
「もうちょっと寝てきたら? 出る時にお母さんを起こすつもりだから、ついでに起こすよ」
今からなら三十分は眠れるはず。それだけでも大分違うだろう。
「そうする……」
ふらふらと自分の部屋に帰っていく兄を見送り、二人分の皿を洗う。そして洗濯物を干し終えると、やることがなくなった。
「七時二十分か……」
本を読むほどの時間はないけれど、まだ出かけるには早い。今日は天気もいいから窓際で日向ぼっこでもしようかな。さっそく椅子を窓際に持ってきて外を眺める。日差しがポカポカと暖かい。
空は雲一つなくて綺麗だ。こうして眺めていると吸い込まれてしまいそうだと思う。空に吸い込まれたら、色んな世界を見ることができて楽しいかもしれないな。
ぼうっとしていると、一羽の鳥が目の前を通り過ぎて行った。今の鳥は何て名前なんだろう。結構大きかったな。
ピンポーン
物思いにふけっていると、玄関のチャイムが鳴った。時間を見るといつの間にか十分が過ぎていた。インターフォンを手に取って、相手の確認もせずに言う。
「ごめん、タカ。あと五分待って」
『了解』
阿吽の呼吸とでも言うのだろうか。丁度いいタイミングで返事が返ってくる。
「お兄ちゃん、七時半だよ」
兄の部屋に入って声をかける。
「んー……あと五分……」
「はいはい、起きてねー」
起きようとしない兄を力ずくで起こす。こういう時、鍛えておいて良かったなと思う。
「うー」
まだ唸っている兄は放っておいて、自分の部屋に戻る。
「母さん、起きてー」
下のベッドで熟睡している母を揺さぶる。
「……おはよう、今何時?」
こちらは寝覚めが良くて助かる。
「七時半だよ。朝ごはんと弁当作っておいたから」
今日は母の担当日だったけれど、疲れていたようだから。
「あら……ありがとう、澪」
母はそう言ってベッドから起き上がった。私はコートを着て自分のカバンを持ち、リビングに戻る。弁当を取って兄の部屋をのぞき見る。まだベッドから降りてもいない。
「母さん、お兄ちゃんがまだ寝てるから起こしてあげてね」
呆れたように言うと、母はそれに笑って答えた。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
母の声を背にドアを開けると、そこには幼馴染の姿があった。出てきた私に向かって軽く手を上げて挨拶をする。
「おはよ」
幼馴染―大畑天志、通商タカ―の家族はアパートの隣の部屋に住んでいる。小学校に入学する前からの付き合いだから、腐れ縁と言ってもいいほど長い付き合いだ。
「おはよう……そのかっこ、寒くないの?」
シャツ一枚にジーパンという薄着だった。私はヒートテックにセーター、その上に薄手のコートという厚着なのに。
「全然。澪こそ暑くねーの?」
肩をすくめて応える。二人で並んで歩いていると、季節感が違い過ぎて可笑しくなってくる。
「これでもまだ寒いんだけど……」
マフラー巻いてくれば良かった、とつぶやくとタカは信じられないという顔をした。
「まじかよ」
毎年のことだが、私たちの気候に関する感覚は相容れないようだ。それもこれも私が尋常じゃないくらい寒がりなせいなのだが。
「澪はほんと寒がりだよな」
呆れたように言う。好きでなったわけではないのだが、まあ仕方ない。どうにかしたいと思ったこともあったが、どうしようもないということがわかってしまったからだ。努力でなんとか出来ることなら全力を尽くすが、寒いものは寒いのだから。
「それにしても、おれの方が早いとか久しぶりだな」
タカが自慢気に笑う。確かに私が七時半に家を出ていないのは珍しいと思う。わざわざチャイムを鳴らしにくる物好きも珍しいとは思うが。
「ちょっとぼーっとしてたんだ。空が綺麗だったからさ」
私は空を仰いで言う。さっき見た鳥がまた頭上を通り過ぎた。
「あ、あれ」
遠くなっていく鳥を指差して尋ねる。
「何て鳥かわかる?」
「ああ、ノスリだな。あの腹の黒い斑点はノスリの特徴だから」
即答。流石獣医の卵だ。
「すごいねー、さっきも見たんだけど、気になってて」
鳥はあっという間に見えなくなった。それこそ空に吸い込まれたみたいに。
「ま、好きだからな」
照れたように笑う。動物の話をしているタカはすごく楽しそうだと思う。
「ふふっ」
思わずこちらも楽しくなって、笑う。
「何だよ、人の顔見て笑うなよ」
むくれる様子を見ていると、自分に弟がいたらこんな感じかな、という気分になる。ほほえましい、というのが一番適切だろうか。
「だって、本当に楽しそうに話すんだもの」
言いながらも、何となく口角が上がっているのがわかる。
「……そうかよ」
そう言うと、タカはそっぽを向いた。別段怒っているという風でもないのだが、どうしたことか。心なしか顔が赤い気がする。
「どうした? 大丈夫?」
「どうええっ、ちょっ、何してんの!」
回り込んで尋ねると、タカは予想以上にびくりとして後ずさった。
「何してんのって……タカの顔が赤かったから、大丈夫かなーって」
私が言うと、タカはしばらく口をぱくぱくさせていたが、深呼吸をしてから言った。
「……大丈夫だから、」
心臓に悪いことすんなよな、とタカは言った。私、そんなに変なことしたかなあ……。
それからは中間テストの話題や昨日のテレビの話などたわいもない話をしながら、電車に乗って大学へ向かった。
「あーあ、テストまじめんどくせー。受験でもう十分だっつーの」
最寄り駅に着いたころ、タカは改めてそう言った。
「まあ仕方ないよ。知識の確認なんだし」
私が言うと、大げさにため息をついて言う。
「澪も浪人ならこの気持ちわかると思うんだけどな」
そんなことを言われても困る。確かに浪人生は一年余計に受験勉強しているわけだから、テストというものに辟易していてもおかしくはないと思うけど。
「現役だから、残念ながらわからないなー」
苦笑いして言う。……決して嫌味じゃないよ!
「みおー」
後ろから声をかけられる。振り向くと学科の友人、浜野由梨がいた。いつもと同じように、にこにこと笑っている。
「おはよ!」
「おはよう」
私に向かって挨拶をすると、隣にいたタカに向かって言った。敬礼っぽいことをしている。
「いつも送り迎えご苦労様です、王子」
「別に送り迎えでも、王子でもねーって何度言ったらわかんだよ」
めんどくさそうにタカが言う。
「残念ながら止める気ないからね?」
にこやかに、さわやかに、由梨は言う。
「後輩いじり、大好きだもん♪ ねー、たっくん」
タカに向かって小悪魔的に笑いながら言う由梨は、すごく楽しそうだ。タカは心底嫌そうな顔をしてため息をついた。
二人は同じサッカー部に所属している。と言っても由梨はマネージャーでタカはプレイヤーなのだが。同い年でも大学では学年の方が重要だから、タカは由梨に頭が上がらないようだ。
「サッカー部のエースも、うちの前じゃただのヘタレってね」
そう言って楽しそうに笑う。いつもはこんな感じでどちらかというと適当な印象だけれど、部活の時の由梨は本当にすごいのだ。タカ曰く、部員の大部分は先輩であっても由梨に頭が上がらないらしい。
「そう言えばさ、今日の一限って何の教科だっけ?」
由梨が私に尋ねる。教科書は大学のロッカーに入れられるから、こういう会話も成り立ってしまう。
「神経生理かな」
「あー、寝るわ。みお、後でノート見せてー」
「いつものことじゃん」
笑いながら言うと、そろそろ医学部が見えてきた。
「あ、タカじゃーね」
「また後でねー」
「おー」
道が枝分かれしたところでタカと別れる。完全に姿が見えなくなったころに、由梨がつぶやいた。
「……あいつももうちょい頑張ればいいのになあ」
「? 何かあったの?」
私が首をかしげて尋ねると、由梨にしては珍しく、歯切れの悪い返事が返ってきた。苦笑いしながら由梨は言う。
「あー、いや、うん。こっちの話」
一旦言葉を切ってから、独り言ともつかない声の大きさで由梨は言った。
「ま、うちは今みたいなぬるま湯状態の方が好きだけどね!」
「?」
私はよくわからなくて、もう一度首をかしげた。自分なりに解釈して答える。
「……私も、由梨大好きだよ」
本心を言うのが少し恥ずかしくて、私は言ってからすぐに目をそらした。
「~っ、ったくもうかわいいなあ、みおは!」
由梨はそう言って、私の肩を抱いた。
―ある秋の朝の出来事である。