ハルヒと親父 @ wiki

夏の自転車

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haruhioyaji

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 地球の公転周期を、昔の人間はたまたま「1年」と定めたが、俺たちを乗せた惑星が、相当に長い距離を巡り、また元の位置あたりに戻ったとしても、結局のところ、かわりばえしないのが人間の習慣という奴だと、我が身と我が体験を通じて断言し、ついでに嘆息をもらさざるを得ない。
 学年で言えば1個上にあがり、背負わされる課題の山はそれに応じて更なる高みに達したと聞くが、俺はと言えば、まだそいつを確かめる気になりさえしないのだ。
 言い訳させてもらえば、人間の思考能力及び集中力、注意力はそれぞれ有限であり、より重要な懸案事項が、まさに今、眼前に存在しているのであれば、それに有限な思考能力その他諸々を注がずにはいられないのが、人間という生物なのであって、それを「悲しい」とか「進歩がない」とか、そういう情緒的な文言で片付けて欲しくないものだな。って、そう言ってるおまえはどうなんだ、ハルヒ?
 「あたし? あたしは進歩してるわよ。何故なら、この列車はあんたの田舎に向かっていて、あたしは去年と違って、あんたの隣の席にこうして座っているからよ。他に質問は?」
「ない」
「だいたい8月のど真ん中、この大事な二週間を山や川で遊び倒すだけ倒して、今年も夏休みの課題は人のを写して済ますつもりだったでしょ? そういう虫の良い考えが、いつまでも通用すると思ったら大間違いよ!」
 いや、そんな「虫の良い計画」が、そもそも立案できるのなら、俺の人生はもう少し違ったものになっていたはずだ。と思う。俺は元来、夕食後に用意されたメロンのことを、目の前にあるスイカの前には、きれいさっぱり忘れ去る類いの人間なのだ。
「あきれた。虫以下ね」
 だったら言わせてもらうがな、うちの家族が乗り込む田舎行き急行列車を妹から聞き出し、トランクを引きずり、黄色いリボンがやけにまぶしい麦わら帽子まで装備した万全の格好で、ぶんぶん手を振ってホームで待っているおまえはどうなんだ? 実家へ帰省するご家族様ご一行に、当然とでもいった顔で混じっているのは「虫が良く」ないのか?
「『お世話になります』ってちゃんと言ったわ」
ああ、言ったとも。というか、おまえが言ったのはそれだけだ。どうしてそれだけで、俺以外のみんなが納得できてるんだ。それに、うちの親の返答が
「ハルヒちゃん、水くさい。うちの愚息こそ、お世話になって」
って、いま問題にすべきはそれじゃないだろ! それから妹よ、その「作戦成功だね!」ってハイ・タッチは何なんだ? 兄にも分かるようにきちんと説明してくれ。
「だって、ハルにゃんがいた方が、キョン君も楽しいよ!」
ああ、おまえは本当に心底楽しそうだな。
「うん、楽しいよ。キョン君、楽しくないの?」
いや、妹よ。世の中にはな、楽しいとか楽しくないとかだけじゃ計れないこともたくさんあるんだ。
「あんたも、いい加減、妹ちゃんみたいに素直になりなさい!」
「ど、どの口で言うんだ?」と俺もどの口で言ってる?
「こ、この口よ」
く、くそ。いつもの前後(まえうしろ)の位置関係が恋しいぞ。互いに首を90度曲げての至近距離は正直、いろいろな意味でつらい。だから、顔が近いんだよ!
「キョンくーん、まだお昼だよ、明るいよー」
「そ、そうね。さすが妹ちゃん」
何がどう「さすが」なんだよ、おい。
「そ、そうだな。まったくおまえの言う通りだ」
俺も何がその通りなんだ? ……今のおまえの言葉は、兄の窮地を救ったが、同時に兄をふかーく傷つけもしたぞ。


 といったようなことは、だいたい田舎に着くまでの列車のなかで「消化」されてしまい、(ハルヒが途中でぐーすか寝てしまったこともあるが)、駅に降り立った時には、ハルヒはすっかり100%のハルヒになっていた。
「さあ、ついたわよ、キョン!」
「俺の田舎にな」
「これから二週間、思う存分遊ぶから覚悟しなさい!」
「高校2年生だってのに、本当にそれでいいのか?」
と、自分一人では到底達し得ない境地に達したらしいぞ、俺。
「なんたって夏を制するものは世界を制するって言うくらいだからね!」
なあ、それ、誰のことばだ?
「とにかく前進あるのみよ!あたしに続きなさい!」
誰にもできると思うなよ、そんなこと。
 とはいえ、一年ぶりに顔を合わせたイトコやらハトコやら甥《おい》やら姪《めい》やらは全員、それも早々にハルヒの軍門に下った。こいつらは多分、「夏」が服を来て、女子高生の姿になって、自分たちの遊ぶ山や川に降臨してきたとでも思っているじゃないだろうか? 俺も「涼宮ハルヒ」って存在を知らなかったら、きっとそう思ったろう。スイカを素手で割り、滝壺にTシャツのままダイブする、ひまわりみたいに笑う少女のことを。

 「あー、今日もめちゃくちゃ遊んだわね」
ああ、当社比3倍は下らんよ、多分。
「ハルにゃーん。夜は花火しようって言ってたけど、明日でいーい?」
「ノープロブレム、問題なしよ、妹ちゃん!」
「ちょっと早めに寝て明日に備えるね。おやすみー」
いつもなら軽い躁状態で田舎の一日目は遅くまで起きている妹も、殊勝なことを言って今年は早寝早起きをするつもりらしい。でないと、きっと持たないからな、二週間。
 「さあ、ちびっ子は寝る時間だけど、あたしたちはこれからよ」
「な?」なんだ、これ?
「カ・ダ・イよ、『課題』。あたしが何のために重いスーツケース引きずってきたと思ってんの」
駅から田舎道を運んだのは、タクシーと俺だ。2週間の滞在だし、着替えか何かかと思ってたぞ。それにしちゃ、やけに重かったが。
「こっちに着けば洗濯だってできるんだし、夏服なんて大した嵩(かさ)にならないわ。とことんマヌケね」
「わるかったな。……だが、一応、感謝しとく」
 乗車駅まで運んできてくれたのは、おまえだからな。
「よろしい。『丸写し』は許さない、って言ったでしょ。あたしは有言実行をモットーとしてるの。あんたが自力で『課題』を解き終えるまで、あたしたちの夏は終わらないと思いなさい!」
 いや、とりあえず、去年の夏を思い出させないでくれ。と、覚えてない奴に言う訳にはいかないんだが。

 こうして晴耕雨読ならぬ、昼遊夜読の日が数日は続いた。
 しかし昼間にめいっぱい遊び、夜は夜で倒れるまで課題をこなしていけば、消費エネルギーが超過するのは時間の問題だった。
 元気のかたまりに見えるハルヒですら、夜の勉強タイムに、こっくりこっくりと船をこぎ出すぐらいだ。俺の方は俺の方で、だんだんと坂道が急になるかのような課題の難易度に悪戦苦闘し、HPやらMPを削られていった。
「なあ、ハルヒ」
「んおっ! な、なによ、キョン! ……ちょっと不覚をとって眠ってたけど、何にもしてないでしょうね?」
「何にもしとらん。が、でこに課題プリントの文字が転写されてるぞ」
「え、うそ! え、どこ?」
「うそだ」
「……」
「なんだ、怒らないのか?」
「あまりのガキくささに、どっと疲れが出たの」
「明日は休みにするか?」
「休みって、すでに夏休みでしょうが」
「ガキたちと遊ぶのと、課題をやるのを、だ」
「だめよ、まだ半分も終わってないのよ!」
「明日は特別だ。死んだ連中が戻ってくる日だろ。出迎えてやらんと、すねると困る」
「あ、そうか。そうよね」
「ここら辺じゃ墓は見晴らしの良い山の中腹あたりにあるんだ。生きてる連中がバカやらんように見張ってるのか、死んでも自分たちの生きた場所を眺められるように、そうしてるのか知らんが」
「お墓、行くの?」
「昼間は人が多いし、暑いから、ちょっと時間をずらしてな」
「そんなのでいいの?」
「儀式張ったことは、なにもないんだ。川にお供えものを流すくらいだな。自分の先祖の墓だし、いつ行ってもいいだろう」
「ふーん、そんなもんなの。……あ、でも、明後日からは、またギリギリねじ巻いてやるからね!」

 次の日、朝食を終えた妹に、今日の予定を簡単に話した。
「うん。今日はみんな家の手伝いとかあるから、遊びにこないと思うよ」
うんうん頷きながら聞いていた妹は、俺が話し終えるとハイタッチを要求した。
「キョン君、しっかりね!」
 おいおい、何がしっかりだというんだ、妹よ。確かにもう少ししっかりしたいとは思うけどな。
 それから俺は二度寝を決め込み、昼前にハルヒの足で踏みつぶされる夢を見て目覚めた。
「ぐう。ハルヒ、その足を退けろ」
「さっさと起きなさい。もう昼前よ」
「踏まれたままだと、起き上がれんだろ」
「あ、そうか」
ハルヒが俺の腹の上から素足をのけると、俺は被っていたタオルケットを手足で丸めて、部屋の隅に転がした。
「あんたは、カイコか。ちゃんと、畳みなさいよ」
ハルヒはそれをおいかけ、一度広げてから、テキパキと畳んでいく。
「みんな、お墓参りに行っちゃったわよ。本当に良かったの?」
「なんか言ってたか?」
「『ハルヒちゃんもいくかい?』って聞かれたんで、『夕方、キョンと行く』って答えたけど。それ以上は何も言われなかったわ」
「そうか」
俺はうーんと伸びをして、ゆっくり立ち上がった。
「腹が減った。ソーメンでもゆでるが、おまえも食べるか?」
「おそい。もう作ってあるわよ。そのあたりにあった材料、勝手に使っちゃったけど」
「かまわん。食べたら、ちょっと出かけるか?」
「いいけど、夕方じゃなかったの? 家、誰もいなくなるけど、いいの?」

 「って、この自転車?」
「ちょっと年代物だろ。じいさまの愛車だ」
「じいさまって?」
「そろそろ帰って来てると思う。一番最近に死んだご先祖」
「大丈夫なの?」
「自転車か?夕べ、油さして、ちょっと乗ってみた。あ、待ってろ」
ちいさめの座布団を取って、家の裏に戻る。ハルヒは黄色いリボンの麦わらを装着済みだった。
「荷台が金属だからな。これ敷いといてくれ」
「ありがと。で、どこ行くの?」
「見せたいものと、見たいものがあるところ」
「何それ?」
「乗ってくれ」
俺がサドルに座り、ハルヒが荷台に腰掛け、俺の腹に腕を回す。
「……」
「何よ?変?」
「いいや」
振り返らず、地面を蹴って、ペダルを踏んで田舎道へ出る。振り返ったら、言わなくて済む何かを言いそうだったからだ。

 山間(やまあい)の村とはいえ、一回りしてみると意外と広い。途中、なんとかいう神様の名前がついた滝で水を汲み、村に2つしかない自動販売機のひとつで硬貨を消費し、神社と寺を回ったら、もう日が傾きかけていた。山が近くて、空がその分狭いからだ、多分。
 「随分登ったわよ。大丈夫、変わろうか?」
「おまえ、スカート履いてるだろ」
「だから何よ?」
「別に。モチベーションの問題だ」
「誰の?どっちの?」
「う……」
「詰まるようなことは言わない。さ、行くんでしょ」
「ああ、行くとも」
 幸い、ここからだと、墓は下り坂の途中になる。しばらくペダルの用はない。要るのはブレーキだ。いろんな意味のブレーキ。
 自転車のブレーキは、甲高い音を立てる。それなりの坂だし、二人乗りだ。力一杯、握ってやる。
「うわあ。キョン、見なさい。前よ、前」
 見てるさ。前を見ないと危なくてしょうがないぞ。って、乗り出すなって。
 夏の間、山で暮らし、秋がくると里へと下っていくトンボたちだった。
「あんなにいるんなら、手を出すだけでつかまえられそうね」
「田んぼのあぜ道に突っ立ってたら、向こうからとまりにくる。指でも立ててれば、そこにとまるから、すぐつかまえられる」
「のんきなトンボね」
「田舎だからな」
トンボの群れは、平らになったところに広がっていて、その先が、この村の墓地の一つだった。連中に誘われるように、墓地の入り口で自転車を止めた。
「ポンプがあるわよ」
「水道はここまで引いてない。それで水を汲むんだ」
「やってみる」
「ああ、ちょっと待て」
手動ポンプの横にあったバケツの水を、柄杓でポンプの頭から注ぐ。
「こうしてからじゃないと徒労だ」
「そうなの」
ハルヒは持ち前の馬鹿力でどんどん水を汲んでいく。
「どれだけ要るの?」
「バケツ一杯で十分だ」
「もっとやらせなさい。お墓だって、今日は暑いわ」
「じゃあ、持てるだけ汲むか」
「バケツ4つ分ね。まかせなさい!」

 「どのお墓?」
「あっちだ。左から3つ目」
「お花とかは、してあるのね。そうか、みんな先に来たから」
「せっかく汲んでくれたからな」
と言って、二人して柄杓で墓石に水をかけた。この暑さだし、迷惑にはなるまい。
「誰が入ってるの?」
「先祖代々と掘ってある。っていっても、昔は土葬だったらしいからな。焼いて骨にしてからだろ」
「あんたは誰に手を合わせてたの?」
「あの自転車のじいさまだ。あと、ちょっと報告とな」
「報告って?」
「実はあの自転車とじいさまの特訓で、自転車に乗れるようになったんだが……。あいつに誰かを乗せて走るのは始めてなんだ」
「……」
「……だから、その報告だ」
 ハルヒはおっきな目で俺を見ていたが、やがて何を思ってか、墓の方に向き直り、もう一度手を合わせた。
「……」
「……だから、報告よ。ちょっとした、ね」
「そうか」
「そうよ」
「……もう、いくか?」
「え、あ、うん」
何故か名残惜しそうに、二人の足はそのままだった。
「あー、……ハルヒっていうんだ、こいつ」
何故だか俺はそんなことを墓に向かって話しかけていた。
「……また来るよ。来年」
「あ、うん。また、来ます、来年に」
ハルヒはバケツを4つともつかんで、先に立って墓場の出口へ歩き出した。
「なにしてんの、暗くなる前に帰るんでしょ!」
「ああ、そうだな」
俺はハルヒを追って歩き出した。途中、一度だけ、後ろを振り返って。















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