ハルヒと親父 @ wiki

ハルヒ母の遍歴時代

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haruhioyaji

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 そうねえ。
 15歳とか、それくらいまでしか生きられないって、小さい頃からお医者さまにも家族にも言われていた話は前にしたわね。
 実際、すぐに熱出して、学校も欠席の方が多かったくらい。そのうち、行かなくなっちゃったけど。
 だって時間がもったいないって思ったの。15歳までしか時間がないなら、やりたいこと全部やるのに、余計なことをする暇なんてないと思ったのね。
 学校抜き、勉強抜きで、ピアノとバレエだけの毎日だったわ。もっとも、どちらも、体力がなかったから、そんなに練習できたわけじゃないけど。
 だから、あんなに好きだったけれど、バレエは一度も舞台を踏んだことはなかったの。ピアノは座っていられるから、まだましね。実際は、ものすごく体力勝負だけど。ついた先生がね、朝から昼までの3時間以上練習しちゃいけない、って方針の人だったの。日本の先生は、8時間でも10時間でも弾けるだけ弾け、という人が多かったから、母さんラッキーだったわね。
 その先生はフランスの人で、母さん、その人のピアノがとても好きで、先生が日本に演奏旅行に来た時、無理を言って連れてってもらったの。次に来日するときには、母さん死んでいないはずだったし。生で聞いたら、もっと感激してね。次の日、家の近くのカトリックの教会へ言って、そこのフランス人のシスターに無理矢理頼んで、フランス語を教わることにしたわ。そして3ヶ月後、そのピアノの先生に手紙を書いたの。もうすぐ死ぬかもしれない女の子の願い事をひとつだけかなえてください。私はあなたにピアノを教わりたいです、ってね。
 先生は、そうね、お父さんに言わせると「しゃれがわかる」タイプね。そんな東の果ての島国から女の子が熱烈な手紙をフランス語で書いてくるなんて思わなかったのね、きっと。で、どう考えても無理な話だけど、「すぐ来なさい。命あるうちに」って返事が来てね。
 もちろん両親もお医者さまも大反対。で大げんかして、生きるの死ぬのの騒ぎになって、結局、一家でフランスに引っ越して、先生にピアノを習うことになったの。もう、むちゃくちゃね。

 先生も病気を抱えていてね、あと何年演奏できるか分からない、とよく言っていたわ。「けれど、君たちに伝えられたら、僕の演奏は永遠に世界のどこかで続いていくだろ」って。私は先生より長生きできない自信があったから、私にはその役目は無理ね、と思ってたのだけど。
 午前中しかレッスンはないから、お昼からは暇でね。最初は美術館なんか回っていたけれど、それも疲れるから、結局食べることに走ったの。私たちが住んでいた近くに、そんなに有名じゃないけれど、とてもおいしいレストランがあってね。
 母さんはとくに、そこのスープが絶品だと思っていて、それを楽しみに毎日生きていたというくらい。ところがある日、スープの味がおかしいの。失敗というほどじゃないけれど、なにしろ生きる楽しみだもの、女の子だった当時の母さんは激怒してね、そのまま厨房に駆け込んで、
「わたしのスープを台無しにしたのは、どこのどいつ?」
ってやっちゃったの。今思い出しても、顔から火が出るわね。
 すぐにつまみ出されるかとおもったら、大きな体のアントルメティエ、スープとか野菜料理をつくる役割の人が出て来て、
「このスープはあいつが作ったんだが、どこかまずかったかね?」
で、母さんは、知ってる言葉の限りをつくして、そのスープを罵ったの。奥にいる「あいつ」、すごい大男だったけれど、どんどん小さくなっていってね。だんだんかわいそうになってきて、
「これから毎日、あなたのスープを食べにくるから、早くおいしいスープを食べさせてちょうだい!」
と言ってね。で、彼が満足いくスープを作れるようになった頃、一緒に暮らし始めたの。ピアノの先生が死んじゃって両親は日本に帰るっていうし、わたしは打ち込むことがなくなったけれど日本には帰りたくなくてね、スープのためにフランスに残ったの。彼に情が移っちゃってたのね。
 その後、彼は独立して小さなレストランを始めたので、わたしはその手伝い。というより、料理しかできない人だったから、レジ打ちから宣伝、給仕までその他一切は母さんの仕事。時には厨房にも立ったわね。楽しかったし、彼は料理の才能は本当にあった人で、お店もそこそこ繁盛したけれど、彼はほんとに気が小さい人でね、すべてが前がかりの母さんに、多分ついていけなくなって、ある日失踪したの。田舎に帰った、君にはすまないと思う、って手紙がしばらくして届いたわ。母さんは意地になってお店を続けてたけど、3ヶ月もしないうちに体を壊してダウン。なじみのお客さんたちが、いろいろお世話してくれて、飢え死にしなくてすんだけれど、これからどうしようかって思ったわ。

 なにをしたらいいのか分からなくて、毎日昼過ぎに起きて、バケットをかじりながら図書館へ行って、なるべく面倒くさそうな本を読んで、夜は遅くまで店でピアノを弾いたわ。あとは、お腹がすいたら夜を吸い込む、胸一杯になるまでね。
 ある時、安っぽい映画みたいだけれど、ウェルギリウスの『牧歌 (Bucolica)』だったかしら、同じ本を、知らないおじいさんと取り合いになってね。
「この本は、君みたいな子供には、まだ無理なんじゃないかな?」
って言うから、売り言葉に買い言葉で、
「この本、あなたみたいなおいぼれには、字が小さすぎるんじゃないかしら?」
と言い返したわ。そしたらね、
「もう目で読む必要はない。全部ここに入ってる」
と言って、指で自分の頭を叩いたの。
「へえ、古代ローマの生まれには見えないわね。2000歳くらい? ドイツ語なんて、その頃にはまだなかったはずだけど」
「ぼくのドイツなまりにどこで気付いた?」
「ピアノを弾いてるの。耳はいいのよ」
「ほう。聞いてみたいね」
「あなたには、まるで似合わない店だけどね。教えてあげてもいいわ」
「酔えば、何だって同じだよ。デュオニュソスとの付き合いは短くない。この先は長くないらしいがね」
「さすがにネクタル(nektar)は用意できないけど、アンブロシア(ambrosia)の方はいらないみたいね」
「不死なんて、まっぴらだ。どうか年相応に見て欲しいね」
「だったら、あなたが先よ。己の欲せざるところ人に施すこと勿れ」
「孔子かね。まいった。ウェルギリウスは君が持っていきたまえ」
「明るいところでシャツの袖を見なさい。店の名前を書いておいたから」

 お察しのとおり、大学を退官して随分になるこの古典学者のおじいさんと、何年かして結婚することになるのだけれど。
「ドクトルなんて安っぽい呼び名じゃなくて、ぼくのファースト・ネームで呼んでくれ」
「ヤヴォール !(Jawohl !:英語のYes, sir!)、教授。でも、あなたの名前、長くて覚えられないわ」
「耳は良かったんじゃないのかい?」
「アタマはよくないわ。その時、言わなかった?」
「気付かなかったよ」

「ギムナジウムの頃だ。柄にもなく詩人になりたくてね。だがどうしてもコトバがいうことを聞いてくれない。ウェルギリウスやホメロスの教えを請いたくて、古典学者の道を選んだ」
「ゲーテやシラーには教わる気がなかったの?」
「ドイツ人は嫌いだ。ドイツ語もね」
「コトバはねじ伏せるものじゃないわ、教授」
「君はどうやってるんだ?」
「喋ってるんじゃないの、歌っているのよ」

 あの人の寿命を考えたら、結婚したのは随分遅かったわ。お互い意地っ張りだったのね。それと、あの人には帰りたくはないけれど継がなければならない家があって、私はほとんど天涯孤独の身だったし。お互い「似たもの同士」のままでいたいなら、帰らないほうが良いと思ったみたい。自分の命がとうとうついえる間際になって、私たちはあわただしくあの人の家へ帰り、結婚したわ。誰だって財産狙いだと思うわね。あの人の魂胆も、それに近いものだったし。その大邸宅に移った後は、ひっきりなしに夜会を開いたわ、全然柄でもないのにね。
「ぼくが長い間時間を注いだものは、君には残せないし、君ももらってもしかたないだろう」
「それで、結婚に舞踏会?」
「不器用なやり方だと笑ってくれ。財産なら君に残せるし、夜会で君の新しいパートナーが見つかるかもしれない」
「財産つきならね」
「自信を持ちたまえ。君は十二分に魅力的だ」
「おあいにくさま。自信まであなたにもらう必要はないわ。わたしは十二分に自信家よ。それに、あなたはもう、これ以上にないほど大切なものを、わたしにくれたわ」
「?」
「人生(ライフ、リーベ)よ。あなたとヴェルギリウスを取り合いするまで、わたしは死んでいた。あなたと出合って生きかえったの。あなたこそ自信をお持ちなさい。あなたは一人の女の命を救ったわ」
「それは、人の分を越えたことだよ。だが、それならそれもいい。ぼくの女神は自分の二の足で歩く」
「あなたが死んだら、たっぷり悲しんで、あとは自分の足で好きなところへ行くわ。なかなか見つからないかもしれないけれど」
「いや、君はもう見つけたかもしれないね。気付いてないのかい?」
「なんのこと?」
「この前の夜会で、へんな日本人とやりあっていただろう?」
「見つけたのは、ケンカ相手? 確かにへんな人だったわ。集まりにまるでそぐわないのに、それに気付いてないわけでもないのに、平気な顔をしているの。どうやって入ってきたのかしら?」
「彼は、この家の財産の管理を任せている銀行の人間だ。古い銀行でね、どうして彼がそこで働くようになったか、わからないが」
「銀行員? まるで見えないわね。探検家か何かと思ったわ」
「確かに粗野だが、野卑ではない」
 ここで言ってるのは、お父さんのことね。
「美しいとは言えないが、あの眼にはひかれるものがあるよ。自分だけの規則を持っていて、それをかたくなに守っている者の眼だ」
「要するに偏狭な頑固者ね」
「そう。ぼくらみたいに、だ」
「わたし、あのへんな人に似ているの?」
「視力が、僕ぐらいに落ちると、かえって見えてくるものがある。仕事を始めようか?」
「いいわ。@@のくだりからね。ラテン語で書いた自伝なんて、出版してくれるところはあるのかしら?」
「もちろん。ぼくの自伝を出版するところがあるかの方が問題だよ」
 ベッドでの朝食が終わると、おしゃべりの後は、あの人の「自伝」を口述筆記したわ。それに疲れると眠り、目覚めるとまた続ける。午前がそんな風に終わって、お昼を食べて、さすがに体力も残ってないから、今度は私がオウィディウスやルクレティウスを読んであげるの。読み疲れては眠り、聞き疲れては眠りしてね。家事一切と家計のきりもりをする人たちは他にいたし、みな仕事熱心だったので、半年の間、ほかのことは何もせず、あの人といっしょにいたわ。夜会は正直おっくうだったけれど、あの人の頼みだし、企みだしね。裏切っちゃ悪いと思って。
 日に日に弱っていくのが私にも、無論あの人にも、残酷なくらいに分かったわ。でも、前々からの約束のように、二人とも、それを話題にしなかった。2、3度、あの人が眠るのでなく意識を失ったので、お医者様を呼んだけれど、痛み止めのようなものを処方しただけ。ターミナル・ケアで使われる、モルヒネを混ぜた甘いシロップがあるの。あの人はそれを拒否したわ。私は何故かそれを誇らしく感じたの。彼の痛みがどれほどのものか、想像もついていなくてね。

 いよいよ最後の日が来て、私は彼の言葉を一生懸命聞きとって、あの長い長い「自伝」に、とうとう終止符を書いたの。そしてあの人にすがりつく前に、原稿を急いで押しのけたわ。涙で、せっかくの原稿が汚れないようにしなくっちゃと思って。
 本当に、子供みたいに、小さな女の子みたいに、ピーピー泣いたわね。どうしてもっと早く一緒にならなかったんだろう、どうしてもっとやさしくしなかったんだろう、この人に与えられた分を、わたしままだ全然返せてないのに、なのに何故言ってしまうだろう。そんなことを繰り返し言って、ずっとずっと泣いて、泣き疲れて、涙が枯れるなんて本当にあるんだと思ったわ。そうしたら、あの人はゆっくり口を開いて言ったの。
「やっと泣きやんだね。ずっと待っていた」
あの人は、多分、ありったけの力で右手を持ち上げて、わたしをあやすように髪に触れてくれた。
「自伝を君に捧げたいんだ。君はきっと拒否するだろうけれど。だから、これだけは付け加えてくれないか?」
うなうずくしかないじゃない?だってこれはあの人の「自伝」なんだもの。わたしはその言葉を書き取ったわ。
「待つのも悪くない。ぼくはそれを、あるなまいきな女の子に教わった。
彼女はぼくと出合って生きかえった、それまでしばらくの間死んでいた、と言った。
ならば、ぼくは彼女に会った後はもちろん、彼女に会うまでも、ぼくの一生は幸せだった。彼女に会うのをずっと待っていたのだから。
それに今度は確信を持って彼女を待てる。彼女のすべてを覚えているから。
じゃあ、行ってくる」

 涙が枯れるなんて、ただのたとえで、実際にはありえないと思い知ったわ。

 それからしばらくは泣いて泣いて、お葬式と召使いさんたちがよそのお屋敷で再就職できるように紹介状を書くのと、結構な財産をひとつひとつ整理するのに夢中になって忙しくして、体力の続く限り眠らないで、限界が来たらそのままベッドに倒れこむような毎日を送ったわね。
 それでも目覚めると、顔の周りも枕もびっしょりだったけど、それでもかまわないと思ってた。
 あの人が、私を待つ間も幸せだったのだとしたら、待たれていたわたしも何て幸せだったんだろう、と思ったりしながらね。

 すべてが片付いた後、私は喪服のつもりで黒い服を来て、小さなトランクひとつで、あの人を看取った家を出たの。
 落ち葉をざくざく踏みながら、屋敷から歩くと長い長い門への道を歩いてね。
 門のところに、馬鹿みたいに大きな花束を抱いて待っている人がいたわ。


 あなたのお父さんよ、ハル。





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