ハルヒと親父 @ wiki

ハカセくんの初恋

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haruhioyaji

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 涼宮ハルヒ先生は、近所に住む高校生で、ぼくの家庭教師をしてくれている。そして、少しおおげさに言うなら、僕の命の恩人だ。この人に出会えてなかったら、ぼくは退屈な毎日に絶えかねて、どうにかなっていたと思う。

 この人の星団をいくつも従えたように輝く目は、一目見るなり僕の憂鬱とその原因を見ぬいたらしかった。母親への挨拶もそこそこに、僕の部屋に入り(乗り込み)二人になったなりに、こう切り出した、いや宣言したのだ。

「平凡な日常に飽き飽きして、毎日つまんないと思ってる目ね。それも死にたくなるくらいに、ね。重症だと言っていいと思うわ。でもね、これだけは言っておくわよ。死のうなんてしたら、ただじゃおかないからね! 安心しなさい、半年、ううん、3ヶ月だっていらないわ。今に「死にたい」って思ったことを絶対に後悔させてあげる。その時がきたら、ちゃんとごめんなさいって言いなさい。さあ、ノーベル賞の2つ3つは軽くとるくらいの勢いで行くわよ!」

 いきなりのタンカに、僕はめまいを感じたと思う。なんてむちゃくちゃなことを言う人なんだ。ひどい決めつけ、論理の飛躍。そして、あふれるばかりにこぼれ落ちる自信。
まぶしすぎて、とても直視できない太陽みたいな。思わず目を、顔をそむける。すると、
「ほら、言いたいことがあるなら、目を見て言いなさい」
両手で僕の頭をがっちりとつかんで、無理やりに自分の方を向けさせる。そんなこんな傍若無人な振る舞いが、不思議に嫌な気がしなかった。
「あ、あの、よろしく・・・おねがいします」
「うん、いい返事ね。こちらこそ、よろしく!」

 それまでの家庭教師の先生たちには、大学生やなかには大学院生もいた。その誰もが、この日常と同じくらいに退屈だった。本に書いてあるようなことを、ある人はしたり顔で、ある人は一生懸命に語り教えてくれようとする。僕には彼らがどの本のどこに書いてあることを話しているのか、ほとんど分かった。本は唯一の退屈しのぎだったから、僕は多分、これまでの家庭教師のどの先生よりもたくさんの本を読んでいたと思う。彼らが今から何をしゃべるか大抵は予想がついたし、予想に違う場合は彼らの思い違いか理解不足のどれかだった。

「問題を解くなんて一人でもできることに、時間を費やすつもりはないわ。あんたが一番興味があることからはじめましょう」
 僕は彼女を試すつもりで、いや多分煙にでも巻こうとして「時間跳躍とタイムマシンの可能性」というテーマを出した。
 なのに彼女はまるで自分が仕掛けたいたずらに相手がはまってくれた時のような、ニヤリという少しいじわるで、とびっきり楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「それも面白いわね。あたしがとりあえず思いつくのは、・・・3つくらいね。あとで、あんたのアイデアも聞くから、ちゃんと考えておきなさい。ひとつめは、時空間弾性体仮説と、とりあえず名づけましょう。時空間の弾性係数をk、重力場Gによって生じる時空間歪みの曲率をpとすると・・・」
涼宮先生はすらすらと何やら怪しげな数式を僕のノートに書き始めた。

 涼宮先生の家庭教師は、大抵がこんな調子だった。彼女が講義とも妄言ともつかないことを語る、ぼくが自分のアイデアとともに先生の話したことに反論する、最後に彼女から再反論と全体のまとめ、それに今日の話をもっと考えるのに参考になりそうな文献やサイトの紹介があり、それらが終わると、次の科目へ進む。

 ある日僕は、いつも通る県道で、命を助けられた。今度はたとえでも何でもなく、助けてもらわなければ無事には済まなかったと思う。
 信号無視のワンボックスカーが、少しもスピードを緩めず、僕の方へ向かって走って来ていた。何かで読んだだけの感覚、時間が暖かくなった飴のように引き延ばされていくのを感じた。それからかなり間があって、ぼくは間近で誰かが叫ぶ声と、それから首の後ろをひっぱり倒される力とを感じた。
「この、バカ野郎!」
 声が遅れて言葉になって、アスファルトの上に転がった僕の頭に響いた。時間がふたたび動き出した。鼻先をかすめた車が走り去るのを、僕はまだ何も考えられないまま、見送った。

 その日は、涼宮先生が家にやってくる日だった。ぼくはさっき味わったばかりの体験を話した。思い出しながら鼓動が早くなり冷たい汗がにじむのを感じた。すっかり話し終えるまでは、かなり時間がかかった。涼宮先生はだまってうなずきながら、この話を聞いてくれた。話し終えて床に目を落とすと、僕の呼吸が整うのを待って、涼宮先生はぼくの頭に手を伸ばしてきた。
「よかった、無事で」
手が頭に触れると、それが引き金になって、恐怖と安堵の感情が堰を切ったように、僕の中から流れ出した。ぼくは先生にすがりついて泣いた。

「助けてくれたのは男女二人連れで、女の人の方は、先生が撮った映画に出ていた、あのウサギのお姉さんだと思います」
涼宮先生はその言葉にぴくんと反応した。しばらく何か考えた後で、
「男女二人連れって言ったわよね? 男の方の顔、覚えてる?」
と尋ねてきた。
「え? あ、ええ。覚えてます。確か・・・」
僕はへたくそな絵をノートに描いた。時々先生の様子をのぞき見ると、描き進むごとに先生の顔がどんどん驚愕の色を濃くしていく。似顔絵を完成させ顔をあげると、先生は目を丸くして、呼吸も止まってる。ひょっとして、
「ひょっとして、この人、先生がいつも話してくれるキョンさんですか?」
「な、な、な」
涼宮先生はバンとノートに両手をつき、ぼくが描いた似顔絵の上に体ごと覆いかぶさった。
「忘れなさい。いいから、忘れなさい。それとこの絵はもらっていくからね。いいわね?」
僕は先生の勢いに圧倒されて、何度もこくこくと頷くだけしかできなかった。


 それから季節が移り、僕の背は少しだけ伸びた。
 今日は先生が来る日だ。先生は部屋に入ると、ぼくが《もうひとりの命の恩人》からもらったあの亀に、僕には聞こえない声で、いつものように小さく声をかける。
 いつものしぐさが、ふいにこれまであったいろんなことの記憶を、僕の中で蘇らせた。僕はずっと聞きたかった質問を思い出した。
「涼宮先生」
「ん?なあに?」
「あの時、先生がここにはじめて来た日、僕にどうしてあんなに自信たっぷりに断言できたんですか?」
先生は腰に手をあてて、しばらく天井を眺めて考えた後、あああのことかとでも言うように、100ワットの笑顔になって言った。
「昔のあたしがそうだったから、そして今のあたしは毎日楽しくて仕方ないからよ。あたしに起きたことがあんたに起きないはずがないわ!」
僕は意を決して聞いてみた。
「それは、キョンさんに会えたことですか?」
「な、なに、言ってんのよ!」
どこまでもまっすぐで嘘をつかない、ううん、嘘のつけない人だ。その一挙一動がすべてを物語る。
 だったら、彼女に起こったことは、とっくに僕にも起こっている。半年間いや3ヶ月どころか、瞬くような短い時間で十分だった。僕の世界は光と色を取り戻した。この人に出会うことで。

 いつか僕が力を得て、最初の日、彼女に投げかけた問いに自ら答えることができるようになったら、僕が彼女を時間の旅に連れ出し、彼女のいうジョン・スミスに彼女を会わせてあげることができるようになったら、僕は積年の思いを彼女に告げようと思う。時はすでに遅くとも、時間の流れを変えることはできなくても、僕の思いが届かなくても。
















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