長い話が終わって、あたしは遠慮もなく大きなのびとあくびをした。ねむ。みんな講堂のイスから立ち上がって、教室へ帰っていく。あたしも仕方なく立ち上がる。で、もう一回あくび。
「春、途中寝てたでしょ?」
同じクラスのゆきが、あたしの背中をばーんって叩いて言った。
「寝てないよ。ただ下向いてただけ」
すかさず反論。あたしは授業で寝るのは嫌いだから。こういう学年集会の席でも寝たくはない。
「春が寝るなんて珍しいね」
今度は前から歩いてきた文香にも言われる。違う、寝てないもん。
「まあ、進路の話とかされても実際まだぴんと来ないし」
「やばいとは思ってるんだけどなあ」
二人は口々に言うけど、あたしはじっと考えた。そう、今は高校二年。だから、進路決定なんてまだ先の話。不安がないわけじゃないけど、まだきっと大丈夫。
そう考えると、急にお兄ちゃんのことが浮かんでくる。二年前、いろいろもめたり家族で話し合ったりしたことを思い出す。たまにお兄ちゃん泣いてたな。お母さんも泣いてた。あたしとお父さんは泣かなかったけど。あたしも来年はあの時みたいになっちゃうのかな。
二人の話をなんとなく流し聞きして、教室まで帰ってきた。クラスメイトはかばんを持ってどんどん教室から出ていく。あたしは部活には入ってないから、スポーツバッグを掴んで教室から飛び出していくようなことはしなくてよかった。残っているのは帰宅部の人だけ。
「そんじゃ、またね」
「ばいばーい」
ゆきと文香はたくさんストラップがついたかばんを持って教室の出口に向かう。
「うん、ばいばーい」
二人は多分またカラオケだな。あたしはゆっくり帰りの支度をする。いつの間にか教室にはあたし一人になっていた。
これは毎日の風景。あたしは他の人を待っている。なんていうか、彼氏、なわけだけど。だから他の友達とは一緒に帰らない。
自分の机に座って暇つぶしに携帯を開くけど、今日はなぜか気が乗らない。すぐ閉じてしまう。
それでやっぱ考える。うん。あと一年半くらいしたら、あたしどうなってるんだろう。あたしが通う高校は普通科の高校で、ほとんどの人が進学する。でも、それほど頭もよくないから、基本的には東京の私立大学ばっかり。あとちょっとだけ国立。
あたしは自分が何をしたいのかいまいち分かんない。全然分かんない。毎回実感するたびに、自分バカだな甘いなって思う。でも、分からん。今は文系専攻だけど、これだって数学苦手だからって理由。ただ逃げただけ。割と本読むのは好きだけど、本気で好きな人には敵わない。一日一冊とか絶対無理だし。
そんで、お兄ちゃんのことを考える。お兄ちゃんは地元の国立大に通っている。全国的にもそんなに偏差値が低くなくて大きい大学だ。家からは電車で一時間半くらいかかるから、入学して少し経つと一人暮らしを始めた。多分二年前の秋くらいに。
お兄ちゃんは経済を勉強してる。文系なのに数学ができたし、社会の勉強がずっと好きだったみたいだ。お兄ちゃんは自分のやりたいことを持ってる。自分が行くべき方向も、そのために必要なことも、それにかかる時間や努力も全部知ってる。あの人すごい。
あたしはどうなんだろう。二年くらい経って、あたしが何をしてるのか、どこで暮らしてるのか想像がつかない。今までって、絶対そんなことってなかったから。いわゆる人生の岐路とかいうやつですか。
学年集会では三年生の進路指導の先生が来て、今の状況を話していた。今になって履修してない教科が必要だとか、やっぱり就職したいとか、なかなか無理難題を突き付けてくる生徒が多いんだこれがホント困っちゃうよ俺だって大変なのに板挟みって奴だよまったく、みたいなことを話していた。
本当に申し訳ないけど、まだ来年かっていう感想しか持てない。それしかない。だから自分ダメだなって思うけどそれ以上ない。それしかない。
気づけば教室は薄暗くなっていた。十月ともなると日が短い。
廊下から騒がしい話し声と、こっちに向かって走ってくる足音。あ、来た。
「ごめん、今日も遅くなった!」
「いいよ、別に」
本当に顔いっぱいの笑顔で笑うやつ。一樹は教室の前のドアから飛び込んできた。いつもクラスの友達と話していて、あたしを待たせる。まあ、別にいいんだけど。
「じゃあ、行くか」
「うん」
あたしも無駄に重いかばんを持って教室を出る。一樹はでかい声で、じゃあなあって友達に言ってあたしの左を歩く。うん。いつものことなんだけど、ね。いいんだけど。
何か足りない気がしてしまう、なんて、ね。
「春はさあ、もうどこの大学いくか決めてる?」
「うー、まだ」
「そっかあ」
バス停まで二人で歩きながら、そんなことを話した。
「一樹はもう決めてんの?」
「うー、まだ」
「なんだよ」
一樹は本当にいい人。それは知ってる。いつも優しくしてくれる。いつも好きって言ってくれる。いつも励ましてくれる。
「でもさあ、俺が大学決めたら、一緒に来てくれる?」
「えー、分かんない」
「えー! 分かんないのかよ」
「うん」
「まじかあ」
いつも寂しい時にメールくれる。いつも一緒に帰ってくれる。いつも頭をなでてくれる。
でも、なんか、ね。そうなんだけど、ね。あたしはもらってばっかりだけど、あたしの方からは何もあげてない。何にもしてない。今だって一緒の大学に進学してあげることをしない。
「だって遠距離ってさあ、無理くない?春、めんどくさい時メール返さないし」
「でも、どうにかなるんじゃない? うちらだし」
「……、まあね」
一樹はにっこり笑うから、余計困る。だってあたし今適当に言ったよ? あたしこんな人だよ? 全然いい人じゃないよ?
バスが来た。二人で乗って、一緒に駅まで行く。あと十分くらいだけど。
なんだか分からないことだらけ。なんで。すごくもやもやする。最近ずっとこんな感じ。あんまり大丈夫じゃない。全然オオル・ライトじゃないんだ。
それでもバスに乗ると、周りの景色が高速で後ろへ流れていく。速く進むから、一つ一つをじっくり見ていられない。そんな時間ない。だから全部捨ててく。欲しいものかいらないものか、区別してる時間ない。みんな平気な顔してるけど、あたしはたまに平気じゃなくなる。でも、バスを降りられないから、やっぱり同じ速度で全部捨ててく。
そんな時、あたしは置いて行かれた気分になる。
≪作者コメント≫
春ちゃんがあんまりリア充っぽくないぞ。春ちゃんの彼氏はこの後別れてしまうので、本編には関係ありません。サブキャラにも入らない登場人物出してよかったのかなあ……。