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あるSS書きの個人的七つ道具ー表(タブロー)篇

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haruhioyaji

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前口上

 欧米だと、物書きの必需品にアウトライン・プロセッサ(WIN用mac用というのがあるけれど、日本ではあまり普及してないみたいだ。
 アウトライン・プロセッサというのは、インデント付きの箇条書き作成ソフトで、ある項目を移動すれば、それより下位レベルの項目は一緒に移動してくれる。あるレベル以下を一時的に見えなくしたり、逆に見えなくしておいたものを展開したり、と箇条書きであれこれ考えるのに便利なソフトである。
 樹木(トゥリー)状のデータというのは、インデント付きの箇条書きで表現できるし、マインド・マップ(R)のような、一般名詞でいえばスパイダー・マップのようなものでも表現できる。見かけは違うが、データの構造としては、等価ということである。

 一方で、インデント付きの箇条書き(アウトライン)よりも、日本人は「表」が好きらしい。表を埋めていくことで、考えを煮詰めていく方がやりやすいらしい。
 適切に考えを導いてくれる表のフォーマットができれば、それだけで創造的行為の効率は大いに上がると、どこかで考えているらしい。なにより表は有限である。そこまで書けばオシマイだ、という分量が一目瞭然である。最終的に原稿用紙というマス目を埋めてきた人たちが、表に愛着を覚えるというのも無理もない話であるような気もする。

 そこでSS書きの道具として、表をいくつか考えてみた。
 他の道具と違って、使い方を説明するのが主となるから、ストーリーを作る実作業に即した説明となる。
 実際には、アタマの中でやっている作業や殴り書きですませる作業のなかで、「表っぽい」ものを抜き出して整理してみた。汎用のものから、ごく特殊なものまであるが、それぞれの場合で利用していただけると幸いである。

1.マンダラート

           
     *     
           

 3×3の表である。これも本式にはいろいろ作法があるのだが、ぶっちゃけていうと中心に、思いつきの種をまず書き入れて、そこから連想するもの、思いついたものを、周囲の8つのマスに埋めていく。
 必ず8つ考えないといけないところがミソで、ふつうにやると3〜4個しか思いつかないところを無理矢理8つ考えるのである。無理して苦し紛れに出したアイデアが、結構よかったりする。
 なかなか項目を埋められない時、埋まった項目同士の関連性(縦軸や横軸3つの関連性とか)や全体のバランス(偏ってないか、足りないのは何かなど)を考えると、思わぬ発想が浮かんだりする。
 出てきたアイデアを、次の表の真ん中に書いて、さらに8つのアイデアを書く(さらにさらに、と繰り返す)とよい。
 物事の原因を考えるのに5回重ねてWHY(なぜ?)と問え、というのがあるが、ストーリー作りでいえば、
(1)ある出来事を真ん中に書いて、その原因となった出来事を周囲の8つに書く。これらの出来事についても、別の表の真ん中に書いて、さらに原因となった出来事を8つ書く。これを繰り返す。
(2)ある出来事を真ん中に書いて、その結果として生じるであろう出来事を周囲の8つに書く。これらの出来事についても、別の表の真ん中に書いて、さらに結果として生じるだろう出来事を8つ書く。
 長所は、表はとにかく埋めなくてはいけないという日本人の強迫観念に訴えるところ、短所は(マインドマップなどに比べて)出てきたアイデアが一覧しにくいところだろうか。最初にマンダラートで無理やりひねり出したアイデアを、マインドマップやアウトライン・プロセッサで整理していくのも、アリだと思う。


2.5w1h表


 誰もが知っているものですが、意外なほど使えます。線を引いてわざわざ表を作らなくても、ある人は「5w1h」と入力すると「いつ: どこで: だれが: なにを: なぜ: どのように: 」に変換するよう単語登録をしていました。おおまかなこと(ここではあらすじ)を考えるグランド・デザインの段階から、ひとつひとつのエピソードの細部を詰めるディティール・ビルドまで、いろんなところで使えます。欠けていたり、不明なままにされている部分、書き手は前提にしているが読み手には知らされてない部分などをチェックするのにも使えるでしょう。

 物語の進行を「語り」にばかりに任せて、登場人物たちの行為や感情があまり交差しない人の場合は、「6w1h」として「いつ: どこで: だれが: だれに対して: なにを: なぜ: どのように: 」と項目を増やすのも手かもしれません。


3.対人関係マトリクス


 ライトノベルだと、登場人物の発言はかなりの程度「様式化」されていて、会話を読むだけで(相手の呼び名や語尾などで)、誰の発言か、誰に話しかけているか、がおおよそわかる。
 逆にSSの場合、原作のそこんところを外すと、とたんにSSでも何でもなくなってしまうので注意が必要である。
 そこで次のような表で、それぞれの「呼び方」を整理してみる。

タテがヨコを呼ぶときの呼び方
 →  ハルヒ キョン 長 門 みくる 古 泉
ハルヒ あたし あんた 有希 みくるちゃん 古泉君
キョン おまえ 長門 朝比奈さん 古泉
長 門 あなた あなた わたし あなた あなた
みくる 涼宮さん キョン君 長門さん わたし 古泉君
古 泉 涼宮さん あなた 長門さん 朝比奈さん

 マトリクスで整理できるのは「呼び名」や「口調」の特徴だけではない。
 オリジナルなキャラクターを設定する場合も、当人の性格や行動パターンは、「誰に対しては、どうなのか?」を決めていくことで、具体性と厚みを増す。
 キャラクター(登場人物)は、他のキャラクターとのアクション(働きがけ)/リアクション(反応)の中でお互いを特徴付けていくことが望ましい。地の文(人物描写)で「@@は美人である」と書く(方が簡単だし、どんな特徴付けも可能だが、それだけになんでもありだし、白々しいものにありがち)、美人である@@に対する周囲の働きがけや反応から描いた方が無理矢理でないし自然に処理できる。


4.主人公−ライバル対照表


 あらゆる物語に主人公がいるが、すべての物語がはっきりとした主人公の敵対者を持つ訳ではない。
 だが多くのエンターテイメントでは、敵対者の存在は不可欠であり、それは物語にサスペンスとストーリーを先へ進める力をもたらすだけでなく、様々なエピソードで織り上げられる複雑なストーリーに、一本の太いはっきりとした軸を生み出す。
 敵対者を登場させたとしても、主人公との関わりや対立点がはっきりしなければ、主人公ー敵対者の関係は、上記のようなメリットをもたらさない。主人公ー敵対者関係は明確に整理され、練り上げられる必要がある。

「刑事ジョン・ブック/目撃者」の主人公ーライバル対照表
動機 行動 目標 対立点
ジョン(主人公) ジョン・ブックは殺人犯の操作の任務を受ける ジョンはアーミッシュの農場に身を潜め、ポールが殺人犯だと正体を明かす方法を探る ポールが殺人犯だと暴露すること ジョンはポールの犯罪を白日の下に引き出すことを望んでいる
ポール(敵対者) ポールはジョンに真犯人が自分であることを見破られる ポールはジョンを殺そうとする。逃げたジョンを追跡し、見つけ出す ジョンに暴露される前にジョンを殺すこと ポールは事件が明るみに出る前にジョンを殺すことを望んでいる

 上記のように整理された主人公ー敵対者関係は、ストーリーにはっきりとした方向性を与えるとともに、ディティールについても説得力のあるアイデアを生み出す素地となる。これも対立すべき項目の一方が埋められなかったり、片方は魅力的なのに片方は凡庸だったり、抜けている箇所やバランスの悪さを考慮すると、表が埋まって考えがはっきりする。特に「対立点」(コンフリクト)が明確でないなら再考する余地がある。
 普通、主人公と敵対者は、こっけいなほどに対照的に描かれるものであるが、ストーリーにとって(あるいはストーリーを膨らませるいくつかのサブ・プロットにとって)、一部の対照は不必要であり、別の対照点はさらにはっきり作り込むことが必要であることが、こうした表で主人公ー敵対者関係を整理することではっきりする場合がある。


キャラクター設定表は?


 さて他にキャラクターの名前と属性をまとめた「キャラクター設定表」などが考えられるが、性格や血液型や星座などといった属性を、キャラクターそれぞれについて並べたものは、無駄ではないが、(a)実際にキャラクターを行動させ、(b)ストーリーを進展させ、(c)主人公その他主要人物を物語の中で成長させていくのかを考える際に、あまり有益でない。
 問題点らしきものをまとめてみると
  • 登場人物の特徴を一人一人バラバラに設定した表は、ストーリーづくりにとっては静的すぎる。
  • 登場人物たちに間でバランスをとるように配られた性質(感情的な人物がいる一方で冷静な人物がいる。寡黙な人物がいる一方で、雄弁な人物がいる、といった)は、ただ設定表の上でバランスを保っているだけで、ストーリーの進行にどのように寄与するか明らかでない(動かないキャラクターでも、こうした設定表の上では、他のキャラクターと同等の位置を占める)。
  • 物語の登場人物たちのストーリーにおける重要さは、同じではない。非常に重要な登場人物はふつう少数であり、あまり重要でない登場人物が登場する回数も時間も少ない。すべての登場人物が物語を通じて成長するわけでないし、すべての登場人物が自らの願いを叶えられるとは限らない。これら「軽重」のある登場人物たちを、等しく扱うことは得策ではない。

 対策は、登場人物の一覧表といったメモの他に、重要な人物については、その性質が端的に分かるシーンはどのようなものか(それはその人物が思わず反応してしまうシチュエーションで描かれるだろう;これはストーリー冒頭で、人物の紹介を説明しすぎることを避ける。人物の行為=反応によって、自ずから知られるからだ)、どのような過程を経て成長するだろうか、といったアイデアを別に作っていくことだ。
 登場人物は、設定の中にではなく、ストーリーの中にこそ存する。


5.テーマ設計表


 元々は小論文などを書くために用いられるものである。簡単にいうと、ひとりディベートのためのシートである。紙の真ん中に線を引き(あるいは折り目を入れて)、左側を賛成派、右側を反対派と決める。スタートは左上に、テーマを短い文章で書くことである。
 小論文といえど、主張すべきもの(テーマ)がある。逆にテーマを書いていては、どれだけ文章を綴ろうと小論文ではない。
 小論文の構成はどうあるべきか。それはたくさんの論拠とデータによって、主張したいテーマを根拠づけられていることである。しかし小論文は短いしそれほどの根拠もデータも詰め込める訳ではない。そこで重要な根拠/データから入れることになるのだが、重要な根拠/データとは、「テーマが主張された場合、真っ先に出てくる反論」に対して、再反論し論破できるものである。
 したがってテーマ設計表は、次のように用いる。
(1)左上に「テーマ」を書く。
(2)その右となりの欄に「なぜそんなことが言えるのか?」と書く。
(3)こんどは左の欄で、テーマの下に「なぜなら、@@であるから」と再反論を書く。
(4)これに対して、右の欄にさらに反論を書く。たとえば「ほんとうに@@なのか?(データはあるか?)」「@@だとどうしてテーマが正しいと言えるのか?(論拠はどんなものだ?)」といったものを。
(5)どんどん書いていって議論が紙の下の方に来ると、単純な事実や論拠はすでに「反対派」も容認するところになっているので、「テーマの主張が概ね正しいとしても、成立しない場合があるのでは?」「**という例があるのでは?」といった条件闘争的な反論になってくる。

 ストーリーを作る場合、この表を使うと、むしろ(5)あたりで出てくるものが素材となる。
 たとえば「正義は勝つ」というテーマに対して、たくさんの反例や条件が提起されるだろう。そしてストーリーは、「正義が勝っていない」反例的なシーンから始まり(なので反論は具体的なものがよい)、反論に対して再反論がなされていくようにストーリーは進んでいく。つまり、テーマ設計表の右下隅からストーリーは始まり、クライマックスで左上の「テーマ」に至るのである。


6.ストーリー構成表

1           5
2           6
3           7
4           8

 ストーリーの構成は、いろいろ悪口を言われながら「起承転結」といったことが言われる。問題は、四コマ漫画とちがって、ある程度以上の長さを持つストーリーだと「起」「承」「転」「結」がそれぞれどれくらいの長さかわかりにくいことである。
 もちろんストーリーに応じて好きに伸ばしたり縮めたりすればいいのだが、伸縮する前の長さの目安を示すと、「起」:「承」:「転」:「結」=2:4:1:1である。上のストーリー構成表だと、1と2が「起」、3〜6が「承」、7が「転」、8が「結」である。
 ストーリー構成表は、いきなり埋めてもいいし、他の道具でアイデア出しをしたり、登場人物やその関係を考え、テーマを描くのに必要なエピソードを集めた上で、まとめ上げるのに使ってもいい。一度書き上がったストーリーのバランスを修正するのにも使える。いったんストーリーのアウトラインを取り出してコンパクトにして考えるので、取り扱いやすくなる。

 ひとつのマス目には文章で2、3文、文字数だと50字くらいで、短く書く。
 使い方のポイントは、1から順番に埋めていかないことである。
 もっとはっきり言うと、最初は7の「転」=いわゆるクライマックス、を最初に書くことである。
 クライマックスは、ストーリーを通じて繰り返し現れるセントラル・クエスチョン(中心となる問い)に対する答えが、主人公の行動を通じて示される場面である。またベタな例を出せば、「正義は勝つ」というのがテーマならば、セントラル・クエスチョンは「正義は本当に勝つのだろうか」、より具体的には「正義の側だとされる、このストーリーの主人公は、このストーリーに登場する悪に、本当に勝てるのだろうか?」となる。
 これで、「起」と「承」に書くことが決まってくる。
 「起」は、このストーリーの舞台と登場人物の誰が何者であり、何をしそうかを提示する。
 「承」は、「転」に至るまで、繰り返しセントラル・クエスチョンを提示し、読者をクライマックスまで引きつけ引っ張っていく。最も長い部分であり、ここでどこまで盛り上げるかが、クライマックスの盛り上がりを決める。
 「転」では、セントラル・クエスチョンと、その他、伏線めいた多くの疑問にも、残らず答え/解決が示される。
 その後の「結」は、長々しく話を引っ張るのはやめて、短くストーリーを終結させる。


7.プロット細分表


前段のエピソード
 ↓
発端 前段までで与えられている前提となる状況 前段のエピソードを引き継いでいることを示す描写
焦点化 状況の内から、今回のエピソードで統合する分離、克服する障害をピックアップ 統合される/克服される条件に焦点化した描写
過程a 感情の交換 どんな感情が互いに表現され、その結果どんな感情の変化が生じたかをほのめかす描写
過程b 知識/情報の交換 どんな知識/情報がどのように提示されたか(例えば推理が披露される、未知のものの正体が明かされる、秘密を知る人物が登場する)、それが登場人物たちの動機や今後の行動に与える影響をほのめかす描写
過程c 行動の交換;働きかけと反応の交換 登場人物の間でどんな働きかけが行われ、それに対してどんな反応が起こったか、そのやりとりはどんな関係の変化を示しているかをほのめかす描写(過去の同様の場面との比較など)
統合 分離・対立の解消、問題の解決 問題の解消や関係の変化の描写するか、暗示する
 ↓
次のエピソードへ

 あらすじやプロットから、ひとつの要素を取り出して、エピソードとして使えるように詳細化する際に用いる。
 こうしたあらすじを詳細化する中で、
  • ここでは何に焦点を合わせるべきか、
  • ここでは何がどんな風に起こらねばならないか
  • ここではどんな感情の変化が生じるか
などを明確にすることができ、「何を描写すべきか」が決まり、ここではじめて「どう描写すべきか」を考える条件が整う。
 「描写が苦手」だという人は、自分では「どう描写すべきか」がわからないと考えがちであるが、実は「何を描写すべきか」をわかっていないことが多い。

 それぞれのステップについて簡単に説明する。

ア.発端
 ストーリの中で、前段までに登場している状況が、今考えるエピソードの前提条件である。

イ.分離・対立・問題の焦点化
 そうした前提条件の中から、
(1)前段までのストーリーが含む前提条件を詳細化/細分化する
(2)条件のうち、このエピソードで解決する問題(統合する分離、克服する障害)を決める
(3)統合される/克服される条件に焦点をあわせた描写を行う。これは問題の解決後と比較できるように示される意味もある。

ウ.過程
 問題の解決、分離していたものの統合、障害の克服は、いくつものステップを通じて達成される。
 現実には、ただ時間が経過しただけで問題が解決する場合もあるが、ストーリー上は、時間の経過すら、作者が何かを書かないと生じない。
 解決への過程を、ここでは「何かが交換される過程」と考える。
 交換を通じて、登場人物の感情や情報や制約条件などに変化が生じ、その変化は登場人物の行動を通じて、先に述べた「統合される/克服される条件」の変化へと広がっていく。
(交換の意味や威力については人類学や社会学の知見が参考になる)。
 交換されるものは様々である。
 挨拶のような決まりきった行動のやり取りから、感情を表現し合うこと、情報・秘密の交換、アイデア・発見と対価・機会提供についての実際の交換など、多くのものが考えられる。
 交換は、時間を費やして行われ、その影響は時間を経るごとに広がっていく。

エ.統合
(1)登場人物の行動などを通じて、解決する問題(統合する分離、克服する障害)を構成していた条件が変化したことを示す。
(2)統合された/克服された条件に焦点化した描写
(3)結末(次のエピソードへ)


事例:ハルキョン家を探す その3 のエピソード

発端 前段までで与えられている前提となる状況 ハルヒと二人で不動産屋を訪れる。キョンは店主と話したことがある。
焦点化 状況の内から、今回のエピソードで統合する分離、克服する障害をピックアップ ハルヒと店主、話したことはない。
過程a 意見/感情の交換 「家なんて帰って寝るところかな?」と否定的に投げるおじさん→「そうですね」→「そんなことないわ」(共感の表現)(意見/感情の交換)
過程b 知識/情報の交換 父親の家へのこだわりを話すおじさん→父親の世界の変な家の資料を見せるおじさん→写真の謎をとくハルヒ(知識と推理との交換)
過程c 働きかけと反応の交換 店番を提案するハルヒ→承諾する店主(アイデア提示と承諾の交換)
統合 分離・対立の解消、問題の解決 (2〜3度の交換を経て)ハルヒと店主、意気投合


発展型

A キャラクター対照表+ストーリー構成表


 キャラクター対照表=名前−動機−目標(ゴール)−コンフリクト−行動の表に、ストーリー構成表をくっつけたものです。
 ここでのストーリー構成表は、
  • 大はアクトごと
    • 中はシーンごと
      • 小はビート(出来事)、シーンごと
といった階層づけられた進行の区切りを、キャラクター対照表の右側に付けたものです。
 オリジナルのキャラクター対照表が、キャラクター間の交錯点(コンフリクト・ポイント)を明確にするものであったとすると、ストーリー構成表の部分は、だれと、だれが、どんな順番で、どんなやりとりするのかを、具体化するためのものです。


 上の表は、「涼宮家の一族」を書くときに作った表です。ここをクリックする原寸大で見る事ができます。
 最後に書いた話とは、違っています。この表を何度か訂正するうちに、「ああ、これで行こう」と思ったら、書く方を優先するので、表の修正はおなざりにされる、という例です(笑)。
 言い訳ですが、この手の道具は「完成させない」のがミソのような気がしてます。


おまけ

ノースロップ・フライの物語分類

 ノースロップ・フライは用いた、単純にして強力な物語分類は、いうなれば「ドラゴンボール」的裁定によって、文学作品のプロットを分類する。
 つまり彼は、作品の主人公たちに「おめえ、強ええか?」と尋ねるのだ。

主人公とジャンル
カテゴリー 主人公 ジャンル 説明
神様 神話 自然的諸条件(制約)からも、当然人間的諸条件(制約)からも、卓越している
英雄 ロマンス・伝説 自然的諸条件(制約)は一部凍結されている(魔法や奇跡的な能力など)が、物語が始まれば、彼も制約に従う。我々には信じがたいが、彼も物語では人間ということになっている。
優れた人間 悲劇・叙事詩 自然的諸条件(制約)にも、人間的諸条件(制約)にも拘束される。彼が普通より優れた人間ではあるが、自然の秩序に従うし、社会の批判も被る。
普通の人間 リアリズム 彼はどこからみても、我々と同じ普通の人間である。外的 条件(制約)においても、内的条件(心理)においても、 平凡な人間らしさの内に置かれている。正義を知っていて も全うできなかったり、感情に流されたりする普通の人間である。
劣った人間 アイロニー 知性においても、どんな力においても、我々に劣る存在であり、彼を見ていると、あたかも挫折、屈辱、不条理な人生を見おろしているかのように思う。


 フライの分類(カテゴリー)は、おおむね歴史順になっている(1→5)。ときどき、昔のカテゴリーが復活することがあるけど(フライはそれを「感傷的」という。たとえばロマン主義は、カテゴリー2の感傷的形態である)、おおむねは歴史順になっているという。
 つまりフライが主張するのは、文学史とは「主人公がどんどん弱くなってきた」歴史である、ということだ。
 これだけだとしかたないので、フライはもうひとつ座標軸を導入する。つまり「悲劇的」「喜劇的」である。
 フライはこれらの伝統的用語も、定義し直す(つまり劇の形式でなく、プロットの形態について、用いることができるように)。いわく、

  • 「悲劇的」とは、主人公が自分の属する社会から孤立させられるプロットについて言われ
  • 「喜劇的」とは、主人公が自分の属する社会に包摂されるプロットについて言われる。
(これは桂朱雀の落語の「オチの分類」そのままである)。


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主人公とプロット(悲劇的/喜劇的)
カテゴリー 主人公 悲劇的 喜劇的
神様 [神話悲劇]
神々が死を迎える、追放される。
・毒の下着をつけて燃える薪の山を登るヘラクレス
・ロキの裏切りによって殺されるバルダー
・十字架にかけられるキリスト
[神話喜劇]主人公が神々の仲間として迎えられる。
・オリンポスへのぼるヘラクレス
・ダンテ『神聖喜劇』
・試練を果たす神々
・救済、あるいは昇天の物語
英雄 [哀歌(エレジー)、ロマンス悲劇]
英雄が死を迎える、孤立する。
・メソポタミアのギルガメッシュ
・古英語詩のペオウルフ
・日本神話のヤマトタケル
[田園詩(アイデアル)、ロマンス喜劇、牧歌]
哀歌が自然の一部と結びつくように、ロマンス喜劇は羊の群や気持ちの良い草地と結びつく。
現在では西部劇として復活し、牛の群や囲い柵と結びつく。ている(魔法や奇跡的な能力など)が、物語が始まれば、彼も制約に従う。
優れた人間 [悲劇(パセティック)]
指導者の没落の物語である。主人公は優れた人間であるが、たとえば運命の力によって打ち倒される。
神的ヒロイズム(願望充足とつながっている)と人間的アイロニー(これは日常的な苦痛、手厳しい現実とつながっている)との、中間に位置し、そこで均衡をとっている。
・ギリシャ悲劇
・ラシーヌなどの悲劇
[旧喜劇(アリストパネス)]
アリストパネスの中心人物は、周囲の強い反対を押し切って、自己の社会を打ち立てる。邪魔者や搾取者をつぎつぎ取り除き、英雄的勝利を手にする。
願望充足につながるヒロイズムと喜劇アイロニー(風刺、現実批判)が均衡をとっている。
普通の人間 [家庭悲劇(等身大の、ニュースのような、悲劇)]
主人公自身がある弱点をもっていて、そのために孤立している。
主人公は我々と同じ水準にあるので、その弱点は我々の共感を呼ぶ。
女性や子供、それから動物が主人公として登場する。
弱点はしばしば知性の乏しさや表現力のなさ。そのことがより我々の哀感(ペーソス)を増す。
・メロドラマ ・扇情的(センセーショナル)な物語 ・お涙頂戴もの
[家庭悲劇(等身大の、ニュースのような、喜劇)]
普通は、若い男女のたくらみを描く。
ちょっとした困難が彼らが「うまくいくこと」(結ばれること、結婚、など)を妨げているが、最後にその困難は取り除かれる。
主人公達は、あまり魅力的ではなく、むしろ読者の共感をひき、身代わりをつとめる。自分たちそっくりの「あまり魅力のない」登場人物が幸せになることが、読者の喜びをうむ。
・シチュエーション・コメディ
・ハッピーエンドもの
・向田邦子
・新喜劇(メナンドロス)
劣った人間 [悲劇的アイロニー]
主人公の悲劇的孤立そのものをただ単に描く。
その孤立は(かつての悲劇のような)理由・原因がない。
主人公の悲惨は、彼の責任ではない。その意味で不当である。
主人公の悲惨は、彼の存在そのものがその理由である。その意味で不回避である。
・カフカ
・ヘンリー・ジェイムス
・ヨブ記
[喜劇的アイロニー]
主人公はパルマコン(生け贄)として追放される。その結果、社会は平和と安定を取り戻す。読者は安堵を得る、鬱憤晴らしする。
ミステリーの主人公は、探偵でなく、最終的に罪が明らかにされ、退場する犯人である。悪人が純粋に「悪」であるほど、アイロニーとしては純粋に(物語は単純に)なる。そこでは推理は極度に人為的で恣意的ですらある。
スポーツ(これも現代の大衆的文芸の一形態である)における、審判にも、パルマコンの機能が見られる。

 そして歴史は繰り返す。
 我々は、詩人(作家)であるにせよ、聴衆(読者)であるにせよ、あまり強
くはない。歴史を経るに従い、物語の登場人物が「強さ」を失っていくかわり
に、物語は我々により近いものになる(つまり「もっともらしさ」を獲得す
る)。
 歴史が経るに従い、主人公は「強さ」の階段を駆け下りていく。そして勢い
あまって、我々からまた離れていく。
 極度のアイロニー(すごく劣った人間の物語)は、再び神話(神の物語)に近づいていく。旧約聖書のヨブは、ボコボコにされながら、ほとんど神々しさを身に纏う。彼は最後に神に受け入れられる。悲劇的アイロニーが神話喜劇に結びつく。
 また「近代科学」「啓蒙主義」という物語は、神自体をパルマコン(生け贄)として追放する、それが人類の進歩、無知蒙昧の状態に閉じ込められてきた人類の、暗黒時代の解放だとする。喜劇的アイロニーが「神の死」をうたう神話悲劇と結びつく。
















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