批評空間 第1期


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日経イメージ気象観測: 1987.7-1994.3  季刊思潮: 1989.1-1990.4  季刊都市: 1989.7-11   批評空間 第1期: 1991.4-1994.1  批評空間 第2期: 1994.4-2000.4
日経イメージ気象観測 季刊思潮 季刊都市  →批評空間 第2期

目次作成は柄谷行人書誌情報 ■KARATANI-B■を参考にした。

『批評空間』第1期, 1991.4-1994.1

 『季刊思潮』(1988-1990 思潮社)の後続季刊誌。
編集委員:浅田彰、柄谷行人、編集顧問:Paul Anderer(ポール・アンドラ)、Harry Harootunian(ハリー・ハルトゥーニアン)、市川浩、磯崎新、岩井克人、Frederic Jameson、Masao Miyoshi(マサオ・ミヨシ)、Edward Said、鈴木忠志
編集人:山村武善、発行人:福武總一郎、発行所:株式会社福武書店

no.1, 1991.4「特集=近代日本の批評」

特集 近代日本の批評
浅田彰・柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士「共同討議 明治批評の諸問題1868-1910 国民国家の形成の「文学」という制度」(1991.1.17.)  〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕
野口武彦「近代日本文学と「批評」の発見」  〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕
● 柄谷行人「『日本近代文学の起源』再考」
● 小森陽一「近代批評の出発」
● Paul de Man「時間性の修辞学 1:アレゴリーとシンボル」 *1 (保坂嘉恵美訳)
Frederic Jameson「理論の政治学:ポストモダニズム論争におけるイデオロギー的立場」 *2 (鈴木聡訳)
子安宣邦「宣長・自己のイマーゴ:「宣長問題」の序章」  〔→第2章、改題「宣長・自己のイマーゴ」、『「宣長問題」とは何か』青土社、1995.11→ちくま学芸文庫、2000.12〕
山田広昭「ヨーロッパ精神と日本精神:「虚ろな合唱」をめぐる覚書」 〔→『三点確保:ロマン主義とナショナリズム』新曜社、2001〕
● 村井紀「富永仲基:江戸のマイノリティ」
● 菊地誠「建築/シミュレーション/パースペクティブ」
井口時男「悪文の初志:椎名麟三論」 〔→第3章、改題「貧しさの臨界:椎名麟三論」、『悪文の初志』講談社、1993.11〕
● 市川浩「根源からの呼びかけ:予兆を求めて1」
連載
岩井克人「貨幣論」1 〔→『貨幣論』筑摩書房、1993→ちくま学芸文庫、1998.3 ※当連載記事の単行本化は以下略〕
松浦寿輝「虚空への上昇:エッフェル塔試論1」 〔→『エッフェル塔試論』筑摩書房、1995→ちくま学芸文庫、2000.2 ※当連載記事の単行本化は以下略〕
● 水村美苗「見合いか恋愛か:夏目漱石『行人』論1」
八束はじめ「スターリンの建築」1 〔→『ロシア・アヴァンギャルド建築』INAX出版(INAX叢書)、1993.11 ※当連載記事の単行本化は以下略〕
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」1(鈴木晶訳) *3 〔→鈴木晶訳『イデオロギーの崇高な対象』河出書房新社、2000 ※当連載記事の単行本化は以下略〕
● 柄谷行人「編集後記」(1991.2.14.記)/ 浅田彰「編集後記」

no.2, 1991.7「特集=近代日本の批評」

特集 近代日本の批評
浅田彰・柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士「共同討議 大正批評の諸問題 1910-1923:差異=他者の不在と「普遍的観念論」」(1991.3.20.)  〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕
蓮實重彦「「大正的」言説と批評」  〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕
● 柄谷行人「「日本近代文学の起源」再考」
● 磯崎新・浅田彰「デミウルゴスとしてのANYONEの肖像:討議のためのメモランダム」
Jean-Luc Nancy「有限な歴史」 *4 (田尻芳樹訳)
小林康夫「オルフェウス的投影:オペラの光学の誕生」 〔→『表象の光学』未來社、2003〕
丹生谷貴志「「よく食べること」を巡るエスキース」 〔→改題「よく食べること」、『ドゥルーズ・映画・フーコー』青土社、1996、増補新版、2007〕
● 野家啓一「物語行為と歴史叙述」 
● 高橋悠治「共振・暦」2 完
● 水村美苗「見合いか恋愛か 夏目漱石『行人』論」2 完
● 市川浩「掌の中の宇宙:予兆を求めて2」
● Paul de Man「時間性の修辞学2 アイロニー」完(保坂嘉恵美訳)
連載
岩井克人「貨幣論」2
松浦寿輝「技師と曲線:エッフェル塔試論2」
八束はじめ「スターリンの建築」2
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」2(鈴木晶訳)
Thierry de Duve「デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント」1 *5 (松浦寿夫訳)〔→松浦寿夫・松岡慎一郎訳『芸術の名において:デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント』青土社、2001〕
● 柄谷行人「編集後記」/ 浅田彰「編集後記」

no.3, 1991.10「特集=近代日本の批評 カント(再)発見」

特集 近代日本の批評
浅田彰・柄谷行人・野口武彦・蓮實重彦・三浦雅士「共同討議 「近代日本の批評」再考 第三項の崩壊と母系制への回帰」(1991.7.26.)  〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992.1→改題、『近代日本の批評III 明治・大正篇』講談社文芸文庫、1998.1〕
野口武彦「煩悶、高揚、そして悲哀:近代日本の「批評」の発見」  〔→柄谷行人編『近代日本の批評:明治・大正篇』福武書店、1992〕
絓秀実「俗語革命と「詩(ポエジー)」:小説的モダニティの構造・序説」  〔→第1章、『日本近代文学の〈誕生〉』太田出版(批評空間叢書)、1995.4〕
● 小森陽一「近代批評の文体:北村透谷と斎藤緑雨」 
● 川村湊「「植民地文学」と「大陸文学」:昭和批評の一側面」
● 小特集 カント(再)発見
Paul de Man「カントにおける現象性と物質性」 *6 (吉岡洋訳)
● Rodolphe Gasché(ロドルフ・ガシェ)「単なる視覚について」(吉岡洋訳)
Gilles Deleuze「カント哲学を要約しうる四つの詩的表現について」 *7 (田中敏彦訳)
子安宣邦「『古事記伝』・自己同一性の言説:美しき「口誦のエクリチュール」復元の幻想」  〔→第3章、改題「美しき「口誦のエクリチュール」:『古事記伝』への道3」、『本居宣長』岩波書店(岩波新書)、1992.5→岩波現代文庫、2001.7〕
村井紀「「遠野物語」の発生」  〔→第1部第3章「「遠野物語」の発生」、『南島イデオロギーの発生』〕
● 丸山洋志「「われわれ建築家」の「伝統」:ピーター・アイゼンマンの建築について」
連載
松浦寿輝「イメージ帝国主義の黎明:エッフェル塔試論3」
八束はじめ「スターリンの建築」3
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」3(鈴木晶訳)
岩井克人「貨幣論」3
Thierry de Duve「デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント」2(松浦寿夫訳)
● 柄谷行人「編集後記」(1991.8.10.記) / 浅田彰「編集後記」

no.4, 1992.1「特集=湾岸戦争以後 小説の論理あるいはフェミニティとモダニティ」

Frederic Jameson・浅田彰・柄谷行人「共同討議 湾岸戦争以後 帝国主義の第三段階とポストモダニズム」(1991.8.9.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕
Paul de Man「ヘーゲルの崇高論」 *8 (吉岡洋訳)
Edward Said「ジャン・ジュネの後期作品について」 *9 (鵜飼哲訳)
● Mark C. Taylor「死線:アナーキテクチュア(へ)の接近」(田尻芳樹訳)
● Rosalind Krauss「主の寝室」 *10 (篠原資明・小俣出美訳)
小特集 小説の論理あるいはフェミニティとモダニティ
水田宗子「女性の自己語りと物語」  〔→第1章、改題「物語と反物語の風景:女性の自己語りと物語の行方」、『物語と反物語の風景:文学と女性の想像力』田畑書店、1993.12〕
小谷野敦「夏目漱石におけるファミリー・ロマンス」  〔→第1章、『男であることの困難:恋愛・日本・ジェンダー』新曜社、1997.10〕
千葉一幹「堕落そして天国への道:梶井基次郎における散文の成立」  〔→第2章、『クリニック・クリティック:私批評宣言』ミネルヴァ書房(ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉)、2004.6〕
● 岡崎乾二郎「信仰のアレゴリー:マニエリスム論序説」  〔→加筆、『ルネサンス:経験の条件』筑摩書房、2001〕
● 内野儀「〈いま・ここ〉に降り立つ:「絶対演劇」をめぐるノート」  
● 竹沢尚一郎「日本神話とレヴィ=ストロース」
連載
八束はじめ「スターリンの建築」4
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」4(鈴木晶訳)
岩井克人「貨幣論」4
● 柄谷行人「日本精神分析」1
絓秀実「現前性への模索 小説的モダニティの構造1」 〔→第2章、改題「「没理想論」のコンテクスト」、『日本近代文学の〈誕生〉』太田出版(批評空間叢書)、1995.4〕
● 柄谷行人「編集後記」(1991.11.12.記) / 浅田彰「編集後記」

no.5, 1992.4「特集=江戸思想史への視点 ヘルダーリンとドイツ・ロマン派」

柄谷行人・Harry Harootunian+Tetsuo Najita・酒井直樹・子安宣邦「共同討議 江戸思想史への視点 奇人と差異あるいは儒者のネットワーク」(1991.8.24.)  〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕
● 子安宣邦「「鬼神」のディスクール:儒家的知の位相」
● 宮川康子「《譬喩(トロープ)》の言語学:富永仲基「三物五類」の説」
● 浅田彰・渡辺守章・松岡心平「討議 世阿弥と連歌的想像力:『宴の身体』を出発点に」
小特集 ヘルダーリンとドイツ・ロマン派
● Paul de Man「ハイデガーによるヘルダーリン釈義」 *11 (芳川泰久訳)
● Theodor W. Adorno「パラタクシス:ヘルダーリンの後期賛歌に寄せて」(高木昌史訳)
● Philippe Lacoue-Labarthe「ヘルダーリンをめぐる対話 フィリップ・ラクー=ラバルトに聞く」(聞き手・訳:守中高明)
Philippe Lacoue-Labarthe「思弁的なるものの休止」 *12 (守中高明訳)
● Karl Heinz Bohrer(カール・ハインツ・ボーラー)「親離れする美学」(石光泰夫訳)
矢代梓「ロマン主義と美的モデルネの可能性:カール・ハインツ・ボーラーの思索について 」 〔→第2章、『ドイツ精神の近代』未來社、2000.3〕
連載
松浦寿輝「「怪物的なヤンキー」対「けちなギリシア人」:エッフェル塔試論4」
八束はじめ「スターリンの建築」5
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第1部=症候」5(鈴木晶訳)
岩井克人「貨幣論」5
● 柄谷行人時「日本精神分析」2
野口武彦「三人称の発見まで」1 〔→『三人称の発見まで』筑摩書房、1994.6 ※当連載記事の単行本化は以下略〕
絓秀実「国民的想像力のなかの「女」:小説的モダニティの構造2」  〔→第3章、『日本近代文学の〈誕生〉』太田出版(批評空間叢書)、1995.4 ※当連載記事の単行本化は以下略〕〕
渡部直己「差別とエクリチュール1 「破戒」への道」 〔→第1章、『日本近代文学と〈差別〉』太田出版(批評空間叢書)、1994.6 1998.9※当連載記事の単行本化は以下略〕
● 入澤康夫「わが詩法覚え書」1
● 柄谷行人「編集後記」(1992.1.21.記) / 浅田彰「編集後記」

1992.6, 「臨時増刊号Anyone」

第1回Any会議の記録。第2回からは、NTT出版からAnyシリーズとして出版される。本書の増補改訂版も後に増補版がNTT出版より出された。
● 磯崎新「Anyoneへの招待」
● 〈Anyone〉会議スケジュール/参加者略歴/謝辞
● Cynthia Davidson「Anyイヴェントにおいて(=いずれにせよ)」(内野儀訳、浅田彰監訳)
● Jeffrey Kipnis「〈Anyone〉の三つの問題」(内野儀訳)
● Jeffrey Kipnis・柄谷行人・Jacques Derrida・Roberto Mangabeira Unger「哲学者のパネル」(内野儀訳)
● 柄谷行人「個体の地位」(内野儀訳)
● Roberto Mangabeira Unger「建築の未来」(内野儀訳)
● Jacques Derrida「即興によるレクチャーの要約」(内野儀訳、浅田彰監訳)
● Fredric Jameson「匿名者たちのデモグラフィ」(後藤和彦訳)
● 磯崎新・浅田彰「デミウルゴスとしてのAnyoneの断片的肖像」  
● Jeffrey Kipnis・磯崎新・浅田彰・Jacques Derrida・Mark C. Taylor「A…討議…1」(後藤和彦訳、浅田彰監訳)
● Daniel Libeskind「ANYONE? 腹話術師のためのテクスト」(後藤和彦訳、浅田彰監訳)
● John Rajchman「任意の存在でないことについて」(後藤和彦訳、浅田彰監訳)
● Francesco Dal Co「時間を考える」(後藤和彦訳)
● Rafael Moneo「クァルキエラ」(竹本憲昭訳)
● R.E. Somol「消失の主体」(竹本憲昭訳、浅田彰監訳)
● アン・バーグレン、John Rajchman・Peter Eisenman・Francesco Dal Co・Rafael Moneo・R.E. Somol・Ignasi de Solà-Morales「B…討議…1」(竹本憲昭訳)
● Mark C. Taylor「建築の主体」(竹本憲昭訳、浅田彰監訳)
● Rem Koolhaas「不安定な総体」(竹本憲昭訳)
● William Gibson「テクスト(ヴォ)イド」(上岡伸雄訳)
● Anthony Vidler・William Gibson・Mark C. Taylor・Rem Koolhaas・Jacques Derrida「A…討議…2」(上岡伸雄訳)
● Ignasi de Solà-Morales ルビオー「自律から無時間性へ」(末廣幹訳)
● Frank O. Gehry「フック、ライン、シグニチャー」(上岡伸雄訳)
● Maria Nordman「無限の開放性」(宮川雅訳)
● Peter Eisenman「作者の情動:情熱そして建築の時」(丸山洋志訳)
● Rosalind Krauss「格子(グリッド)の主題をめぐる六つの覚え書き」(矢口裕子訳、浅田彰監訳)
● Anthony Vidler「透明性」(宮川雅訳、浅田彰監訳)
● David「スタイル、イメージ、恣意性」(宮川雅訳、浅田彰監訳)
● Mark C. Taylor・Anthony Vidler・Peter Eisenman・シルヴィア・レイヴィン、アン・バーグレン、浅田彰・Jacques Derrida「A…討議…3」(矢口裕子訳、浅田彰監訳)
● 手紙/追補

no.6, 1992.7「特集=スラヴォイ・ジジェクとラカンの可能性」

特集 スラヴォイ・ジジェクとラカンの可能性
● 浅田彰「導入にかえて:いまなぜジジェクか」
「共同インタビュー スラヴォイ・ジジェク氏に聞く:スターリンからラカンヘ」(聞き手:浅田彰・岩井克人・柄谷行人、田崎英明訳、1991.11.5.) 〔→柄谷行人編『シンポジウムIII』太田出版、1998.6〕
● Slavoj Žižek「精神分析に横断される哲学」 *13 (鈴木真理子訳)
新宮一成「分裂病と他者の欲望」 〔→第4章、『無意識の組曲:精神分析的夢幻論』岩波書店、1997.11〕
● Paul de Man「ルードヴィヒ・ビンスワンガーと自己の昇華」(石田英敬訳)
Jacques Derrida「ピーター・アイゼンマンへの手紙」 *14 (小林康夫訳)  〔→『Anyone 増補改訂版:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7、pp.248-259〕
Peter Eisenman「Post/El Cards:ジャック・デリダへの返答」 *15 (丸山洋志訳)  〔→『Anyone 増補改訂版:建築をめぐる思考と討議の場』NTT出版、1997.7、pp.248-259〕
● John Rajchman「錯綜:ピーター・アイゼンマンの建築」 *16 (上野俊哉訳)
● 與謝野文子「機械の涙:和泉式部/イニゴ・デ・ロヲラ」 
● 水村美苗「「男と男」と「男と女」:藤尾の死 夏目漱石「虞美人草」をめぐって」
● 山下悦子「明治文学と養子制度 夏目漱石をめぐって」
芳川泰久「熱力学的ディスクール 漱石的小説風景の変換のために」 〔→第2章、『漱石論:鏡あるいは夢の書法』河出書房新社、1994.5〕
連載
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第2部=他者の欠如」6(鈴木晶訳)
絓秀実「「父」の審級:小説的モダニティの構造3」
野口武彦「三人称の発見まで」2
松浦寿輝「〈鉄〉から〈空気〉へ:エッフェル塔試論5」
八束はじめ「スターリンの建築」6 完
岩井克人「貨幣論」6
● 市川浩「音の宇宙をさまよう:予兆を求めて3」
● 入澤康夫「わが詩法覚え書」2 完
● 柄谷行人「編集後記」 / 浅田彰「編集後記」  

no.7, 1992.10「共同討議 植民地主義と近代日本」

山口昌男・柄谷行人・村井紀・川村湊「共同討議 植民地主義と近代日本:「南島イデオロギーの発生」を出発点に」(1992.7.9.)  〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕
Jacques Derrida「法の力:"権威の神秘的基礎"第2部」 *17 (丹生谷貴志訳)
● Paul de Man「内向の世代」 *18 (保坂嘉恵美訳)
● 初見基「政治神学と歴史神学:ベンヤミンの一断面」 
● 吉岡洋「複製技術の再解釈:あるいは、ポストモダン分析の認識論的基礎づけ」  
● 浅田彰「ラカン/ジジェクの余白に」
連載
渡部直己「差別とエクリチュール2 水平社運動前後」
絓秀実「鏡のなかの「女流」:小説的モダニティの構造4」
野口武彦「三人称の発見まで」3
松浦寿輝「模型とその設計図:エッフェル塔試論6」
Slavoj Žižek「イデオロギーの崇高な対象 第2部=他者の欠如」7(鈴木晶訳)
岩井克人「貨幣論」7
● 柄谷行人「日本精神分析」3
Philippe Lacoue-Labarthe・Jean-Luc Nancy「ナチ神話」1 *19 (守中高明訳) 〔→『ナチ神話』松籟社、2002〕
水村美苗「日本近代文学 私小説 from left to right」1 〔→『私小説from left to right』新潮社、1995→新潮文庫、1998.9 ※当連載記事の単行本化は以下略〕
● 柄谷行人「編集後記」(1992.8.18.記) / 浅田彰「編集後記」  

no.8, 1993.1「共同討議 夏目漱石をめぐって」

蓮實重彦・柄谷行人・芳川泰久・小森陽一・石原千秋・浅田彰「共同討議 夏目漱石をめぐって その豊かさと貧しさ」(1992.10.20.)  〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕
Jean-François Lyotard「生き延びた者」 *20 (高木繁光訳)
水田宗子「女性表現と身体の変容」  〔→第4章、改題「女性表現と身体の変容:〈異界〉への越境」、『物語と反物語の風景:文学と女性の想像力』田畑書店、1993.12]
● 石光泰夫「フロイトとベンヤミン:死のディスクール・ディスクールの死」
● 水沢勉「饐えたる器:退廃美術展現在」
Jacques Derrida・磯崎新・浅田彰「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」  〔→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994〕
Paul de Man「盲目性の修辞学:デリダのルソー論」 *21 (吉岡洋訳)
山田広昭「岬、資本、捕らわれのものCap,Capital,Captif:危機の言説について」  〔→『三点確保:ロマン主義とナショナリズム』新曜社、2001〕
● 大澤真幸「〈身体=精神〉のパースペクティブ:眼の近代的編成1」
野口武彦「三人称の発見まで」4
岩井克人「貨幣論」8 完
● 柄谷行人「日本精神分析」4
● 市川浩「音の中間領域について:予兆をもとめて4」
Philippe Lacoue-Labarthe・Jean-Luc Nancy「ナチ神話」2 完(守中高明訳)
水村美苗「日本近代文学 私小説 from left to right」2
● 柄谷行人「編集後記」(1992.11.17記) / 浅田彰「編集後記」

no.9, 1993.4「特集=ネーションとナレーション」

浅田彰・岩井克人・柄谷行人「共同討議 貨幣・言語・数:貨幣論から日本資本主義批判へ」(1993.1.18) 〔→岩井克人『資本主義を語る』講談社、1994.10→ちくま学芸文庫、1997.2〕
小特集 ネーションとナレーション
Ernest Renan「国民(ナシオン)とは何か?」 *22 (鵜飼哲訳) 〔→エルネスト・ルナン、J.G.フィヒテ、J.ロマン、E.バリバール、鵜飼哲・大西雅一郎・細見和之・上野成利訳『国民とは何か』インスクリプト、1997.10〕
Homi K. Bhabha「国民の散種:時間、語り、そして近代国家の周縁」 *23 (大野真訳)
● Rob Wilson「テクノ-ユーフォーリアとアメリカの崇高性の言説」 *24 (上岡伸雄訳)
● Sol Yurick「オークション」 *25 (上野俊哉訳)
東浩紀「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」 〔→『郵便的不安たち』朝日新聞社、1999→『郵便的不安たち#』朝日文庫、2002.5〕
千葉一幹「暗い夜を越えて:非小説「或る朝」から非私小説「暗夜行路」へ」 〔→第3章、『クリニック・クリティック:私批評宣言』ミネルヴァ書房(ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉)、2004.6〕
● 中山昭彦「沈黙の力学圏:理論=反理論としての『文学論』」 〔→第2章、改題「「女性の遊戯」とその消滅:夏目漱石『行人』をめぐって」、『男であることの困難:恋愛・日本・ジェンダー』新曜社、1997.10〕
小谷野敦「「女の遊戯」とその消滅:夏目漱石『行人』をめぐって」
● 大澤真幸「〈精神=身体〉のパースペクティブ:眼の近代的編成2」  
松浦寿輝「不在の記号屹立:エッフェル塔試論7」(完)
野口武彦「三人称の発見まで」5
渡部直己「差別とエクリチュール1 戦後党員作家の「部落」」  
● 柄谷行人「日本精神分析」5
水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」3
● 柄谷行人「編集後記」(1993.2.11.記) / 浅田彰「編集後記」

no.10, 1993.7「特集=芸術の理念と〈日本〉」

浅田彰・磯崎新・岡崎乾二郎・柄谷行人「共同討議 芸術の理念と〈日本〉」(1993.4.6.)  〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕
● 浅田彰「忘却の淵を超えて:上田高弘氏に答える」
● Andreas Huyssen「アンゼルム・キーファー:歴史の恐怖、神話の誘惑」 *26 (水沢勉訳)
● Frederic Jameson「「破壊的要素に身を委ねよ!」:ハンス-ユルゲン・ジーバーベルクと文化革命」 *27 (末廣幹訳)
● Rainer Nägele(ライナー・ネーゲレ)「人形芝居と哀悼劇(Trauerspiel)」 *28 (内野儀訳)
● 多和田葉子「身体・声・仮面:ハイナー・ミュラーの演劇と能の間の呼応」 
● ダルコ・スーヴィン「死ぬことの使用価値:偽禅竹とブレヒトの「教育劇」における魔術的/認知的ユートピア願望(ウェイリーをゼロオプションとして)」(田尻芳樹訳)
● ハイディ・ギルピン「静止と不在の力学:ピナ・バウシュ、ヤン・ファーブル、ウィリアム・フォーサイスの舞踏パフォーマンス」(由井哲哉訳)
● 「放射:ウィリアム・フォーサイスとハイディ・ギルピンの対話」(由井哲哉訳)
田中純「終わりの時代の建築家:ダニエル・リベスキンドの署名」  〔→第8章、『残像のなかの建築:モダニズムの〈終わり〉に』未來社、1995.7〕
● 松浦寿輝「美術館のなかのひとつの場所」
● ジャン-マリー・シェフェール「思弁的芸術理論と「モダニズム」」(大浦康介訳)
● 大澤真幸「〈精神=身体〉のパースペクティブ:眼の近代的編成3」(完)
● 市川浩「海へ……/そして海から:「海の博物館」について 予兆をもとめて5」
野口武彦「三人称の発見まで」6
絓秀実「詩の先行、詩の後行:小説的モダニティの構造5」  
水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」4
● 柄谷行人「編集後記」(1993.5.16.記) / 浅田彰「編集後記」(1993.5.18.記)

no.11, 1993.10「特集=音声と文字/日本のグラマトロジー」

子安宣邦・酒井直樹・柄谷行人「共同討議 音声と文字/日本のグラマトロジー:18世紀日本の言説空間」(1993.7.19.)  〔→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1994.4〕   
酒井直樹「翻訳の問題」 *29 (?訳)  
● 子安宣邦「宣長再論:「やまとことば」成立の語り」  
前田英樹「『くず花』をめぐる考察」  〔→第5章、『海を渡った日本語:植民地の「国語」の時間』青土社、1995、新装版、2004.4〕  
● 山城むつみ「漢文訓読について」
● 百川敬仁「中世的なものから近世へ」
川村湊「「日本語」の時代:福田恆存の日本語・時枝誠記の国語」  〔→第10章、『在るものの魅惑』現代思潮社(エートル叢書)、2000.1〕
● 加川恭子「近代国語学批判の批判」
村井紀「起源と征服1 伊波普猷について」  〔→第2部第3章「起源と征服:伊波普猷について」、『南島イデオロギーの発生』〕
● 安宇植「ハングルと〈女〉と」  
赤間啓之「声と文字のキマイラ/フランス精神分析のファルス」  〔 →『ユートピアのラカン』青土社、1994〕
● 柄谷行人「なぜ『共産主義者宣言』か」  〔→改題「刊行によせて」カール・マルクス、金塚貞文訳『共産主義者宣言』太田出版、1993.10〕
野口武彦「三人称の発見まで」7 完
絓秀実「写生における「長さ」と「難解」:小説的モダニティの構造6」
水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」5  
● 柄谷行人「編集後記」(1993.8.15.記) / 浅田彰「編集後記」(1993.5.18.記)

no.12, 1994.1「特集=中上健次をめぐって」

蓮實重彦・渡部直己・浅田彰・柄谷行人「共同討議 中上健次をめぐって 双系性とエクリチュール」(1993.10.6.)  〔→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997.10〕
● 浅田彰「中上健次を再導入する」
柄谷行人「被差別部落の「起源」:「日本精神分析」補遺」  〔→『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9〕
酒井直樹「表音表記と歴史」 *30 (宮崎かすみ訳)
Antoine Berman(アントワーヌ・ベルマン)「翻訳の思弁的理論」 *31 (大西雅一郎・久保哲司訳)
野口武彦「史伝と情念 森鴎外の「夜思」をめぐって」 〔→第5章、『近代日本の詩と史実』中央公論新社(中公叢書)、2002.10〕
● 高木繁光「言葉が声となる道」
上田高弘「モダニズムとその公衆(パブリック)」 〔『モダニストの物言い:現代美術をめぐる確信と抵抗1990-2005』美学出版、2006.4〕
● 松浦寿輝「美術館のなかのひとつの場所」
新田滋「市場が貨幣をつくる:岩井克人『貨幣論』批判」  〔→第8章、『恐慌と秩序:マルクス資本論と現代思想』情況出版、2001.9〕
渡部直己「差別とエクリチュール3 秋幸と「路地」」(完)
● 松本小四郎「なぜ「リアリズムへの回帰」なのか:劇作家の死と演劇の現在2」
村井紀「起源と征服2 伊波普猷について」  〔→第2部第3章「起源と征服:伊波普猷について」、『南島イデオロギーの発生』〕  
水村美苗「日本近代文学 私小説 from left to right」6
● 柄谷行人「編集後記」(1993.11.15.記) / 浅田彰「編集後記」
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*1 Paul de Man, «The Rhetoric of Temporality: Allegory and Symbol, Irony», Ch. S. Singleton, ed., Interpretation: Theory and Practice, Johns Hopkins University Press, 1969. Reprint as Chapter 10 in Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism, University of Minnesota Press, 1971.

*2 Fredric Jameson«The Politics of Theory: Ideological Positions in the Postmodernsm Debate», New German Critique, no.33, 1985, pp. 53-65. Reprint in The Ideologies of Theory: Essays 1971-1986, vol.2, Routledge, 1988.〔第7章、鈴木聡・後藤和彦・篠崎実訳『のちに生まれる者へ:ポストモダニズム批判への途 1971‐1986』紀伊國屋書店、1993.5〕

*3 Slavoj Žižek, The Sublime Object of Ideology, Verso, 1989.〔鈴木晶訳『イデオロギーの崇高な対象』河出書房新社、2000〕

*4 Jean-Luc Nancy, «Finite History», David Carroll, ed., The State of "Theory": History, Art and Critical Discouse, Columbia University Press, 1990. Repris dans La communauté désœuvrée, chapitre 5, Christian Bourgois, 1999.〔第5章「有限な歴史」、西谷修・安原伸一朗訳、『無為の共同体:哲学を問い直す分有の思考』以文社、2001.6〕

*5 Thierry de Duve, «L’art était un nom propre: Kant (d’)après Duchamp», Au nom de l’art, pour une archéology de la modernité, Éditions de Minuit, coll., «critique», 1989.〔松浦寿夫・松岡慎一郎訳『芸術の名において:デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント』青土社、2001〕

*6 Paul de Man, «Phenomenality and Materiality in Kant»(delivered paper as forth Messenger lecture at Cornell on 1 March 1983), Gary Shapiro and Alan Sica, eds., Hermeneutics: Questions and Prospects, University of Massachusetts Press, 1984, pp.121-144. Reprint in Hugh J. Silverman and Gary E. Ayles worth, eds., The Textual Sublime: Deconstruction and Its Differences‎, State University of New York Press, 1990, pp.87-108. also Reprint as Chapter 3 in Andrzej Warminski, ed., Aesthetic Ideology, University of Minnesota Press, 1996.〔第3章「カントにおける現象性と物質性」、上野成利訳『美学イデオロギー』平凡社、2004.12〕

*7 Gilles Deleuze, «Sur quatre formules poétique qui pourraient résumer la philosophie Kantienne», Philosophie, no.9, 1986, pp.29-34. Repris dans Critique et clinique, Éditions de Minuit, 1993.〔湯浅博雄訳「ランボーの詩的な定式とカント哲学」、『ユリイカ』1991年7月号「特集=ランボー」;守中高明訳「カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について」、『批評と臨床』河出書房新社、2002

*8 Paul de Man, «Hegel on the Sublime», Mark Krupnik, ed., Desplacement: Derrida and After, Indiana University Press, 1983, pp.139-153. Reprint as Chapter 5 in Andrzej Warminski, ed., Aesthetic Ideology, University of Minnesota Press, 1996.〔第5章「ヘーゲルの崇高論」、上野成利訳『美学イデオロギー』平凡社、2004.12〕

*9 Edward Said, «?», Reprint with the title «On Jean Genet», Chapter 4 in On Late Style: Music and Literature against the Grain, Pantheon Books, 2006.〔第4章、大橋洋一訳『晩年のスタイル』岩波書店、2007.9〕

*10 Rosalind Krauss, «The Master's Bedroom», Representations, no.28, Fall 1989, pp.55-76.

*11 Paul de Man, «Les exegèses de Hölderlin par Martin Heidegger», Critique, no.100-101, septembre-octobre 1955. trans. by Wlad Godzichas, «Heidegger's Exegesis of Hölderlin», printed as Chapter 12 in Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism, University of Minnesota Press, 1971.

*12 Phillipe Lacoue-Labarthe, «La Césure du spéculatif»(conférence prononcée en 6 mars 1978 à Université de John Hopkins), publié dans postface à Hölderlin, L'Antigone de Sophocle, Christian Bourgeois, Paris, 1978. Repris dans L'imitation des modernes: typographies 2, Éditions Galilée, 1986.〔第2章「思弁的なるものの中間休止」、大西雅一郎訳『近代人の模倣』みすず書房、2003.9〕

*13 Slavoj Žižek, «Philosophy Traversed by Psychoanalysis», Textual Practice, vol.6-no.3, Winter 1992, pp.401-416. Reprint with the title «Lacan between Cultural Studies and Cognitivism: Philosophy Traversed by Psychoanalysis» in Scott Stephens and Rex Butler, eds., Interrogating the Real, Continuum, 2005

*14 Jacques Derrida, «A Letter to Peter Eisenman», Assemblage: A Critical Journal of Architecture and Design, no.12, August 1990. Reprint in Chora L Works, by Jacques Derrida and Peter Eisenman, Chicago University Press, 1988

*15 Peter Eisenman, «Post/EL Cards: A Reply to Jacques Derrida», Assemblage: A Critical Journal of Architecture and Design, no.12, August 1990, pp.14-17. Reprint in Jeffrey Kipnis and Thomas Leeser, eds., Chora L Works, Monacelli Press, 1997, pp.187-189.

*16 John Rajchman, «Perplications: On the Space and Time of Rebstockpark», Peter Eisenman, ed., Unfolding, Frankfurt; A Catalogue for the Exhibition of the Rebstockpark Project at Aedes Gallery, Ernst & Sohn, 1991, pp.20-77. Reprint in Peter Eisenman, ed., Re:working Eisenman, John Wiley & Sons, 1993, pp.115-123.

*17 Jacques Derrida, "Prénom de Benjamin", (conférence distributée en octobre 1989, et conférence prononcée en 26 avril 1990), publié et modifé dans Force de loi: Le «Fondement mystique de l’autorité», Paris, Galilée, 1994.〔第2部「ベンヤミンの個人名」、堅田研一訳『法の力』法政大学出版局、1999.12、pp.77-177.〕

*18 Paul de Man, «The Inward Generation»(1955), Lindsay Waters, ed., Critical Writings 1953-1978, University of Minnesota Press, 1989

*19 Philippe Lacoue-Labarthe et Jean-Luc Nancy, Le mythe nazi, Éditions de l'Aube, 1991

*20 Jean-François Lyotard, chapitre 4 «Survivant: Arendt», Lectures d’enfance, Galilée, 1991[第4章「生き延びた者(アーレント)」、小林康夫訳『インファンス読解』未來社(ポイエーシス叢書)、1995.3]

*21 Paul de Man, Chapter 7 «The Rhetoric of Blindness: Jacques Derrida's Reading of Rousseau», Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism, University of Minnesota Press, 1971.

*22 Ernest Renan, «Qu’est-ce qu’un nation», Œuvres completes, tome 1, Calman-Lévy, 1987, pp.277-300

*23 Homi K. Bhabha, «DisemiNation: time, narrative, and the margins of the modern nation», Homi K. Bhabha, ed., Nation and Narrative, Routledge, 1990. Reprint in The Location of Culture, as Chapter 9, Routledge, 1994.〔第9章「国民の散種:時間、語り、近代国民国家の周縁」、本橋哲也・正木恒夫・外岡尚美・阪元留美訳『文化の場所:ポストコロニアリズムの位相』法政大学出版局、2005〕

*24 Rob Wilson, «Techno-euphoria and the Discourse of the American Sublime», boundary, 2, spring 1992, special issue: New Americanist 2: National Identities and Post-National Narratives, Duke University Press.

*25 Sol Yurick, «The Auction», Artforum, Summer 1989.

*26 Andreas Huyssen, «Anselm Kiefer : The Terror of History, the Temptation of Myth», October, no.48, Spring 1989

*27 Fredric Jameson, «"In the Destructive Element Immerse”: Hans-Jürgen Syberberg and Cultural Revolution», October, no.17, Summer 1981, pp.99-118. Reprint in Signatures of the Visible, Routledge, 1990, pp.63-81.

*28 Rainer Nägele, «Puppet Play and Trauerspiel», Theater, Theory, Speculation: Walter Benjamin and the Scenes of Modernity, chapter 1, John Hopkins University Press, 1991.

*29 Naoki Sakai, Chapter 7 «The Problem of Translation», Voices of the Past: The Status of Language in Eighteenth-Century Japanese Discourse, Cornell University Press, 1992.〔第7章「翻訳の問題」、末広幹・野口良平・斎藤一・川田潤・浜邦彦訳『過去の声:18世紀日本の言説における言語の地位』以文社、2002.6〕

*30 Naoki Sakai, Chapter 8 «Phoneticism and History», Voices of the Past: The Status of Language in Eighteenth-Century Japanese Discourse, Cornell University Press, 1992.〔第8章「表音表記と歴史」、末広幹・野口良平・斎藤一・川田潤・浜邦彦訳『過去の声:18世紀日本の言説における言語の地位』以文社、2002.6〕

*31 Antoine Berman, chapitre 7 «La theorie speculative de la traduction», L’Épreuve de l’étranger. Culture et traduction dans l’Allemagne romantique: Herder, Goethe, Schlegel, Novalis, Humboldt, Schleiermacher, Hölderlin, Gallimard, coll. «Les Essais», 1984.〔第7章「翻訳の思弁的理論」、藤田省一訳『他者という試練:ロマン主義ドイツの文化と翻訳』みすず書房、2008.2〕