チェコ推理小説略史

2013年10月27日

  • チェコミステリの邦訳一覧(複数の訳書がある場合、ここでは最新のもののみ示す)
    • カレル・チャペック『ひとつのポケットからでた話』(栗栖茜訳、海山社、2011年2月) 24編収録
    • カレル・チャペック『もうひとつのポケットからでた話』(栗栖茜訳、海山社、2011年2月) 24編収録
    • ヴァーツラフ・ジェザーチ『かじ屋横丁事件』(井出弘子訳、岩波書店 岩波少年文庫2075、1974年)(児童文学)
    • エゴン・ホストヴスキー『スパイ』(岡田真吉訳、角川書店、1958年)→ 改題文庫化『秘密諜報員 : アルフォンスを捜せ』(角川文庫、1966年)
    • ヨゼフ・シュクヴォレツキー『ノックス師に捧げる10の犯罪』(宮脇孝雄・宮脇裕子訳、出版:The Mysterious Press、発売:早川書房、1991年5月)
    • パヴェル・ヘイツマン『鋼鉄の罠』(田才益夫訳、発行:有楽出版社、発売:実業之日本社、1996年3月)
    • パヴェル・コホウト『プラハの深い夜』(田才益夫訳、早川書房、2000年10月)
    • ラジスラフ・フクス『火葬人』(阿部賢一訳、松籟社《東欧の想像力》第9巻、2012年12月)

  • このページの作成者はチェコ語は読めません。
  • 以下、邦訳のある作品は『水色』で示しました。


Index

(1)チェコの古典探偵小説

 チェコではエミル・ヴァヘクEmil Vachek、1889-1964)とエドゥアルト・フィッケルEduard Fiker、1902-1961)の2人がチェコの探偵小説を形作った二大作家と見なされているようだ。

エミル・ヴァヘク(1889-1964)

 エミル・ヴァヘク(Emil Vachek、1889-1964)は、近年もチェコで映像化されている人気シリーズ、クルビーチコ(Klubíčko)警部シリーズの作者。クルビーチコ警部シリーズの第1作『Tajemství obrazárny』が刊行されたのは1928年。続いて1932年に第2作『Muž a stín』(男と影)(翌年映画化)、1933年に第3作が出ているが、その次は1958年まで間が空く。やはり1930年代も半ばを過ぎると、時勢的に探偵小説は書きづらくなったのだろうか。戦後は1958年から作者の没年の1964年までに少なくとも5作が発表されている。

 クルビーチコ警部シリーズは2007年から2008年にかけて第2作『Muž a stín』(1932)、第3作『Zlá minuta』(1933)、そして戦後作品の『Devatenáct klavírů』(1964)がテレビ映画化されている(『Zlá minuta』の映画化は2005年という情報もあり)。


 クルビーチコ警部シリーズの英訳はなさそうである。第1作『Tajemství obrazárny』は、1964年にプラハで独訳『Das Geheimnis der Galerie』が出ている。

エドゥアルト・フィッケル(1902-1961)

 エドゥアルト・フィッケル(Eduard Fiker、1902-1961)はスコットランドヤードの警部T・B・コーン(inspektor T. B. Corn)のシリーズやチェコを舞台とするチャデック警部(inspektor Čadek)シリーズ、スパイ小説の探偵カルリーチェク(Karlíček)シリーズなど複数のシリーズ作品で人気を博した作家。
 スコットランドヤードの警部T・B・コーンのシリーズは1933年から1948年にかけて5作発表された。少なくとも第1作と第2作、それから第5作で悪党のテッド・ブレント(Ted Brent)が登場する(第5作の副題は「テッド・ブレントの帰還」)。2人は明智小五郎と怪人二十面相のような関係なのだろうか? 戦時中は英語名が問題視され、T・B・コーンの名はL. L. Cirneに変更されていたとか。

 国際推理作家協会チェコ支部は独自に長編ミステリ公募賞のエドゥアルト・フィッケル賞を制定し、2003年から授与している。詳しくは「(4)チェコのミステリ賞」を参照のこと。

 エドゥアルト・フィッケルの作品の英訳はなさそうである。ドイツ語訳は少なくとも6冊。ただし、T・B・コーン・シリーズは訳されていない。独訳があるのは、チェコを舞台とするチャデック警部シリーズの2作、スパイ小説の探偵カルリーチェク・シリーズの2作と、ノンシリーズ作品2作である。

エドゥアルト・フィッケル作品の独訳と原題の一覧
チェコ語タイトル 発表年 ドイツ語訳のタイトル
チャデック警部シリーズ Zinková cesta 1942 Der Zinksarg
Nikdo není vinen? 1947 Fisch im Netz
探偵カルリーチェク・シリーズ Zlatá čtyřka 1955 Die goldene Vier
Série C-L 1958 Serie C L
ノンシリーズ作品 Ilavský zločin (別題 Rozkaz 42) 1946 Befehl 42
U Tří kufrů 1957 Die Drei Koffer

カレル・チャペック(1890-1938)

A 『ひとつのポケットからでた話』&『もうひとつのポケットからでた話』(1929年)

 カレル・チャペック(Karel Čapek、1890-1938、日本語版Wikipedia)は言わずと知れた有名なSF作家だが、実はミステリも執筆している。江戸川乱歩は1950年代にソ連のスパイ小説作家ロマン・キムと文通しているが、ロマン・キムは手紙の中で、ソ連で人気の探偵作家としてチェスタートン、フランク・ヘラー(スウェーデン)、そしてカレル・チャペックを挙げている。

ロマン・キムの江戸川乱歩への第二信より(江戸川乱歩「ソ連と中共の近況 ――ロマン・キム氏から第二信――」『宝石』1957年1月号、ロシア語翻訳:原卓也)
 ユーモラスな探偵作品の中で、ソヴェート読者に評判が好いのは、チェッコの有名な作家カレール・チャペックの短篇です(奪われた書類、ロウッサ教授の実験、俳優ベンダの失踪、等)。これらの短篇は探偵小説のパロディのように思われますが、作の中では警察や、警察の犯罪解明の愚かしい方法などが嘲笑されています。チャペックがマーク・トウェーンの短篇「白象泥棒」*注を手本にしたことは疑う余地もありません。小生は、チャペックの短篇が日本語にも訳されて然るべきだと思います。彼の作品は英語にも、他のヨーロッパ語にも訳されているのですから。
  • 注:マーク・トウェイン「盗まれた白象」(原題 The Stolen White Elephant)。エラリー・クイーン編『犯罪文学傑作選』(創元推理文庫、1977年)などで読める。

 チャペックのミステリ小説集は以下の2冊がある。ロマン・キムの手紙の中でタイトルが示されている「奪われた書類」、「ロウッサ教授の実験」、「俳優ベンダの失踪」は、『ひとつのポケットからでた話』に収録の「盗まれた機密文書」「ラウス教授の実験」「俳優ベンダの失踪」のことだと思われる。(以下、当ページでは訳題は栗栖茜氏による訳題を使用する)

  • チャペックのミステリ小説集
    • Povídky z jedné kapsy (1929) 24編収録
      • 『ひとつのポケットから出た話』(栗栖継訳、至誠堂 現代人叢書第9巻、1960年[著者名表記 カレル・チャペク] / 晶文社 文学のおくりもの15、1976年 / 晶文社 文学のおくりものベスト版、1997年8月)
      • 『ひとつのポケットからでた話』(栗栖茜[※栗栖継の息子]訳、海山社、2011年2月)
    • Povídky z druhé kapsy (1929) 24編収録
      • 『ポケットから出てきたミステリー』(田才益夫訳、晶文社、2001年11月)
      • 『もうひとつのポケットからでた話』(栗栖茜訳、海山社、2011年2月)

 イヴァン・クリーマによるチャペックの研究書『カレル・チャペック』(邦訳2003年8月、青土社、田才益夫訳)ではこの2冊は「第二十章 盗まれた書類とその他の物語」(pp.223-233)で扱われている。

 アメリカのミステリ雑誌『Ellery Queen's Mystery Magazine』の1948年8月号は《世界のミステリ》特集号。第3回EQMM短編ミステリコンテストの入選作5作(オーストラリア、アルゼンチン、南アフリカ共和国、ポルトガル、フィリピン)および、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ベルギー、イタリア、ハンガリー、ソ連、チェコスロバキアの9か国の代表作品、計14作品が掲載されている。このときのチェコ(チェコスロバキア)の作品はカレル・チャペックの"The Coupon"だった。雑誌の現物を見ていないので確かなことはいえないが、これはおそらく『ひとつのポケットからでた話』に収録の「レシート」(チェコ語原題 Kupón)だろう。
 その後、『EQMM』では1990年8月号にもカレル・チャペックの作品が掲載されている。英題は"The Crime at the Post Office"。『ひとつのポケットからでた話』に収録の「郵便局での犯罪」(チェコ語原題 Zločin na poště)だと思われる。

 日本のミステリ雑誌『宝石』1955年4月号は「世界の短篇傑作を英米佛から獨露チェッコまでひろげて蒐めてみた」(編集後記、永瀬三吾)という号で、カレル・チャペックの「噂の男」(都筑道夫訳、pp.168-174)が掲載されている。これは『ひとつのポケットからでた話』の収録作で、栗栖茜氏による訳題は「あやしい男」。ちなみにこの号に掲載されたドイツの作品はディートリッヒ・テーデンの「巧に織った証拠」、ロシアの作品はチェーホフの「或る犯罪の話」(=「安全マッチ」)である。

 青土社から田才益夫訳で出ているカレル・チャペックの3冊の短編集『カレル・チャペック短編集』(2007年12月)、『赤ちゃん盗難事件 カレル・チャペック短編集II』(2008年4月)、『ありふれた殺人 カレル・チャペック短編集III』(2008年6月)は、『ひとつのポケットからでた話』や『もうひとつのポケットからでた話』などから短編を採録した日本オリジナル編集の短編集。第2巻と第3巻の表題作はどちらも『もうひとつのポケットからでた話』の収録作である。栗栖茜氏による訳題はそれぞれ、「赤ちゃんにまつわるある事件」「ありふれた殺人」

B 「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」(1924年)

 カレル・チャペックは探偵小説論も書いている。

  • Holmesiana čili O detektivkách (1924)
    • 「シャーロック・ホームズ学または探偵小説について」(田才益夫訳、『カレル・チャペックの闘争』社会思想社、1996年7月)
    • 「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」(田才益夫訳、『カレル・チャペックの新聞讃歌』青土社、2005年4月、pp.79-111)(目次では「シャーロック・ホームズ学、または探偵小説について」)(以下、ページはこちらのものを示す)

 『カレル・チャペック短編集』(田才益夫訳、青土社、2007年12月)の訳者あとがきによれば、チャペックはこれ以外にも「独立した一編の探偵小説論を書いている」とのことだが、タイトルは示されていない。

 「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」の冒頭でチャペックは代表的な探偵(探偵役)15人を列挙している(p.80)。

  • タバレ(エミール・ガボリオ)
  • ルコック(エミール・ガボリオ)
  • エビニーザー・グライス(アンナ・キャサリン・グリーン)
  • シャーロック・ホームズ(アーサー・コナン・ドイル)
  • ガニマール警部(モーリス・ルブランのルパンシリーズ)
  • ビール警部(Inspektor Beale) - アメリカの作家のG. W. Appleton(George Webb Appleton、1845-1909)の作品に登場するInspector Beale(William Beale)のことか? (このエッセイが発表された1924年には、ルーパート・ペニーのビール主任警部シリーズはまだ書かれていない)
  • マッケンジー警部(E・W・ホーナングのラッフルズシリーズ)
  • イジドール・ボートルレ(モーリス・ルブランのルパンシリーズの『奇巌城』)
  • マーチン・ヒューイット(アーサー・モリスン)
  • アスビョルン・クラーグ(スヴェン・エルヴェスタ)
  • ホーン・フィッシャー(G・K・チェスタートン)
  • ブラウン神父(G・K・チェスタートン)
  • クレイグ・ケネディ(アーサー・B・リーヴ)
  • ソーンダイク博士(オースチン・フリーマン)
  • ルールタビーユ(ガストン・ルルー)

 チャペックはフランス語が読めたので、これらの探偵の活躍譚が当時すべてチェコ語に訳されていたとは限らない。なかにはフランス語で読んだものもあるかもしれない。ここでは挙げられていないが、のちの部分でデュパンやアルセーヌ・ルパンの名も出てくる。また、クリフトンというチェコ作家が生み出した探偵の名も出てくる。これについては後述。
 「ブラウン神父」につけられた田才氏による訳注によれば、「チャペックはチェスタートンを非常に尊敬し、イギリス訪問の際にも対面を心待ちにしていたが、チェスタートンのチャペックにたいする態度は意外に冷ややかなものだった。」

C チャペックが探偵小説のつもりで書いた短編集『受難像』(1917年)

 上記の「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」(1924)には興味深いことが書かれている。1917年の短編集『受難像』(邦訳1995年10月、成文社《チャペック小説選集》第1巻、石川達夫訳)は探偵小説のつもりで書いたものだというのである。田才益夫氏による訳文を引用する(引用中では訳題は『路傍の聖者像』とされている)。

「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」(田才益夫訳、『カレル・チャペックの新聞讃歌』青土社、2005年4月、p.81)
(前略)私自身がすでに一巻の探偵小説集を書いてみたことを報告しておきましょう。私としてはとくに野心があったわけではないのですが、結局、その一巻は「路傍の聖者像」(Boží muka=ボジー・ムカ)となって出版されました。残念ながら、そのなかに探偵小説があるなんて誰も知らないのです。どうやら、私の失敗かもしれません。

 もっとも『受難像』は「探偵小説」と聞いて普通に想像する作品とはまったく異なるようだ。邦訳書『受難像』巻末の訳者解説(成文社の公式サイトで公開)によれば、「『受難像』の中の幾つかの短編は、推理小説的形式をもった哲学的小説であり」、「推理小説的な状況とサスペンスはあるが、解決はなく、(推理的方法によっては)最終的真実は解明されない」そうである。
 イヴァン・クリーマによるチャペックの研究書『カレル・チャペック』(邦訳2003年8月、青土社、田才益夫訳)では『受難像』は「第四章 文明的楽天主義の壊滅」(pp.40-49)で扱われている。

D 哲学三部作(1933-1934年)のミステリ要素

 チャペックが1933年から1934年にかけて発表した長編3作、『ホルドゥバル』(1933)、『流れ星』(1934)、『平凡な人生』(1934)は「哲学三部作」や「認識三部作」などと呼ばれている。このうち少なくとも最初の2作はミステリの要素を含む物語であるらしい。この3作は成文社《チャペック小説選集》(1995-1997年)の第3巻~第5巻として邦訳が出ている。その訳者解説は「こちら」で公開されている。

 3作のうち『流れ星』は2008年5月に田才益夫訳で青土社からも邦訳が出ており、その帯の背の部分には「傑作ミステリー」と書かれている。
 イヴァン・クリーマによるチャペックの研究書『カレル・チャペック』(邦訳2003年8月、青土社、田才益夫訳)では哲学三部作は順に第21~23章(pp.234-265)で扱われている。

A・B・シュチャストニー(1866-1922)の探偵レオン・クリフトン物

 先に少しふれたが、カレル・チャペックの探偵小説論「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」(田才益夫訳、『カレル・チャペックの新聞讃歌』青土社、2005年4月)には「クリフトン」という探偵の名が出てくる。田才氏による脚注ではこの探偵について以下のように説明されている(p.161)。

クリフトン(Leon Clifton)――チェコの作家A・B・シュチャストニー(Adolf Bohmil Šťastný, 1866-1922)の創造した探偵。その後、多くの作家がこの人物像をまねて、娯楽物の探偵小説を書き、「クリフトンカ」(クリフトンもの)という言葉さえ生まれ、この種の探偵小説の代名詞にまでなった。
(「Adolf Bohmil Šťastný」は正しくは「Adolf Bohumil Šťastný」かと思われる)

 この作家および探偵については詳しいことは分からない。チェコのミステリ・データベースサイトPITAVALでは作者名は「Adolf Bohumil Šťastný」ではなく「Alfons Bohumil Šťastný」とされている。

その他の戦前作家

 ほかに戦前からミステリ小説を書いていたチェコの作家にZdeněk Vojtěch Peukert(1907-1982、チェコ語版Wikipedia)がいる。この作家は1920年代末から戦後にかけてミステリ小説を多数発表した。

ヴァーツラフ・ジェザーチ(1901-1956)の児童文学『かじ屋横丁事件』

 ヴァーツラフ・ジェザーチ(Václav Řezáč、1901-1956)は1934年に探偵小説要素のある児童文学『かじ屋横丁事件』(Poplach v Kovářské uličce)を発表している。その邦訳書(井出弘子訳、岩波書店 岩波少年文庫2075、1974年)の巻末のイワン・クロウスキーによる解説によれば、ジェザーチの最初の児童文学作品は『少年よ、彼を追え!』(Kluci, hurá za ním!)(1933)という探偵小説風のもので、当時チェコ語に翻訳されて好評を得ていたエーリヒ・ケストナーの『エーミールと探偵たち』(1929)の影響下に書かれたものだったという。
 ジェザーチの児童向け探偵小説2冊の挿し絵はカレル・チャペックの兄のヨゼフ・チャペックが描いており、邦訳書『かじ屋横丁事件』でもそのイラストが使用されている。

(2)1950年代以降のチェコミステリ

エゴン・ホストフスキー(1908-1973)

 エゴン・ホストフスキー(Egon Hostovský、1908-1973)はアメリカに亡命したチェコの作家。1954年に発表した『深夜の患者』(チェコ語原題 Půlnoční pacient、英題 The Midnight Patient)は1957年にフランスの映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーによって『スパイ』(仏語原題 Les Espions)というタイトルで映画化されている。翌1958年には日本でも原作の邦訳が『スパイ』というタイトルで刊行された。その後文庫版も出ている。

  • 『スパイ』(岡田真吉訳、角川書店、1958年)→ 改題文庫化『秘密諜報員 : アルフォンスを捜せ』(角川文庫、1966年) ※どちらも著者名表記は「ホストヴスキー」

 角川文庫版のあとがき(及び著作権表示)で英題が『深夜の忍耐』(Midnight Patience)とされているが、誤り。文庫版のカバーからあらすじを引用しておく。

 ニューヨークの裏街に住む精神科医マリクのもとに、心理戦争研究所のハワード大佐が訪れる。大佐の依頼は、ある男の秘密治療である。その病人は、ソ連内部の破壊工作の英雄、アルフォンスと名乗る正体不明のスパイ! 人生に退屈しきっていたマリクには、この奇妙な依頼が、驚くほど興味をそそる。その翌日、彼の病院一帯にアルフォンスをめぐって、米ソの強力なスパイ網がはりめぐらされる。巧みな推理力で事件の全貌を解明しようとするマリクにとって、唯一の手がかりは、スパイの話した謎の暗号「失なわれた両眼視!」……。事件は逆転また逆転! 恐怖の冷戦を背景として、米ソの諜報機関は、息づまる国際スパイ戦を(ママ)開する!

ミラン・クンデラが探偵小説を執筆!?

 ミラン・クンデラMilan Kundera、1929- )は20世紀後半のチェコ文学界を代表する作家。そのミラン・クンデラが探偵小説を書いたことがあるのだという。1964年、チェコの作家8人が週刊『文芸新聞』(Literární noviny)7月11日号~9月12日号(28号~37号)で全10回のリレー探偵小説を連載。その参加者のなかにミラン・クンデラがいたのである。参加者にはほかに当時同紙の編集者だった作家のイヴァン・クリーマや、短編ミステリ集『ノックス師に捧げる10の犯罪』などが訳されているヨゼフ・シュクヴォレツキーらがいた。タイトルは『編集室の殺人』(Vražda v redakci)(チェコのミステリ・データベースサイトPITAVALの該当ページ)で、編集者が編集室に着いてみると死体が……という発端から始まるストーリーらしい。誰が第何回を書いたかは明記されていないそうだ。こちらのチェコ語ブログにレビューがある(リンク)。また、こちらで当時の紙面がオンラインで公開されている(リンク / 毎号6面、または6~7面に掲載)。8人の執筆者はすでに名前を挙げたミラン・クンデラ、イヴァン・クリーマ、ヨゼフ・シュクヴォレツキーのほかに、Karel Michal、Pavel Hanuš(以上の2人は単独でも探偵小説を発表している)、Alexandr Kliment、Milan Schulz、Ludvík Vaculík。

ヨゼフ・シュクヴォレツキー(1924-2012)

 ヨゼフ・シュクヴォレツキー(Josef Škvorecký、1924-2012)はミラン・クンデラらと並んでチェコ文学界を代表する作家であり、ミステリ作家でもある。ミステリ作家としての代表作は警部ボルーフカ・シリーズ。第1短編集『警部ボルーフカの憂鬱』(Smutek poručíka Borůvky)は「プラハの春」の2年前、1966年に刊行された。『ミステリマガジン』2008年6月号の洋書案内〈世界篇〉で佐々木和子氏によるレビューを読むことができる。この後シュクヴォレツキーは1969年にカナダに亡命し、亡命先で作品の発表を続けた。

 警部ボルーフカ・シリーズは『警部ボルーフカの憂鬱』(1966)、『警部ボルーフカの最後』(1975)、『警部ボルーフカの帰還』(1981)の3冊。「憂鬱」と「最後」は短編集で、第3作「帰還」のみ長編である。またこれら以外に、短編集『ノックス師に捧げる10の犯罪』(1973)(邦訳1991年、早川書房)のいくつかの短編にもボルーフカが登場する。第2作『警部ボルーフカの最後』は1990年に英国推理作家協会の「'92年賞」(CWA '92 Award)という賞にノミネートされている。これはヨーロッパ大陸を舞台にしたミステリの最優秀作に贈られるもので、1990年から1992年までの3年間だけ設けられていた賞らしい。『警部ボルーフカの最後』がノミネートされた年の受賞作はマイクル・ディブディン『血と影』。また、同短編集の収録作である"Humbug"は1990年、カナダ推理作家協会賞(アーサー・エリス賞)の最優秀短編賞を受賞している。

 ヨゼフ・シュクヴォレツキーは1924年、チェコ・ボヘミア生まれ。1949年、最初の長編『卑怯者たち』(非ミステリ)を書きあげるが、検閲に阻まれて出版できなかった。1958年にやっと出版が叶うが、数年後には禁書扱いになる。本名での執筆活動が困難になったため、翻訳家の友人ヤン・ザーブラナ(Jan Zábrana、1931-1984)と合作でミステリの創作を始め、1962年から1967年にかけてドクトル・ピヴォンカ(Doktor Pivoňka)シリーズを3作発表(ヤン・ザーブラナの単独名義での発表)。そしてシュクヴォレツキー名義で最初に発表したミステリが1966年の短編集『警部ボルーフカの憂鬱』だった。1969年には非シリーズ物のミステリ『Lvíče』も発表したが、この年、カナダに亡命。その後はカナダのトロントで作品のチェコ語での出版を続けた。妻のズデナ・サリヴァロヴァー(Zdena Salivarová、1933- )との共著のミステリもある。ハメットやチャンドラーのチェコ語への翻訳も手がけた。

 ジュリアン・シモンズは『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』でヨゼフ・シュクヴォレツキーに以下のように言及している。

ジュリアン・シモンズ『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』(宇野利泰訳、新潮社、2003年5月)、p.447より
 チェコとスペイン両国には優れた犯罪小説作家がいると聞かされたが、スペインのマヌエル・バスケス・モンタルバン、チェコのヨゼフ・シュクヴォレツキー作品はたどたどしい英訳版でしか読んでいないので、価値判断を下すのは差し控えたい。シュクヴォレツキーの描いたボルフカ警部補は、言うなればスウェーデン作家マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー夫妻共作によるベック警部のチェコ版だ。腐敗社会の中で各個人の悪徳を封じ込めるべく苦闘する孤独かつ憂鬱な人物なのだ。

 シュクヴォレツキーのミステリ小説の邦訳は短編集『ノックス師に捧げる10の犯罪』のみ。小説の邦訳はほかに、松籟社の叢書《東欧の想像力》の第6巻として刊行されたヨゼフ・シュクヴォレツキー『二つの伝説』に収録の中編小説2編「エメケの伝説」、「バスサクソフォン」がある(同書はほかにエッセイ「レッド・ミュージック」を収録)。ほかの邦訳にエッセイ「どのように私はドイツ語と英語を学んだか」(石川達夫訳、『文学の贈物 東中欧文学アンソロジー』未知谷、2000年6月)。

ヨゼフ・ネスヴァードバ(1926-2005)

 ヨゼフ・ネスヴァードバ(Josef Nesvadba、1926-2005)はSF作家として有名だが、SF以外に冒険小説、推理小説も執筆した。SF短編は10作ほど邦訳があるが、残念ながらミステリ作品の邦訳はなさそうである。著者名の表記はヨゼフ・ネスワドバ、ヨゼフ・ネズヴァドバ、イョゼフ・ネスヴァドバなどとも。
 1926年、プラハ生まれ。精神科医。1946年から執筆活動を開始。1958年に短編集『ターザンの死』でSF作家デビュー(表題作は『東欧SF傑作集』下巻[創元推理文庫、1980年]に収録、深見弾訳)。ヤン・ヴァイス(Jan Weiss)とともにチェコを代表するSF作家で、チャペックの後継者との評価を受けた。推理小説では長編『黄金の仏像物語』(Případ Zlatého Buddhy)(1960)などがある。この作品は深見弾氏が『ミステリマガジン』1978年8月号であらすじを詳細に紹介している(「ソ連・東欧ミステリ紹介」第3回)。

パヴェル・ヘイツマン(1927- )

 パヴェル・ヘイツマン(Pavel Hejcman、1927- 、チェコのミステリ・データベースサイトPITAVALのヘイツマンのページ)は1960年代初頭から探偵小説、スパイ小説を発表していた作家。邦訳のある『鋼鉄の罠』(Ocelová past)は1982年の作品。ウランを積載した高速輸送船が襲撃され、生き残ったチェコ人の主人公も何者かに命を狙われる。主に南部アフリカを舞台とする謀略・冒険小説である。

 『鋼鉄の罠』(田才益夫訳、発行:有楽出版社、発売:実業之日本社、1996年3月)の訳者あとがきではヘイツマンは1921年生まれ、ホテル学校を卒業後ホテルやレストランで働き、1951年からタクシーの運転手――と紹介されているが、実はこれはミロスラフ・ノイマン(Miroslav Neumann、1921-2009)という別の作家の経歴である。詳しい事情は分からないが、ヘイツマンはミロスラフ・ノイマンの名義を借りて作品を発表したことが複数回あり、『鋼鉄の罠』も1982年の刊行時にはミロスラフ・ノイマンの著作とされていた。おそらく「ミロスラフ・ノイマン」というのが単なるヘイツマンの別名義だと考えて、ヘイツマンの経歴を紹介するつもりで誤ってミロスラフ・ノイマンの経歴を紹介してしまったということだろう。

 日本オリジナル編集のチャペックのエッセイ集『カレル・チャペックの闘争』(田才益夫訳、社会思想社、1996年7月)の訳者あとがき「あとがき―チャペックとチェコ的なもの―」で田才氏は、ヘイツマンの『鋼鉄の罠』とチャペックの『クラカチット』(田才氏によれば一種の冒険小説)を比較しつつ「チェコ的」とはどういうことなのかを考察している。邦訳版『鋼鉄の罠』に対する書評なども引用紹介されている。

パヴェル・コホウト(1928- )

 パヴェル・コホウト(Pavel Kohout、1928- )はミラン・クンデラらと並ぶ現代チェコ文学の巨匠。ミステリ小説は1995年発表の『プラハの深い夜』(田才益夫訳、早川書房、2000年10月)が唯一のものだと思われる。第2次世界大戦末期の1945年、ドイツ占領下のプラハで未亡人ばかりを狙った猟奇的な連続殺人事件が発生。チェコの若手刑事とドイツのベテラン検事のコンビがその捜査にあたる。
 パヴェル・コホウトの邦訳はほかに小説『愛と死の踊り』(大竹國弘訳、恒文社、1993年6月)がある。

ポーランドでミステリ・オールタイムベスト100に選出されたラジスラフ・フクス『火葬人』

 ポーランドの評論家2人が選んだミステリ・オールタイムベスト100(2007年)には、チェコの作品が1作だけ入った。これはちょうど今年邦訳が出ている。ラジスラフ・フクス(Ladislav Fuks、1923-1994)の1967年の作品、『火葬人』(邦訳2012年12月、松籟社 《東欧の想像力》第9巻、阿部賢一訳)(チェコ語原題 Spalovač mrtvol / ポーランド語訳題 Palacz zwłok)である。
 100冊の一覧は「こちら」や「こちら」で見られる。100冊は6つのカテゴリに分けて選出されているようで、『火葬人』はどうやら「文学的なミステリ」(?)または「ミステリと非ミステリの境界的な作品」(?)というようなカテゴリの1冊として選出されているようである。ちなみに『火葬人』と同じカテゴリで選出されている他の作品は、ジョゼフ・コンラッド『密偵』、フリードリヒ・デュレンマット「故障」、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』、ポール・オースター『ガラスの街』、ブレット・イーストン・エリス『アメリカン・サイコ』、ホセ・カルロス・ソモサ『イデアの洞窟』、マイケル・グルーバー『夜の回帰線』、マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』など。
 日本の作品では桐野夏生『OUT』が選ばれている(『火葬人』とは別のカテゴリ)。

 『火葬人』(阿部賢一訳、松籟社《東欧の想像力》第9巻、2012年12月)の訳者あとがきと著者紹介によれば、ラジスラフ・フクスは「巧みな心理描写とグロテスクな細部の描出を特徴とする、怪奇小説とも、心理小説とも評される作品を数多く発表」した作家。探偵小説の愛読者であり、「探偵物や犯罪物、あるいはホラーといったジャンルは、思慮深く、そして趣味よく手が加えられていれば、文学的な価値を低くするものではない」と回想録で述べているという。『火葬人』では凡庸な人間が殺人者に変わっていく様が描かれている。


その他のミステリ

 イジー・ブラベネツ(Jiří Brabenec、1911-1983)&ズデニェク・ヴェセリー(Zdeněk M. Veselý、1927-1992)の『〈虹の入江〉での犯罪』(Zločin v Duhovém zálivu)(1966)は『東欧SF傑作集』下巻(創元推理文庫、1980年11月)巻末の深見弾「東欧SFの系譜」のp.330で挙げられている作品。それによれば、イジー・ブラベネツとズデニェク・ヴェセリーはヨーロッパSF界で名の知れたSF作家で、『〈虹の入江〉での犯罪』は、未来の月を舞台にシャーロック・ホームズ式の古典的捜査が展開されるSFミステリだという。深見氏による作者名のカタカナ表記はイルジ・ブラベネツ、ズデネク・ヴェセラ。また深見氏はタイトルを『〈魂の入江〉での犯罪』と書いているが、これは1967年に出たロシア語版のタイトル『Преступление в заливе духов』に従ったものだと思われる。チェコ語原題は『〈虹の入江〉での犯罪』であり、またロシアでも1988年版では『〈虹の入江〉での犯罪』(Преступление в радужном заливе)というタイトルになっている。「虹の入江」は月に実際にある平原の名称である。

 ヤン・ヴァイス『迷宮1000』(深見弾訳、創元推理文庫、1987年)はチェコを代表するSF小説だが、「探偵」が出てくるので一種の探偵小説として見ることも可能(?)。

(3)現代チェコの代表的な推理作家

 ここでは、国際推理作家協会チェコ支部(ブログ)が前年刊行のミステリの最優秀作に贈るイジー・マレック賞(Cena Jiřího Marka)(1996年~)(受賞作リスト)を複数回受賞している作家をまず挙げておく。この賞は日本でいえば日本推理作家協会賞に当たる賞だが、それとは違い複数回受賞が可能である。同賞を複数回受賞しているのは以下の4人。

  • Jaroslav Velinský (1932-2012、チェコ語版Wikipedia) (1996年、2000年受賞)
  • Jan Cimický (1948- 、チェコ語版Wikipedia)(1998年、1999年、2005年受賞)
  • Ladislav Beran (1945- )(2003年、2007年受賞)
  • Michaela Klevisová (1976- ) (2008年、2012年受賞)

 イジー・マレック賞のその他の受賞者も以下に列挙しておく。

  • 1997年:Milena Brůhová (1931- )
  • 1998年:Zdeněk Volný (1946- 、チェコ語版Wikipedia
  • 1999年:Rudolf Čechura (1931- 、チェコ語版Wikipedia) (のちに同賞の審査員)
  • 1999年:Pavel Frýbort (1946-2007、チェコ語版Wikipedia
  • 2001年:Jaroslav Kuťák (1956- )
  • 2002年:Benjamin Kuras (1944- 、チェコ語版Wikipedia
  • 2004年:Božena Šimková (1935- )
  • 2005年:Viktorín Šulc (1951- )
  • 2006年:Zdeněk Pošíval (1937-2013、チェコ語版Wikipedia
  • 2009年:Ladislav Muška (1928- )
  • 2010年:Roman Cílek (1937- 、チェコ語版Wikipedia) (過去に同賞の審査員)
  • 2011年:Michal Fieber
  • 2012年:Kateřina Kvapilová (1997- ) ※特別賞??

 イジー・マレック賞は1999年だけは特別に過去10年間の作品が対象となり3作が受賞作に選ばれた。1993年刊行のルドルフ・チェフラ(Rudolf Čechura)『シャーロック・ホームズinチェコ』(Dr. Sherlock Holmes v Čechách a jiné případy)はこのときの受賞作の一つ。ホームズパスティーシュを10編収録した短編集である(収録作一覧と2011年版の書影)。

 なお、賞の名前になっているイジー・マレック(Jiří Marek、1914-1994)はこの人→ http://cs.wikipedia.org/wiki/Ji%C5%99%C3%AD_Marek

(4)チェコのミステリ賞

 先に紹介したイジー・マレック賞(日本でいう日本推理作家協会賞)以外のミステリ賞を紹介する。

エドゥアルト・フィッケル賞(Cena Eduarda Fikera)(受賞作リスト) (日本でいう乱歩賞)
 2003年から国際推理作家協会(AIEP)のチェコ支部は独自にエドゥアルト・フィッケル賞を授与している。これは日本でいえば乱歩賞に相当するような賞で、未発表の推理小説を募集し、受賞作は刊行される。2007年から出版社が見つからず休止状態になっていたようだが、2011年に復活。上に貼った「受賞作リスト」ではその後の受賞者名が示されていないが、現在も続いている。

受賞者 受賞作 備考
2003年 František Uher Princip bumerangu
2004年 該当作なし
2005年 Rudolf Čechura Jako zvíře
2006年 Zdeněk Třešňák Špagát
2011年 František Uher Odstín nebezpečí 2003年の受賞者が再度受賞

大鴉賞(Cena Havrana)(受賞作リスト
 国際推理作家協会チェコ支部の短編ミステリコンテスト。

アガサ・クリスティー協会賞(Cena Společnosti Agathy Christie)(受賞作リスト
 国際推理作家協会チェコ支部とチェコのアガサ・クリスティー協会が協力して1999年から授与しているもので、対象は短編小説。チェコ・アガサ・クリスティー協会公式サイトの賞の説明→ http://www.agatha.cz/content/cena-sac

シャーロック・ホームズ協会賞(Cena Společnosti Sherlocka Holmese)(受賞作リスト
 どういう賞なのかは分からない。シャーロック・ホームズ協会(チェコ)のサイトはこちら→ http://www.sherlockholmes.cz/

(5)チェコにおける日本ミステリ

 チェコにおける日本ミステリについては、『東京新聞』1962年1月14日夕刊に掲載のエッセイに興味深いことが書かれているので、まずそれを引用しておく。

佐々木千世「ソ連の推理作家 下 読者の要望に応じたスパイ物」(『東京新聞』1962年1月14日夕刊、8面)
 ソ連でのこうした意外な推理小説の話題に楽しんだのち、私はチェコスロバキアへ行った。ここで一カ月大学の講義や見学や、プラハ郊外の“作家の家”で行なわれた作家たちとの会合など、あわただしく時を過ごし、プラハを発つ直前、私はチェコの文学雑誌「世界文学」(スベト(ママ)・リテラトゥラ)の編集部からインタビューの申し込みを受けた。
 この雑誌は標題も示すとおり、外国文学の作品や論文を紹介する月刊誌で、なかなか活発な活動をしている。日本文学にも関心が強く、近日取り上げてみたいと、芥川竜之介、川端康成、三島由紀夫(、)中村真一郎などの名をあげていた。
 ところがこの雑誌の編集者の特に欲しがっているのが、なんと日本の探偵小説なのである。この時もたっての依頼を受けたのは探偵小説の専門誌と新刊の紹介であった。
 帰国早々でまだこの約束を果たしていないが、日本の推理小説の人気が今や東欧の国にも伝わっているのかとおもしろかった。
 プラハで会ったポーランドの学者の話では、ポーランドでもミステリーが人気を呼んでおり「探偵小説を書いていれば、作家で食える」ということだった。
 いずれにせよ、共産圏の推理小説が、とかく動脈硬化を起こしがちな文学界の一つの突破口になっているらしいのは興味ある現象といえよう。

 佐々木千世氏の紹介によるものかは分からないが、1962年にはエッセイ中に出てくるチェコの文学雑誌『世界文学』(Světová literatura)に松本清張の短編「遭難」のチェコ語訳"Neštěstí"が掲載されている。また、1964年には松本清張の長編『点と線』のチェコ語訳が刊行されている。

 以下、日本ミステリ(およびその周辺作品)のチェコ語訳書を目についた限りで挙げておく。


 2007年には日本ミステリアンソロジー『夢埋葬』(11編収録)が刊行されている。

Pohřbení ve snu : Deset a jedna japonská detektivka http://www.kosmas.cz/knihy/133616/pohrbeni-ve-snu/
1 佐野洋 (Jó Sano) 「不運な旅館」 Nešťastný hotel
2 日下圭介 (Keisuke Kusaka) 「夢埋葬」 Pohřbení ve snu
3 笹沢左保 (Saho Sasazawa) 「父子の対話」 Rozhovor otce se synem
4 仁木悦子 (Ecuko Niki) 「粘土の犬」 Hliněný pes
5 松本清張 (Seičó Macumoto) 「一年半待て」 Počkej rok a půl
6 山村正夫 (Masao Jamamura) 「武者人形」 Loutka válečníka
7 菊村到 (Itaru Kikumura) 「謎とき」 Rozluštění záhad
8 夏樹静子 (Šizuko Nacuki) 「懸賞」 Krajská cena
9 高橋克彦 (Kacuhiko Takahaši) 「傷の記憶」 Vzpomínky na zranění
10 西村京太郎 (Kjótaró Nišimura) 「優しい脅迫者」 Laskavý vyděrač
11 石沢英太郎 (Eitaró Išizawa) 「視線」 Pohled

 2013年にチェコで刊行されたミステリアンソロジー『Světové krimipovídky』(ネット書店リンク)に法月綸太郎「都市伝説パズル」のチェコ語訳"Záhada městské legendy"が収録されている。このアンソロジーは2009年にイギリスで刊行された『The Mammoth Book Best International Crime』をチェコ語訳したもの。

チェコミステリについての文献

◆イェジィ・エディゲイ(ポーランド)『顔に傷のある男』(深見弾訳、ハヤカワ・ミステリ1292、1977年)訳者あとがき

 『顔に傷のある男』の訳者あとがきで深見氏は、「この機会に、せめて作家の名前でも並べて、東欧にもミステリがあることを知っていただきたい」として、東欧の推理作家の名を列挙している。チェコスロバキアの作家として挙げられているのは、G・プロシコワー、E・フィッケル、J・ワグ、J・ネスヴァートバの4人。このうち「E・フィッケル」は当ページで紹介したエドゥアルト・フィッケル、「J・ネスヴァートバ」はヨゼフ・ネスヴァードバのことだろう。「G・プロシコワー」はおそらくハナ・プロシコワー(ハナ・プロシコヴァー)(Hana Prošková、1924-2002)のことで、「H・プロシコワー」と書くべきところを誤植したのではないかと思われる。「J・ワグ」については分からない。

◆曹正文(そう せいぶん)『世界偵探小説史略』(1998)第十四章 前苏联与东欧的侦探小说 (旧ソ連と東欧の探偵小説) 第三節 东欧文学中的侦探小说 (東欧文学の中の探偵小説)

 中国で刊行されたこの推理小説史では東欧の推理小説への言及がある。「第三節 東欧文学の中の探偵小説」で名前が挙げられているチェコの作家はエドゥアルト・フィッケル(艾德华·菲克尔)、ヨゼフ・ネスヴァードバ(约瑟夫·涅斯瓦德巴)、ヴァーツラフ・フォルプレヒト(瓦茨拉夫·福尔普列特、Václav Folprecht)の3人。フィッケルはチェコミステリの基礎を築いた人と紹介されており、代表作として探偵カルリーチェク・シリーズ(スパイ小説シリーズ)の『Série C-L』(C-L行动)が挙げられ、その内容が紹介されている。
 あとの2人は代表作がそれぞれ1作挙げられているのみ。ネスヴァードバは『金佛的故事』(『黄金の仏像物語』のことだろう)、ヴァーツラフ・フォルプレヒトは『罰球的謀殺案』(罚球区谋杀案)。

  • 瓦茨拉夫·福尔普列特『罚球区谋杀案』(黄河文艺出版社、1987年12月)(リンク) … 1969年刊行のVáclav Folprecht『Smrt v pokutovém území: Kriminální příběh』か? 1982年、ロシア語訳「Смерть в штрафной площадке」が『Спортивный детектив』(ネット書店リンク)に収録されている。

◆未訳のチェコミステリの紹介

  • 『ミステリマガジン』1978年8月号、深見弾「ソ連・東欧ミステリ紹介」第3回 - ヨゼフ・ネスヴァートバ『黄金の仏像物語』のレビュー
  • 『ミステリマガジン』2008年6月号、洋書案内〈世界篇〉、佐々木和子「チェコ社会が垣間見える巨匠のミステリ」 - ヨゼフ・シュクヴォレツキー『警部ボルーフカの憂鬱』のレビュー

 深見弾氏の「ソ連・東欧ミステリ紹介」は1978年3月号、6月号、8月号、10月号、12月号、1979年3月号の全6回掲載。

◆その他


更新履歴

  • 2013年11月3日…パヴェル・ヘイツマンについての記述を追加。(ヘイツマン『鋼鉄の罠』の存在は、Twitterを通じて川出正樹氏にご教示頂いた)
  • 2013年11月4日…カレル・チャペックの探偵小説論「シャーロック・ホームズ覚え書き、または探偵小説について」および短編集『受難像』、哲学三部作についての記述を追加。
  • 2013年11月30日…A・B・シュチャストニーの探偵レオン・クリフトン物、ヴァーツラフ・ジェザーチの『かじ屋横丁事件』についての記述を追加。


関連記事


最終更新:2013年11月03日 19:46