2011年11月8日
「韓国ミステリ史」は、20世紀初頭から現代(2011年)までの韓国の探偵小説/推理小説/ミステリの歴史を、第一章から第五章(+特別編2ページ)の全7ページに分けて紹介するものである。
『韓国ミステリ史 第一章』では、そのうち20世紀初頭から1930年代までを扱っている。
目次
はじめに
かつては“近くて遠い国”といわれた韓国も、近年では映画「シュリ」(
Wikipedia)が日本でも大ヒットしたり、日本のアイドルが韓国で人気を博すなど、しだいに身近な存在になりつつあります。しかし、ことミステリに関しては、日本の作品がいくつか輸出されているだけで、彼の地の現状はまだまだ未知数。そこで今月号は、ミステリを中心に、SF、映画、文学など、韓国の最新文化事情について探ってみます。(中略)これが日韓友好のささやかな一歩となりますように。
それから10年。引用中では「日本の作品がいくつか輸出されているだけ」とされているが、いまや韓国では日本のミステリが年間100タイトル近く翻訳刊行されている。しかし一方で、いまだに日本に住む多くの人にとって韓国ミステリ界は未知のものである。
このページでは、韓国で唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』の編集長を務めるパク・クァンギュ(朴光奎/박광규)氏が書いたいくつかの記事を基礎資料として、韓国推理小説の100年の歴史を紹介する。
【注】 人名の表記について
ここ数年は、韓国の人物の名前は【1】漢字で表記して現地の読みで振り仮名を振るか、または【2】漢字を使用せずに発音通りカタカナで書くかのどちらかが普通である。「読む」ということだけを考えればどちらでも問題ないが、「入力する」というときに前者は大いに問題になる。たとえば、2009年に邦訳が出ている韓国の推理作家に李垠がいる。仮に何かの紙媒体で彼の名前を見掛けて、気になってネット上で検索してみようとした時に、「垠」は読み方が分からないので入力できない(入力が面倒)という問題が発生する。ほかにも、韓国のミステリ作家の名前を見ていると、白恷、黄世鳶、鄭建燮、柳禹提など、入力の仕方が分からない文字が頻発する。
そのためこのページでは、作家の名前は基本的に現地の発音通りでカタカナ書きとし、補助的に後ろに漢字を付けることにする。ただし、日本ですでに漢字表記で知られている作家名についてはその限りではない。
第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期
第一節 韓国初の創作探偵小説は何か
韓国ミステリの草創期については韓国でもまだ研究の途上にあり、ここ10年でも「韓国初の創作探偵小説」とされる作品は何度か変わっている。2011年現在、日本語で書かれた韓国ミステリ概説としてもっとも詳しいと考えられる3つの資料を見てみよう。
- 鄭泰原「韓国ミステリ事情」(早川書房『ミステリマガジン』2000年10月号)
- 金容権「現代の韓国ミステリー事情」(光文社『ジャーロ』4号(2001年夏号))
- 米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(李垠『アジア本格リーグ3 美術館の鼠』講談社、2009年11月、巻末解説)
この中では、
金容権「現代の韓国ミステリー事情」(2001)が
「韓国の推理小説は金来成に始まる」という韓国での通説を紹介している。
金来成は1935年に日本の探偵雑誌『ぷろふいる』(
Wikipedia)でデビューし、1937年からは韓国(朝鮮)で推理作家として活躍した人物である。単に紙幅の関係でそれ以前の歴史を省略しただけかもしれないが、この通説は、「韓国で最初に探偵小説を書いたのは金来成だ」と誤って拡大解釈される場合があるので注意が必要である。
金来成は日本でいえば江戸川乱歩に相当する人物であり、江戸川乱歩以前に黒岩涙香らの先達がいるのと同じように、
金来成以前にも推理小説を書いていた人物はいた。近年日本で刊行された『近代朝鮮文学日本語作品集』では、金来成が『ぷろふいる』で発表したデビュー作(日本語作品)
「楕円形の鏡」(1935)が「朝鮮で最初の探偵小説である」(1901-1938 創作篇 第5巻)、「朝鮮人による最初の探偵小説である」(1901-1938 評論・随筆篇 第3巻)とされているが、これは誤りである。
次に、韓国推理作家協会の鄭泰原氏による「韓国ミステリ事情」(2000)を見てみよう。これは韓国でも屈指のミステリ評論家・翻訳家・収集家である氏の手によるものなので信頼が置けるが、これによれば韓国初の創作探偵小説は純文学作家のチェ・マンシク(蔡萬植)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で書いた1934年の新聞連載作品『艶魔』だという。
上で見た2つの資料は2001年以前のものだが、その後2002年に韓国の新聞『中央日報』に「
韓国初の推理小説『血の袈裟』発見」(2002年10月15日付け、リンク先韓国語)という記事が載っている。この記事では、1926年に
パク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が発表した
『血の袈裟』(原題漢字表記:『血袈裟』)という作品が発見されたと報じられている。これはチェ・マンシクの『艶魔』(1934)や、それ以前の初の探偵小説だとする議論が当時あった
チェ・ドッキョン(최독견)の
『死刑囚』(1931)よりもさらに古いことになる。この『血の袈裟』は、韓国唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』に全文復刻されたが、中央日報にすぐさま別の説が提出されるなど、韓国初の創作探偵小説をめぐる議論は紛糾した(中央日報2002年10月23日付け記事「
最初の推理小説 「迷宮」にはまる」(リンク先韓国語))。
東アジアのミステリは、中国を起源に日本や韓国などに広まった「裁判小説」にその源流の一端があり、それを基層にして欧米の「探偵小説」を受容することで東アジアの探偵小説が誕生した。そのため、韓国初の創作探偵小説を探る場合にも、作品が「裁判小説」の単なる発展形なのか、それとも欧米探偵小説の影響下に生まれた「探偵小説」なのかが議論になる。上記の記事「
最初の推理小説 「迷宮」にはまる」では、
イ・ヘジョ(李海朝)(1869-1927)が1908年末から1909年初めにかけて新聞連載した
『双玉笛』が最初の「探偵小説」と呼べるか否かが議論になっている。
そして2011年現在では、米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(2009)等で示されているように、この『双玉笛』を韓国初の創作探偵小説だとするのが一般的のようである。
第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛』
韓国では「新小説」(
Wikipedia)の担い手として知られる
イ・ヘジョ(李海朝)(이해조)(
韓国語版Wikipedia)は1869年生まれ(比較のために示すと、コナン・ドイルが1859年生まれ、黒岩涙香が1862年生まれである)。1907年に帝国新聞に入社し『帝国新聞』(제국신문)紙上で小説を次々と発表。1908年末から1909年初めにかけて、韓国初の探偵小説とされる
『双玉笛』(サン オクチョク/쌍옥적/雙玉笛)(
写真)を連載した。
鄭刑事が、笛のうまい兄弟の強盗殺人犯を追うというストーリーの作品である。裁判小説の流れをくむものだが、「犯罪の発生 - 事件の捜査 - 解決」という構成を備えており、また探偵役が偶然ではない証拠と推理で事件を解決することから、韓国初の創作探偵小説だとされる。またこの作品は、タイトルの角書きとして「偵探小説」(정탐소설、偵探小說)ということばが添えられているので、そのことからも、この作品が従来の「裁判小説」とは一線を画す「探偵小説」として書かれたことが分かる。
イ・ヘジョはその後、1910年には毎日新報に入社し、『毎日新報』紙上で小説を発表。1912年には、探偵小説『九疑山』(きゅうぎ さん)(구의산)を連載している。新婚初夜、花嫁が目をさましてみると夫の首がなくなっている。妻は復讐を誓い男装の探偵となって犯人を捜索する――というストーリーである。
なおイ・ヘジョは、1908年、ジュール・ヴェルヌのSF小説"Les 500 Millions de la Bégum"(1879)(現在の邦題:インド王妃の遺産)の日本語訳(または中国語訳)を韓国語に翻案した『鉄世界』を発表しており、韓国でのSF小説の紹介にも貢献している。(1907年にヴェルヌの『海底二万里』が韓国語になっており、これが韓国に紹介された最初のSF小説とされている)
同時代のアジアの動向
- 日本では、須藤南翠「殺人犯」(1888年)、または黒岩涙香「無惨」(1889年)が初の創作探偵小説だとされる。
- 中国では、1885年発行と推定される知非子「冤獄縁」が初の創作探偵小説だとされている。ただし、中国に初めて欧米の探偵小説が翻訳されるのよりも11年も早いことから、その発行年に関しては議論がある。
第三節 探偵小説専門作家不在の時代
前述の通り韓国ではイ・ヘジョが先駆的に創作探偵小説を発表したが、この時期にはまだ欧米の探偵小説の韓国語への翻訳はなされていなかった。その後、1910年代以降、欧米の探偵小説の韓国語への翻訳が少しずつ進み、創作探偵小説も次第に増えていく。
(1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説
韓国(朝鮮)では1910年代から1920年代にかけて、日本の小説(翻案小説含む)を翻案した作品が人気を博していた。黒岩涙香の翻案小説もいくつか再翻案されている。主なものを以下に示す。
※原著のタイトルおよび初出年、黒岩涙香の作品の初出年については、今のところWikipediaでざっと調べただけです。後に調べなおします。
再翻案 |
黒岩涙香による翻案 |
原著 |
ミン・テウォン 『哀史』(1910)(2008年版) |
黒岩涙香 『噫無情』(1902) |
ヴィクトル・ユーゴー 『レ・ミゼラブル』(1862) |
イ・サンヒョプ 『貞婦怨』(1914)(2007年版 上巻、下巻) |
黒岩涙香 『捨小舟』(1894) |
メアリー・エリザベス・ブラッドン 『Diavola』(1866) |
イ・サンヒョプ 『海王星』(1916)(2007年版 上巻、中巻、下巻) |
黒岩涙香 『巌窟王』(1901) |
アレクサンドル・デュマ 『モンテクリスト伯』(1844) |
ミン・テウォン 『鉄仮面』(1922)(2008年版 上巻、下巻) |
黒岩涙香 『鉄仮面』(1892) |
フォルチュネ・デュ・ボアゴベ 『サンマール氏の二羽のつぐみ』(1878) |
以上の4作品は、2007年から2008年にかけて韓国で刊行された叢書「韓国の翻案小説」(한국의 번안 소설)(全10巻(6作品))で刊行されている【注1】。19世紀末から20世紀初頭にかけて、黒岩涙香の作品はほかに中国語にも翻訳されていた。この当時、黒岩涙香は日本のみならず東アジア中を席捲していたのである。
- 注1:同叢書で刊行された残りの2作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』を翻案したチョ・ジュンファン『長恨夢』(1913)(2007年版)と、菊池幽芳の『己が罪』(1899)を翻案したチョ・ジュンファン『双玉涙』(1910年代?)(2007年版)である。『金色夜叉』の登場人物「貫一とお宮」は有名だが、その翻案作品『長恨夢』の登場人物「イ・スイルとシム・スネ」(이수일 と 심순애)も、韓国では知らない人がいないぐらいの有名なキャラクターであるらしい。また、『金色夜叉』は未完作品だが、その翻案作品『長恨夢』はハッピーエンドで終わるとのこと。
(2)その他の翻訳・翻案探偵小説
初めて韓国語になった欧米の探偵小説は、1918年に『泰西文芸新報』(태서문예신보)に掲載された「忠僕」(충복)だとされる。これはコナン・ドイルのホームズ物の短編"The Adventure of the Three Students"(邦題:三人の学生)の翻案である。ホームズの韓国での受容については、パク・チニョン(박진영)氏がブログの記事でまとめている。
この当時に紹介された欧米の探偵小説は、主に日本から入ってきたドイル、ポー、ルブラン、ヴァン・ダインなどだった。翻訳者にはヤン・ジュドン(梁柱東/양주동)(
韓国語版Wikipedia)、キム・ユジョン(金裕貞/김유정)(
Wikipedia)(『ベンスン殺人事件』を『도둑맞은 보석』として翻訳、死後に雑誌連載された)、ヨム・サンソプ(廉想渉/염상섭)(
Wikipedia)など純文学界で活動していた人も見られる。
パク・チュンピョ(朴埈杓)(박준표)は1923年には探偵小説『飛行の美人』(비행의 미인)(韓興書林)を出している。これはパリを舞台にした「ジゴマもの」だという(李建志1994)。パク・チュンピョは1926年には探偵小説『黒い箱』(原題『黒箱子』(흑상자))(
デジタルハングルミュージアム)を出した。この原作者はアメリカのFred Jacksonだというが、何者なのかはよく分からない。『飛行の美人』の方もおそらく翻案だろう。
この時期の韓国の翻訳・翻案小説についての研究にパク・チニョン(박진영)氏の『
翻訳と翻案の時代』(번역과 번안의 시대)(2011年8月)があるが、未見。パク・チニョン氏は上で示した叢書「韓国の翻案小説」の編者でもある。
(3)1920年代~1930年代の創作探偵小説
この時期の探偵小説は翻訳・翻案が主流だったが、1920年代半ばから再び創作探偵小説が登場する。1926年に
パク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が
『血の袈裟』(血袈裟、혈가사)を刊行(最初の発表は雑誌で、1920年ごろ。ウルサン新聞2010年1月6日記事「
韓国最初の探偵小説「血の袈裟」」(韓国語)参照)。しかしこれは警察にすぐに押収されてしまい、世に知られず埋もれてしまった。
児童文学作家の
パン・ジョンファン(方定煥)(방정환)(1899-1931)(
韓国語版Wikipedia)は、児童向けの探偵小説『妹を探しに』(동생을 찾으러)(1925)(
2009年9月版)、『チルチル団の秘密』(칠칠단의 비밀)(1926)(
1999年版、
2002年版、
2010年5月版、
2010年8月版)、『少年三台星』(소년삼태성)、『少年四天王』(소년사천왕)を発表した。また、「怪男女二人組」(괴남녀 이인조)というコミカルな短編や、外国の短編を訳した「誰の罪?」(누구의 죄?)などの作品が大衆雑誌に掲載されている。探偵小説を発表する際には北極星(북극성)という筆名を使っている。
1930年代に入ると、1931年にチェ・ドッキョン(최독견)が『死刑囚』(사형수)を連載、1933年にはキム・ウンジョン(김운정)が『怪人』(괴인)を発表(連載??)している。
特筆すべきは、純文学作家として知られる
チェ・マンシク(蔡萬植)(채만식)(1902 - 1950)(
Wikipedia)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で、1934年に『朝鮮日報』に探偵小説
『艶魔』(염마)(1987年の『
채만식 전집 1 - 인형의 집을 나와서/염마』等に収録)を連載していることである。チェ・マンシクは早稲田大学英文科中退の純文学作家で、当時は『朝鮮日報』の記者。『艶魔』の連載当時、著者のソ・ドンサンがチェ・マンシクと同一人物だと知っていたのは一部の関係者だけで、この事実は1987年に初めて公になった。『艶魔』には名探偵ペク・ヨンホ(백영호)が登場。27歳の独身男性で、シャーロック・ホームズを思わせる設定がなされているという。
またほかに、
キム・ドンイン(金東仁)(김동인)(1900-1951)(
Wikipedia)などの韓国を代表する文学作家もペンネームでスパイ小説に近い作品を発表している。
最近の韓国では、今まで忘れ去られていた探偵作家の発掘が進んでいる。韓国のミステリ雑誌
『季刊ミステリ』2010年秋号(第29号)の特集「戦前の忘れられた二人の作家」では、
シン・ギョンスン(신경순)と
チェ・ユボム(최유범)が取り上げられている。この号は入手できていないので詳細は分からないが、シン・ギョンスンには推理短編「巌窟の血闘」(암굴의 혈투)、「ミカドの地下室」(미까도의 지하실)、「血塗れの手帳」(피묻은 수첩)、「第二の密室」(제2의 밀실)、チェ・ユボムには推理短編「スナ惨殺事件」(순아 참살사건)、「嫉妬する悪魔」(질투하는 악마)(1933)、「K博士の名案」(K박사의 명안)、「婚約者の魔性」(약혼녀의 악마성)(1934)、「誰が殺したか!」(누가 죽였느냐!)がある。(チェ・ユボムについては
http://churi4u.tistory.com/3 も参照)
1937年には金来成が登場し、初の探偵小説専業作家として活躍を始める。金来成については別のページでまとめた。
戦前の韓国推理小説については、日本語の文献としては李建志(り けんじ)氏の東京大学大学院修士論文『京城の探偵小説』(1994)があるが、未見。また韓国語の文献では、オ・ヘジン(오혜진)氏の『
1930年代韓国推理小説研究』(2009年)があるが、未見。
第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説
この時期の韓国探偵小説で、一般流通の書籍・雑誌等に訳載された作品は見当たらない。金来成が韓国語で発表した短編変格探偵小説「霧魔」(1939)は拙い訳ではあるが当サイトで公開している。
参考文献
最終更新:2011年10月17日 15:33