民明書房刊『桃月の偉人たち 第6版』

一条 燦(いちじょう さん)


1969年にロッテオリオンズに入団した一条燦は、監督とグラブ捌きに付いて口論したこともあり、その年のオフに自由契約となってしまう。しかし、テストで西鉄に入団し、翌シーズンでは、プロ2年目ながら3割30本30盗塁を達成する。西鉄に3年間在籍した後、本人の意向により広島に移籍し、さらに3年後、今度は阪急に移籍し、優勝に貢献した。その後は各球団を転々とし、1988年にはとうとう 12球団を渡り歩いてしまった。西鉄時代からの変わったパフォーマンスや12球団を渡り歩いたこともあり、ファンの間からは「次に何処のチームに行くのか、一条燦は俺(が応援しているチーム)の嫁(自分のチームに来て欲しいという意)」と呼ばれていた。しかし、1989年、最初に入団したロッテに戻ってきた一条は奇しくも、自分の誕生日の6月6日に、トラックに撥ねられて死んでしまう。一条はその年の秋に出産を控えた妻がおり、「自分の子供が見たかった。残念だ」と病院のベットの上で発言したのを最後に、家族、球団のオーナー、試合中にもかかわらず駆けつけた監督に見守られながら天国へと飛び立った。その後、無事生まれた子供は、父親譲りの変わったパフォーマンスや天才的な行動により、一部関係者からは「昔の父親を思い出す。父の高校時分の愛称一条さんで呼ぼう」といった一連の流れはあまりにも有名で、現在、桃月学園に在学中の子供が一条さんと呼ばれているのは至極当然のことだろう。

民明書房刊『桃月の偉人たち 第6版』より。


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最終更新:2007年08月09日 14:59
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