1930年代の朝鮮京城を舞台にしたシャーロック・ホームズパスティーシュ『京城探偵録』

2010年12月10日記事作成



京城(けいじょう)探偵録』(原題:경성탐정록/原題漢字表記:京城探偵錄/原題発音:キョンソン タムジョンノク)
  • 作者:ハン・ドンジン
  • 原案:ハン・サンジン(作者のハン・ドンジンの弟)
  • 鶴山文化社、2009年1月、ISBN 978-89-258-2409-3
  • 名探偵ソル・ホンジュが漢方医ワン・ドソンとともに事件を解決していく「京城(けいじょう)探偵録」シリーズの短編を5編収録。
  • 邦訳なし。
  • 2011年10月、韓国のミステリレーベル《BOOK HOLIC》(刊行作品一覧)でシリーズ第二短編集『血の絆』(피의 굴레)が刊行された。

このページについて

 このページでは、韓国で2009年に刊行された推理小説『京城探偵録』を紹介しています。この小説は舞台を1930年代の朝鮮に設定し、名探偵ソル・ホンジュが漢方医ワン・ドソンとともに難事件を解決していくというもので、その名前から推察される通り、シャーロック・ホームズシリーズの(広義の)パスティーシュと言える作品です。(ほかに、日本人の名前としてはちょっと奇妙ですが、零七礼島(れいしち・れいとう)警部や拝田名神(はいだ・めいしん)警部などが登場します。二人の警部の名前の由来、みなさんは分かるでしょうか?)
 この『京城探偵録』、1年半ほど前に入手してからまだ手をつけていなかったのですが、なんと先月(2010年11月)、作者のハン・ドンジン氏ご本人からツイッター上で突然メッセージをいただき、ハン・ドンジン氏ご本人が日本語で紹介文を書いてくださることになりました。以下の「梗概」、「人物紹介」、「各短編のあらすじ」は、作者のハン・ドンジン氏に韓国語で書いたもの及びそれを日本語に訳したものを送っていただき、私が両方を対照させながら修正したものです。作者紹介と、韓国でのシャーロック・ホームズの受容に関する補足記事は私が書きました。
 実のところ、韓国語の勉強はあまり進んでいないので、実際にこの作品を自分で読めるのは当分先になりそうです。日本のどこかの出版社が邦訳版を刊行してくださることを切に希望しております。

梗概

 1931年、日本の統治下にある朝鮮の首都・京城(けいじょう)(現在のソウル)は、大恐慌の余波と満州事変の衝撃で混乱に陥っていた。数百年にわたって京城の中心地だった鐘路(しょうろ)(チョンノ)、日本人街となっていた本町、黄金町、屈指の繁華街である南大門など、広大な京城では、ときに誘拐や殺人などの凶悪事件が発生する。
 警察ですら解決できない難事件。しかし、京城にはそれを解決する一人の名探偵がいた。彼の名前はソル・ホンジュ。彼は親友の漢方医ワン・ドソンとともに、論理的・科学的な推理力で事件を次々と解決していく。

人物紹介

ソル・ホンジュ (설홍주) - Sherlock Holmes
24歳。朝鮮人。東京大学数学科卒。地方の大地主の次男で、現在は京城で下宿暮らしをしている。職はないが、その推理力を見込まれしばしば事件解決の依頼が舞い込む。難事件、不可思議な事件では総督府の警察にも協力するが、政治的な事件――社会主義運動や独立運動などに関わる事件では決して捜査に手を貸さない。
日本語、英語にも堪能。趣味は音楽鑑賞で、レコードを多数所有している。
(右は、作者のハン・ドンジン氏ご自身が描いてpixivにアップしている探偵ソル・ホンジュのイラスト。大きい画像はこちら

ワン・ドソン (왕도손) - Watson
23歳。中国人。東医学(とういがく、韓国の漢方医学)を学ぶため朝鮮を訪れている。朝鮮語は堪能だが、日本語はまったく分からない。ソル・ホンジュとは下宿友達で、ソル・ホンジュが事件を引き受けるとワン・ドソンはその横について事件の推移を観察する。
現在は、京城で暮らす中国人の診察をして生活費を稼いでいる。
(作者のハン・ドンジン氏ご自身が描いたワン・ドソンのイラストはこちら

ソン・ダイク博士 (손다익 박사) - Dr. Thorndyke
中年の外科医。豊かなカイゼル髭が特徴。鐘路(チョンノ)警察署の検視医も務める。優れた推理力により何件かの殺人事件の解決に貢献している。周りからは「ソン博士」と呼ばれている。

ホ・ドスン夫人 (허도순 부인) - Mrs. Hudson
ソル・ホンジュとワン・ドソンが住む下宿の大家。気が強い。未亡人である。

零七礼島(れいしち・れいとう)警部 (레이시치 레이토우 경부) - Inspector Lestrade
鐘路(チョンノ)警察署の警部。殺人・強盗・傷害事件担当(現代の日本の「捜査一課」にあたる)。手に負えない事件が起こるとソル・ホンジュに協力を依頼する。

拝田名神(はいだ・めいしん)警部 (하이다 메이신 경부) - Inspector White Mason
本町警察署の警部。殺人・強盗・傷害事件担当。零七警部とは反りが合わない。

キム・ドゥハン (김두한)
短編「川辺の風景」に登場する、清渓川の乞食少年。
※実在の人物。詳細はWikipediaの記事「金斗漢」参照。

各短編のあらすじ

各短編のタイトルは、世界的に有名な推理小説や、韓国の有名な文学作品から取られている。

1)運のよい日

(タイトルは玄鎮健(ヒョン・ジンゴン)の短編小説「運のよい日」より)
 ある日、ソル・ホンジュの後輩で日本に留学していたキム・スヨンが久々に帰国してソル・ホンジュのもとを訪れる。キム・スヨンは、東京で朝鮮人留学生の仲間内で酒を飲んでいる最中、親友のホ・ミョンジュが狭い小道で突然失踪したという事件を語る。ソル・ホンジュは、推理によってそれがホ・ミョンジュによる狂言であることを看破する。
 その後、キム・スヨンは、自分の親友の父ユ・ウォンギが京城市内で拉致され、誘拐された事件を話し始める。現在は警察が捜査をしているところだという。
 キム・スヨンが帰ったのち、ワン・ドソンは数日前に見かけた奇妙な人力車夫について話すが…。 (原題:운수 좋은 날)

2)黄金四角形

(タイトルはアルセーヌ・ルパンシリーズの「黄金三角」より)
 延禧(ヨンヒ)専門学校の数学・物理学科の学生ナ・イルサンがソル・ホンジュのもとを訪れ、父親が隠した財宝を探してほしいと依頼する。彼の父は死の直前に、二つの手掛かりを残したという。ひとつは13代から15代までの先祖に関する話。もうひとつは死の間際に叫んだ「ゴルム(肥料)が…、ゴルムが…」という最後のことば。
 ソル・ホンジュはただちに江原道(カンウォンド)にあるナ・イルサンの家に赴く。ソル・ホンジュは財宝を探す手掛かりはナ氏の族譜【注:家系図の非常に詳しいもの】の13代から15代までを記録した部分にあると考え、族譜を徹底的に調査するが、そこにはどんな手がかりも見出せなかった…。 (原題:황금 사각형)

3)狂画師

(タイトルは金東仁(キム・ドンイン)の短編小説「狂画師」より)
 裸の女が無残に殺害された死体で発見される。女の顔と指はかなづち状の凶器でつぶされており、身元を明らかにする手掛かりはまったくない。死体が発見された場所は、キム・スンテクという画家の家。死んだ女性とよく似た体つきの女性を描いた西洋画が事件現場のキャンバスにかかっていたことから、死んだ女性はヌードモデルだと推察された。
 零七警部は画家のキム・スンテクが犯人であると断定し、キム・スンテクの捜索に捜査を集中させるが…。 (原題:광화사 [狂畫師])

4)川辺の風景

(タイトルは朴泰遠(パク・テウォン)の長編小説「川辺の風景」より)
 キム・ドゥハンという乞食少年がソルのもとを訪れ、自分たち乞食仲間の失踪した親分を探してほしいと懇願する。
 数日前、真夜中の本町通りの淸香館(セイキョウカン)で宿泊客が殺害される事件が起こった。宿泊客のシライ・シンタロウはズボンを脱がされ頭を割られて殺害されたが、犯人はそのズボンを振りまわしながら警察の追跡を振り切って逃走した。キム少年たちの親分は、傷害の前科があり男色の趣味がある男だったため捜査線上にあがっているのだ。
 ソル・ホンジュは犯人の逃走経路を逆にたどっていくが、そこで何者かが道端に作った雪だるまを発見する…。 (原題:천변풍경 [川邊風景])

5)にわか雨

(タイトルは黄順元(ファン・スンウォン)の短編小説「にわか雨」より)
 ワン・ドソンが、有名な中華料理店「中華閣」の店主チン氏の往診をすませてからソルのもとに来る時に見た、奇妙な男に関して話す。その男は、仲間とともに洋服姿でコウモリ傘を持って、昼ごろに来てちゃんぽんと餃子を食べることをもう半月の間欠かさず続けていた。この日、昼ご飯を食べ終わる頃ににわか雨が降ったので、ワン・ドソンはその男がコウモリ傘を開くことを予想した。しかし意外にも一緒にいた仲間が外に出て唐傘を買ってきて、その唐傘を一緒に使って店を出ていくのだった。コウモリ傘は開かないまま。
 ソル・ホンジュはこの出来事に興味を持ち、その男がなぜそんな行動をしたのか解き明かそうとするが…。 (原題:소나기)

 注: 本町…現在の忠武路(チュンムロ)、黄金町…現在の乙支路(ウルチロ)

作者紹介

ハン・ドンジン(한동진、韓東珍)
1972年生まれ。男性。ソフトフェア企画者。原案を担当する弟のハン・サンジンとともに創作活動を行っている。探偵ソル・ホンジュが登場する作品は、2006年にミステリ愛好者が集うWebサイト「How Mystery」で公開した「運のよい日」が最初。この作品はミステリファンの間で「かなり完成度の高い新鮮なミステリ」との評を受けて話題になり、2009年にはついに初の単行本としてシリーズ短編5編を収録する『京城探偵録』が鶴山文化社より刊行された。2011年10月には同シリーズの第2短編集『血の絆』を刊行。同短編集に収録の「霧街」(무가)はネット上でも公開している(→Navercast Literature 무가)。
Twitter:@ekkamuth

ハン・サンジン(한상진)
1973年生まれ。男性。ホンイク大学校視覚デザイン学科を卒業し、現在はITベンチャー企業に勤務している。推理小説への関心が深く、2003年より推理小説の1000冊レビューを目指すブログ『極限推理 hansang's world -推理小説1000冊読破』を運営し、日本のミステリを含む多数の推理小説のレビューを書いている。
『京城探偵録』では原案を担当。ほかにも武侠推理小説・ファンタジー推理小説など多数の案を構想し、兄とともに多様なジャンルの創作を進めている。
Twitter:@ModernPPoi

補足記事: 韓国での「シャーロック・ホームズ」の受容

 韓国でシャーロック・ホームズ作品が最初に翻訳されたのは1918年で、訳されたのは短編の「三人の学生」だった。1921年には初めて長編『緋色の研究』が訳されている。*1
 紹介が本格的に始まったのは1955年頃からで、この頃はまだ日本の翻訳本からの重訳だった。その後1977年に、ホームズ、ルパンやハドリー・チェイス、P・D・ジェイムズの作品などが収録された全127巻の推理小説叢書《東西推理文庫》の刊行が開始された。この叢書は韓国内で一大推理ブームを起こしたが、この叢書も日本語からの重訳だった。*2
 韓国推理作家協会(1983年創設)に所属する推理小説評論家・翻訳家のチョン・テウォン(鄭泰原、1954-2011)氏は、1992年以来、原典から翻訳した「シャーロック・ホームズ全集」の企画を多くの出版社に持ち込んだが、韓国ではいわゆる「文学」に対して推理小説はかなり下に見られているところがあり、「誰が大人になってまでシャーロック・ホームズを読むのか」と断られ続けたという。出版のあてのない中でもチョン・テウォン氏は個人的に翻訳を続け、2002年にはついに全8巻の『シャーロック・ホームズ全集』(時間と空間社)として実を結んだ(ネット書店アラジンの該当ページ)。この全集の刊行は、韓国内で「原典からの翻訳ブーム」を引き起こしたという。*3
 上で紹介したホームズの(広義の)パスティーシュ『京城探偵録』の最初の1編がWebサイト上に掲載されたのは、その全集刊行の4年後のことであった。

 *1 셜록 홈스 시리즈 한국어 번역 연표(シャーロック・ホームズシリーズ 韓国語翻訳年表)参照
 *2 鄭泰原(チョン・テウォン)「韓国ミステリ事情」(早川書房『ミステリマガジン』2000年10月号)参照
 *3 東亜日報2003年9月30日付記事「인물 포커스 '셜록 홈즈' 전집 번역해 붐 일으킨 정태원」(人物フォーカス シャーロック・ホームズ全集を翻訳してブームを起こしたチョン・テウォン)参照

 ※韓国におけるより詳細なシャーロック・ホームズ受容史は「こちら」に書いた。