シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(1) ドイツ語圏編

2012年11月17日

Index

ドイツ語圏編(1)ドイツのシャーロック・ホームズ、ジョー・ジェンキンズ(ただしアメリカ人)

邦訳:短編10編ほど

◆『新青年』で翻訳紹介されたジョー・ジェンキンズ・シリーズ

 まずは、フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』が2011年に翻訳出版されて以降、日本国内で非常に盛り上がりを見せているドイツ・ミステリから。

 ドイツでは1910年代、 パウル・ローゼンハイン (Paul Rosenhayn、1877-1929)という作家が ジョー・ジェンキンズ (Joe Jenkins)という探偵を登場させた一連のシリーズ作品を発表している。この作家と探偵の名前を最初に知ったのは、長谷部史親氏の『欧米推理小説翻訳史』(1989年-1992年『翻訳の世界』連載/1992年 本の雑誌社/2007年 双葉文庫)に収録された「ドイツ文化圏の作家たち」を読んだときだった。そこでは探偵ジョー・ジェンキンズは以下のように紹介されている。

長谷部史親「ドイツ文化圏の作家たち」より引用(双葉文庫版『欧米推理小説翻訳史』、p.189)
主人公のジョー・ジェンキンズというのは、名前から自明のようにドイツ人ではなくアメリカ人で、世界的に有名な名探偵という設定になっている。それがドイツにやってきてベルリンやミュンヘンに仮の住居を構え、不可解かつ困難な状況に陥った人々の依頼を受けて捜査に乗り出してゆく。ミュンヘンの下宿先にはフーバア夫人という家政婦を置き、依頼人をひと目見てその人物の一日の行動を言い当てるシーンがあるなど、 さながら“ドイツのシャーロック・ホームズ” の様相を呈している。《中略》ヨーロッパの都市を駆け巡ったこのコスモポリタンの名探偵が、 ホームズのライヴァルのひとりとして記憶される価値は充分にあろう

 『欧米推理小説翻訳史』によればジョー・ジェンキンズ・シリーズは『新青年』に訳載されているとのこと。光文社文庫『幻の探偵雑誌10 「新青年」傑作選』(ミステリー文学資料館編、2002年)の巻末に付されている山前譲氏作成の「「新青年」作者別リスト」でチェックしてみると、パウル・ローゼンハインの作品は1923年から1933年にかけて11編掲載されている。図書館で確認すると、このうち10編がジョー・ジェンキンズ物だった。

『新青年』に訳載されたジョー・ジェンキンズ・シリーズ一覧 (10編)
タイトル 掲載号 ページ 訳者 備考
乾板上の三人 1923年5月号(4巻6号) 202-239 鳥井零水(=小酒井不木)
ルイ十五世の煙草匣 1923年夏季増刊号(4巻10号) 66-83 鳥井零水(=小酒井不木)
白い蘭 1924年新春増刊号(5巻2号) 72-95 鳥井零水(=小酒井不木)
共同出資者 1927年夏季増刊号(8巻10号) 140-158 武村俊二
模造宝石事件 1930年夏季増刊号(11巻11号) 160-179 記載なし
午前三時 1931年新春増刊号(12巻3号) 66-78 記載なし
映画試撮事件 1931年夏季増刊号(12巻11号) 336-355 浅野玄府
1932年2月号(13巻2号) 204-217 浅野玄府
死者甦る時 1932年夏季増刊号(13巻10号) 112-123 浅野玄府
発明家と怪死体 1933年新春増刊号(14巻3号) 404-426 浅野玄府
  • ほかに1926年11月号(7巻13号)にローゼンハインの「Razzia」(p.231-239、斎藤俊訳)が掲載されているが、これはジョー・ジェンキンズが登場しないクライム・ストーリーである。
  • 「「新青年」作者別リスト」にはタイトルと掲載号のみ示されている。ページと訳者は現物で確認した。

 最初の3編を訳している鳥井零水というのは、探偵作家の小酒井不木(1890-1929)の別名である。このうち「白い蘭」に関しては、萌倉望氏の小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」で翻刻されており、オンラインで読むことができる(トップページ>小酒井不木>翻刻ライブラリ(翻訳編))。

 「模造宝石事件」の訳者名は雑誌では記載されていないが、この作品は1930年出版の春陽堂探偵小説全集24『模造宝石事件 他三十一篇』(浅野玄府訳)に収録されているので、訳者は浅野玄府だと分かる。そうなると、「午前三時」も浅野玄府訳である可能性が高いだろう。

 ほかにも、論創ミステリ叢書の『小酒井不木探偵小説選』(論創社、2004年)にローゼンハインの「空中殺人団」が収録されている。これもジェンキンズ物である。訳者は「鶴毛寧夫」という正体不明の人で、雑誌『中学世界』1925年9月号および10月号(28巻9号、10号)に掲載された。なぜこんなものが小酒井不木の探偵小説選に収録されているのかというと、巻末の解題によれば、小酒井不木が『子供の科学』1926年10月号に連載第1回を発表した「不思議の煙」が、その前年に『中学世界』に訳載されたローゼンハインの「空中殺人団」に似ているとの指摘があったのだそうである。不木は「空中殺人団」を読んでいなかったそうだが、この読者の指摘を受けて「不思議の煙」の連載を第1回のみで中止にしている。『小酒井不木探偵小説選』ではこの両作品が比較して読めるようになっているのである。

 ドイツ文学者、ドイツ・ミステリ研究家の福本義憲氏の「ドイツミステリの忘却装置」(ドイツ・ミステリーの館『青猫亭』ドイツミステリの忘却装置)によれば、ジョー・ジェンキンズの初登場は1915年だったそうだ。英語圏の「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」のなかでも代表格である隅の老人(1901年~)、オーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン(思考機械)(1905年~)、ソーンダイク博士(1907年~)らよりもやや遅れての登場ということになる。

◆探偵ジョー・ジェンキンズ・シリーズへの各種言及

(1)ドイツ語圏での言及
 ジョー・ジェンキンズは単に日本で比較的邦訳が多かったというだけでなく、当時のドイツでも国を代表する探偵だと見られていたようである。ドイツの社会学者のジークフリート・クラカウアー(Siegfried Kracauer、1889-1966)は1925年に『探偵小説』(Der Detektiv-Roman)という探偵小説論を完成させている。その邦訳、『探偵小説の哲学』(福本義憲訳、法政大学出版局、2005年)を読むと、序文で「探偵」という存在を明確に形にした作家としてエドガー・アラン・ポー(1809-1849)が挙げられており、その指し示した方向を引き継いだ作家として、イギリスのコナン・ドイル(1859-1930)やフランスのエミール・ガボリオ(1832-1873)、モーリス・ルブラン(1864-1941)と並んで、ドイツの作家ではパウル・ローゼンハイン(1877-1929)が挙げられている(ほかに北欧のミステリ作家も一人挙げられているが、そのことについては「北欧編」で述べる)。そして論考中では、 「シャーロック・ホームズにせよ、ルルタビーユにせよ、ジョー・ジェンキンズにせよ」 (邦訳書p.59)と、英仏の探偵と並べてドイツからは(といっても設定としてはアメリカ人だが)ジョー・ジェンキンズの名を出している。なお、『探偵小説』は1925年に完成していたものの、一部が公開されるにとどまり、全体が公刊されたのは著者の死去後の1971年だそうである。

(2)北欧での言及 (この節は2012年12月17日に追加)
 『ミステリマガジン』1972年11月号~1973年12月号に、デンマーク人のターゲ・ラ・コーア(Tage la Cour、ミステリ作家?)とハラルド・モーゲンセン(Harald Mogensen、1912-2002、ミステリ編集者)の共著『殺人読本 : 絵で見るミステリ史』が連載されている。訳者は隅田たけ子。おそらく、英訳版『The Murder Book: An Illustrated History of the Detective Story』(1971年)を翻訳したものだろう。原典は1969年にデンマークで出版された『Mordbogen: kriminal- og detektivhistorien i billeder og tekst』である。
 1973年11月号の「連載12 その他の外国勢」(「12」と表示されているが実際は連載13回目)を見ると、ドイツ語圏産の作品では探偵ジョー・ジェンキンズ・シリーズと探偵ダゴベルト・シリーズへの言及がある。

  • 「ドイツの作家ポール・ローゼンハインの探偵ジョー・ジェンキンズは、一九二〇年代に英語通用国のあいだですらたいそう人気があった」(p.6)
  • 「バルドウィン・グロルラーのダゴベルト・トロストラーと、ドイツの作家ポール・ローゼンハインの創作した探偵ジョー・ジェンキンズは、ともにほぼ国際的な名声をかちとった」(p.6)

 もっともこれだけだと、探偵ジョー・ジェンキンズ・シリーズと探偵ダゴベルト・シリーズが北欧でも読まれていたのかはいまいち分からない。探偵ダゴベルト・シリーズについてはのちほど紹介する。

◆最近のドイツ語圏での出版状況

 ジョー・ジェンキンズ物の最初の短編集である1915年刊行の『ジョー・ジェンキンズの十一の冒険』(Elf Abenteuer des Joe Jenkins)は、ちょうど今年(2012年)復刊されたようで、日本のamazonでも購入可能になっている(リンク)。ドイツ語が読める方は買ってみてはいかがでしょうか。

(さらに、これはジェンキンズ物なのかは分からないが、ローゼンハインの"Die Drei aus Hollywood"という本も2012年に復刊されており(日本amazon)、しかも同じ作品がKindleでは100円で買えるようである(日本amazon))

ドイツ語圏編(2)オーストリアのコナン・ドイルが生んだ探偵ダゴベルト

※この記事は創元推理文庫から『探偵ダゴベルトの功績と冒険』が出る以前(出ることが発表される以前)に執筆したものです。そのことをご承知の上お読みください。
※著者の姓の表記は当初は従来の表記に従い「グロルラー」としていましたが、創元推理文庫『探偵ダゴベルトの功績と冒険』に合わせて「グロラー」に変更しました。

邦訳:短編3編 (2012年11月の時点で)(同人誌等に掲載された邦訳は除く)

◆創元推理文庫『世界短編傑作集』第2巻の「奇妙な跡」で活躍する探偵ダゴベルト

 ダゴベルトという探偵の名に心当たりがなくても、ダゴベルトが登場する作品を読んだことがある人は結構多いはずだ。ダゴベルト物の1編、 「奇妙な跡」 が江戸川乱歩編の『世界短編傑作集』第2巻(創元推理文庫、1961年)に収録されているからである。全5巻の『世界短編傑作集』の収録作は英語圏の作品がほとんどで、ドイツ語圏から採られた作品はこの「奇妙な跡」のみ。ちなみに、ほかの非英語圏の作品には、第1巻のアントン・チェホフ「安全マッチ」、第2巻のモーリス・ルブラン「赤い絹の肩かけ」がある。

 探偵ダゴベルトの生みの親である バルドゥイン・グロラー (Balduin Groller、1848-1916)は『世界短編傑作集』によると、ハンガリー生まれのオーストリアの作家で、 オーストリアのコナン・ドイル と評されている。「奇妙な跡」は1908年発表の作品で、原題は"Die seltsame Fährte"。1909年刊行のダゴベルト物の短編集『探偵ダゴベルトの功績と冒険』(Detektiv Dagoberts Taten und Abenteuer)所収の作品である。この作品はその後、1927年刊行のヴァン・ダイン編の探偵小説アンソロジー"The Great Detective Stories"(のちに"The World's Great Detective Stories"に改題)に収録されたことで広く世界で知られるようになったという。『世界短編傑作集』第2巻で生年が「1884年」、原題が「Die seltsame Fährite」(余計な「i」が入っている)となっているのは誤植だろう。なお、グロラーが生まれたハンガリーのアラドは、現在はルーマニア領になっている。

 グロラーのダゴベルト物は『ミステリマガジン』でも1編だけ翻訳されている。1975年6月号に掲載された 「匿名の手紙」 である。同誌では1974年2月号(特集:シャーロック・ホームズのライバルたち)から1977年3月号にかけて《シャーロック・ホームズのライバルたち》としていわゆるホームズのライバルたちの短編を訳載しており、これはそのうちの1編(1975年9月号まではほぼ毎号掲載、その後は1976年1・3・5・7月号、1977年3月号に掲載、訳者は基本的に山田辰夫)。のちにこの不定期掲載が母体となって全3巻のアンソロジー『シャーロック・ホームズのライヴァルたち』(押川曠編、ハヤカワ・ミステリ文庫、1983年~1984年)が刊行されているが、これは第1巻と第2巻がイギリス編、第3巻がアメリカ編となっており、オーストリアの作家であるグロラーの作品は収録されなかった。
 「匿名の手紙」に付された紹介文には以下のように書かれている。

『ミステリマガジン』1975年6月号、「匿名の手紙」の紹介文より(明らかな誤植は直した)
グロルラーは1880年頃からジャーナリストとしての自己の体験を生かしてユーモラスな短篇を発表したが、1890年最初の探偵小説「Unter Vier Augen」を著し、以後 オーストリアのコナン・ドイル と評される彼の活躍がはじまる。探偵ダゴベルトが活躍する物語は1910年から1912年の間に発表された6つの短篇集におさめられている。本編は1910年刊行の「Detektiv Dagoberts Taten Und Abenteuer」の中の一編である。背景となっているのは、第一次大戦勃発直前のウィーン上流社会であり、この素人探偵のいささか鼻をつくディレッタントぶりは、あのM・P・シールの「Prince Zaleskie」と双璧といえるだろう。

 ここには特に書かれていないが、1973年にイギリスで"The Rivals of Sherlock Holmes"というドラマシリーズが制作されており、ダゴベルト物の"Anonymous Letters"(匿名の手紙)という作品が放送されているらしい(※Wikipedia情報です)。なぜ突然ダゴベルト物が『ミステリマガジン』に掲載されたのか不思議だったが、時期からいっても、おそらくこのドラマの放送を受けてその原作を翻訳掲載することにしたのだろう。なお、このドラマシリーズではデンマークのアイジル・ホルスト警部補シリーズの"The Sensible Action of Lieutenant Holst"という作品も放送されているようだが(※Wikipedia情報です)、これはおそらく、『ミステリマガジン』2010年11月号に訳載された「理にかなった行動」(1909年)をドラマ化したものだと思われる。アイジル・ホルスト警部補シリーズについては「北欧編」で扱う。

 さて、紹介文を読むと、先ほどの『世界短編傑作集』で示されていた年と少しずれているが、探偵ダゴベルトの活躍譚は1910年から1912年にかけて6冊の短編集にまとめられているようだ。初登場はその数年前だろう。ドイツのジョー・ジェンキンズ(1915年~)よりもダゴベルトの方が数年早く登場したということになる。

◆探偵ダゴベルト・シリーズへの各種言及

(1)ドイツ語圏での言及

 先に触れたクラカウアーの『探偵小説の哲学』(1925年完成)ではバルドゥイン・グロラーへの言及はないが、戦後、1953年にドイツで刊行されたワルター・ゲルタイス(Walter Gerteis、1921-1999)の『名探偵は死なず その誕生と歴史』(邦訳1962年、弘文堂、前川道介訳)ではグロラーの名前が出てくる。ブラウン神父を扱った章の「ホームズの無数の子孫」という小見出しの節である。

ワルター・ゲルタイス『名探偵は死なず その誕生と歴史』、邦訳書 p.148
ある人はホームズ愛好の念から書いた。たとえばドンネル・ボドキン *注 はホームズという有名なお手本にならい、ロンドンの私立探偵ポール・ベックを、バルドゥイン・グロラーは、ウィーンの私立探偵ダゴベールをつくり出した。ある作家たちはホームズに対する反感から書いた。たとえばジャーナリストのアーサー・モリスンは平凡さを強調したマーチン・ヒュウィット探偵をつくったのがこれである。
  • :ドンネル・ボドキン … M・マクダネル・ボドキン(Matthias McDonnell Bodkin、1850-1933)。イギリスの作家。1898年の短編集『経験型探偵ポール・ベック』が「クイーンの定員」(後述)に選ばれている。

 ほかに、邦訳書p.151には、 「オーストリアのバルドヴィン、グロラー(原文ママ)のダゴベール探偵はドイツ語を使っている地方で、シャーロック・ホームズに劣らずよく知られているただひとりの探偵である」 とある。

(2)英語圏での言及

 前述の通り、ヴァン・ダインは1927年の探偵小説アンソロジーでダゴベルト物の1編である「奇妙な跡」を採っている。また、そのアンソロジーの序文ではグロラーに言及して以下のように述べている。

1927年刊のアンソロジー"The Great Detective Stories"の序文より(井上勇訳、ヴァン・ダイン『ウインター殺人事件』創元推理文庫版[1962年]巻末に収録)
ボルドゥイン・グロラーが、おそらくは、オーストリアの推理小説作家のなかではいちばん有能で、独創的だろう。その《探偵ダゴベルト》 Detektiv Dagobert はおそらくオーストリアで、シャーロック・ホームズにもっとも近い作品だろう。

 ゲルタイスが探偵ダゴベルトをドイツ語圏の探偵の代表格だと見なしていたのは、ヴァン・ダインがこのように言及し、アンソロジーにも採っていたというのが大きかったのではないだろうか。

 そしてヴァン・ダインの評価がここでも影響したのか、エラリー・クイーンは1951年、古今東西のミステリ短編集から歴史的意義などを基準に「クイーンの定員」(Queen's Quorum)106冊を選定した際、1901年から1910年の第一期黄金時代の短編集として、思考機械や隅の老人、ソーンダイク博士物の短編集とともにバルドゥイン・グロラーの『探偵ダゴベルトの功績と冒険』(Detektiv Dagoberts Taten und Abenteuer)を選出している。「クイーンの定員」は1969年に増補され125冊となっているが、このうちドイツ語圏から選ばれたのはグロラーの1冊だけである(非英語圏ではほかにフランス語圏から5冊[ガボリオ1冊、ルブラン2冊、シムノン2冊]、スペイン語圏から2冊[ラテンアメリカ編で紹介]が選ばれている)。

 なお、クイーンは『クイーンの定員』でダゴベルトの名について以下のように書いている。

エラリー・クイーン『クイーンの定員』より引用(小鷹信光訳、光文社『EQ』1981年7月号)
 一九一〇年、ヨーロッパでは最も古く、重要なチュートン人短編小説探偵が登場した――その書を発見することはほとんど不可能なダゴベルト・トロストラーである。物語の登場人物たちも、読者も、ほとんどの人が<オーストリアのシャーロック・ホームズ>をあっさりとヘル・ダゴベルトと呼んだが、<それが彼の姓でないことを知っているものさえほとんどいなかった>。

 「ヘル」(Herr)というのは、英語の「Mr.」にあたるドイツ語。姓につけるものなので、「ヘル・ダゴベルト」という表現はおかしいのである。日本でも、「ダゴベルト」というのが姓ではないと知っている人は多くないだろう。『世界短編傑作集』第2巻の「奇妙な跡」ではトロストレール(トロストラー)という彼の姓は出てこないからである。『ミステリマガジン』掲載の「匿名の手紙」では、彼が自分の名前を ダゴベルト・トロストレール (Dagobert Trostler)と名乗るシーンがある。

◆探偵ダゴベルト・シリーズの邦訳

(1)2012年11月時点での邦訳状況

 さて、ダゴベルト物は「奇妙な跡」が比較的容易に読め、『ミステリマガジン』でも一度翻訳が載っているわけだが、ほかにも邦訳はあるのだろうか。海外の古い探偵小説の邦訳をさがすのなら、なにはともあれまずは『新青年』である。『「新青年」傑作選』巻末の目録によるとグロラーの作品は「尼寺から出て来た女」、「ダゴベルト探偵の冒険」、「紅玉事件」の3編が訳載されている。当然、ダゴベルト物が新たに3編読めると思って図書館に向かったのだが――。結果は、まず「ダゴベルト探偵の冒険」は「奇妙な跡」と同じ作品であり、「尼寺から出て来た女」(1927年5月号[8巻6号]p.274-279、浅野玄府訳)はダゴベルト物ではなかった。これは作家とその友人の会話で構成されたごく短いユーモア作品で、ミステリではなくダゴベルトも登場しない。結局、新たに読めたダゴベルト物は「紅玉(ルビー)事件」だけだった。残念。

ダゴベルト・シリーズの邦訳
  • 「ダゴベルト探偵の冒険」 『新青年』1930年春季増刊号(11巻3号)、p.275-285、訳者名記載なし
    • 1930年、春陽堂探偵小説全集24『模造宝石事件 他三十一篇』(浅野玄府訳)に同題で収録
    • 1960年、 「奇妙な跡」 江戸川乱歩編『世界短編傑作集』第2巻(創元推理文庫)に収録、阿部主計訳
  • 紅玉(ルビー)事件」 『新青年』1930年5月号(11巻6号)、p.178-189、訳者名記載なし
  • 「匿名の手紙」 『ミステリマガジン』1975年6月号、p.74-93、山田辰夫訳

 邦訳のある3編にはすべて、ダゴベルトの友人である大富豪のグルムバッハ氏とその夫人が登場する。ダゴベルトはグルムバッハ夫妻やその友人に発生した困った問題を解決するのである。「奇妙な跡」では、グルムバッハ夫妻の領地の管理人が殺害される。「匿名の手紙」では、グルムバッハ夫妻が匿名のいたずらの手紙に悩まされている。「紅玉(ルビー)事件」では、グルムバッハ夫妻の知人のある男爵が、ルビーの指環を盗んだとして高額な賠償請求をされてしまう(男爵は身に覚えがない)。ダゴベルトがこれらの問題を読者の見ていないところで解決し、最後にその解決方法を夫妻に語って聞かせるというのがこれらの3編に共通の構成である。

 『新青年』に掲載された「ダゴベルト探偵の冒険」は訳者名の記載がないが、春陽堂探偵小説全集第24巻に収録されたものと文章が同じなので、浅野玄府訳ということになる。「紅玉(ルビー)事件」も浅野玄府訳の可能性が高いだろう。なお、藤原編集室氏のコラム「〈新青年〉海外探偵小説十傑」で知ったのだが、海外長編探偵小説を傑作順に十編挙げるというアンケート(『新青年』1937年新春増刊号掲載)で、浅野玄府は第9位を「ダゴベルト探偵の冒険」にしている。これは短編の「ダゴベルト探偵の冒険」(=「奇妙な跡」)ではなく、ダゴベルトシリーズ全体のことを指している(浅野玄府は「敬服せる諸作中好きなものから気儘(きまま)に訳してみろといわれたら、こうもなろうかというところを――。でその際は主人公を同じくするシリイズ物を長篇並みに扱うのを許してもらう」と書いている[新字新仮名遣いに直した])。

(2)2013年4月、ついに創元推理文庫で短編集『探偵ダゴベルトの功績と冒険』が発売!

  • 『探偵ダゴベルトの功績と冒険』(垂野創一郎訳、創元推理文庫、2013年4月20日発売)
    • 「上等の葉巻」
    • 「大粒のルビー」
    • 「恐ろしい手紙」
    • 「特別な事件」
    • 「ダゴベルト休暇中の仕事」
    • 「ある逮捕」
    • 「公使夫人の首飾り」
    • 「首相邸のレセプション」
    • 「ダゴベルトの不本意な旅」
  • 『ミステリーズ!』58号(2013年4月号)
    • 「六百の鍵穴がある小箱」(垂野創一郎訳、pp.210-233)(Das geheimnisvolle Kästchen [1912])

 「六百の鍵穴がある小箱」は末尾に付された「訳者より一言」によれば、『探偵ダゴベルトの功績と冒険』全6冊18編の掉尾を飾る作品。ミステリとしては「怪作すぎる」ので創元推理文庫版『探偵ダゴベルトの功績と冒険』への収録は見合わせたとのこと。

◆最近のドイツ語圏での出版状況.

 ちょうど今年(2012年)、ダゴベルト物の短編集『探偵ダゴベルトの功績と冒険』(Detektiv Dagoberts Taten und Abenteuer)(全6巻)のうち1巻から3巻の10編をまとめた"Detektiv Dagoberts Taten und Abenteuer: Band I - III"という本が出版されているようだ。なぜか二つの出版社からほぼ同時に出ている。さらに、Kindleでは同じものが100円で買えるようだ(本当に??)。


 なお、ダゴベルト物はすでに書いたとおり少なくとも「奇妙な跡」が英訳されており、ほかにも数編は英訳があっただろうと思うが、英訳の単行本は見当たらない。

【著者名と探偵名の表記について】
  • 著者の Balduin Groller のカタカナ表記はバルドゥイン・グローラア、B・グロルラア、グロルレル(以上、『新青年』)、バルドゥイン・グロルラー(『世界短編傑作集2』および『ミステリマガジン』1975年6月号)、バルドウィン・グロルラー(小鷹信光訳 エラリー・クイーン「クイーンの定員」『EQ』1981年7月号)、バルドゥイン・グロラー(『名探偵は死なず その誕生と歴史』)、ボルドゥイン・グロラー(井上勇訳 ウィラード・ハンティントン・ライト「推理小説論」創元推理文庫版『ウインター殺人事件』に収録)、ボールドイン・グローラー(各務三郎編『クイーンの定員』)など多数あるが、ここでは最も入手が容易な『世界短編傑作集2』で使用されている「バルドゥイン・グロルラー」という表記を採用しておく。ドイツ語の発音に最も近いのは「バルドゥイン・グロラー」だと思われる。【以下、2013年4月15日追記】創元推理文庫版『探偵ダゴベルトの功績と冒険』(2013年4月)の表記に合わせ、著者名の表記を「バルドゥイン・グロルラー」から「バルドゥイン・グロラー」に変更。
  • 探偵の Dagobert Trostler の姓は邦訳の「奇妙な跡」、「紅玉(ルビ―)事件」には出てこず、「匿名の手紙」では「トロストレール」とされている。そのため、ここではそれに従っておく。小鷹信光訳のエラリー・クイーン「クイーンの定員」(『EQ』1981年7月号)ではダゴベルト・トロストラーと表記されている。また、ワルター・ゲルタイス『名探偵は死なず その誕生と歴史』(前川道介訳)では彼のファーストネームはフランス語風に読んで「ダゴベール」とされている。

補足情報

ドイツの戦前探偵小説についての補足情報

(1)フェルディナント・ルンケル「公爵の首」

 ドイツ語圏のミステリ創作の先駆者としては、1930年代にシュトゥーダー刑事シリーズを発表したスイスの作家フリードリヒ・グラウザー(Friedrich-Glauser、1896-1938)が日本でも比較的知られている。ただ、グラウザー以前にもドイツ語圏には探偵作家が大勢いたようだ。ベルンハルト・シュリンクのスパイ小説『ゴルディオスの結び目』の邦訳書(小学館、2003年)の巻末に付された福本義憲氏による解説「だれが結び目を編んだのか」では、グラウザーよりも早い時期にミステリを発表していた作家としてパウル・ローゼンハインを含む20人近くの作家の名が挙げられている。
 「「新青年」作者別リスト」で調べてみたところ、そこで挙げられていた作家たちのうち、ローゼンハイン以外にはドイツのフェルディナント・ルンケル(Ferdinand Runkel)という作家の短編の翻訳が見つかった。『新青年』1923年夏季増刊号(4巻10号)に掲載された「公爵の首」(pp.184-205)という作品がそれである。作者名は「フェルヂナント・ルンケル」となっている。訳者は鳥井零水(=小酒井不木)。ストーリーは、女好きで知られていた軍人のウィーゼンブルグ公爵が行方不明になり、ベルリン警察の「若手のうちの第一の敏腕家」であるマルチン・ギザンデル刑事が、勇敢で忠実な部下のクラヴチュケ刑事とともに極秘の捜査に乗り出すというものである。
 この「公爵の首」で探偵役を務めるマルチン・ギザンデル刑事の名をアルファベット表記(Martin Gisander)にして検索してみたところ、ルンケルの"Aus den Papieren des Detektivs Martin Gisander"という本が1922年に出版されていることが分かった。タイトルは日本語にすると、『マルチン・ギザンデル刑事の事件簿より』という感じだろうか。どうやらマルチン・ギザンデル刑事は単発のキャラクターではなくてシリーズキャラクターだったようである。

(2)ディートリッヒ・テーデン「巧に織った証拠」

【この節は2013年4月18日に追加】

 1927年の探偵小説アンソロジーでヴァン・ダインが探偵ダゴベルト物の「奇妙な跡」を採ったというのは前述の通りだが、ヴァン・ダインはこのアンソロジーで、ドイツ語圏から探偵小説をもう1編採っている。それが、ドイツのディートリッヒ・テーデン(Dietrich Theden、1857-1909)の「巧に織った証拠」(英題:Well-Woven Evidence)である。このアンソロジーの収録作一覧は、藤原編集室氏がサイトで公開しているコラム「S・S・ヴァン・ダイン編 『探偵小説傑作集』」で知ることができる。

 アンソロジーに採用したとはいえ、ヴァン・ダインのドイツ・ミステリ評、テーデン評は手厳しい。序文から引用する。

1927年刊のアンソロジー"The Great Detective Stories"の序文より(井上勇訳、ヴァン・ダイン『ウインター殺人事件』創元推理文庫版[1962年]巻末に収録)
 推理小説を書く困難な芸術分野におけるドイツの努力は、概して、失敗に終わり、かつ、重苦しい。その大部分に、官僚主義の空気が重くのしかかり、ドイツの犯罪問題小説の中心人物には、素人犯罪捜査家――あらゆる探偵のなかで、いちばん愉快な――にはめったのこと出くわさない。主人公はたいてい頑迷な、杓子定規のPolizei(ポリツァイ)(警察)の役人である。ときには、三人もの探偵が悪人を正義の庭に連れてくる名誉を分かち合う。この文学様式におけるドイツ人の努力の最善のものでさえ、なんだか役所の報告書でも読むように骨が折れ、想像力と劇的なサスペンスが欠けている。筋にも解決にもほとんど精妙さがない。使われているトリックは概して、わかりきったもので、無器用である。ドイツの推理小説の特質はディートリヒ・(ママ)ーデンの作品――《田舎弁護士》 Der Advokaten bauer  、《二度目の懺悔》 Die Tweite Busse、《弁護人》 Ein Verteidiger や、《大きな驚き》 Das lange Wunder と題された短編集において見られる。
  • 「テーデン」が「ラーデン」と誤植されている。《田舎弁護士》の原題は Der Advokatenbauer 、《二度目の懺悔》の原題は Die zweite Busse が正しい。なお、挙げられている4つのタイトルのうち最初の3つは長編作品。
  • ヴァン・ダインはこれに続けて、ドイツの推理作家としてほかに、J・カウルバッハ(J. Kaulbach)、P・ワイゼ(P. Weise)、R・コールラウシュ(R. Kohlrausch)、P・マイスナー(P. Meissner)、カール・ロスナー(Karl Rosner)を挙げている。

 ディートリッヒ・テーデンの「巧に織った証拠」は『宝石』1955年4月号(pp.210-222)に平井喬の訳で掲載されている(このページでは著者名表記と訳題はこの『宝石』掲載時のものに従う)。

  • ハンブルクの警察長官のラッハマンのもとに、商売を営む友人から助けを求める手紙が届く。自分の事務所の金庫から現金が盗まれたが、使用人が裏切ったとは考えたくない。しかし、今までの捜査では外部犯であることを示すようなものは見つからない。そこで、外部の者の犯行であることを証明できるような優秀な部下を一人派遣してもらいたい。この要請を受けてラッハマンは、部下のヴォルフ警部を現地に派遣することにする。

 残念ながらそう面白い作品でもなく、少なくともこの一編については、ヴァン・ダインの手厳しい評も妥当かと思わざるを得ない。しかしそうなると、ヴァン・ダインはこの短編のどこを評価してアンソロジーに採用したのだろうか。
 『宝石』同号の99ページに著者紹介がある。

 ディートリッヒ・テーデンはベルリンの日刊新聞編集長。後年、探偵小説に筆を染めて、一八九九年以降、一九〇三年の歿年に至るまでに、長篇五編を著わしている。本作品の原名は Fein gesponnene Faeden、晩年の代表作である。

 没年が1903年となっているが、1909年が正しいらしい。フランスの推理作家のイゴール・B・マスロフスキーが乱歩への手紙の中で、ヴァン・ダインがテーデンの没年を1903年としているのは誤りで正しくは1909年であるということを伝えている。(江戸川乱歩「パリからの第三信――附 アメリカ探偵作家クラブの「会報」」『宝石』1952年5月号)

 なお、『宝石』1955年4月号は「世界の短篇傑作を英米佛から獨露チェッコまでひろげて蒐めてみた」(編集後記、永瀬三吾)という号で、ロシアからはアントン・チエホフ「或る犯罪の話」(宇野利泰訳)が訳載されている。この作品は後に創元推理文庫『世界短編傑作集』1巻に「安全マッチ」というタイトルで収録された(訳者も同じ)。この「安全マッチ」も、1927年の探偵小説アンソロジーの収録作である。チェコの作品はカレル・チャペックの「噂の男」だが、これはミステリではない。

オーストリアの戦前探偵小説についての補足情報

(1)クラカウアー『探偵小説の哲学』のオーストリア作家への言及

 クラカウアーの『探偵小説の哲学』(1925年完成)ではバルドゥイン・グロラーへの言及はないが、オーストリアのミステリではレオ・ペルッツの『最後の審判の巨匠』(1923年)への言及がある(邦訳書p.67)。

 クラカウアーは『探偵小説の哲学』の序文でポーの後継者としてコナン・ドイル、エミール・ガボリオ、スヴェン・エルヴェスタ(ノルウェー)、モーリス・ルブラン、パウル・ローゼンハイン(ドイツ)の名を(この順で)列挙しているが、それに続けて、やや逸脱しつつも同じ方向を向いている作家として、オーストリアのオットー・ゾイカ、スウェーデンのフランク・ヘラー、フランスのガストン・ルルーを(この順で)挙げている。
 オーストリアのオットー・ゾイカ(Otto Soyka、1881-1955)は福本義憲氏によれば、幻想文学で知られるほか、実験的なミステリ小説も執筆した作家。1926年の『フィリップ・ゾンロウの事件簿』(Die Erfolge Philipp Sonlos)はホームズ物のパロディだそうだ。(福本義憲「ドイツミステリの忘却装置」および福本義憲「だれが結び目を編んだのか」[ベルンハルト・シュリンク『ゴルディオスの結び目』巻末解説]参照)

(2)ヴァン・ダインが挙げているもう一人のオーストリアの探偵作家

 ヴァン・ダインは1927年の探偵小説アンソロジーの序文で、バルドゥイン・グロラー以外にオーストリアの探偵作家をもう一人挙げている。

1927年刊のアンソロジー"The Great Detective Stories"の序文より(井上勇訳、ヴァン・ダイン『ウインター殺人事件』創元推理文庫版[1962年]巻末に収録)
アドルフ・ワイセル(元ウィーン警察の役人だったと思う)もまた推理小説の作者として広く知られている。そのもっともよく知られている作品は、おそらく、《黒い真珠》 Schwarze Perlan と《緑色の自動車》 Das Grune Auto だろう。後者は The Green Motor Car の題名で英訳されている。

 この《緑色の自動車》 Das Grüne Auto は、『新青年』の1926年8月号から12月号にかけて「緑の自動車」というタイトルで翻訳連載されている。訳者は延原謙。作者はアウグスト・ワイスル(August Weißl)であり、ファーストネームを「アドルフ」としているのはおそらくヴァン・ダインの誤りだろう。また、これは創元推理文庫版での誤植のようだが、《黒い真珠》の独題は正しくは「Schwarze Perlen」。《緑色の自動車》の英訳については、「The mystery of the green car」というタイトルの書籍しか見当たらないので、「The Green Motor Car」としているのはヴァン・ダインの勘違いかもしれない(このような訳題もあったのかもしれないが)。


2012年12月17日追記

 ターゲ・ラ・コーア&ハラルド・モーゲンセン『殺人読本 : 絵で見るミステリ史』の引用を追加した。この『殺人読本』の存在は先月の時点では知らなかったが、やはり当サイトでダゴベルト・トロストレール(トロストラー)とジョー・ジェンキンズをドイツ語圏を代表する探偵として扱ったのは正解だったようである。また、これも先月の時点では知らなかったのだが、新保博久氏の「ミステリ再入門 第29回 ウィンナ・コーヒーはほろ苦い」(『ミステリマガジン』2002年9月号)の冒頭でも、ドイツ語圏の探偵としてダゴベルトとジョー・ジェンキンズの名が挙げられている。


リンク
  • ドイツ・ミステリーの館『青猫亭』 - ドイツ文学者、ドイツ・ミステリ研究家の福本義憲氏のサイト
    • 「ドイツミステリの忘却装置」にローゼンハインとグロルラーへの言及があります。
    • 「ハプスブルク朝の緋色の研究 A.グローナーとB.グロラー」にダゴベルト物の詳しい紹介があります。