中国ミステリ史 第三章 - 中国推理小説120年の歴史

2011年2月3日
  • ※2011年8月 改訂作業中

 『中国ミステリ史 第三章』では、 1940年代末から1970年代まで (中華人民共和国成立から文化大革命終了まで)の中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリの歴史を紹介している。

目次

第三章 1940年代末~1970年代: 社会状況の変化による中国ミステリの転変

第一節 中華人民共和国の成立とソ連探偵小説の流入

【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 六、新中国的反特小説」】
【2011年7月29日、加筆】

 第二章第二節で述べたとおり、中国(中華民国)では終戦後、日本よりも早く探偵雑誌が創刊されている。1946年1月に創刊された『新偵探(しんていたん)』を皮切りに、同年には『大偵探(だいていたん)』、『藍皮書(らんひしょ)』が創刊されたが、これらの雑誌は、程小青の霍桑(フオサン)シリーズや孫了紅の魯平(ルーピン)シリーズなどの国内創作や、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティ、ジョン・ディクスン・カーの翻訳作品などを掲載し人気を博していた。1949年にも探偵小説雑誌『紅皮書(こうひしょ)』が創刊され、中国の探偵小説界はこのままの形で発展していくかに思われた。
 しかし、1949年、新中国=中華人民共和国の成立により、状況は一変する。これにより、かつてのような探偵小説を発表することは許されなくなり、『大偵探』、『藍皮書』 【注1】 、『紅皮書』は廃刊となる(『新偵探』は創刊から半年で廃刊となっていた)。欧米(西ヨーロッパやアメリカ)の探偵小説に代わって入ってきたのは、ソ連を中心とする共産主義国家の探偵小説で、それにより中国の探偵小説は変質を余儀なくされる。

 この当時のソ連では通常の犯罪を描く探偵小説は刊行されておらず、ソ連で探偵小説 【注2】 といえば、潜入しているアメリカやイギリスのスパイを摘発する 反スパイ小説 のことであった。そのため、この時期は中国でも探偵小説といえば反スパイ小説をさすようになる。「スパイ」は中国語で「特務」であり、この時期の探偵小説は中国では 反特小説 (はんとくしょうせつ)と呼ばれる。
 この時期に中国語に翻訳されたソ連の反スパイ小説の代表格としては、1955年に中国語訳が出た ニコライ・トマン 【注3】 (1911-1974、ロシア語版Wikipedia)の 『戦線付近の駅で』 【注4】 (邦訳なし、原題: На прифронтовой станции、中国語タイトル:在前线附近的车站)が挙げられる。

  • 注1 :1946年7月に創刊された『藍皮書(らんひしょ)』は1949年5月に休刊となったが、1950年に香港で復刊されている。江戸川乱歩は1956年から1958年ごろにかけて、この香港版『藍皮書』を定期購読している。
  • 注2 :この当時のソ連では、探偵小説・探検小説・SF小説などを総称して「冒険もの」(приключения、プリクリュチェーニヤ)と言っていた。日本ではこれらの小説は「探偵小説」と総称されていた。
  • 注3 :ニコライ・トマンは、飯田規和(1965)では、レフ・シェイニン(1906-1967、ロシア語版Wikipedia)と並んで当時のソ連の「スパイ小説的な推理・冒険小説」の代表的な作家だと紹介されている。ニコライ・トマンは小説の邦訳はないが、ソ連・東欧SFアンソロジーの『遥かな世界果しなき海』(早川書房、1979年)にエッセイ「SF論争 ――モスクワ・1965年」が訳されているようだ(著者名表記は「ニコライ・トーマン」)。
  • 注4 :仮に邦題を『戦線付近の駅で』としたが、『戦線付近の駐屯地で』の方がいいかもしれない。

第二節 中国の探偵作家とソ連の探偵作家の交流(1956年)

【2011年7月29日追加】

 当時の中国ミステリ界とソ連ミステリ界の関わりについて伝える資料に、ソ連のスパイ小説作家ロマン・キムが江戸川乱歩にあてた手紙がある。(乱歩とロマン・キムが文通を開始した経緯については、「ソ連/ロシア推理小説翻訳史 - ロマン・キム(1899-1967)」を参照のこと)

 ロマン・キムからの第二信(『宝石』1957年1月号)に非常に興味深いことが書かれている。ソ連の探偵作家が北京や上海を訪れ、中国の探偵作家と交流したというのである。
 1956年8月、ロマン・キムを含むソ連の探偵作家たちは、北京を訪れ、中国の探偵作家たちと歓談した。ソ連の作家たちは、ソ連ではスパイ小説に代わって本格的な探偵小説が現れはじめたということを伝え、中国の作家たちは、中国ではスリラー小説(驚険小説/惊险小说)が読者の間で絶大な人気を博しており、このジャンルの本が次々と出版されているということを伝えた。またソ連の探偵作家一行は上海にも赴き、探偵ものの戯曲「十五貫」を観覧したという。上海といえば、第二章で紹介した程小青(てい しょうせい)と孫了紅(そん りょうこう)がいた地である。彼らもこの交流に参加したのだろうか。なかなか興味深いところである。

 また、この第二信によると、中国のムー・リンとハン・シンの中編「図面四〇七」は非常に中国国内で評判がよい作品で、ロシア語に翻訳され新聞『友情(ドルージバ)』(дружба)に掲載されたという。中国におけるスパイの活躍を扱ったものだというが、この作品が誰のどの作品を指しているのかは分からない。ほかに、中国の作家のスリラー小説中短編集『謎の数字』のロシア語訳の刊行が予定されているとも書いてあるが、これについても誰のどの作品を指しているのか、現段階では分からない。

第三節 ソ連の探偵小説

【2011年7月29日追加】

 この時期の中国の探偵小説はソ連の探偵小説に大きな影響を受けていたが、そもそも日本では、ソ連の探偵小説自体があまり知られていない。そこでこの節では、主にロマン・キムが江戸川乱歩にあてた手紙を用いて、やや脱線に見えるかもしれないが、当時のソ連探偵小説界を概観する。

(1)ソ連の探偵小説の新潮流(1956年)

 第二節でも少し触れたが、ロマン・キムの第二信によれば、ソ連ではこのころ、スパイ小説以外に本格的な探偵小説も現れ始めたとされている。実は、ソ連の探偵小説が(反)スパイ小説一辺倒だったのは1950年代半ばまでであり、スターリン死去(1953年)後しばらくすると、モスクワ警察の刑事たちが強盗事件などの一般の犯罪を捜査するような、いわゆる警察小説のタイプの探偵小説が刊行されるようになる。その先陣を切ったのが、1956年にソ連で雑誌掲載・単行本化された アルカージイ・アダモフ (1920-1991、ロシア語版Wikipedia)の 『雑色事件』 (邦訳なし、原題:Дело «пёстрых»、ロシア語版Wikipedia)である。この作品は、翌1957年には早くも中国語訳(『形形色色的案件』)が刊行されている。
 アルカージイ・アダモフの名は日本のミステリ界ではまったくと言っていいほど知られていないが、アダモフは中国では当時のソ連探偵小説界を代表する作家だと見なされており、たとえば中国で1998年に出版されたミステリ史の本、曹正文(そう せいぶん)『世界偵探小説史略』では、ソ連の探偵小説についての総論的な節とは別に、アダモフの紹介のための節が設けられている。

 アダモフの『雑色事件』は残念ながら邦訳が出ていないが、幸いなことに、ソ連ミステリ・ソ連SF翻訳家の袋一平氏が『日本探偵作家クラブ会報』第120号(1957年7月)でこの作品のあらすじをごく簡単にだが紹介している。袋氏は作品タイトルを『雑色事件』としており、このページではこの訳題を採用した。

袋一平「ソ連の探偵小説界近況」(『日本探偵作家クラブ会報』第120号、1957年7月)
  「雑色事件」 アルカージイ・アダモフ
    四〇〇字、一千枚位の長篇
 主人公はセルゲイ・コルシュノフという復員士官で、モスクワ刑事捜査局に勤務する。強盗、殺人団が横行しているが、正体がつかめない。というのはスタッフがあらゆる種類の人間の集まりだからで、題名の「雑色」はその意味。そしてこの一味は「犯罪のロマンス」を信奉し、手口が非常に凝っている。主な犯罪者は「パパーシャ」、ソフロン・ロジキン・クプツエウィチなど。このロマンチック犯罪をコルシュノフとその助手たちが解決して行く物語。

 また、桜井厚二氏の論文「ロシア刑事探偵のフォークロア ―ワイネル兄弟『恩恵の時代』を中心に―」でも、アダモフのこの作品のあらすじがまとめられている。この論文は、「21COE研究教育拠点形成 スラブ・ユーラシア学の構築 中域圏の形成と地球化」の研究報告集No.23「文化研究と越境:19世紀ロシアを中心に」(2008年2月)に掲載されたもので、桜井氏はタイトルを「まだら事件」としている。

 アルカージー・アダモフの『まだら事件 Дело пёстрых(1956)』は、ワイネル兄弟より以前に、戦後モスクワのギャングに挑むソヴィエト刑事探偵の肯定的イメージを提示してみせた先駆的作品であった。この作品は、以下のような梗概の連作短編集である。
 第二次世界大戦から復員した青年セルゲイ・コルシュノフは、その軍功によりモスクワ警察犯罪捜査部の刑事に採用される。折しも首都で頻発する様々な凶悪事件から、その背後で犯罪者たちを仕切る「親爺」と呼ばれる黒幕の存在が浮上していた。当局は「親爺」に操られた雑多な者たちによる多種多様な一群の事件を「まだら事件」と名付け、特捜班を設置する……。

 アルカージイ・アダモフの『雑色事件』はソ連では映画化されたほか、ソ連時代に少なくとも2度、ソ連崩壊後に少なくとも3度再刊されており、人気作のようである(最新の2002年版→ロシアのオンラインショップ)。また、ソ連時代の推理小説を集めた全集や選集がソ連崩壊後に何度か刊行されているが、この作品はほぼすべてに収録されており、どうやらソ連/ロシアの推理小説史においては記念碑的な作品のようだ。そのような作品が、結局邦訳されることがなかったのは残念なことである。
 なお、翻訳は中国語訳以外に、少なくともドイツ語訳『Die Bunte Bande von Moskau』(1962年)が刊行されている。

 アルカージイ・アダモフの作品は、『雑色事件』を含め1作も邦訳されていない。この当時のソ連の探偵小説(警察小説)で邦訳が出ているものとしては、1965年にハヤカワ・ポケット・ミステリで刊行されたユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』(原著1963年)がある。ユーモアとサスペンスにあふれ、一般的にイメージされる共産主義の暗いイメージとは無縁の傑作である。

(2)ロマン・キムの手紙で知る当時のソ連探偵小説界(1956年~1957年)

 『宝石』1956年10月号に転載されたロマン・キムからの第一信は、「ロシヤでは探偵文学のジャンルは十九及び二十世紀(革命前)には発達しておりませんでした」、「革命後のわが国には探偵文学が発達しはじめました」――と、探偵の冒険ものやスパイ小説から始まって、次第に本格的な探偵小説が書かれるようになっていたソ連のミステリ史を伝えている。当時の最新の状況に触れているところを引用する。

ロマン・キム第一信(『宝石』1956年10月号、原卓也訳)
ここ数年間というもの、ソヴェートの探偵文学は量的にも質的にも飛躍を続けております。主要な位置を占めておるのは云うまでもなくスパイ小説です。――外国の密使がいかにしてソ同盟に潜入し、秘密の工作を行うか、またソヴェートの偵察兵がいかにして彼らの正体を見破るか、といったたぐいのものです。しかし、最近のわが国には、犯罪とか、或いはソヴェートの探偵の活躍などに関する純然たる探偵小説も現われはじめました。例えば アダーモフ 「複雑な事件」 など。この秋にはモスクワで探偵小説を含む冒険小説の諸問題に関する第一回全同盟会議が開かれます。数百名の作家が参集し、当面の諸問題を審議するはずです。わが国の新聞雑誌には、もう一連の論文が現われておりますが、その中で、探偵小説というものは主題の興味や独特の構成のほかに、登場人物の性格とか全体の背景とかの巧みな描出によっても優れたものでなければならないという希望を、批評家や読者が表明しております。
 わが国ではイギリス、アメリカ、フランスの作家の作品で政治的、社会的テーマが取扱われているようなものに深い関心が示されております。その意味でグレアム・グリーンの長篇「静かなるアメリカ人」(もうこちらの雑誌に掲載されたのです)はソヴェート読者の興味をひきました。またクイーンの「帝王死す」とか、大都市における腐敗堕落(コラプシオン)の光景が示されているチャンドラーの「さらば愛しき女よ」とか、「長いお別れ」などのような作品にも深い関心が寄せられております。
ロマン・キム第二信(『宝石』1957年1月号、原卓也訳)
 ごく近いうちに、ソ同盟で本格的探偵小説が発表されます。民警と犯罪者との闘いを描いたヴァレンチン・イワノフの「黄色いメタル」と、モスクワ捜査局の活動を扱った アダモフ 「さまざまな人の事件」 がそれです。後者は一九五六年の雑誌「青春(ユーノスチ)」に載ったものでその雑誌は既に一月前木村浩さんに送りました。しかしこの長篇は単行本としてはまだ出ておりません。その後直ぐスパイ小説が出ます――エヌ・アターロフの「変名の死」と、ヴォエヴォディンのものと、タルンチスの「固い合金」がそれです。ポーランド語からの翻訳中篇「静かなる戦線」(東独に於ける西独スパイ組織の活動を扱ったもの)や、 中国語からの翻訳で、中国作家の驚険中短篇小説集「謎の数字」も出ます
 レニングラードでは目下イギリスの作家プリイストリの「危険な転換」が上演されています。これは本格探偵作品ではありませんが、疑いもなく心理的スリラアです。
(中略)
 小生は木村浩さんに、 「さまざまな人の事件」 を読んだら、その作品の筋を先生に伝えるよう手紙を出しておきました。多分この作品は日本語に訳されるのでしょう。
ロマン・キム第三信(『宝石』1957年8月号、木村浩訳)
 わがソ連邦では、探偵小説に対する興味が、それも特に本格探偵小説に対するそれが非常に高まっています。最近、コナン・ドイルの大きな選集の新版がでました。雑誌「外国文学」は、近々、今日の欧米の探偵小説の特集号をだす予定です。
(中略)
 最近は、犯罪摘発をめぐるソヴェト捜査局及び民警の活躍に関する探偵小説が人気をよんでいます。(改段落) アダーモフ 「ぐれん隊事件」 につづいて、ブレスト及びランスキイの「見えない前線」、 レフ・シェイニン の「探偵の手記」、ロイズマンの「狼」その他が出版されました。(改段落)わが国の文学において、かつてこれほど沢山の探偵小説があらわれたことはありません。もちろん、英米のそれと比較しますれば、わが国での探偵物の出版はそれほど多いとは申せませんが、しかし、過去と比較すれば、現在はかつて今まで見なかったほど多量の本が出たというわけです。
(中略)
 わが国でも多勢の学者、ジャーナリスト、エンジニヤ――一口にいってハイブラウな人々――は、クリスティ、クロフツ、クイーン、ブレイク、ウールリッチ、アイルズその他をよんでいます。多くの人々の机の上やポケットのなかに、ペンギンのマークのついたポケットブックを見かけることができます。

 当時のソ連で反スパイ小説(引用文中では単に「スパイ小説」)が流行っていたことがロマン・キムの第一信からも確認できる。そのスパイ小説全盛の時代の中で出てきた最初の本格的な探偵小説として、アダモフの「複雑な事件」「さまざまな人の事件」「ぐれん隊事件」が挙がっているが、これはおそらくすべて前述の『雑色事件』(まだら事件)を指していると思われる。

 「冒険小説(プリクリュチェーニヤ)」(探偵小説・探検小説・SF小説等の総称)に関する積極的な議論も行われていたようで、一般的なイメージにある「ソ連では推理小説は流行らなかった」という気配は微塵も感じさせない(もっとも、ロマン・キムはいわばソ連を代表して自国の推理小説を「宣伝」しているわけなので、いくらか割り引いて見るのが適切かもしれない)。

第四節 程小青の探偵小説論(1957年)


この時期は、前述の程小青や孫了紅も、反特小説やスリラー小説(驚険小説/惊险小说)を書いている。作者にも読者にも、選ぶ余地はなかったのである。
 1950年代の中国の反特小説は、ストーリーよりも政治性、思想性が強調され、また登場人物も類型的なものになり、誰が善人で誰が悪人かが一読してすぐ分かるようになっており、旧来の探偵小説の面白さは失われてしまった。このような問題点は1960年代になるとある程度改善される。また、1960年代には、大規模な詐欺事件を扱った作品や、警察官の生活を描いた作品など、異なる趣を持つ探偵小説も少しずつ書かれるようになる。


第五節 文化大革命期の"写本"現象

【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 七、“文革”中的地下偵探小説」】

 第三節で述べたように、ソ連では1956年にアダモフ『雑色事件』が発表され、スパイ小説一辺倒だった状況から脱し、警察が事件を捜査するような通常の推理小説が刊行されてるようになっていった。「共産圏では推理小説は発達しない」と思っている人は少なくないと思うが、それはまったくの誤りで、『雑色事件』以降、ソ連の推理小説の伝統は絶えることなく連綿と続いている。

 一方中国では、1960年代半ばより文化大革命による文化の大弾圧が始まり、それまで刊行されていたソ連影響下の「反特小説」(反スパイ小説)すら刊行が許されなくなった。この時期には書籍に代わって、紙にペンで書きつけた「写本」の形で民衆の間に物語が広まった(こちらで写真が見られる)。写本として広まった物語の中には、50年代から60年代にかけての反特小説にストーリーの起伏やサスペンスを加えた変異形や、スリラー小説も多く含まれ、ひそか流行していたという。

第六節 1940年代末~1970年代の代表的な作品

 李長声(リーチャンション)(2002)「中国のミステリー事情 大衆文学への渇望」では、1950年代から1970年代まで、「中国の探偵小説に見るべきものはほとんどない」とされている。ただし、反特小説の中でも、陸石(りく せき/ルー シー)と文達(ぶんたつ/ウェン ダー/文达)の共著による短編小説「双鈴馬蹄表(そうれいばていひょう)」(双铃马蹄表)や、白樺(はっか/バイフア/白桦)の短編小説「無鈴的馬幇(ぶれいてきばほう)」(无铃的马帮)は佳作といえるという。前者は「国慶十点鍾(こっけいじってんしょう)」(国庆十点钟、1956)というタイトルで、後者は「神秘的旅伴(しんぴてきりょはん)」(1955)というタイトルで映画化されている。

 20世紀の中国ミステリの短編を集めた前述のアンソロジー『20世紀中国偵探小説精選』(2002年、全4巻)で、この時期を対象とする第2巻の収録作は以下のとおりである。
 老蔡(ラオツァイ)(2009)によると、この時期はすべての探偵小説が反特小説だったわけではない。たとえば、国翹(こっきょう/グオチャオ/国翘)の短編「一件積案」(一件积案)は、欧米の黄金時代の作品を思わせる古典的な謎解き小説で、この年代にはなかなか得難い好編だという。これと同じようなタイプの作品として、ラオツァイ氏は弍丁(じてい/アルディン)の短編「一具無名屍体的秘密」(一具无名尸体的秘密)を挙げている。

  • 『20世纪中国侦探小说精选(1950-1979) 谁是凶手』(誰是凶手)(=犯人は誰だ)
    • 白樺「無鈴的馬幇」
    • 陸石・文達「双鈴馬蹄表」
    • 国翹「一件積案」
    • 弍丁「一具無名屍体的秘密」
    • 賀慈航(が じこう/フー ツーハン/贺慈航)・樊家信(はん かしん/ファン ジアシン)「神秘的解剖室」
    • 高現(こう げん/ガオ シエン/高现)「誰是凶手」(谁是凶手)
    • 陸長源(りく ちょうげん/ルー チャンユアン/陆长源)「蛛糸馬跡」(蛛丝马迹)
    • 葉一峰(よういつほう/イエ イーフォン/叶一峰)「一件殺人案」(一件杀人案)
    • 王亜平(おう あへい/ワン ヤーピン/王亚平)「神聖的使命」(神圣的使命) ※ 王亜平 … 1980年刊行の長編ミステリ『刑警隊長』はロングセラーになった。

第七節 邦訳された1950年代~1970年代の中国探偵小説

【2011年7月31日、加筆】

  • 柯藍(コーラン) 「鴉の告発」 (『探偵実話』1952年第2号)

参考文献


第三章 更新履歴

  • 2011年2月3日:公開
  • 2011年8月7日
    • 「第一節 中華人民共和国の成立とソ連探偵小説の流入」の記述内容を訂正。
    • 「第二節 中国の探偵作家とソ連の探偵作家の交流」を新設。
    • 「第三節 1950年代のソ連探偵小説界」を新設。
    • 「第六節 邦訳された1950年代~1970年代の中国探偵小説」に柯藍(コーラン)「鴉の告発」を追加。