梁建方
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唐代の軍人。武徳四年(621)
王世充との戦闘にて、王世充の甥の王琬が煬帝の馬に乗っているのを秦王(後の太宗)が感嘆したから、秦王の制止を振り切って
尉遅敬徳・
高甑生との三騎で突入し、王琬を捕虜として馬を捕縛した。右武候将軍となり、貞観二十二年(648)四月、松州蛮が叛いたためこれを破った。左武衛大将軍となり、永徽二年(651)七月に
阿史那賀魯が庭州に侵入したため、
契苾何力とともに打ち破った。永徽三年(652)正月には処月部落の朱邪孤注と牢山で戦い、潰滅させると五百里にわたり追跡して朱邪孤注を斬り、首級九千を上り、その首領六十人を虜にした。この時、兵力が足りていながら追跡しなかったといい弾劾されたが、高宗は功績があることから不問に処した。顕慶四年(659)、
薛仁貴・契苾何力とともに高麗の大将温沙多門と横山で戦い、打ち破った。
本紀・列伝・史料
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最終更新:2022年11月20日 20:54