「おはよう、八千代さん」
千景の長所の一つは寝起きの良いところです。
私は毎日千景の寝室で寝ているのですが、寝ぼけた千景というものを見たことがありません。目覚まし時計はかけていませんが、千景は毎朝五時になるとベッドから起き上がり、目を伏せたまま軽く頭を振って、そうして私に声をかける時にはもうすっかり目覚めています。うとうととまどろみながら千景に頭を撫でられることが好きな私としては寝ぼけ眼の千景というのを是非見てみたいものです。
ゆっくりと目覚めながら私が毛繕いをしている間に、千景は早々と身支度を整えキッチンに向かいます。青のストライプシャツと黒のスラックス(千景はこの組み合わせが好きなのか、家では大抵このような格好です)にエプロンをつけると、朝食を作り始めます。
千景は一人で暮らしていた期間が長いらしく、外食嫌いもあって、元々料理の腕前は良かったのですが、以前料理上手の友人ができたせいか、ますます上達しています。本人以外で唯一千景の手料理を食べている私としては大変歓迎すべきことなのですが、そんな千景の料理に慣れたせいか、ここ最近散歩の最中に千景の友人や通りすがりの方からいただくおやつが、正直あまり美味しく感じられないというのが悩みの種です。ご厚意でいただいているのに本当に申し訳ないのです。
「八千代さん、どうかしたか」
キッチンから千景の声です。いつもならキッチンに立つ千景の足元にいる私がいつまでもやって来ないのを不審に思ったのでしょう。
千景と私は大袈裟な言い方をしますと二十四時間一緒にいます。家にいる間はほとんど一緒ですし、外出する時にも千景は私を連れていってくれます。
勿論お互いに立ち入ってはならない部分はありますし、千景は私をお風呂に入れてはくれますが、一緒に入るのは駄目だと言います。眠る時も私には専用のベッドを用意して、昔のように千景のベッドで眠らせてはくれません。千景曰く、『あの頃は八千代さんも幼かったし、目を放すのが心配だったが、成長した今の八千代さんにそんな心配は不要だろう。何より、成人した女性に対しては相応の距離感と振舞いがあると思う。俺と八千代さんの関係であってもだ』とのことです。
私が言うのもなんですが、千景の感覚は少々ずれていると思います。
「やはり栄養素のバランスが難しいな。やはりペットフードに頼らざるを得ない部分もあるか」
キッチンに立つ千景は腕組みをしながらそう呟いていました。足元に近寄った私に気がつきますと、口元を緩めて「おはよう、八千代さん。朝食にしよう」普段からこうした顔をしていればいいのに、私はよくそう思います。
リビングダイニングには二人掛けのテーブルとソファー、ラグの上に置かれたローテーブルがあります。千景はテーブルで食事をとり、私もその近くで千景手製のご飯を食べます。今日は鶏肉と季節の野菜(勿論私が食べられるものです)が入ったおじやでした。
「どうも最近ワンパターンになりつつあるな。すまない、八千代さん」
そう言いながら千景は今日も近所の美味しいパン屋さんで買ったトーストと淹れたての珈琲を口に運びます。これにサラダや卵料理がつくこともありますが、千景の朝食は大抵がこの組み合わせです。服もそうですが、千景のほうがずっとワンパターンだと思います。
千景がテレビの電源を入れました。いくつかチャンネルを回し、天気予報を探しています。
「八千代さん、午後から散歩に行こうか」
そう問いかけ、千景は私の頭を撫でます。
千景がどんな仕事をしているのか私は把握していませんが、千景には世間の会社員の方々のような出勤というものがないようです。週に何度か、私を連れて大きなビルや事務所のような場所に向かい、『二十分で済ませてくる。八千代さん、しばらく待っていてくれ』と言って建物の中に消えていきます。そして約束通り二十分で戻ってくるのです。そこで千景が何をしているのかは、やはり私は知りません。
家で仕事をする時には私にそう一声かけて書斎にこもってしまいます。しかし、それもさほど長くはかからず、千景は毎日私を散歩に連れていってくれます。
今日はどこでしょうか。
いくつかの公園を回る遠出のコースでしょうか。公園では私は仲間たちと一緒に遊びますし、千景は彼らの飼い主と何やら私たちについて談議を交わしています。ですが、『もしも八千代さんが人間になったら確実に美人だろう。勿論今でも美人だが』と奥様方に自慢げに言うのはちょっとやめてほしいと思います。
それとも、時折行くあの喫茶店でしょうか。千景はあそこの珈琲が気に入っているようですが、私はどうしてもあそこに漂う煙草の匂いが苦手です。店の外で千景を待つのは構いませんが、店から出てきた千景から煙草の匂いがするのはいただけません。
あるいは、よく行く大学のキャンパスでしょうか。あそこには千景の友人が沢山いて、私に優しくしてくれる方もいますし、何より私は楽しそうに彼らと話す千景が好きです。
千景はもっともっと大勢の人と語らうべきです。そして、もっともっと笑ってほしいと思うのです。
今日はどこに出かけるのでしょうか。本当に楽しみです。
千景の長所の一つは寝起きの良いところです。
私は毎日千景の寝室で寝ているのですが、寝ぼけた千景というものを見たことがありません。目覚まし時計はかけていませんが、千景は毎朝五時になるとベッドから起き上がり、目を伏せたまま軽く頭を振って、そうして私に声をかける時にはもうすっかり目覚めています。うとうととまどろみながら千景に頭を撫でられることが好きな私としては寝ぼけ眼の千景というのを是非見てみたいものです。
ゆっくりと目覚めながら私が毛繕いをしている間に、千景は早々と身支度を整えキッチンに向かいます。青のストライプシャツと黒のスラックス(千景はこの組み合わせが好きなのか、家では大抵このような格好です)にエプロンをつけると、朝食を作り始めます。
千景は一人で暮らしていた期間が長いらしく、外食嫌いもあって、元々料理の腕前は良かったのですが、以前料理上手の友人ができたせいか、ますます上達しています。本人以外で唯一千景の手料理を食べている私としては大変歓迎すべきことなのですが、そんな千景の料理に慣れたせいか、ここ最近散歩の最中に千景の友人や通りすがりの方からいただくおやつが、正直あまり美味しく感じられないというのが悩みの種です。ご厚意でいただいているのに本当に申し訳ないのです。
「八千代さん、どうかしたか」
キッチンから千景の声です。いつもならキッチンに立つ千景の足元にいる私がいつまでもやって来ないのを不審に思ったのでしょう。
千景と私は大袈裟な言い方をしますと二十四時間一緒にいます。家にいる間はほとんど一緒ですし、外出する時にも千景は私を連れていってくれます。
勿論お互いに立ち入ってはならない部分はありますし、千景は私をお風呂に入れてはくれますが、一緒に入るのは駄目だと言います。眠る時も私には専用のベッドを用意して、昔のように千景のベッドで眠らせてはくれません。千景曰く、『あの頃は八千代さんも幼かったし、目を放すのが心配だったが、成長した今の八千代さんにそんな心配は不要だろう。何より、成人した女性に対しては相応の距離感と振舞いがあると思う。俺と八千代さんの関係であってもだ』とのことです。
私が言うのもなんですが、千景の感覚は少々ずれていると思います。
「やはり栄養素のバランスが難しいな。やはりペットフードに頼らざるを得ない部分もあるか」
キッチンに立つ千景は腕組みをしながらそう呟いていました。足元に近寄った私に気がつきますと、口元を緩めて「おはよう、八千代さん。朝食にしよう」普段からこうした顔をしていればいいのに、私はよくそう思います。
リビングダイニングには二人掛けのテーブルとソファー、ラグの上に置かれたローテーブルがあります。千景はテーブルで食事をとり、私もその近くで千景手製のご飯を食べます。今日は鶏肉と季節の野菜(勿論私が食べられるものです)が入ったおじやでした。
「どうも最近ワンパターンになりつつあるな。すまない、八千代さん」
そう言いながら千景は今日も近所の美味しいパン屋さんで買ったトーストと淹れたての珈琲を口に運びます。これにサラダや卵料理がつくこともありますが、千景の朝食は大抵がこの組み合わせです。服もそうですが、千景のほうがずっとワンパターンだと思います。
千景がテレビの電源を入れました。いくつかチャンネルを回し、天気予報を探しています。
「八千代さん、午後から散歩に行こうか」
そう問いかけ、千景は私の頭を撫でます。
千景がどんな仕事をしているのか私は把握していませんが、千景には世間の会社員の方々のような出勤というものがないようです。週に何度か、私を連れて大きなビルや事務所のような場所に向かい、『二十分で済ませてくる。八千代さん、しばらく待っていてくれ』と言って建物の中に消えていきます。そして約束通り二十分で戻ってくるのです。そこで千景が何をしているのかは、やはり私は知りません。
家で仕事をする時には私にそう一声かけて書斎にこもってしまいます。しかし、それもさほど長くはかからず、千景は毎日私を散歩に連れていってくれます。
今日はどこでしょうか。
いくつかの公園を回る遠出のコースでしょうか。公園では私は仲間たちと一緒に遊びますし、千景は彼らの飼い主と何やら私たちについて談議を交わしています。ですが、『もしも八千代さんが人間になったら確実に美人だろう。勿論今でも美人だが』と奥様方に自慢げに言うのはちょっとやめてほしいと思います。
それとも、時折行くあの喫茶店でしょうか。千景はあそこの珈琲が気に入っているようですが、私はどうしてもあそこに漂う煙草の匂いが苦手です。店の外で千景を待つのは構いませんが、店から出てきた千景から煙草の匂いがするのはいただけません。
あるいは、よく行く大学のキャンパスでしょうか。あそこには千景の友人が沢山いて、私に優しくしてくれる方もいますし、何より私は楽しそうに彼らと話す千景が好きです。
千景はもっともっと大勢の人と語らうべきです。そして、もっともっと笑ってほしいと思うのです。
今日はどこに出かけるのでしょうか。本当に楽しみです。
私は八千代と申します。
対外的には、久賀千景の飼い犬という立場です。しかしながら、千景は私のことをペットと言うにはあまりに対等に扱うので、今では私も千景のことを飼い主だとは思っておりません。
家族。友人。相棒。正直どれも千景と私の関係を表すのに適切な言葉とは思えないのですが、とにもかくにも私は千景と共にいます。
今日も千景と一緒です。
対外的には、久賀千景の飼い犬という立場です。しかしながら、千景は私のことをペットと言うにはあまりに対等に扱うので、今では私も千景のことを飼い主だとは思っておりません。
家族。友人。相棒。正直どれも千景と私の関係を表すのに適切な言葉とは思えないのですが、とにもかくにも私は千景と共にいます。
今日も千景と一緒です。
<作者コメント>
まさかの八千代さんSS。
そして久賀がただの親馬鹿。
まさかの八千代さんSS。
そして久賀がただの親馬鹿。
八千代さんは久賀の人でなし加減も、他人への興味と無関心さも、直観的にわかっている。
と、作者は妄想している。
と、作者は妄想している。