東欧推理小説翻訳史

2011年5月10日

※未整理

Index

東欧の推理作家たち

深見弾氏による東欧推理作家の紹介(1970年代末)

 東欧の推理作家のなかで、辛うじて日本でも名前が知られているのは、ハヤカワ・ポケット・ミステリから『顔に傷のある男』と『ペンション殺人事件』が刊行されているポーランドの推理作家イェジィ・エディゲイぐらいではないだろうか。『顔に傷のある男』は日本では1977年に、ロシア・東欧SFの紹介で名を知られる深見弾氏の翻訳で刊行されている。その訳者あとがきには以下のように書かれている。

「これほど大量に、まさに洪水のように翻訳推理小説が紹介されているというのに、共産圏のミステリは絶無とは言わないにせよ、文字通り九牛の一毛に等しい。数えるに十指はいらない。」
「それでもソ連はまだ翻訳があるだけでもいい。(中略)だが、ソ連をのぞく共産圏は文字どおり絶無の状態であった。ここに紹介した本書は、そのまず手始めである。」

 「推理小説」の範囲をどう考えるかによって見方も変わってくるが、スパイ小説を推理小説の一種と考えるのであれば、イェジィ・エディゲイ『顔に傷のある男』以前に東欧の推理小説の邦訳がまったくなかったとは言えない。まず、1958年には、チェコ(当時はチェコスロヴァキア)の作家エゴン・ホストヴスキーの『スパイ』(岡田真吉訳、角川書店、1958年)が刊行されている。この作品は1957年にフランスの映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーによって映画化されているので、その関係で日本でも翻訳が出たのだろう。1966年には『秘密諜報員 : アルフォンスを捜せ』と改題された角川文庫版が出ている。東欧のスパイ小説と言えばほかにもブルガリアの推理作家アンドレイ・グリャシキの『007は三度死ぬ』(深見弾訳、創元推理文庫、1985年)がある。『007は三度死ぬ』の解説では一切触れられていないが、この作品はその約20年前の『ミステリマガジン』1967年2月号に『ザホフ対07』として訳載されている。この作品は1966年にブルガリア語で発表され、即座にロシア語に翻訳されたが、発表の翌年にはロシア語を経由して早くも日本語になっていたのである。翻訳者は、ソ連ミステリの翻訳の先鞭を付けた袋一平氏。
 このように、エディゲイ『顔に傷のある男』よりも前に、少なくともスパイ小説2作品(『スパイ』(秘密諜報員)、『ザホフ対07』(007は三度死ぬ))が邦訳されていた。

 とはいえ、東欧の推理小説の本格的な紹介は、やはりエディゲイ『顔に傷のある男』をもってその嚆矢と見てよさそうではある。訳者あとがきで深見氏は、「この機会に、せめて作家の名前でも並べて、東欧にもミステリがあることを知っていただきたい」として、東欧の推理作家の名を挙げている。当時の東欧ミステリ界を知ることができる第一級資料である。以下に、深見氏が挙げている推理作家名を示す。


 こうして東欧推理小説の本格的な紹介に先鞭を付けた深見弾氏は、続けて翌年には『ミステリマガジン』誌上で、ソ連及び東欧の推理小説を紹介する隔月連載のコーナー「ソ連・東欧ミステリ紹介」を始めている。これは、毎回ソ連の短編の翻訳1点と、東欧の長編の要約紹介を掲載するというもので、残念ながらソ連の短編の翻訳は第1回のみしか掲載されなかったが、東欧の長編の要約紹介は第6回まで続けられた。

  • 深見弾「ソ連・東欧ミステリ紹介」
    • 第1回(1978年03月号) ハンガリー - マグ・ベルタラン『袋小路』(1971) / ソ連ミステリ短編 レフ・シェイニン「セメンチューク事件」
    • 第2回(1978年06月号) ルーマニア - ジョルジェ・チムク『疑惑の光』(1972)
    • 第3回(1978年08月号) チェコ(チェコスロヴァキア) - イョゼフ・ネスヴァドバ『黄金の仏像物語』(1960)
    • 第4回(1978年10月号) ブルガリア - ヂミトル・ペーエフ『七番目の酒杯』(1972)
    • 第5回(1978年12月号) ポーランド - バルバラ・ナウロッカ『十一時で針を止めろ』(????)
    • 第6回(1979年03月号) ソビエト連邦 - アナトーリイ・ジャレノフ『逆定理』(????)

 ソ連の作品が紹介された第6回を除き、エディゲイ『顔に傷のある男』の訳者あとがきで名前が挙げられていた作家の作品が紹介されている。残念ながら、ここに紹介された長編の中で、のちに邦訳が刊行された作品は1つもない。

イェジィ・エディゲイ『顔に傷のある男』(早川書房、1977年)以降の邦訳

 1977年にポーランドの推理作家イェジィ・エディゲイの『顔に傷のある男』が刊行されて以降の邦訳状況を見てみよう。まず翌1978年に、エディゲイの『ペンション殺人事件』が刊行されている。
 1985年には、すでに触れたが、ブルガリアの推理作家アンドレイ・グリャシキの『007は三度死ぬ』が創元推理文庫で刊行された。1991年にはカナダに亡命したチェコの推理作家ヨゼフ・シュクヴォレツキーの『ノックス師に捧げる10の犯罪』、2000年にはチェコの作家パヴェル・コホウトの『プラハの深い夜』が刊行されている。

中国の『世界偵探小説史略』で取り上げられている東欧の推理作家

 さて、「ソ連/ロシア推理小説翻訳史」の冒頭で、中国で書かれた推理小説史の本では、ソ連/ロシアおよび東欧の推理小説も取り上げられていると述べた。繰り返しになるが、新中国(=中華人民共和国)が成立した1949年から1960年代半ばまで、中国ではソ連の推理小説が多く訳され、中国の作品もその影響を大きく受けていた。
 曹正文(そう せいぶん/ツァオ ジョンウェン/Cao Zhengwen)(1950 - )が書いた『世界偵探小説史略』(世界侦探小说史略、1998)は、全18章のうち、第14章を「旧ソ連と東欧の探偵小説」としている。


 この第3節で取り上げられている推理作家の名を以下に列挙する。国の並べ方は、分かりやすいように上に合わせる。

  • ポーランド
    • 扬·鲁茨基
    • 比格涅夫·涅纳茨基(ネナツキ)
  • ブルガリア
    • 博戈米尔·拉伊诺夫(ライノフ)
    • 安德烈·古利亚什基(グリャシキ)
  • チェコ
    • 艾德华·菲克尔(フィッケル)
    • 约瑟夫·涅斯瓦德巴(ネスヴァードバ)
    • 瓦茨拉夫·福尔普列特
  • ハンガリー(「名・姓」の順)
    • 安德拉什·贝尔凯(ベルケシ・A)
    • 施密特·阿拉提
  • ルーマニア
    • 乔治·吉姆库(チムク)
  • 東ドイツ
    • 维尔纳·施泰因别格

「東欧」とは?

 ひとくちに「東欧」と言っても、その指す範囲は時代によって変遷がある。1970年代末に深見弾氏が「東欧」の推理作家を紹介した時の「東欧」は、いわゆる旧共産圏のことである。たとえば、深見氏は1979年に『ロシアSF傑作集』(上下巻、創元推理文庫)、1980年に『東欧SF傑作集』(上下巻、創元推理文庫)を編んでいるが、この『東欧SF傑作集』には、ポーランド、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビア、東ドイツという「歴史的・政治的にソ連と深いかかわりがある社会主義国」(上巻解説)の作品が収録されている。

 ところが、東西冷戦が終結した現在では、ポーランドやチェコ、スロヴァキア、ハンガリーなど地理的にヨーロッパの中央部に位置する国々は、「東欧」ではなく「中欧」(中央ヨーロッパ)と呼ばれることもあるらしい(この辺りについては、このページのメインではないので、おざなりな調査しかしていない)。とはいえ、「東欧文学」といえばこの辺りの国々の文学を含めるのが現在でも普通なので、このページでは「中欧」「東欧」などと分けずに、一括して「東欧」としておく。(2011年中に東京創元社から『新ロシアSF傑作集』、『新東欧SF傑作集』が刊行されるらしいが、まさか後者が、『中東欧SF傑作集』に改題されたりはしないだろう)

 同じ旧共産圏ということで、東欧の推理小説はソ連の推理小説とだいたい同じような傾向のものが書かれているだろうと単純に考えてしまうが、おそらく実際はそうではない。深見弾氏は『東欧SF傑作集』上巻の巻末解説で、東欧SFとソ連/ロシアSFがまったくことなる道を歩んでいると説明している。少し長くなるが、引用する。

(前略)多くの民族が、社会主義制度のもとで七つの国家に分かれて存在しているわけだが、現在の東欧社会を理解する上で忘れてはならない重要な事実がある。それはこれらの国が()()社会主義の道を歩きはじめたということだ。()()()()ということばの持つ意味を実感としてわかりにくくなっている世代が日本でも多くなっているが、1917年に革命を独力でなしとげ、社会主義の道を進みはじめたソ連と、これらの国々では、本質的には同質の社会に住んでいても、それを個人がとらえるとらえかたが根本的にちがっている。たとえば社会制度として資本主義社会を個人的に体験した者は、ソ連では社会的にほとんど皆無に近くなってきている。ところが、東欧では両大戦間の資本主義社会を体験した者が、今なお社会のあらゆる分野で指導的な活躍をしている。西欧と強い絆で結ばれていた当時を、感受性に富む若い時代に経験した世代は、生まれたときから社会主義の空気を吸ってきた同世代の()()()とはかなりちがうはずである。(中略)わかりやすくSFに限っていえば、ソ連SFと東欧SFの違いは、アメリカと日本との違いくらい歴然とした差があるということだ。

 ここで言われているのはSFについてだが、ミステリでもおそらく同じことが言えるだろう。

ポーランド

ポーランドの推理小説

 イェジィ・エディゲイ『顔に傷のある男』の「訳者あとがき」によると、ポーランドに本格的なミステリが現れたのは第一次大戦と第二次大戦の間の時期で、エドガー・ウォーレス(1875-1932)の影響を強く受けた作品が多く書かれていた。もっとも、この時期の作家はウォーレスの模倣か亜流で終わってしまい、見るべき作品はないという。 
 1950年代に入ると、ポーランドの推理小説は独自の成長を見せ始める。この解説が書かれた当時のポーランドの推理小説に極めて大きな影響を与えていたのは、アガサ・クリスティ、ジョルジュ・シムノン、E・S・ガードナーの3人。
 代表的なポーランドの推理作家として深見氏は以下の3人を挙げている。

(Wikipediaの記事を貼ったが、当サイト管理人の推定である。深見氏は名字しか示していないので、同姓の別人と間違っている可能性はある。生年と没年はWikipediaからの引用。)

また、第一線で活躍している推理作家として以下の4人を挙げている。

(Wikipediaの記事はこちらも推定。こちらは深見氏が姓だけではなくファーストネームのイニシャルも書いているので、たぶんあっているだろう。生年と没年はWikipediaからの引用。)

 『ミステリマガジン』1978年12月号、バルバーラ・ナヴロッカ『十一時で針を止めろ』のあらすじ。

イェジィ・エディゲイ(1912-1983)


『顔に傷のある男』(深見弾訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ1292、1977年)
  • 「一九七〇年にポーランド国家警察創設二十五周年を記念した、ポーランド警視庁と〈イスクルィ〉出版社の文学賞を受賞した作品」
『ペンション殺人事件』(深見弾訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ1312、1978年)
  • スウェーデンを舞台にした推理小説で日本語版が刊行された時点で、すでにスウェーデン、ソ連、チェコスロヴァキアが刊行されており、東独でも刊行予定であった。ソ連では映画化もされている。

 一般にミステリがそうであるように、ポーランドの場合も例外ではなく、犯罪と犯罪者の捜査が重要なテーマである。だがポーランドの犯罪小説が追及している問題は、"犯罪は間尺にあわない"ことを文学作品としての質の高さやモラルを保ちつつ読者に伝えることである。まだ残酷な殺人場面や暴行、拷問などを克明に描写してみせることは極力避けている。だがミステリーの本領ともいうべき、謎解きやトリックには最大限の工夫がこらされており、それはかなり高水準に達している。その意味で、アイデアとトリックの豊富なことではポーランド随一の折紙がついているのが、本書の作者、イェジィ・エディゲイである。

エディゲイについて
 筆者を含め、ポーランドとあまり関わりがない一般の人には分かりようがないが、「エディゲイ」というのはポーランドでも普通はない姓だそうだ。彼の本名はイェジィ・コルィツキー(Jerzy Korycki)で、「エディゲイ」というペンネームは、16世紀にポーランドに住みついたタタール人の祖先の姓を借りたものだとのこと。タタール人と言えば、中央アジアの遊牧民でトルコ系の民族である。これを聞いて、急速に親しみを感じるようになってしまった。(イェジィ・エディゲイのWikipedia記事によれば、「エディゲイ」はキプチャク・ハン国のリーダーの1人の名前だとか)

 弁護士を開業するかたわら、新聞や雑誌に法廷記事、ルポルタージュ、短編の推理小説を発表するなどしていたが、1961年に弁護士を廃業し、推理小説の創作に専念。以来、1977年までに、40点近い長編・中編を発表し、発行部数は国内で200万部を越え、12カ国に翻訳された30点余りの作品で、国外発行部数は100万部を越えている。この解説では、「ソ連東欧では非常に名の通った人気作家で、最近ではヨーロッパにも知られるようになった。だが、このタタール人の子孫はまだイングランドに上陸できないことを残念がっているが、ぜがひでも東洋の先進的小島に上陸したいという念願が、本書で晴れてかなったわけである。」。その後、イギリスではエディゲイの作品は刊行されたのだろうか?

 「ポーランドきってのベストセラー作家である」。ソ連では「ベストセラー」という概念がソ連崩壊まで存在しなかったということだったが(ソ連/ロシア推理小説翻訳史 参照)、東欧はだいぶ事情が違ったようだ。

 ポーランド語版Wikipediaの記事をポーランド語→英語の機械翻訳で読んでみると(ポーランド語→日本語の機械翻訳よりはましだろう)、エディゲイは1983年、交通事故で兄弟とともに悲劇的な死を遂げたという。ポーランド・ワルシャワにあるタタール人イスラム教徒の墓地(Muzułmański Cmentarz Tatarski)に埋葬されている。

ブルガリア

ブルガリアの推理小説

 最初に、ブルガリアの推理作家アンドレイ・グリャシキの『007は三度死ぬ』(創元推理文庫、1985年)訳者あとがきで深見弾氏がブルガリアの推理小説界について説明している文を引用する。

 ブルガリアは社会主義圏の中で、推理・スパイ小説の分野では最も良質な作品を供給している国で、さしずめ東欧のイギリスとでも言おうか、東欧では高く評価されている。この分野の理論家として知られ、人気作家の一人であるボゴミーロフ・ライノフは、作家同盟の副会長の地位にある。共産圏でもこの分野は、一般に二流文学として低く見られていることから考えても、推理作家がその地位にあるのは異例なことであるし、この国では推理・スパイ小説が文学として正当な市民権をえている証であるともいえる。

 深見弾氏がイェジィ・エディゲイ『顔に傷のある男』の訳者あとがきで挙げているブルガリアの推理作家は、上記の引用内でも名前が挙げられている「共産圏きっての推理小説の理論家としても評判の高い」B・ライノフと、パーヴェル・ヴェージノフ、ジミトル・ペーエフである。
 ライノフの作品の邦訳はない。ヴェージノフとペーエフは邦訳があるが、訳されている作品は推理小説ではない。ブルガリアの推理作家ではほかに、前述の通り、アンドレイ・グリャシキの作品の邦訳がある。


パーヴェル・ヴェージノフ(1914-1983)

(Павел Вежинов, 英語版Wikipedia(5言語))
  • 「スペイン・コレラ」(真木三三子訳、『露に濡れた石橋 ブルガリア短編集』恒文社、1977年)(パーヴェル・ヴェジノフ)
  • 「ある秋の日に……」(深見弾訳、『東欧SF傑作集』上巻、創元推理文庫、1980年)(パーヴェル・ヴェジノフ)
  • 『消えたドロテア』(松永緑弥訳、恒文社、1997年)(パーヴェル・ヴェージノフ)

 1914年生まれ。1932年デビュー。最初に刊行したSFの本は短編集『青い蝶』(1968)。ベージノフ、ベジノフなどの表記もあり。経歴などは http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%95/

アンドレイ・グリャシキ(1914-1995)

「ザホフ対07」(袋一平訳、『ミステリマガジン』1967年2月号)
『007は三度死ぬ』(深見弾訳、創元推理文庫、1985年) - 「ザホフ対07」と同一の作品。

ジミトル・ペーエフ(1919-1996)

(Димитър Пеев, ブルガリア語版Wikipedia(1言語))
  • 「マホメットの毛」(深見弾訳、『東欧SF傑作集』上巻、創元推理文庫、1980年)

 1919年生まれ。大学で法学を修めたのち、雑誌の編集長を務めながら、推理小説や冒険小説、SFを執筆。長編ミステリ『アリバイ』はベストセラーになった。邦訳はSF作品のみ。『東欧SF傑作集』に収録された「マホメットの毛」は、1962年の国際短編SFコンテスト(ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、東ドイツの東欧5カ国とソ連の計6カ国の作品が競った)で国際賞を受賞した作品。『ミステリマガジン』1978年10月号の「ソ連・東欧ミステリ紹介(第4回)」で、長編ミステリ『七番目の酒杯』(Седмата чаша(1972))のあらすじが紹介されている。ほかに http://archivsf.narod.ru/1919/dimitr_peev/index.htm も参照のこと。

チェコ

チェコ推理小説略史」も参照のこと。

  • G・プロシコワー (H・Prošková の誤植か?)
  • E・フィッケル(Eduard Fiker, 1902-1961, チェコ語版Wikipedia)チェコミステリの創始者
  • J・ワグ 不明
  • 瓦茨拉夫·福尔普列特 不明

 ヤン・ヴァイス『迷宮1000』(深見弾訳、創元推理文庫、1987年)は、チェコを代表するSF小説だが、「探偵」が出てくるので一種の探偵小説として見ることも可能かもしれない。また、邦訳はないが、ヨーロッパSF界で名の知られたイルジ・ブラベネツとズデネク・ヴェセラの共作『〈魂の入江〉での犯罪』は、未来の月を舞台にシャーロック・ホームズ式の古典的捜査が展開されるSFミステリ(『東欧SF傑作集』下巻p.330に、ごく簡単なあらすじ紹介がある)。

カレル・チャペック(1890-1938)

Karel Čapek, Wikipedia(46言語)

 言わずと知れた有名なSF作家。ミステリも執筆している。ソ連の推理作家ロマン・キムは、江戸川乱歩への手紙の中でカレル・チャペックのミステリ作品を乱歩に勧めている。

エゴン・ホストヴスキー(1908-1973)

Egon Hostovský, 英語版Wikipedia(6言語)
  • 『スパイ』(岡田真吉訳、角川書店、1958年)→ 改題文庫化『秘密諜報員 : アルフォンスを捜せ』(角川文庫、1966年)

ヨゼフ・シュクヴォレツキー(1924-2012)

Josef Škvorecký, 英語版Wikipedia(10言語)
  • 『ノックス師に捧げる10の犯罪』(早川書房、1991年)
  • 「どのように私はドイツ語と英語を学んだか」(石川達夫訳、『文学の贈物 東中欧文学アンソロジー』未知谷、2000年6月)

 1924年、チェコ・ボヘミア生まれ。プラハ・カレル大学卒業後、編集者などを経て作家になる。1949年、最初の長編『卑怯者たち』を書きあげるが検閲に阻まれ出版できず。1958年にやっと出版。しかし数年後に禁書扱いに。本名での執筆活動が困難になったため、友人と合作でペンネームでミステリの発表を始める。
 本名で最初に発表したミステリは、1966年に出した『ボルフカ警部の哀しみ』。1968年のチェコ事件をきっかけに、1969年、カナダに亡命。亡命先で1977年、第2作の『ノックス師に捧げる10の犯罪』を発表。その後、『ボルフカ警部の最後』(1990年度 CWA賞ノミネート)、『ボルフカ警部の帰還』と、シリーズは1991年までに4作執筆されている。ミステリの著作は1991年までに10冊程度。ハメットやチャンドラーのチェコ語への翻訳も手がける。エリンデイル大学教授。
 クンデラ、フラバルと並んで、20世紀後半のチェコ文学を代表する作家。

ヨゼフ・ネスヴァードバ(1926-2005)

Josef Nesvadba, 英語版Wikipedia(7言語)
  • 「アインシュタインの頭脳」(千野栄一訳、『現代東欧幻想小説』白水社、1971年)
  • 「クセーネミュンデの精薄児」(栗栖継訳、『世界SF全集』第33巻、早川書房、1971年)(※映画化された)
  • 「死の天使」(深見弾訳、『宇宙塵』155号、1971年)
  • 「第三帝国最後の秘密兵器」
  • 「吸血鬼株式会社」(深見弾訳、『遙かな世界 果しなき海』早川書房、1979年)
  • 「失った顔」(深見弾訳、『S-Fマガジン』1979年12月号)
  • 「タブー」(深見弾訳、『奇想天外』1980年9月号)
  • 「ターザンの死」(深見弾訳、『東欧SF傑作集』下巻、創元推理文庫、1980年)(※映画化された)
  • 「ネモ船長の最後の冒険」
  • 「絶対機械」

 1926年、プラハ生まれ。精神科医。1946年から執筆活動を開始。1958年に短編集『ターザンの死』でSF作家デビュー。ヤン・ヴァイスとともにチェコを代表するSF作家で、チャペックの後継者との評価を受けた。SF以外に、冒険小説、推理小説も執筆した。推理小説では長編『黄金の仏像物語』があり、『ミステリマガジン』1978年8月号にあらすじの紹介がある。邦訳は短編が10編ほどあるが、ミステリの邦訳はなさそうである。ヨゼフ・ネスワドバ、ヨゼフ・ネズヴァドバ、イョゼフ・ネスヴァドバなどの表記もあり。

パヴェル・コホウト(1928- )

Pavel Kohout, Wikipedia(19言語)
  • 『プラハの深い夜』(田才益夫訳、早川書房、2000年)

スロヴァキア


ハンガリー


 『ミステリマガジン』1978年3月号、マグ・ベルタラン『袋小路』のあらすじ。

ルーマニア

  • ジョルジェ・チムク(George Timcu)

 『ミステリマガジン』1978年6月号、ジョルジュ・チムク(ジョルジェ・チムク)『疑惑の光』のあらすじ。

参考文献

  • 深見弾(1976)「ソ連と東欧の警察小説」(『ミステリマガジン』1976年11月号、pp.144-146)
  • 深見弾「ソ連・東欧ミステリ紹介」(全6回、『ミステリマガジン』1978年3月号、6月号、8月号、10月号、12月号、1979年3月号)
  • 深見弾(1991)「政治・経済的危機と名作・珍作紹介不安」(『翻訳の世界』1991年7月号、p.64、[国別・地域別/未訳ミステリ紹介]東欧)
  • マレック・カミンスキ(吉崎由紀子訳)「ポーランドのミステリー事情 現実と虚構の交錯」(『ジャーロ』5号(2001年秋号))
  • マレック・カミンスキ(吉崎由紀子訳)「スロバキアのミステリー事情 ミステリーのなかのミステリー」(『ジャーロ』6号(2002年冬号))
  • 長谷部史親「フェイェシ・エンドレの『くず鉄墓場』」(『ミステリの辺境を歩く』アーツアンドクラフツ、2002年)pp.276-284 (初出は『ミステリマガジン』(※未確認))
  • 曹正文(そう せいぶん)『世界偵探小説史略』(1998)第十四章 前苏联与东欧的侦探小说 (旧ソ連と東欧の探偵小説) 第三节 东欧文学中的侦探小说 (東欧文学の中の探偵小説)

 また、以下の書籍の「訳者あとがき」類を参考にした。
  • イェジィ・エディゲイ『顔に傷のある男』(深見弾訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ1292、1977年)
  • イェジィ・エディゲイ『ペンション殺人事件』(深見弾訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ1312、1978年)
  • エゴン・ホストヴスキー『秘密諜報員 : アルフォンスを捜せ』(岡田真吉訳、角川書店 角川文庫、1966年)
  • アンドレイ・グリャシキ『007は三度死ぬ』(深見弾訳、創元推理文庫、1985年)
  • ヨゼフ・シュクヴォレツキー『ノックス師に捧げる10の犯罪』(宮脇孝雄・宮脇裕子訳、早川書房、1991年)
  • パヴェル・コホウト『プラハの深い夜』(田才益夫訳、早川書房、2000年)

 以下は東欧SFについての文献だが、東欧ミステリを考える上でも非常に参考になった。このような詳細な研究が東欧ミステリについても出現することを期待したい。
  • 深見弾「東欧SFの系譜」(『東欧SF傑作集』上巻、創元推理文庫、1980年、pp.301-346)
  • 深見弾「東欧SFの系譜」(『東欧SF傑作集』下巻、創元推理文庫、1980年、pp.323-371)

最終更新:2011年05月20日 16:57