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日本語で読める数少ないエストニア人作家がヤーン・クロス(1920-)です。彼の"Wikmani poisid" はテレビドラマシリーズとして放映されました(1995年制作)。英語字幕のついたDVDもあります。この作品には、1930年代後半(と1943年、44年)のエストニアを舞台に、ギムナジウムの生徒たちを主役にして、特に後半には彼らの政治に対する考え方を示すエピソードもふんだんに盛り込まれており、歴史研究者である私にとっては興味深い作品です(小説ではなく、ドラマを見ての感想ですが)。テレビドラマの最終回では、同じクラスで学んだ生徒たちが、それぞれロシア軍側、ドイツ軍側について戦っているということが、会話から明らかになります。クラスの中心的存在であったPennoは1941年にシベリアに強制連行され、この回にはもう登場しません。以下の点については、あくまで個人的な見方です。Wikman校長が病気のためになくなり、新しい校長がやってくるわけですが、この新校長は軍隊での活躍と勲章を自慢し、コンスタンティン・パッツの権威主義体制を支持する人物です(「指導された民主主義」についても、説明しています。生徒の一人がそれはバスみたいだ、といったのに対し、そのバスはきちんと運転されているから溝に落ちることはないし、また、乗客は好きなときに乗り降りできて、自分の道を行くこともできる、と答えています)。これに対し、Wikman前校長は、権力にこびへつらわず、信念を貫き通し、人文科学を大切にする人物として描かれています。そしてそのトーンから言えば、作者(あるいはドラマの製作者)は後者を肯定的にみなしているのは明らかです。パッツ体制は、ではそうした前者のような人物に支えられた体制であったのか。背景の説明を省略して疑問だけをあげておくと、パッツ体制を支持していた、民族主義的知識人というのはここで描かれているような薄っぺらい人々であったのか、関心があるところですが、そうしたことはこの話にはでてきません。Wikmanのような古きよき「自由」と学問を愛する人物が、ヤーン・トニッソンのような政治家を支持していたと考えてよいのかどうか。検証すべきことは多いようです。
最終更新:2007年08月05日 23:41