以下は産経新聞のWeb版からの引用です。
歴史認識について考えるための資料になりそうです(いろいろな意味で)。

【赤の広場で】 歴史は消せない

 モスクワから旧ソ連バルト3国のひとつ、エストニアを訪れた。石畳の狭い路地が続く首都タリンの旧市街は、中世ドイツの町並みを彷彿とさせ、周囲にロシア語が飛び交っているにもかかわらず、ロシアとは全く違う印象を受けた。

 1991年に独立を回復したバルト3国は、ソ連を占領者としてとらえる「歴史の見直し」を進めている。エストニア政府が先月末、第二次大戦でのソ連軍勝利を記念した銅像を、ロシア系住民の反対を押し切って中心部から郊外に移転したのも、その一環だ。エストニア語の公用語化で、街からはロシア語表記の看板は姿を消した。

 だが、ロシアとの関係は容易には切れない。エストニア最古のルター派教会で、ロシアの世界探検艦隊を率いたクルゼンシュテルン(1770~1846)の墓を見つけた。当時、帝政ロシアに属したエストニアの支配層だったバルト・ドイツ人で、「世界周航記」(1815年)を著して「日本海」の呼称を世界に広めた人物である。

 エストニア議会の目の前では、1900年に建立されたロシア正教会が議会以上の迫力でにらみをきかせていた。旧市街を少し出ると、ソ連時代の高層住宅群が並び、人々が生活を営んでいる。

 一体の銅像を動かすことはできても、東西勢力がぶつかり合う地に生きてきたこの国の歴史までは、消せないように見えるのだ。(遠藤良介)

(2007/05/14 03:36)
最終更新:2007年08月05日 15:05