Kwaidan


作者:鬼楽 ◆p2.NkAZNtw
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男と女が寄る処、金や物の集まる処、そして酒と肴の集う処にて交わされる
根も葉もない噂話、淫靡卑猥な戯言の類、その他諸々の"厭な話"。
それらが独り歩きをし始めた時、"厭な話"は"怖い話"へと変貌と遂げ
人から人へヒタヒタと渡り歩く。その様、奇怪これに比類なし。
いつの間にやら大きくなった陰口等、皆々様方も経験がおありだと思う。
しかしながら怪談とは、妬み恨みのみから生まれるわけではない。

飴買い幽霊をご存知だろうか。
死してなお我が子の為に、毎晩一文ずつ飴を買いに来た母親の幽霊話である。
この話に篭められたのは恨みつらみではなく、いつの時代も変わらないであろう
母の子に対する深い、深い愛情なのだ。子を残してこの世を去った母親の無念を
生きた第三者が想像し、具体化したものといえる。

また怪談は、国や権力など漠然とした相手に対する、雄弁な意見者としても活躍する。
庶民の娯楽が花開いた江戸文化文政期は、政治社会、日常生活の風刺が流行した。
怪談も多分に漏れず、爛熟退廃の世相を映す鏡として一役かうことになる。
特にお上に対し直接物申す術を持たなかった民草は、不平不満を怪談に託し
蒸し暑い江戸の丑三つ時に、様々な幽霊妖怪を送り出していた。

その代表格が東海道四谷怪談である。
武士の身の上ながら立身出世に目がくらみ、暴虐非道の限りの末自らを破滅に
追い込んでゆく民谷伊右衛門。これは武家社会の乱れを風刺したものに他ならない。

比喩、揶揄、風刺でしか表せない嘆きや叫びがある。
それは平成の今でも変わらず、世話に言う心の声として口から口へ
そこに人がある限り、恐ろしくも滑稽で哀しくも楽しい怪奇譚は
夏を彩る風物詩としてこれまでも、そしてこれからも生き続ける。

江戸時代から二百年以上経った2010年の文月は
文化文明の形勢、宿々在々に至り、宵の闇こそ今は昔。
けれどあの頃と変わらない、うだる様な夜はもう直ぐそこ。
来たる季節と何処からか聞こえる風鈴に、そぞろ鳴る心を寄せて

丑三つの 黒に紛れて あの噺 人と心の 在らん限りは
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宿々在々(しゅくしゅくざいざい)
爛熟退廃(らんじゅくたいはい)
民谷伊右衛門(たみやいえもん)

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最終更新:2010年10月25日 22:12