インド人の幽霊


作者:どらいも ◆5osweXTmkM



俺の部屋にはインド人の幽霊が居憑いている。

いつからいるのかは分からない。
本当にインド人なのかも分からない。
けれど、ふとした時に感じる強い人の気配に振り向くと、六畳一間の部屋の隅にぼぉっ…とターバンを巻いた年老いた男が立っていることがある。
とりわけて危害を加えるわけでも、何かを俺に伝えようとするわけでもなく、そのインド人の幽霊は多いときで週に4日くらい俺の部屋に現れた。

俺の仕事は残業ばかりで、家に帰り着くのはいつも夜の10時を回ってしまう。
その日も俺は疲れた足取りでぼろアパートの錆びた階段をのぼり、北寄りの一番角にある自分の部屋の鍵を回した。
「パチリ」とつり下げられた照明のスイッチを入れると、不快な電子音と共に薄暗い明かりが散らかった部屋を浮かび上がらせる。
そのとき、例のごとく曖昧な視線を背中に感じ、俺はゆっくりと背後を振り返った。

――狭い台所に据えられた小さな冷蔵庫の脇、昼間でも薄暗い場所がある。
俺が目をこらすと、そこにはいつものように消え入りそうなインド人の姿が、蜃気楼のようにユラユラと揺らめいていた。
疲れていた俺は、またか…とため息を一つつくと、初めてそのインド人の幽霊に声をかけた。

「おい……。俺は今から晩飯の用意をしたいんだが…。ちょっとそこをどいてくれないか?」
すると、冷蔵庫の立てる振動にかき消されてしまいそうなほど頼りなく立っていた、そのインド人の張り付いたような表情が、いままで見せたことのないような動きを見せた。
できそこないのアニメのように、彼の口元がパクパクとうごき、濁った大きな黒目はもの悲しさを表すかの様にかすかに細められた。
「……いいかげんにしてくれ。いったい俺に何が言いたいんだ?」
つい、ため息混じりの悪態が漏れる。
インド人の幽霊は相変わらず口をパクパクさせているだけだった。
…まぁ、仮にしゃべっていることが聞こえても相手はインド人の幽霊だ。インドの言葉で話しかけられても、それはそれで困る。
俺は無視を決め込むことにした。

右手に提げたコンビニの袋を流しの横にドサリと置き、買ってきたビールやつまみを黙々と冷蔵庫に詰める。
すぐ傍らでインド人の幽霊が無関心な目をじっと俺の方に向けている。
真横でこの世にあらざる者の視線を感じながら、俺はもう一度ため息をついた。
我ながら、慣れというものは恐いものだとも思った。

疲れて帰宅し自炊する気力もなかった俺は、買い置きのレトルトカレーを鍋に開け温め始める。
レトルトをそのままというのも少し寂しいので、俺はいつものように少量のスパイスを加えた。
気がつけば、そのインド人の幽霊はいつの間か鍋を火にかけている俺の傍らに立っていた。
その目は無言で俺の手元を凝視しているようだった。
(まさか……食いたいのか……?)
俺の心を読んだかのように、そいつの目が俺の顔と鍋の中を往復している。

俺はちょっとだけ面白くなって、温めたご飯を皿によそいカレーをかけてインド人の幽霊の足下に置いた。
彼は初めてうれしそうな顔をし、熱々のカレーを素手で食べ始めた。

インド人が目の前でカレーを食べているという光景をぼんやり眺めながら、俺はふと思い出した。
「インド人って、牛肉食ったらいけなかったんだよな……」

俺がインド人の幽霊を見たのは、その日が最後となった。



【コメント】

なんか…ごめんww

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最終更新:2010年10月17日 12:56