作者:Elika


 「はじめまして!」

その声を聞いたその瞬間から、俺はずっと彼女ばかり見ていた。
声でのやり取りがメインのこのスレにおいても、彼女の声は群を抜いて優れていた。
演技力、声質、何もかもがすばらしかった。
他の住人も、彼女の儚げで芯のあるその声に心酔していた。
俺は負けじと、彼女の声に声で応えた。

ある時、俺に史上最大の幸運が訪れた。
彼女のskypeID……音声通話のIDを知るチャンスがめぐってきた。
スレでは控えめな彼女だったが、初めての通話はチャットを飛ばしてくることなく、いきなりコール音を鳴らしてきた。

 「あ……こっちじゃ、はじめましてかな?」

小さな鈴がコロコロ鳴るような、耳に心地良い透き通った声で、彼女はおずおずと俺に呼びかけてきた。

 「あ、はい、は、はじめまして!!」
 「あはは、なんかスレと雰囲気違うよ!」

彼女との始めての通話は、緊張でガッチガチのまま始まって、仄かな恋心を抱いて終わった。

それからは毎日毎晩、彼女がskypeをオンラインにしている限り通話し続けた。
チャットはほとんど使わずに、互いの声を耳にして日々を過ごした。
──仄かな恋心が確かな愛情に変わるまで、時間は十分だった。
俺たちはそれほどまでに話しまくった。
さらに幸運だったのは、それは彼女も同じだったということ。
スレでは相変わらずのやりとりをする裏で、いつしか俺たちはごく自然に、どちらからともなく下の名前で呼び合う間柄になっていた。

 「コウ君はほんと、いい声だよねー」
 「ミサキさんだって、きれいじゃん、声。透き通ってる」
 「あはは、だってほら、私は声しか取り柄がないから」
 「そんなことないよ、この前送ってもらった写真だって、すごいきれいだったし」
 「んー……そうなんだ?」
 「そうなんだ、ってそうに決まってんじゃん。自信持っていいよ!」
 「そっかぁ……」
 「そうだよ!」
 「でも、ほんとコウ君はいい声だよね」
 「そればっかだなぁー、声以外ないのー?」
 「えー、私にとっては声がすべてだもん!」
 「はははっ、なんだよそれー!」
 「生粋の、生まれついての声マニアですからね~」
 「ありがとう、ミサキ」
 「声は、裏切らないからね」

季節は巡り、俺の誕生日にミサキからプレゼントが届いた。
プレゼントはCD、ミサキがよく聴くといっていたクラシックのCDだった。
19歳だという割には妙に達筆な宅配便の送り状が、ミサキの住所を教えてくれた。

──ミサキに、会いたい。

そう思ったらいてもたってもいられなくなった。
気がつくと俺は、新幹線を待っていた。
今思えば俺は、とんでもないストーカーだと思う。
若さゆえの過ちでは済まされないほどに、突拍子もなくぶしつけな行動をとったと反省している。
──アポもとらずに俺は、ミサキの家の前に立っていた。

ドアチャイムの白いボタンに伸ばした指がわずかに震える。
しかしそれは触れることなく、出し抜けに後ろから響いてきた声に、俺は振り返った。

 「誰……?」
 「っ……ごめんっ、ミサキ!会いたくなっt」
 「コウ、君……なの?」
 「そう、だけど……」

犬の散歩から帰ってきたミサキは、俺と目を合わせようとしなかった。
そして、絞り出すような切ない声で、

 「ぇって……」
 「え?」
 「帰って!!」
 「え、わっっ?!」

信じられないほどのスピードで、ミサキは玄関に消えた。
ミサキを避けようと身をかわした時に、かっこ悪くしりもちまでついた。

 「はは……かっこわりぃ。マジで」

それからしばらく、俺はパソコンを起動する気にならなかった。
正確に言うと、そんな勇気はなかった。
空白の時間はあまりにも多くて、俺はそれだけミサキと話していたんだと実感させられた。

なにもない毎日が、無駄に流れて消えていった。
空虚な一日が、無言のうちに俺の愚かさを責めていた。

そんな時間が何日も過ぎたある日。
唐突にそれは訪れた。

 「あの、コウ、さんですか?」

ちょうどタバコが切れ、コンビニまで重い足を引きずって歩いていた俺に、見たこともない女の子が声をかけてきた。

 「はぁ……そうですけど」
 「突然で、失礼します。私、カエデっていいます。高島カエデ」
 「高、島……!?」

ミサキと同じ苗字──まさか!

 「姉が──ミサキが、いつもお世話になっています」
 「あ……」

口の中がやけに乾いて、うまく声がでない。
そんな俺に、カエデちゃんは──ミサキの妹は、おずおずと続けた。

 「姉が、この前は申し訳なかったって……あれからコウさんがずっと、skypeにログインされないから謝る事もできないって」
 「あ……いや、あれは俺も悪かったっていうか全面的にアポなし突撃したのが」
 「違うんです!」

カエデちゃんは、力強く俺の言葉をさえぎった。

 「姉は……目が、見えないんです」

衝撃の事実。
思い当たるフシはいくらでもあった。
文字レスにはあまり反応しなかったミサキ。
チャットは全くしなかったミサキ。

そして、口癖のように言っていた……「声は裏切らない」と。

 「バーンを見て、お気づきになったかもしれませんけれど」
 「バーン……って、あの?」
 「はい、盲導犬です。最近になってやっとうちに来てくれたんです」

知らなかった。
気づかなかった、というべきかもしれない。
なんせ、しりもちついてたからな……あの時。一瞬だったし。

 「コウさんと話すようになるまでは、姉はずっと盲導犬なんていらないって言ってたんですよ」
 「え、俺?」
 「はい。外に出ることもなくて、たまに私が無理矢理連れ出さないと文字通り一歩も」
 「……」
 「コウさんに、会いに行きたかったんだと思います」
 「…………」

俺は、ミサキの何を知っていたんだろう。

 「きっと、いずれ自分で言うつもりだったんだと思います。でも、コウさんが突然会いにきて……」

俺は、ミサキを何も知らなかったんだ。

 「カエデちゃん、今、ミサキは?」
 「……ずっと、部屋で塞ぎこんでいて、あの、私見ていられなくて……ごめんなさい、突然」
 「行こう、カエデちゃん!」
 「えっ?!」

ミサキに、会いたい。
会って、謝りたい。
何も知らなかった自分を詫びたい。
俺が空虚な時間で自分を恥じている間、どれだけミサキが不安だったかを知りもしないで。
自己嫌悪にヘタレていた自分が、今この世で一番恥ずかしい。

 「カエデ、おかえり」
 「あ、お姉ちゃん」
 「ミサキ!!」

バーンを連れたミサキが、玄関の前にいた。
ここに来るのは2度目……あきらかに、違う気持ちで今は立ってるけど。

 「え……?」
 「ゴメン、ミサキ!!俺、ミサキのこと、なにも……目のことだって……」

悔しさと恥ずかしさで、こみ上げる涙を必死でこらえて、俺は言葉をつむぎ続けた。

 「なにも知らなかった、俺はバカだった!」
 「コウ君……」

透き通った声が、わずかに震えていた。

 「俺が自己嫌悪でずっと、ヘタレてる間、ミサキがどれだけ不安に思っていたかも知らずに……」

俺の声も、いつしか震えていた。

 「気づかなかった、今思えばいつ気づいたっておかしくなかったのに!!」

ふいに、ミサキの手が伸びてきた。
文字通り手探りで、俺の肩にそっと触れた。
まるで俺の形を確かめるように、ミサキの手が俺をなぞった。

 「もう、その声聴けなくなるのかと思うと、怖かった……」

ミサキの手が、俺ののどをなでる。

 「初めて、声に裏切られるのかと思った……怖かった、ホントだよ?」
 「ミサキ……ゴメン、本当にゴメン」
 「えへへ……でも、コウ君は裏切らなかったね、やっぱり」

光を失ったミサキの目から、涙がこぼれて、伝って、落ちた。

それを拭える距離に、俺はいた。
やっと近づけた。本当の意味で。





 「よし、っと……」
 「どうしたの?」
 「んー、いや。なんでもない」
 「さっきからなにをそんなに一生懸命打ってるのよ」
 「俺とおまえの愛の軌跡をだな」
 「バカ。目が見えないからって、いい加減な事言わないでよー」
 「はいはい。じゃーそろそろメシにすっか」
 「はーい!」

声は、裏切らない。
俺の声は、今もミサキの側に居るんだから。

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最終更新:2011年02月28日 23:22