作者:Elika


そこは、見渡す限りの廃墟であった。
灰燼に帰した都はその栄華を、一瞬のうちに奪われてしまった。
人の気配も命の息吹も、そこには微塵も感じられなかった。

一歩足を踏み出せば、華やいだ王都の彩の残骸がかさりと音を立て、崩れる。
かつてここにあった、平和で美しく穏やかな人々の暮らしぶりは──失われてしまっていた。

ふと路地裏に目をやると、打ち捨てられたぼろくずのように、女が壁にもたれていた。
生きているのか死んでいるのか、まだ助かるのかもう無理なのか。
確かめようと歩を進めた。

すでに事切れたその女はしかし、その腕にしっかりと、赤ん坊を抱いていた。
赤ん坊は必死に女の、母の乳を吸い、呼吸をしていた。

──それはまさに、生命力の象徴のようであった。
──それはまさに、人間の愛そのものであった。

たとえ命が果てようとも、我が子を胸に抱き乳を与え続けるその姿は神々しくさえ思えた。
たとえ命が果てていようとも、母親の乳を吸い続けるその姿は雄雄しさにあふれていた。

私は小さく十字を切り、母親の腕の中からそっと赤ん坊を抱き上げた。
その刹那、赤ん坊は大地を揺るがすほどの大きな声で泣き叫んだ。
死のもたらす別離の意味を知ってか知らずか、赤ん坊は泣き続けた。

 「そうか。おまえにもわかるのか。『死』の意味が……」

残された母親の亡き骸は、しばしその乳をぽたりぽたりとたらし続けた。
荒廃した大地に命を吹き込むように、白く甘いそのしずくは女の脇に小さな水溜りを作った。

 「案ずるな、名も知らぬ女よ。私がこの子を育てよう」

女が、小さく笑ったような気がした────。
さあ、時間がない。もはや一刻の猶予もないのだ。
やがて世界に夜明けをもたらす運命を背負ったその赤ん坊と共に、私は王都を後にした。

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最終更新:2010年10月21日 17:26