大戦年表 1巻


「常勝」たけのこ軍   「夜のきのこ」きのこ軍


『 黎明期 』

:大戦の夜明けが訪れた。ある一人の兵士が払暁の中、雄叫びを上げる。たけのこ軍がきのこ軍に対し挙兵、即時開戦したのだ。
この大戦は、昨今多岐に見られるコンマスレと何ら変わりはない、コンマスレの一つとして我々の前に表れた。
しかし『二分化した勢力の存在』、『階級制度の存在』、『コンマスレの中で終着点(この場合は片方の陣営の戦力0を意味する)の存在』、以上の他のコンマスレには無かったシステムを取り入れた大戦は参加者の心を大いに躍らせた。
長きにわたる大戦はここに幕を開けた。

・第一次きのこたけのこ大戦 2010.02.12 AM6.49


:記念すべき第一次きのこたけのこ戦争。このときはまだ細かいルールは存在せず、
 00で階級に応じて撃破のみであったが、有志の提案により他のゾロ目でも一撃破となった。


・第二次きのこたけのこ大戦 2010.02.12 PM10時以前に開戦か


:戦争の混乱を鎮圧するべく、35:35からのデスマッチを挑んでいることが資料から伺える
 今日の大戦の規定をつくったのも、この時期のようである。


・第三次きのこたけのこ大戦 2010.02.13 AM0.00


:第二次だけで満足しなかった兵士たちにより日付の変わり目と同時に第三次は勃発。戦いは深夜の2時まで続いた。この戦いにより、大戦の連戦が明確となる。 大戦の後に初めて総評が貼られる。


・第四次きのこたけのこ大戦 2010.02.13 AM9.20


:血ではなくチョコに飢えた兵士は飽きることなく戦い続けた。この大戦終結後に、wikiの製作が決定され実行された。
 この時期が大戦年表の発展期にあたるが、この時期の呼称について、ニョロニョロきのこ時代やたけのこニョッキッキ時代など諸説あり、後世の歴史家の意見がわかれているところである。


・第五次きのこたけのこ大戦 2010.02.13 PM09.00


:第一次と比べて、個性的な名前、コードネームを持った兵士が大幅に増加した。この頃から大戦での武勲をたてるため、訓練を始める兵士たちが増えた。


・第六次きのこたけのこ大戦 2010.02.14 AM00.30


:相次ぐ連戦にこの大戦の知名度は飛躍的に伸びていた。この大戦時での勢いは最大で40000程と言われており、伝説と化している。しかし、日々の連戦が長く続きはしなかった。
 この第一次から次の第七次までの連続した戦いを一般には火の7日間ならぬ「火の3日間」という。


・第七次きのこたけのこ大戦 2010.02.14 PM09.00

第7次きのたけ大戦 //前半戦
第7次きのたけ大戦 //後半戦
第7次きのたけ大戦 //両軍間による今後に向けての会議

:3日間続いた大戦の最終幕がこの戦いであった。勢いは相変わらずの40000越えを果たし、士気をあげた兵士が時には乱発し、時には狙い撃ちをして賑わせた。
 7回に渡る連戦に戦士たちは疲労感にまみれながらも、今後の方向について議論しなければならなかった。理由は連戦による戦場の荒廃化にあった。彼等は悩んだ。移転か、移転をせざるべきか。議論の末、たどり着いた答えは“移転”であった。彼等は新たな戦場へ赴くこととなった。しかし、彼等はきっとある思いを胸に秘めていたことであろう。必ず戻ってくる、と。



『 飛翔期 』
:数日間に渡る戦闘は終わりを迎えた。両軍の中から大戦の未来を危惧する者が、進んでこれからの展望について議論を交わした。ここに会議所が発足された。場所を移してでも懐かしき戦場に舞い戻る夢を追い続ける兵士は後を絶たなかった。パー速での一回の戦闘を経て、兵士は古戦場に戻る決意を固める。

・第八次大戦開戦までの流れ


:ついに新天地での彼らの生活が始まった。これまでと違う生活環境に戸惑う者、嬉しはしゃいで弾を乱射する者、自らの武器を製作する者など彼らの反応はそれぞれ異なりはしたものの団結力は概ね維持したまま休戦機関を過ごした。
 新天地でのルール変更を着実に行い、その日は遂に訪れた。戦場を変えての初めての戦闘に等しく彼らは胸を躍らせていたに違いないであろう…


・第八次きのこたけのこ大戦 2010.02.19 PM09.30


:試験的に始まった戦闘は、両軍を数えても兵士が10人程度というさながら白兵戦のような展開で終始戦局が進んだ。
 戦争終結後、先刻まで敵同士であった戦士たちはすぐに議論に参加し、かの戦いの問題点を挙げ善後案を協議した。新天地での戦闘の安定化にはいましばらくの時が必要であった。


・第九次きのこたけのこ大戦 2010.02.20 PM11.00


:古戦場での再戦は戦士たちが思っていたよりもはやく実現することとなった。実質は9時半の開始が予定されていたが、集計係の一人の不祥事により開始時間を延ばしての戦いとなった。


・第十次きのこたけのこ大戦 2010.03.05 PM9.45


:戦闘の序盤は古残兵による軽い応酬に留まった。戦局が動いたのは中盤から終盤にかけてである。見事な隊列を組み、精度の高い射撃を行うたけのこ軍、数は散り散りになりながらも反骨精神を剥き出しにし反撃を行うきのこ軍、抜きつ抜かれつの展開は最後まで予断を許さなかった。最後はスナイプ攻撃によって終焉へ向かった。


・第十一次きのこたけのこ大戦 2010.03.12 PM11.00


:両軍の会戦から約90分が経ち、態勢はたけのこ軍に傾いていた。戦力差はおよそ20、終盤においての、この差はもはや絶望的である。120分後、きのこ軍の壮絶な反撃戦が始まった。
ヒットアンドアウェイ、ヒットアンドアウェイ、きのこ軍は大多数の兵を擁しながらゲリラ戦を始めた。何かがおかしい。補給をしきりに繰り返していたたけのこ軍が事態の異変に気付いた時には既に、たけのこ軍は壊滅への一歩手前に立っていた。
参考までに、反撃が始まったAM1:00前後から終戦までのたけのこ軍の戦力減少数が36に対し、きのこ軍の戦力減少数は9である。以上の資料からも異変は見て取れる。


・第十二次きのこたけのこ大戦 2010.03.20 PM10.15


:前回の巻き戻し再生を見ているかのように、きのこ軍はたけのこ軍に戦力差20をつけ中盤を折り返した。きのこ軍が生んだ油断を、精鋭が揃うたけのこ軍が見逃すはずがなかった。スナイプ撃破は少なかったものの、たけのこ軍による正確な射撃にきのこ軍の戦線は押し戻された。最後はスレ1000できのこ軍の止めを刺すという徹底した戦闘形態にきのこ軍はあらためて舌を巻いた。


・第十三次きのこたけのこ大戦⇒第十四次きのこたけのこ大戦 順次勃発 2010.04,24 PM10.00 ⇒ 2010.04.25 AM00.10


:第十三次は試験的に両軍の戦力を50として導入された戦いだった。そして60分以内で戦闘は終結した。結果は語るまでもない。
続いて、有志の提案により第十四次戦役了解案が提出、可決された。
きのこ軍は戦力で格上のたけのこ軍に勝るも及ばず。この戦役では、たけのこ軍元帥が御自ら陣頭に立ちきのこ軍兵士を屠った。
撃破数の観点からいえば、この頃から徐々に兵士の撃破数は上昇の一途を辿っていく。或いはこの時に、それが示す問題に気付くべきだったのかもしれない。後の戦役においてこの問題は表面化することとなる。


・第十五次きのこたけのこ大戦 2010.05.01 PM10.00


:きのこ軍はよく善戦したほうだ。たけのこ軍の撃破王1位と2位だけで計110撃破をしているので、終盤の戦線を膠着状態におしやったきのこ軍の指揮形態は確かなものだったのだ。最後は力尽きたが、序盤のたけのこ軍の圧倒的有利な状況、中盤から終盤にかけて奇跡ともいえるきのこ軍の反撃、以上からこの戦いをきのこ軍とたけのこ軍の名勝負と捉える歴史家も少なくない。
因みに2スレ目の>>529のたけのこ軍の内状を的確に表したAAはなかなかに秀逸である。


・第十六次きのこたけのこ大戦 2010.05.02 AM00.38


:第十五次に続いて行われた大戦は、指揮伝達がうまく機能せず、集計係不在の中で始まってしまった。その中で率先して集計を買って出たコアラ曹長にはこの場において感謝をせねばなるまい。
きのこ軍は勝利した。きのこ軍の中には以前に何時勝利を飾ったか忘れている者さえいたと言われる。しょうがない、の一言で済む問題なのだ。


・第十六次から第十七次までのルール一時改訂案について


:それまで一定の期間で行われていた大戦は暫しの小休止を挟んだ。会議所ではこの間、雑談と訓練で1スレを消費した。
5月末、頭を柔らかくした両軍兵士による戦争協定が行われた。全員が二等兵から始める、踏むと階級が降下する地雷、そして全コンマを揃えると所属する兵士の階級が無条件で上がるクエスト、その他従来のルールの微調整が行われた。


・第十七次きのこたけのこ大戦 2010.05.28 PM11.00


:協定が出来上がり、いざ一月ぶりの大戦は開かれた。やはり、クエストは先にたけのこ軍が達成した。たけのこ軍の優勢は変わらず最終結果は0:75となった。


・第十八次きのこたけのこ大戦 2010.05.29 PM9.48


:試験的に導入された第十七次のルールは継続されずに、第十八次は従来のルールで執り行われた。たけのこ軍の強さは栄華を極めつつあった。圧倒的戦力差できのこ軍に勝利した。


『 動乱期 』
:第十八次の大戦を期に、兵士は暫くの休息を得た。この時期、規制が頻発、会議所に出席をする兵士に大きな打撃を与えていた。未だ明確な開催日時のサイクルを確立していなかった会議所は7月まで沈黙した。集計係が一人しかいなかった事も要因の一つして挙げられるかもしれない。
暫くの後、大戦は有志の積極的な働きにより復活した。そして兵士は無謀にも突入を敢行した。避けられぬ動乱へと。

・第十九次きのこたけのこ大戦 2010.07.04 PM10.32


:度々の規制、コンマスレの乱立、複数の要因が重なった兵士には大戦の疲労とは別の何かが肩にのしかかっていた。
そのような状況下で再び大戦の火蓋は切って落とされた。たけのこ軍は特に苦を覚えずに勝利、きのこ軍は特に苦を覚えずに敗戦した。
ちなみに撃破記録は第六次以降、たけのこ軍が撃破王の位置に留まりつづけている。


・第二十次きのこたけのこ大戦 2010.07.07 PM10.10


:7月7日に行われた七夕会戦は、従来のルールに加えてコンマ77で大量撃破をできるという粋な計らいで兵士を活気づけた。
ただ、精鋭が揃うたけのこ軍にはどうやら意図が伝わらなかったようで、終盤は4連続で00スナイプを達成し膠着していた戦線を一気に押し開いた。


・第二十一次きのこたけのこ大戦 2010.07.10 PM10.30


:その日、会議所は少なからず衝撃に包まれた。圧倒的な撃破数は今後の大戦の命運を分けた。電波時計による00狙い、タイミングを計った00狙い、00狙いに伴う戦闘終結速度の上昇、集計が背負う負担の増加、今まで内面化していた事態は一気に表面化して会議所に集う兵士に襲いかかった。彼等はルール変更を念頭においた協議を開始した。


・第二十一次から第二十二次までのルール改訂について


:会議は「00コンマを故意に狙うスナイパーの対策」という議案を持って進められた。発案された案は 「レス番号一ケタによる撃破調整案」、「00狙い封じ案 その1 甘め」、「00狙い封じ案 その1 辛め」、「コンマ確認案」の四つだった。投票の結果、00の前後に地雷を置いた「00狙い封じ案 その1 辛め」が採用された。00スナイパーの抑止効果を狙った案だった。しかし、抑止効果が薄い、兵士の戦意を削ぐ、などの意見もあり確定案とは成りえなかった。きのこたけのこ大戦は動乱期を迎えたのだ。


・第二十二次きのこたけのこ大戦 2010.07.17 PM10.30


:地雷は両軍とも分け隔てなく直撃した。ただ、きのこ軍が圧倒的な勝利に至った所以は恐らく、今までの圧倒的敗北に反発した結果なのだ。
撃破数は両軍とも減少を見せた。少しでも抑止効果があったと見ていいのか、後世の歴史家の評価が分かれるところである。


・第二十三次きのこたけのこ大戦 2010.07.31 PM10.07


:柔軟性に定評があるたけのこ軍は地雷ルールにあっさりと対応した戦いを見せた。前大戦の報復とばかりに、半ばつけ上がるきのこ軍に弾丸の応酬を浴びせた。


・第二十四次きのこたけのこ大戦 2010.08.08 AM0.15


:再びのルール調整がなされた。新兵「傭兵」の投入、夏祭りに伴うコンマ88大量撃破の導入、地雷ルール撤廃の代わりに故意スナイパーの根絶宣言、追加されたルールは以上であった。
今大戦は稀にみる1スレでの終結を見せた。そしてやはり、きのこたけのこ大戦は未だ動乱期の中にあった。


・第二十四次から第二十五次までのルール大幅改訂について

:この大戦前に明確なルール改訂がパー速兵士の手によって執りきめられた。予てより発案されていた「レス番号一ケタによる撃破調整案」が母体となった新ルールがここに発令された。
このルールは従来のもとと比べて、コンマ狙いの実力よりも運に重きが置かれている。先の大戦までは、その実力が結果的に大戦の短縮化に反映されたが、今度のルールは大戦の長期化を目的とした。スナイパーの弱体化、大半の兵士が英雄になれる機会を得られやすくなった。
テンプレの改変を大戦間近に迫られながらも、両軍の兵士は互いに協力してその作業に当たった。


・第二十五次きのこたけのこ大戦 2010.08.14 PM10.00


:序盤はきのこ軍の有利、しかし命中率が低下していくきのこ軍と対象的に、中盤から終盤にかけてたけのこ軍の命中率は見る見るうちに上昇していった。終盤は怒濤の大量撃破できのこ軍を打ち破った。
状況変化に柔軟に対応しているのは、記録を参照するにたけのこ軍よりきのこ軍の方である。しかし、たけのこ軍は少ない兵力ながらも実力と運を兼ね備えきのこ軍を打ち破った。



『 僚友期 』
:動乱は一時沈静化した。殺伐としていた会議所はその鳴りを潜め、再び歓談の場となった。パー速での大戦復活、ダイヴォー討伐戦、大戦の直後に行われたオセロ将棋レクリエーション決定戦。両軍を隔てていた壁は既にない。彼等はお互いに悩みあい、笑いあい、時には対立しあい、そしてまた笑いあう。
この時期になり、今まで席を離れていた大戦の兵士が続々と任地から帰還してきた。

・第二十五次から第二十六次までのパー速大戦復活動向について



:ある一兵士の提案により、パー速での大戦復活案が瞬く間に可決され、進められた。
その背景には、この頃頻発していた2ch規制者(犠牲者)の救済の手立て、規制により弱体化したきのこ軍への不満などがあった。
この時は、VIPでの大戦を土曜に、パー速での大戦を火曜とすることで両軍の協定は確定した。


・第二十六次きのこたけのこ大戦 2010.08.17 PM10.00


:大戦は周りが予想していたより呆気ない程に幕を閉じた。戦場を変えた兵士たちは肩の疲れが取れたかのように次々と弾を命中させていった。
人数は拮抗していたはずなのだが、結果はきのこ軍の圧勝であった。精度を上げる射撃を行うたけのこ軍と、弾薬数に固執するきのこ軍との両陣営の方向性が浮き彫りとなった。


・ダイヴォー討伐戦 2010.08.18 PM10.37


:ダイヴォーについての詳細は兵士の紹介欄を見ていただければ幸いだ。この戦いは予め何かの取り決めがあったわけではなく、偶発的に勃発した。ダイヴォー一人に両軍から募った義勇兵が戦いを仕掛けるといったもので、その戦闘には義勇兵の一人を持ってして「実に不毛な戦い」と言わしめる程である。
戦いは言わずもがな、ダイヴォー討伐隊が勝利した。


・第二十七次きのこたけのこ大戦 2010.08.21 PM10.00


:見渡せば戦場の大半はきのこ軍兵士で埋め尽くされていたと、史実には残っている。勝敗は序盤で決したかのように思われた。
しかし、そのような状況で怯むたけのこ軍ではなかった。弾薬の勢いが序盤から長続きせずに中盤で尻すぼみとなるきのこ軍の内状を、たけのこ軍は熟知していた。たけのこ軍は中盤に大規模な攻勢を敢行した。最大30もの戦力差は瞬く間にひっくり返り、きのこ軍の兵士は皆青ざめた。しかし、きのこ軍も引けはとらない。混乱する隊列を編成しなおし、再度にわたる攻撃でたけのこ軍に辛くも勝利した。
お互いの事をよく知っているからこそ起こる戦闘だった。


・第二十八次きのこたけのこ大戦 2010.08.24 PM10.00


:今回の大戦の集計は、予てからの要望により、戦闘中は完全非公開とし終結後に結果を公表するという“劇場システム”となった。
戦力は二十六次大戦の反省を生かし、加減システムで行った。
今までのVIPでの大戦は動物で例えると、たけのこ軍が虎、きのこ軍がバンビであった。それが、ここ2回で行われたパー速の大戦では立場が見事に逆転している。きのこ軍兵士一人一人の発射数がたけのこ軍のそれより上回っていることは要因の一つして挙げられる。


・第二十九次きのこたけのこ大戦 2010.08.28 PM10.00


:たけのこ軍はこの頃どうも調子が上がっていなかったようで、きのこ軍相手に度々辛酸を舐めさせられていた。この戦いも例外ではない。一説には、きのこ軍の乱射攻撃が実のなるものとなった証拠であるとするものもあるが、後世の歴史家の意見が分かれるところである。
しかし、人間に幸不幸の波があるように、軍全部にも確かにそれは存在するのだ。不幸が来たら、必ずその後に幸が訪れるのだ。
たけのこ軍はその訪れを待っているにすぎないのだ。


・第三十次きのこたけのこ大戦 2010.08.31 PM10.00


:この時期の前後は“第一次きのこニョッキッ期”と呼称される。今までたけのこ軍の前で床を舐めていたきのこ軍が、たけのこ軍に一度ならず、二度ならず数度にわたり勝利を収めたためだ。
特にこの戦いはそれが顕著に出ていると言える。第一スレが終わる段階で、たけのこ軍の戦力が半減しているにも関わらず、きのこ軍は未だ100を保っていた。異常とも言えるこの戦いの中で最終的にきのこ軍の戦力を半減に追い込んだ結果は、たけのこ軍の誇りの表れなのかもしれない。



『 彷徨期 』

:パー速にある会議所では、予てより懸念されていた“新たなる希望”誕生のため、様々な対策案を打ち出した。大戦開始の時間をずらすことで新規の兵士の発掘を狙った案もその一環である。大戦の長期化に伴う沈滞した雰囲気の払拭に成功した会議所だが、彼等の目の前は未だ暗闇が立ちこめる。彼等は必死に模索した。

・第三十一次きのこたけのこ大戦 2010.09.04 PM10.00


・第三十二次きのこたけのこ大戦 2010.09.07 PM10.00


:第三十一次、第三十二次大戦を持って、試験的に導入されいた曜日変更計画が終了した。第三十一次では鬱憤晴らしのたけのこ軍の大量射撃が行われ、第三十二次ではたけのこ軍兵士抹茶の兄弟構成に関する口口論がスレ全般に渡って行われた。
割と知り得なくてもいい情報であるが、DBが生み出された時期から、精神と時の部屋を抜け出したのか、¢きのこ軍兵士の態度が豹変していく。過去の大戦記録を覗き見て、彼の変貌を見ることもまた、歴史を調べる上での嗜みの一つと言える。


・第三十三次きのこたけのこ大戦 2010.09.11 PM10.00


・第三十四次きのこたけのこ大戦 2010.09.14 PM10.00


:たけのこ軍の反撃が始まった。第三十三次と第三十四次では共にたけのこ軍が快勝している。実はユニーク兵士ではきのこ軍兵士よりもたけのこ軍兵士が数で若干勝っている。その兵士の殆どが自軍勝利に絡む働きを見せ、撃破王、またはそれに近い称号を手にしている。これには敵味方ともに舌を巻くしかない。


・第三十五次きのこたけのこ大戦 2010.09.18 AM00.00


:今期の名勝負。差が20開いたってどうにかなる時はなってしまう、という感慨深い思いを我々に与えてくれる。
序盤から長期化の兆しは見え隠れしていた。更に試験的な意味を込めて、一日早い夜中の0時に開催された事もあってか、睡魔に耐えきれずに伏せる兵士が続出したため、それに拍車がかかった。
終盤は両軍とも殆ど補給に頼らない混戦を展開したが、大量撃破を先にこなしたたけのこ軍の勝利となった。
また、この大戦には新人たけのこ軍兵士が数多く出撃、そして華々しい戦果を遂げた。特に柿崎兵士の活躍は顕著である。


・第三十六次きのこたけのこ大戦 2010.09.21 PM10.00


:まさに今期を体現するかのような大戦。彷徨という言葉はこの大戦に相応しい。抹茶兵士と黒砂糖兵士による自虐的戦争、ちんシュ兵士による意味の無い精神的な加速。戦い自体は白熱したが、精神を加速させすぎたために、戦いよりもスレの容量落ちに気を傾けた者も多いだろう。ギリギリである。


・第三十七次きのこたけのこ大戦 2010.09.25 PM10.20


:近辺の大戦の中で一番に勢いがあったとされる大戦。推定勢い37000。集計じゃがバター兵士を過労死させる速度で大戦は進み、そのバトンは無事本来の集計係に渡った。じゃがバター兵士の雄姿を忘れてはいけない。
リコーズ、まったり、など聞く者が懐かしむ兵士がこの大戦を期に始まった。


・その間のパー速会議所の主なまとめ

【努力値 経験値 女の尻】きのこたけのこ大戦 戦闘場&会議所★25【まさに人生】
【天国に】きのこたけのこ大戦 戦闘場&会議所★26【Take off】
:完全なポケモンスレとなっていることが見てわかる。一時は野球スレも兼ねていた会議所だが、この時期に発売された新作ソフトの影響色濃く、個体値の見せ合い、技構成の考察、果ては兵士のポケモン擬態化など話題は事欠かない。
そのゲームをやっていない者には分かりにくい、所謂、半内輪スレとなってしまっている。これについては後世の歴史家の意見が分かれるところである。


・第三十八次きのこたけのこ大戦 2010.09.28 PM10.00
ここだけ第三十八次きのこたけのこ大戦


:どちらの大戦ともにたけのこ軍が勝利している。この間にVIPのレス規制は40秒に移行している。
第三十九次では、たけのこ軍がきのこ軍を息の根を止める寸前まで追いつめるも後一歩踏み込めずにスレ終了間際まで長引いた。余談だが、この時集計係は集計と総評書きを同時に行ってその場を凌いだ。
第三十九次では焼き肉スレからの参戦者が相次いだ。心強い戦力になったと同時に、ここは焼き肉スレか、と勘違いした者もいたに違いない。この大戦を踏まえた上で、次期にある対策案が打ち出されることとなった。


・第四十次きのこたけのこ大戦 2010.10.05 PM10.00
ここだけ第四十次きのこたけのこ大戦

:きのこ軍が久方ぶりの快勝を見せた。パー速、VIP両大戦できのこ軍のエースとなりつつある¢きのこ軍兵士の攻撃回数たるや、時計を片手に持ったたけのこ熟練兵士を軽く上回る程である。

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最終更新:2013年05月25日 03:10