ハルヒと親父 @ wiki

できちゃった その3

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haruhioyaji

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 母子手帳がいつからもらえるか、ご存知だろうか。
 正解は「妊娠がわかったら」すぐにでももらえる、である。
「そんなことも知らないで、父親になろうなんて、うかつすぎるわよ、バカキョン!」
 うかつなことは認めるが、そういう「うっかり」ではないような気がするぞ、ハルヒ。
「どういうことよ?」
 だいたい、母子手帳が妊娠がわかったらすぐにもらえる、なんてことを知ってる高校生なんていないと思うぞ。ハルヒ、お前は知ってたのか?
「あたりまえでしょ!」
 うぐ。
「子供ができたらどうなるか、どんな準備をして何をしなきゃならないのか、知らないのはまだしも、知らないでも良いと思ってるのは許し難いわね。だったら、ちゃんと避妊しなさい!」
 いや、それは、あれだろ、おまえが「生」の方が良いって言って……。
「あたしは知ってるからいいのよ」
 ぐう。わかった。ちゃんと勉強する。
「よろしい。……いい、キョン? 育児は、入試みたいに全科目が1、2日の間に全部出題される試験じゃないの。子供の月齢に応じて、出る問題は決まってるのよ。1ヶ月の赤ちゃんの親は、1ヶ月の赤ちゃんに必要なことだけ集中すればいいわ。4ヶ月になったら、1ヶ月の赤ちゃんにしかおこらない病気のことなんか、忘れてもかまわないの。4ヶ月のときに、子供が3歳になったら何をすればいいか、心悩ます必要もないわ。だから、まずは順番と、いつが何が必要か、何を調べればいいかだけを知っておけば、とりあえず構わないという訳。はい、これ」
 なんだ、この分厚い本は?
「全3巻だから、あと二冊あるわよ。とりあえず、目次だけでも覚えなさい。あと、「子供が生まれるまで」のところは、今からちゃんと読んどくこと。母さんたちが手伝ってくれるとはいえ、あたしたちの子供なんだからね」

 帰り支度を済ませ、ハルヒに渡された本を持って階段を下りていくと、インターホンが鳴って、玄関のドアが開いた。涼宮家のゴッド・ダディのお帰りだ。
 親父さん、お邪魔してます。
「よお、キョン。今日も気の毒だな」
 親父さんに言われると、本当に心底凹みますよ。
「わるい、わるい。悪気はないんだ」
 どっちなんですか?
「もう帰るのか? ハルヒとは別の部屋に布団敷いてやるから、ちょっとつきあえ。明日は土曜だろ」
 いや、帰ると家に連絡したし、明日も早いんで。
「不思議探索って、そんなに胎教にいいのか?」
 どうなんでしょうね?
「その本」
 これですか?
「俺も読んだ」
 親父さんも?
「うちは、母さんがハルヒを産んだ後、そのまま2年ほど入院したからな。俺は勘当の身で、母さんも実家と連絡を取ってなかったから、どっちの親にも頼る訳に行かなかったって訳だ。育児書の類いはみんな読んだし、あと『メルク・マニュアル』と『ネルソン小児科学』は暗記した。百科事典を読んで原爆を作る高校生みたいなおめでたさだが、最初はそれ以外の手も思いつかなくてな。つまるところ、あのバカ娘が、必要以上にバカな件について、俺には遺伝子以上の責任があるんだ」
「なによ、ひとを『失敗作』みたいに! あんたの悪影響なんか、とっくに払拭したわよ、このバカ親父!」
 ちょっとまて、ハルヒ! おまえ、いま、すごく悪いことを考えてるだろ。階段の上からとび蹴りしようとか?
「さすが、キョンね。以心伝心とはこのことだわ。さあ、的(おやじ)が逃げないように、しっかりつかまえててちょうだい!」
 おまえはこの、地下闘技場でもそこそこやっちまいそうな親父相手に、俺に素手で立ち向かえというのか。って、問題はそっちじゃない! 
 俺は、階段を2段飛ばしでかけあがり、ハルヒを抱き上げて行動不能にした。
「きゃあ、キョン、な、なにすんのよ!」
 それはこっちのセリフだ! 飛んだり跳ねたりする妊婦がどこにいる? 自分と子供の体のことも考えろ!
「わ、わかったわよ……」
「おーい、ご両人。あつい情熱は分かったが、階段途中のお姫様だっこは、いろんな意味で危ないぞお……って聞いてないか」
 だいたい、いつまで2階にいるんだよ? 危ないから1階の部屋と替われって、あれほど言っただろ。
「わ、わかってるわよ。……でも、いろいろ身の回りの物も置いてあるし、そう急には……」
 親父さん、今日、泊まっていっていいですか?
「お、おう。そうしろ」
 ハルヒ、今夜中にやっちまうぞ、1階への引っ越し。
「あ、あんたね。そんな急にできるわけ……」
 とりあえず、なにから運ぶ? 指示しないと、全部持っていくぞ。
「あ、あんたねえ……」
「おーい、ハルヒ。そうなったら何言っても、無駄だぞ」
「ど、どうすんのよ?」
「やらせとくしかない。そのモードのキョンを止めるのは、無敵のコックK・C・ライバックを乗せた暴走特急を、親指を立てて止めるようなもんだ。……俺は1階の部屋を片付けてくる」
「こら、バカ親父、逃げる気? 今の責任とりなさーい!」


 次の日の土曜日は快晴。絶好の不思議探索日和だが、くじの方はそうでもなかった。
「なるほど。それで最近、あなたの遅刻と罰金がめっきり少なくなった訳がわかりましたよ」
 午前・午後とも、見事に野郎チームと女性軍チームに分かれた。何かの怒りにでも触れたのか? ずいぶん慣れたとはいえ、このイケメン超能力者と数時間、疲れる話をしながら町を歩くのは、結構忍耐と努力を必要とする。
「昨日は単純に片付けをはじめるのが遅かっただけだ。いつもハルヒの家を一緒に出てる訳じゃない。それにしても、ハルヒの奴、大丈夫なのか?夕べは結局ほとんど寝てないはずなんだが」
「寝てないのはあなたも同じでしょう。いや、なんというべきか、嫁煩悩の鏡のような方ですね。あのお二人がついていますから、心配は無用だと思いますが」
 確かに朝比奈さんの慈母のような心遣いと、並み大抵以上の危険があってもなんとかしてくれるであろう長門がついていれば、ハルヒの安全は、スイス銀行最奥のシェルター内金庫の中よりも確実だろう。しかし、そろそろ無理に班分けしなくてもいいんじゃないかと俺は思うぞ。
「まあまあ。週に一度の息抜き、リフレッシュではないですか。すでに学校を休んでおられる涼宮さんにとっては、家族以外の人に会う貴重な機会ですよ」
「それはまあ、そうだが」
「涼宮さんは結局、休学の方を選ばれたのですね」
 と古泉は笑顔を絶やさずに、感慨深げに言う。
「ああ。退学して大検、という選択肢もあったんだがな。あいつなりに、この学校には思い入れがあった、ってことなんだろう」
「ちゃんと卒業したい、という訳ですか。あなたと出会った場所ですしね」
「おまえらともだ。SOS団の団員、名誉顧問、準団員、クラスのみんな、全員だ」
「……。ところで、朝比奈さんの進路ですが、彼女はやはり白衣の天使を目指すそうですよ」
「それは……非常に楽しみだが、別の意味でちょっと怖いな」
「長門さんは、人体という有機体システムにいたく興味を持たれていまして、医学の道へ進むことを考えておられるようです」
「理系はまずいんじゃないのか? 歩くオーパーツになりかねんぞ」
「自重する、と言っておられました」
「……」
「あなたはどうされるんですか?」
「どうもこうもないが。……とりあえず浪人せずに大学へ行って、入ったら一旦休学だろうな。自主的な育児休暇だ。いくらハルヒでも育児と受験勉強の両立は大変だろうし、お義母さんたちにまかせっぱなしにもいかんだろう」
「父母そろって子育てですか。あたりまえのようで、なかなかありえない話ですね。それなら涼宮さんとまた同級になれますし」
「まあ、俺が受からんことには、どうにもなりようにない話だが」

 いい加減、足もアタマもくたびれてきたところで、古泉はオープン・カフェのある店で休んでいこうと言い出した。俺の方も異論はない。むしろ渡りに船って奴だ。
「しかし、収まるところに収まってみると、改めてあなたがたの認知度というか人気がわかりましたよ。今回の件は、純粋に生物学的には当然のことであっても、今の日本社会の世間常識からすれば、必ずしも賞賛されるものではありませんからね。今や10代の出産を減らすことを政策目標にする国や社会もあるくらいです。なのに、我々の周辺では、喜ぶ人こそあれ、非難めいた声が生徒はおろか教職員の人たちからも聞かれませんから」
「俺たちは周囲に恵まれてる。過ぎるくらいにな。おまえらを含めてだが」
「長門さんが整理して目録を作ってくれていますが、毎日SOS団部室に届けられる多種多様な『安産のお守り』は、もう500じゃききませんからね。鶴屋さんが保管場所を提供してくれて幸いでした。さもないと、部室もどうなっていたことか」
「おまえの専門的には大変なことになってないのか?」
「涼宮さんの精神状態は、いま非常に安定していますよ。マタニティ・ブルーも育児ノイローゼも、あなたの努力を見ていると、大船にのった気持ちでよさそうですね」
「おれだって何もかもはじめてなんだ。どこにいくか、わからんぞ」
「あなたとなら、それもいいかもしれませんね」
「気持ち悪いこと言うな」
「これは失礼。言外の意味を込めたつもりはなかったのですが」
 古泉はにこやかな表情をやわらげ肩をすくめた。

 携帯が振動して着信を伝える。朝比奈さんからだ。
「あ、キョン君? 涼宮さん、眠っちゃいました。はい、いつもの公園です。長門さんがちゃんと、えーと、なんとかフィールドを張ってくれてますから、冷えたりはしないと思います」
「わかりました。すぐそっちへ行きますから。……ハルヒが眠っちまったらしい。今日はお開きだな」
「ええ。涼宮さんをおぶって帰られるのですか?」
「どこかでタクシーでも拾うさ。ひょっとすると、その必要もないかもしれんが」
「……なるほど。元祖親バカ、ということですか」
「……オヤジ・イヤーは地獄耳」
「うわ、親父さん」
「聞こえてるぞお、古泉」
「これはとんだ失言を。お許しください」
「おれのストーキングの技術も、まだまだな。キョンは欺けても、イケメン高校生には見破られるか」
「いやいや。彼が気付かないのは、接近してくる者に敵意や自分たちを害する志向が感じられないからですよ」
「で、バカ娘はどこで寝こけてるんだ?いつもの公園か?」
「ええ」
「車で来てるんだ。古泉も乗ってくか?」
「いえ、ぼくはここでお暇しましょう。みなさんにもそうお伝えください」


 親父さんと俺は車に乗り、いつもの公園の入り口近くに乗りつけた。
 ここで待っていると親父さんが言うので、ひとりでハルヒがいるベンチに向かうことにした。
 公園の入り口からは、ちょうど夕日が沈んでいく方向にそのベンチはあった。そこでは、小さな朝比奈さんの肩に頭を預けて眠るハルヒがいた。長門は少し離れたところに立っていたが、多分なんとかフィールドを張っていてくれているんだろう。 
「おい、ハルヒ。起きろ」
「ん? ……キョン? 何やってんの、あんた?」
「何って、迎えに来たんだ」
「……そう」
「朝比奈さん、すみませんでした。長門、ありがとな」
「いいですよ、そんな」
「私はかまわない」
「ハルヒ、親父さんが車でそこまで来てる。乗って帰れ」
「……あんたは?」
「ああ、ついていくぞ」
「……有希、みくるちゃん、キョンが来たから。今日はありがと」
「はい、じゃあこれで」
「さようなら」


 俺がさっき来た方向へ向かう朝比奈さんと長門を見送りながら、ハルヒは座っている位置を、ほんの少しずらした。そこに座れ、ということらしい。
「ハルヒ?」
「座って」
「ああ」
「親父なら待たせとけばいいわ」
「ああ。……何の話だ?」
「え?」
「二人だけで話しときたいことがあるんだろ?いくら鈍くても、それくらい俺にもわかる」
「そう。……ねえ、あたしたち、未熟者かな?」
「まあ、そうだろうな」
「あたしたち、この子をちゃんと守ってやれるのかな?」
「ハルヒ……」
「ちょっとここで居眠りしたわ。そしたら夢の中で、お腹の中にいる子たちが話しかけて来たの」
「……」
「不安だって。そっちへ出ていきたくないって」
 隣に座っているハルヒは、俺の手をぎゅっと握った。
「あんただから、強がりなしで言うわ。あたしも不安。不安でたまらない」
「寒くないか?」
 返事を待たずに俺の上着をハルヒの肩にかけてやる。
「大丈夫。でも、ありがと」
「実を言うと、俺もだ」
「え?」
「不安でたまらん」
「不安な表情じゃないわよ、キョン」
 とハルヒはくいっと顔を挙げて言った。
「あんた、なんだか知らないけど、少し笑ってるわ。いつもの困ったような笑顔だけど」
「そうか? 自分では気付かないもんだな」
「あんたは、そういうことばっかりだけどね」
「まあな」
「キョン、あんたも不安なの?」
「おれはな、ハルヒ」
 これまでなかったほど自然に言葉が出た。
「おまえが、好きだ」
「あ、あた、あんた、どさくさにまぎれて、何言ってんのよ!」
 ハルヒの反応は相変わらずで、それがおれに何かの力を与えてくれるんだろう。
「正直言って、何かできることがあるのかと言われればまるでないし、俺たち家族をどうやって食わしていけるか見通しだってない。俺たちの周りはどうにもお人よしの親切者ばかりで誰も言わないが、若すぎる、考え直せ、と誰彼なく言われたっておかしくないと思う。だけどな、ハルヒ」
 沈みかけの太陽が、俺たちの足下から長い影をつくっていた。影の先は、たそがれに、そして夕闇に溶けていくように見えた。
「おまえのことが好きで、おまえと子供をどうやって守っていこう、どうやって暮らしていこう、って考えるから、不安になるんだ。だから、こういう気持ちも、おれは嫌いじゃないぞ」
 ハルヒは、ほんの少しの間だけ、ぽかんとして、すぐに、いつものように形のいいまゆをつりあげ、こう言ってのけた。
「能天気な奴! いつものうるさいくらいの心配性はどこ行ったのよ?」
「心配すんな。しっかり取ってある」
「キョン、分かってんだろうけど、今のあんたみたいなのを『甲斐性なし』っていうのよ」
「ああ、そうだ。悪いか?」
「まあ、あたしも『すねかじり』だけどね。……二人して、さえない夫婦ね」
「だが夫婦には違いないぞ」
「まあ、最初から内実が伴うなんて期待してないわ」
 ハルヒの指が、ビシッと至近距離で俺の顔を指す。
「道連れもいることだし、大船に乗った気持ちで行くわよ。船底に穴があいたら、あんたも汲み出すのよ、キョン!」
 なんてたわいもなく小さな『大船』だろう。けれど、どれほど揺れようが、こいつとならなんとかなるだろうと、俺は心のどこかで信じることができた。


「遅い。迷子になっちまったかと思ったぞ」
 公園を出ると、車の中には、ぶーたれる親父さんが一人。さすがに日が落ちるまで待たすのは悪かったよな。
「すみません」と謝る俺。
「なるわけないでしょ、バカ親父」と毒づくハルヒ。
「まあ、いい。いい男は待つことを知ってるんだ」
「言ってなさい」
 親父さんは親父さんらしいことを言い、ハルヒはハルヒでそれを一言で切って捨てる。
「キョン、なに笑ってんのよ?」
「いや、親子だな、と思って」
「「どういう意味?」」
 二人して迫るなよ。誰がどう見たって親子ですよ。
「返答によっちゃ」「ただじゃおかないわよ」
 だったら何故セリフを割ってしゃべるんだ?










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