ハルヒと親父 @ wiki

ハルキョン家を探す その5

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haruhioyaji

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 「あ、母さん。うん、合格したわ! もちろん、キョンも一緒よ! じゃあ、これからキョンと不動産屋さんに行くから。うん、帰りにまた電話する。じゃ」

 「あ、俺だ。なんだ、おまえか。母さんは? 買い物か。ああ、受かったぞ。ハルヒも一緒だ。帰って来たら、そう伝えてといてくれ。帰りに不動産屋に寄ってくから。ああ、ありがとよ。じゃな」

 ほとんど同時に携帯電話をしまうと、俺たちは顔を見合わせた。
「キョン、電話は済んだの?」
「ああ。出たのは妹だったが」
「妹ちゃんなら代わってくれたらよかったのに」
「どうせ今晩、会えるさ」
「そうね。不動産屋が終わったら両方の家に報告アンド挨拶に行くわよ!」
「はあ。ダブル晩餐になりそうだな」
「なによ、うれしくないの?」
「もちろんうれしいが、……正直、実感が沸かん」
「じゃあ、その実感ってやつを沸かせてあげるわ(にじり)」
「こ、こら、ハルヒ、公衆の面前で!」
「問答無用!」

* * *


 朝比奈さんや鶴屋さんが卒業し、俺たちは否応なく最終学年となった。
 朝比奈さんは地元の大学へ、鶴屋さんは「いやあ、おうちの都合ってやつでねえ、こういうはめになったってわけっさ」ということで、イギリスに留学することになったらしい。
 お二人の送別会がSOS団主催により、それはそれは盛大に催されたことは言うまでもないだろうが、詳細は事情により割愛したい。
 片付けに入り、朝比奈さんと泣き合うハルヒを部室に残すように、他メンバーはゴミ出しに出たり、借りた道具なんかを返しに行ったりした。部室でさぞ麗しく水晶のごとし涙を流しておられるであろう御方とは対照的に、最後の最後までこの笑顔で世界征服だって可能じゃないかというべき笑顔をたたえておられる卒業生に、ささやかな敬意を表す俺だった。少し力を入れてゴミ箱を持つ程度だがな。
 スマイリング・ビューティ鶴屋さんは、実に事も無げにこう言った。
「そういやキョン君、覚えてるかなっ? この前、廊下ですれちがったにょろ」
「ええ。ああ相談なら乗るって」
「うんうん。覚えているね、お姉さんがマルをあげよう。実はさ、もう時効だから言っちゃうけど、あの前の晩、妹ちゃんから電話があったっさ」
 随分とはやい時効である。え、今なんと?
「そうそう。キョン君のうちへハルにゃんとキョン君が乗りこんだ晩っさ。心配してたにょろよ」
「あいつ…。でもよく鶴屋さんの電話番号とか知ってたな」
「さりげないメアド交換は、乙女のソーシャル・スキルだよ、キョン君。クラス・チェンジには不可欠さっ!」
「はあ、そんなもんですか」
 後日、妹にそのことを問いただすと、「んーとね、みくるちゃんだとあわあわするだろうし、有希に「そう」と言われたら立ち直れない気がしたし、古泉君はやさしそうでどこかいかがわしいし、ということで鶴ちゃんになったの」だそうだ。いつまでも小さい子と思っていた兄を許せ。
「で、その後、どんな様子だい?」
「その後も何も、親とは一度、こっちの希望を述べて、意見されて、そのままですね。こっちも新しく提示できるようなものもないですし」
「んー、となると最悪かけおちかな?」
「いや、さすがにそれは。別に親と決裂したい訳じゃありませんから。問題はもっぱら、うちの方の親なんですが」
「遠くの学校にすれば、親の目なんてないも同然っさ! 留学なんて手もあるにょろよ」
「いや、さすがにそこまでは」
とかなんとかいいながら、俺と鶴屋さんはぶらぶら歩いて部室棟の廊下まで来ていた。
 ここで、文芸部部室のドアが開いて、あいつ登場。
「なに、ごにょごにょ言ってんのよ?」
「お、泣きやんだか、ハルヒ」
「だだだ、だ、だ、誰が? いつ?」
「おやおや、ハルにゃん、水臭いじゃないかっ。みくるのためには泣いて、この鶴ちゃんのために流す分の涙は涸れちまったってのかい?」
「もう、鶴屋さんまで!!」
と、なんとか送別会の夜はふけて行くのだった。

 そして次なる試練は、もうその日の夜にやってきた。
「おお帰って来たか、ハルヒ、我が愛しきバカ娘よ」
「なによ、酔いどれバカ親父」
「『同棲なんぞ勝手にやれ、面倒はみないからそう思え』と言ったのは覚えているか?」
「この間じゃないのことじゃない。わかってるわよ」
「それはよかった。ところでその中には、大学の学費というものも含まれていると理解してるか?」
「は?」
「つまり『一人前』なんだから、どこで働こうが、どこでどれだけ学ぼうが、好きにするがいいが、その費用はすべて自己負担/自己責任ということだ」
「何でそうなるのよ!?」
「うち(涼宮家)の教育方針」
「そんなもの、いつできたのよ?」
「娘が好きな男と乳繰りあってるのに金を出す親は、親バカというより、ただのバカだ」
「あたしとキョンはね!」
「ちがうというのか? 愚かな父の目はごまかせても、賢い母によって強化されたバカ親父のカンはごまかせんぞ」
「つまりあてずっぽってことよね」
「つぎは当てずっぽにコールド・リーディングを上乗せする」
「ひとりでやってなさい」
「趣味の問題だが、娘に甘い男は微笑ましいとは思う。援助交際にはまった親父たちは、自分との娘と同い歳くらいの少女がセールス・トークにせよ、やさいい言葉が吐けることに驚嘆したんだ。まあ単なる偏見だが。だが、自分がそういう奴になろうとは思わん。愚かな父を許せ」
「こっちだって願い下げよ!」
「という訳で、我々は合意に達した訳だな。これに調印しろ」
「あんた、娘相手にそこまでする?」
「ジョークだ。何年か経った後、笑えるとは思わないか?」
「そんな日が来るまで生かしておくと思ってるの?」

 戦いの翌日は、いわれもしれぬ憂鬱さが残るものらしい。次の日のハルヒは、目をどんより曇らせて、いつものように俺のネクタイを引っぱり、しかしどこかのろのろと俺を部室へと引いて行った。ドナドナドナドーナ。
「おや、お昼休みも勉強ですか?」
 部室にいた古泉が内から声をかけてきた。
 ハルヒは特製コロッケロールなるものを口に詰めながら、ため息をつくという器用な真似をする。
「まあ、いろいろあってね」
とハルヒは「ふう」と聞こえよがしなため息をついた後、俺の方を見る。古泉、お前もだ。
「なるほど。その、いろいろというのはどのようなことでしょう? 後学のために、よろしければお伺いしたいですね」
「いまさらながらの話だ。聞いても何も得るところはないぞ。単に理想と現実というか、希望と成績のギャップというだけの話だ」
と俺は言った。なにやら言い訳モードに入っているような気がするが、きっと気のせいだ。
「『だけ』じゃないわよ!」
ドンと、机の上におかれた物たちが一斉に跳ねるような、拳が打ち下ろされる。ハルヒ、落ち着けって。
「まあまあ。しかし彼の成績の向上は、このところめざましいものがあると、僕も職員室で小耳に挟みましたが」
そんなところで小耳になんぞ挟むな、古泉。
「まあね。あたしもこいつの努力を認めるに、やぶさかではないわ」
それ以上に、俺はハルヒの家庭教師能力を評価するがな。
「なるほど。では何か別の問題でも?」
「そうよ、別問題よ! あのクソ親父!」
再びドンと、机の上が跳ねる。古泉はこれ以上ハルヒを激昂させるよりも、俺をイライラさせる方が平穏に話が進むと判断したらしい。ああ超能力者になんかならなけりゃ、きっと立派な無名の中間管理職として日本を支えてくれただろうに。などという感慨が届く訳もなく、ミスター・スマイリーは、いつものように無駄に優雅なしぐさで肩をすくめて、俺の方を見る。はい、説明者、俺ね。
「あー、なんだ。ハルヒの親父さんって人は、家から一円の援助もなく、自分で大学に行ったらしいんだ」
「親に勘当されて、友達・親戚に借金して海外逃亡しただけよ!」で、合いの手はハルヒ。
「最近(2006年)までドイツの大学はどこでも、ドイツ人だろうが留学生だろうが、授業料をとらなかったらしい。おまけに奨学金も出てそれを生活費に当てることができる。つまり、一度大学に入ればお金がないという理由で止めなきゃならない事態にならない仕組みだ。そんな訳で、工面した金を飛行機代にしてドイツに渡ったそうだ」
「それはそれは。お父様はドイツ語にもご堪能だったのですか?」
「全然よ。出たとこ勝負もいいところだわ!」
「留学生のために大学付属の語学学校があって、そこでゼロから学んだそうだ」
「それはすごい」
「つまり、学費は自分で工面しろ、とハルヒは親父さんに言われてるんだ」
「なるほど。それでは私立大学は学費の高さが問題になりますね」
「まあ、ハルヒだけならどこの国公立にでも入れるだろうがな」
「ちょっとキョン、つまんないこと言わないの! なによ、ちょっとゴールが高くなっただけじゃない。あたしたちの真価が問われるのは、これからだわ!」
「「おおー」」
 いや拍手はいらないぞ、って長門、絶妙なタイミングで入ってくるじゃないか。


 さて放課後。
 件の不動産屋であるが、ハルヒは一週間の見習い期間を経て、見事、電話番兼受付嬢として採用されることとなった。そして提案の際にハルヒがぶち上げた通り、ハルヒが不動産屋でバイト中は、俺もまた不動産屋へ出向き、いとありがたいハルヒ先生の個人授業を受けることとあいなった。

「キョン、勉強中よ」
「わかってる。問題解いてるだろうが」
「集中してない。その顔はくだらないこと考えてる顔ね」
「わかるのか、そんなこと?」
「いいかげん分かりにくいけどね、あんたは。それくらいのことはわかるわよ」
「実際どうしようもなく、くだらないことだ」
「聞いてあげるから、言ってみなさい」
「……横のしましまの囚人服を来た二人連れが、片足をそれぞれ鎖でつながれて脱獄する訳だ」
「だ、脱走コント? あいた口がふさがらないわ」
「俺もだ。で、脱走中の二人連れは、一方は足が速くて、もう一方は遅い。文字通り『足を引っ張ってる』って感じだ」
「……ふん。それで?」
「二人が走ってくると鉄道が見える。近づいてレールに耳をつけて聞いてみると、もうすぐ汽車がやってきそうだ。二人は鎖を切ることにするんだが、鎖は短くて、どちらかがレールの内側に入らないといけない。足を引っ張って来た方は自分が内側に入るというんだが、もう片方も譲らない。汽車は近づいてくる。…… なんというか、そういうことだ」
「……ほほう。とすると、あんたとあたしを繋いでるのは鎖なわけ?」
「そうは言ってない。言っとくが、俺からお前の手を離すつもりはこれっぽっちもないぞ。だが、だとしたら、繋ぎ方を考える時だってあるかもしれん、というくらい考えておくべきじゃないかと思ったんだ」
「余計なお世話よ。あたしが急ぎたいなら、しかもあんたがノロマで足を引っ張ってるっていうんなら、あんたを担ぎ上げたって勝手に走るわ」
とハルヒは、本当に担ぎ上げそうな勢いで俺の胸ぐらをひっつかみ、頭突きを食らわさんばかりに引き寄せる。
「あたしが腹が立つのはね、あんたがあたしにとってどれだけのものかってことが、あたしにはこんなにはっきり分かるのに、あんたの方はこれっぽっちも分かってないってことよ!」
「あ、あの……」
「はあい」
電光石化で営業スマイルを装着するハルヒ。
「表に貼ってある部屋なんですが」
「はい。どうぞおすわりになってください」

 ひやかしいの客が帰っていった後(店主の言うところによれば、ハルヒの営業スマイル見たさに客が増えているのだそうだ、なんともはや)、後半戦が始まった。
「断言するけどね」
「たまにで良いから婉曲してくれ」
 そうでなくとも、ハートブレイクの繰り返しで、ガラス細工の心臓がザラメみたいになりそうだ。
「分かりが悪いあんたにそれじゃ伝わんないでしょ!……成績に関しては、あんたの場合、9割9分やる気の問題よ。あんたがマヌケなのは衆目一致するところだけれど、あんたが頭が悪いかどうかのアンケートをとったところ100%で否定されたわ」
「どこでとったんだ? そんなまぬけなアンケート」
「SOS団及びその周辺とだけ言っておくわ」
「全員誰だかわかるわ!」
「ちなみに回答者に妹ちゃんは入ってるわよ。シャミセンは入ってないけど」
「それも想定済み!」
「で、あたしは世界一あんたのやる気を引き出せる存在なの。したがってあたしがコーチすれば不可能も可能になるわ」
 どこかしら「正義の味方と必ず負ける最終決戦フラグ」が立ってないか? あるいは、おごれる者も久しからずフラグとか、あとパンがないならケーキ食べなさい王朝滅亡フラグとか。
「しかし飴と鞭って言葉があるだろう。鞭ばっかりじゃ学習性無能力つまりは無気力状態になるってことは動物実験でも証明されてるんだ。俺のやる気エキスパートを自称するなら、飴についてはどう考えてるんだ?」
「じゃあ、いつものプラスチック物差デコビンの代わりに、あたしの掌底でどうかしら?」
「それは鞭にトゲトゲを加えてるだろ!」
「プラスひねりを加えるわ」
「だから足すな、引けって」
「うっさい! 飴なんてね……あ、あたしがいるだけで十分よ!って、何言わせんのよ、バカキョン!!」
「い、いや、すまん。俺が悪かった」
「そこで引くな、撤回するな、謝るな!」
「おまえ……性格かわったか?」
「だまれ!誰のせいだと思ってんのよ!」


 大体において、受験勉強というものは、やるほうもそれを見るほうも面白いものではない。それでも教える者の熱心さというものは相手に伝わるもので、伝われば伝わったで何かしら結果を生み出すものらしい。
 ハルヒは両方の親の前で切って見せた大見得を、別の目に見える結果で裏書した。俺の成績及び模擬テストでの偏差値は、ここにきて離陸(テイクオフ)の期間を経て、上昇期に入ったらしい。教師は驚愕し、親、友人、および俺自身が言葉を失うほどだったと言っておこう。この状況を確信犯の余裕で受け止めたのは、ハルヒと長門だけだった、といえば、少しはわかりやすくなるだろうか。
「ええ、正直驚きましたよ。まさか、ここまでとは。機関にあなたの分析チームが結成されたほどです」
おまえのところはそんなに暇なのか。
「ええ、おかげさまで。例の閉鎖空間の出現頻度はとても減っています。涼宮さんからすれば、とてもそれどころじゃない、というところでしょうか。あ、あなたの分析チームうんぬんはジョークですよ」
「何故だか、今夜あたり、ハルヒとでかいケンカをするような気がするぞ」
「それはないでしょう。本題に入ってもよろしいでしょうか?」
「何か非常事態か?」
「いえいえ。いくらかは未来的であることは否定しませんが、中身はごく日常的なことです」
「ほう」
「お気を悪くされたらすみません。実は我々の組織に不動産を扱う部門があるのですが……」
「それも笑い話か?」
「我々も閉鎖空間の外では普通の人間と同じですし、会議ひとつするにもそれなりの場所が必要となるのですよ」
「せっかくの善意の申し出だから、気持ちだけはもらっとく。だから、それ以上言うなよ」
「わかりました」
「……えらく簡単に引き下がるじゃないか」
「本意ではないからですよ。あなたと涼宮さんの新生活です。自分たちの力で切り開かれるのが、一番よいと思います。その……友人の一人としては」
「おまえでも言いよどむことがあるんだな。……ありがとよ。これは友人としての礼だ」
「どういたしまして。その代わりと言ってはなんですが、純粋に個人的な労力の提供を申し出たいという人たちが、無論僕を含めて、数人いるのですが。ええ、あなたもよくご存知の人達です」
「簡単に言うと、引っ越しの手伝いに来てくれるということか? 執事やメイドをおけるようなお屋敷に住めというんじゃないだろうな」
「さすが察しが早い」
「それに鬼が笑うような話だ。俺たちの進学先が決まらんと何も決められんからな」
「大丈夫ですよ。なにしろ……」
「『涼宮さんがそれを望んでおられます』か?」
「ええ、それももちろん。ですが、それだけでなく」
「ん?」
「何よりも、あなたご自身もまたそれを望んでおられる」
「おいおい。おれはハルヒと違ってごく普通の……」
「そう、ごく普通の人生、ごく普通の幸福、それを望まれた。あなた自身や涼宮さんや、あなたの周囲の人々、長門さんや朝比奈さんの……僕もその中に入るのかもしれませんね。そして世界はまさにそうした方向に向かって来たし、今も向かっていると思います。その方向に世界を押し進める力自体は、涼宮さんのものであったかもしれませんが。その力に方向を与えたのはあなたですよ」

「ん? 長門、なんだ?」
「心当たりがある」
「心当たりって何だ?」
「うちのマンション」
「ん? ……ああ。でも長門、あそこは分譲マンションだろ」
「所有者自身が居住せず、第3者を居住者させ、両者の間で賃貸借契約を締結する意向をもつ場合を『賃貸貸し』という。この場合、月々いくらの家賃で住むことが可能」
「なるほど。だが、そんな部屋あるのか?」
「ある」
「あ、……ひょっとして?」
「朝倉涼子が住んでいた部屋。『長門有希』に名義は変更済み」
「うーん」
「嫌?」
「嫌というんじゃないが、ほら説明とか、難しいんじゃないか、と思ってな。なんで朝倉がいた部屋に住んでるのかとか、その部屋代をなぜ長門に払ってるのかとか」
「わかった」
「おい、長門」
「……」


 といったありがたいおせっかい的申し出などがありながら、季節は過ぎていき、俺たちは願書を出した。古泉、長門は、俺たちの第一志望、ついでにいうと朝比奈さんの進路先でもある、地元から電車でいける某国立大学を志願していた。もっとも学部の方は違っていて、古泉は何を考えたのか工学部の建築科(閉鎖空間で神人がなぎ倒していく、はかなき建造物たちを見て何か思うところがあったのだろうか)、長門は文芸部長らしく?文学部だった。
「まあ、長門さんの理系進学自体がオーパーツみたいなものになりかねませんから」
とは副団長の弁。同じ学部でない理由は、
「少数の緊密な人間関係よりも、多数のさっぱりした人間関係の方が、人間の心理状態や社会的地位に安定をもたらすそうです。いわゆるウィーク・ボンド(弱い紐帯)仮説の応用だと」
 俺たちといえば、将来何をしたらいいかわからない俺は、よくわからんがつぶしがききそうだという消極的理由で、将来やりたいことが多すぎるハルヒは、何においても負けるのがきらいだからという無方向的に積極的な理由で、法学部を選んだ。

 そして学部が違えば受験日が違ってくる訳であり、二次試験当日、俺とハルヒは二人で志望校へと向かった。

 大学は駅からすると坂の上にあり、そこへの道はジグザグの上り坂で、海と平行に走る何本もの幹線道路を渡って行くことになる。
 駅から3つ目の交差点で信号が変り、ハルヒと俺は横断歩道を渡るために足を踏み出した。二、三歩目で、俺は軽くけつまずき、ぐいと俺の手を引き上げるハルヒに支えられる。なんかずっとこんな風な象徴的な格好だな。
「大丈夫、今のうちに散々滑って転んでおけば、試験ではすっからかんよ」
「す、すまん」
 そんなことをしているうちに、一緒に横断歩道を渡りだした若い妊婦さんが、俺たちの横を追いぬいて行く。
「あ、あぶない!」
 ハルヒが大きな叫びを上げた。その叫びに覆い被さるような騒音。
 向こうから幹線道路を突っ走ってきた白いセダンが、おかまいなしに横断歩道へと突っ込んでくる。速度を緩める気も、まして赤信号に従うつもりもないらしい。
 ハルヒの声に危機を察知した妊婦さんは、横断歩道のほぼ中央で立ち止まり、迫り来る走る凶器を見て足をすくませている。
 運動神経のいいハルヒだが、経験者たる俺の方に一日の長があったようだった。ハルヒですら反応が遅れた状況で、俺の身体は前の経験をしっかり記憶していたらしく、これしかないというタイミングで飛び込み、妊婦さんを抱えて、彼女の下敷きになるべく体までひねってアスファルトの上に着地した。
 車の方はスピードをいささかも緩めなかったが、今度はハルヒが一緒だ。こいつなら孫の代まで車種とナンバープレートを記憶に刻んでるさ、きっと。
 しかし、よくよくこんな目に合うもんだ。暴走車両から人を助けるなんて、一生に一台でも十二分でおつりが来るんじゃないだろうか。
「キョン!キョン!」
ああ、わかったから、そんなにさわぐな、叫ぶな。ちゃんと聞こえているさ。三つも四つもないが、意識だってある。今なら指を使わず素数だって数えられそうだ。ただ地面に叩きつけられたのと、胸の上に妊婦さんを受け止めたせいで、肺が圧迫されてるんだ。声なんかすぐに出るか。右手をあげてサムアップでもしてやろうと、腕に力をこめると激痛走った。マジで痛い。泣きそうなくらいだ。痛いぞ、ハルヒ。
「どうしたの?どこか痛めた?って、あんたその右手!」
「……んなことより、救急車だろ」
「あ、うん」
よほど動転していたのか、ハルヒはやっと携帯電話をとりだした。妊婦さんも精神的ショックは大きかったみたいだが、みたところ外傷などはないようだ、とこれはハルヒが119に説明しているのを聞いて分かった。
「っつう!」
あー、たしかに、これは右手がいってそうだ。
「すみません、すみません」
妊婦さんはよろよろとハルヒに支えられて移動、俺とは少し離れたところで歩道に腰を降ろす。
「大丈夫、悪いのはあの車よ」
「いつつつ、・・・なあ、ハルヒ頼みが有るんだが」
「なに、キョン?」
「救急車には俺がつきそっていくから・・・どうせ、この腕折れてるかなんかだろ、手当ても必要だし・・・だから、おまえだけでも受験会場へ・・・」
「却下よ! あんた、それ以上バカなこと言ったら、あたしの蹴りと拳が全身麻酔をかけるわよ」
ハルヒは泣いていた。
「今のは、頭を打ったせいの世迷い事として忘れてあげる」
「すまん」 
 頭なんか打ってないんだがな。まあ、いいさ。今の泣いているハルヒを見て放っていけるなら、そいつこそ頭をダンプ・カーで踏んで貰った方が良いぞ、きっと。
「言ったでしょ。悪いのはあの車よ!」
ハルヒは右の手で涙を拭った。
「あと一年くらい、あんたと二人っきりで勉強するのも悪くないわ」

* * *


「おじさん!」
「お世話になります」
「お、ハルヒちゃんにキョン君。おつかれさま。その様子だと・・・」
「もちろん受かったわ!あたしもキョンも」
「まあ、さすがに二度目だし、もう取りこぼしはできませんから」
「まあ去年受けて受かったかどうか、わからないけどね」
「まあまあ。・・・で、本当に、二人の部屋はわたしが決めて良いんだね」
「「もちろん(です)!」」
「あれから父親の協力者探しもかなり進んでね。あちこちの研究者とも連絡がついたよ。私も大学は建築土木系だったけれど、その中には自分の恩師までいた。不明のいたすところだ。不動産屋の仕事もおかげで順調だし、二人にはいろいろ世話になった。……と思うと、ただの「良い物件」では申し訳なくて、なかなか決められなくてね。ようやく意中のところを絞り込んだんだ。明日にでも、一度現地で見てくれないかな」
「これから行きましょう! あ、もし、おじさんがよかったなら、だけど」
「かまわないけど、合格発表の日だ。それぞれのうちへの報告なんかは、いいのかい?」
「受かったことは電話したし、元々の話は、むしろこっちがメインだもの。どうせなら、『ここに住むことになったから』と報告したいわ」
「そうか。それなら店は早じまいして、これから行ってみようか。歩いても15分はかからないと思うよ」

 踏み切りを渡り、駅から商店街を抜けて、道は上りに入った。古くからある閑静な住宅街といった趣きの道をしばらく行くと、店主はふいに立ち止まった。
「ここなんだが」
俺たちの方を振りかえり、それから門の中に視線を移した。
「見ての通り、実にいわくありげな建物だ。ここ10年間、人は住んでいない。人はね……」
 まずい。とってもまずい方向に話が向かっている。
 ハルヒは俺の前にいて、その表情は見えないが、目の輝きが3等星分ぐらいはアップした感じがする。
「それから持ち主は転々としたらしいが、三ヶ月ほど前におじさんのところに話があった。ただ同然の値段だ。名義変更その他の手続きプラスアルファ、といったところかな」
 店主は鍵の束のようなものを取りだして、そのひとつを門扉にぶらさがるでかい錠前に突っ込む。
「駅からこの距離だし、つぶして土地だけにして売れば儲けは出るだろうに、誰もそうしなかった。できなかった、というべきか」
 俺たちは、最近誰かが(おそらく不動産屋の店主だろう)踏みつぶしたとみえる草の上を歩き建物にたどり着く。そこでも店主は、例の鍵束を取り出して、ドアを開けた。
「敷地300平米、建坪120の二階建ての洋館。1階はキッチン、食堂、応接間に図書室、風呂、トイレ。2回は4つの寝室にリネン室もある。で、モノは相談だが、君たちは友人が多そうだし、掃除その他もお手のものだろう。正直、おじさんの手にあまる。管理をお願いするにも引きうけてがない。そこで思いついた。これこそ、君たちのために配された物件じゃないかとね」
 あ、あの、ご店主、この2年弱で、あなたまでSOS菌に感染したのですか?
「ついては、家賃と管理費を相殺するというのはどうだろう? つまり家賃はゼロ、維持修繕に伴う費用はこちらが負担する、ということでどうだろう?」
「申し分ないわ」
仁王立ちのハルヒは高らかに宣言した。
「って、おい。ハルヒ。10年も誰も住んでないんだぞ。修理しなきゃならないところがどれだけあるか、わからんぞ」
「問題ないわ。古泉君がせっかく建築科なんだからクラスメイトふくめて絶好の実習の場所を提供できるしね。そうね、新年度まで時間もないことだし、突貫工事と行きましょう」
「しかしだな、そういうのはプロが見ないと」
「そんなのいくらもいるわ。おじさんの知りあいの建築家とか。あと古泉君がきっと便利な親戚を知ってるわよ」
 ハルヒ、その発言は、「またリセットオチでいきましょう」というのと同じくらい問題発言だぞ。
「まあ最悪、バカ親父のツテという手もあるし」
「なんだ、それ?」
 たしかにあの人なら、どんな込み入った事態でも、それ以上のカオスでもって何もかもうやむやのうちに収拾してしまいそうな気がする。こわい。
「うーん、『涼宮オヤジと怪しい仲間たち』とでも言っておきましょうか」
 やっぱり、ちょっとこわいぞ、それ。
「なによ、幽霊と話つけて、リフォームして、間貸しすれば、不労所得で、バイトも不要、その分、いっしょにいられるじゃないの。もちろん有希やみくるちゃんや古泉君にも越してきてもらわないとね。なにしろSOS団の新本拠地だから」
 それだと連中の本来業務には差し支えないのだろうか。まあSOS団に入ったこと自体がそうだという話もあるが、しかしやはり公私混同というのはいかん。いや、それよりも、何よりも、二人の新生活というテーマじゃなかったのか、おいハルヒ。
「もちろんお風呂はのぞいちゃだめよ」
 ぜんぜん聞いちゃいねえよ!
「キョン、どーんと、大きく構えなさい。4年間みんなで、文字どおり合宿するようなものじゃないの!」
 おじさん、ニコニコわらってないで、少し大人としての意見を言ってやって下さい。
「いやあ、私も君たちとつきあって、長い間忘れていたものを思いだしたよ」
 それは大人として何か大切なものを忘れかけているんじゃ・・・


→ハルキョン家を探す その5













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