ハルヒと親父 @ wiki

ハルキョン家を探す その3

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haruhioyaji

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 次の日の放課後、俺とハルヒは、約束の通り、あの不動産屋を訪れた。
 「そうか、君たちの部屋を探してたのかい。それでいいのは見つかったかい?」
「それが、どれもいまいちピンと来ないのよねえ」
 かいつまんで話した「事の顛末」をニコニコ顔で聞いてくれる店主と、そんなのはそっちのけで物件リストの中にサイコ・ダイビングしてしまうハルヒ。
「すいません。目標を追い出すと周りが見えなくなる肉食獣な奴で」
「いいよいいよ、気にしないで。住むことは生きることなり、だ。真剣に探すのは当然だよ」
「住むことは生きることなり、ですか」
「実感が湧かないかな。若いうちは元気で外を飛び回っていて、家なんか帰って寝るだけ、ということも多いからね」
 ハルヒが部屋探しに打込む様子を目の前にしても、どこか違和感を感じるのは、「外を飛び回ってる」ハルヒのイメージがどうしたって強烈すぎて、「帰って寝るだけ」のものに注がれるこいつの情熱とそのイメージが、俺の中でうまく結びつかず惑っているからだ。
「そうですね」
「そんなことないわ」
忙しくファイルを繰っているはずのハルヒから声が飛んで来た。
「人間なんて一生のうちの三分の一は寝てんのよ。赤ちゃんや9歳以下の子供をのぞいても、1日のうち11時間は寝るとか食べるとかに費やして、仕事に7時間、それ以外に自由に使えるなんて6時間くらいのものよ。それに働くといえば家の外へお勤めに出るみたいなイメージだけど、サラリーマンが働く人全体の半分を超えたのは1960年ぐらいからよ。それ以前はもちろん、それ以降もずっと家で仕事をしてる人は大勢いたわ。しかもサラリーマンっていうくらいで、ほとんどの家で勤めに出るのは男だけで、女はずっと家にいたの。共稼ぎの世帯がサラリーマンと専業主婦の世帯数を越えたのは1992年だったかしら。とにかくね、家が『帰って寝るだけ』のところなんて暴言もはなはだしいわよ、キョン!」
 思わぬ集中砲火をあびて、たじろぐ俺。言葉の銃弾を連射しながらも、ファイルを繰る手を止めないハルヒ。そういえば、ハルヒが小さい頃、こいつの母さんは入退院を繰り返していて、仕事で飛び回ってる親父さんとたまにお見舞いに行く以外はこいつはずっと家にいて、小さな頃から家事全般を任されていたのだと聞いたことがあった。こいつはそんな話をした後、いつものアヒル口になって「だって他にする人がいないんだからしょうがないじゃない」みたいなことを言っていた気がする。

 店主はハルヒのマシンガン・トークを、これまたニコニコと聞いていたが、それが鳴り止み、ハルヒが物件情報の海に再びダイブするのを見届けてから、ゆっくりした口調でこう始めた。
「おじさんはこの仕事を継いだのが遅くてね。頑固な父親で、そりが合わなかったから、最初は別の仕事について、しばらく勤め人をしてた。父親も、自分が死んだらここも閉めてしまおうと思ってたらしい。それが酒がたたって、父親の予定からすると随分と早くに脳卒中で倒れた。呼び付けられて実家に帰ると、手招きで呼び寄せられて父親にこう怒鳴られたよ。
『道路、河川は本なり。水道、家屋は末なり。って言葉、知ってるか?』
知らないと答えたら、『おまえ、それでも不動産屋の倅か』とこうだ。
『維新からこの方、国の偉い連中はみんなそれでやってきた。都を地震で壊され空襲で焼かれても相も変わらずだ。だがな、辺り一面の原っぱを馬が駆け抜けてくだけで道なんかひとつも見えない大平原でも、ラクダしか進めねえ砂の海でも、目をこらすと人がいるところじゃ必ず煙があがってる。その下には世界のどこいったって家がある。中にはバラしてロバに積めるような家がある、洪水に流されるままの筏の上に建てた家がある、地面を掘り下げただけの家がある。『家屋は末なり』だ? ああ、結構だ。どんな大通りの真ん中を歩いてる連中だって、家からやってきて家へ帰っていくじゃねえか。人の歩きだした端、歩いていった先は、確かに末端だ、行く末だ。俺たちの世代には、自分の家に帰りたい帰りたいと思いながら、のたれ死にした奴だって大勢いる。畳の上で、しかも自分の家で死ぬなんて、それだけで往生だ。病院になんかやるこたあないぞ』
それで心残りはないかと聞いたら、また怒鳴られた。
『あるに決まんてるだろ!』と言った後、泣き出したので、それで思わず、
『末のことはまかせろ』と言ってしまったんだ。で、現在に至るというわけさ」
「……ここを継ぐ前の仕事って何だったんですか?」
「ああ、役人だよ。道路や橋を作ってた。まるで落語だね」
「その、お父さんは?」
「一昨年死んだ。『おまえが一人前になるまで死ねるか』とよく言ってたから、ようやく一人前と認めてくれたのかな」

 店主は、俺とハルヒに、タバコはいいかな?と承諾をとって、大きなマッチ箱を取り出してマッチをすり、火をタバコの先に持っていった。細い煙があがって、その先を見るような目で、店主は続きを話してくれた。
「今、私が座ってる机の引き出しには、不動産業とはあまり関係のない、父親の資料が入っていてね。世界中の家の写真なんだ。どうやって集めたんだろうと思うね。父親は、私が子供の頃から、ずっとこの椅子に座っていて、どこかに出掛けた覚えなんかほとんどなかったから」
 店主は引き出しを開け、古いアルバムのようなものの中から一冊を抜いて、机の上で広げた。
「これは中国の山西省にある窰洞(ヤオトン)という住居。山西省や河南省あたりを黄土高原というのだけれど、『黄土高原は風がつくった大地である』という言葉があるくらいでね。ゴビ砂漠から風が運んできた黄色い砂塵でできた堆積層は、深いところで200メートルもある。土壌は均質かつ多孔質、雨の振らない地域だから数万年の年月で乾燥し切ってる。この土はとてもやわらかく掘りやすい、それに掘っても崩れにくい。中庭にあたる正方形を掘り下げて、そうしてできた土の壁に、今度は横に穴をあけて部屋をつくる。鋤一本と根気さえあれば、誰だって家がつくれる。材料はどこからも持って来なくていい、みんな自分の足の下にあるからね。こうしたところで、自分の住むところをつくるのに、「建てる」のでなく「掘る」人たちが暮らしている。住居ばかりか、工場も、学校も、ホテルも、役所も、延安大学の学生寮も、みんなそう。調査された中で一番古い窰洞(ヤオトン)は唐の詩人杜甫の生家で、1200年ほど前のものが残っているそうだよ」

 「これは熱帯アフリカのバオバブの木。大きな木は幹の直径が10m近くにもなる。材質が非常に柔らかいので、これも彫り抜いて窰洞(ヤオトン)のように「引き算の建築」ができる。生きている木につくった大きな穴の家で暮らしている人たちも大勢いる」

 「こっちは、乾期と雨期の間で河の水位が何mもある東南アジアの水の民の家。ノアの箱船は洪水から逃れるためにつくられたけれど、この人たちは最初から定期的に襲ってくる洪水を前提に暮らしている。この丸木小屋みたいなのは全部これも丸太でできたイカダの上に組み立てられている。ほら、どの家にも周りに20mぐらいの高い4本の柱が立っているだろ。この柱は、水に浮かんだ時にイカダ住宅を綱でつなぐおくためのものなんだ。ひとたび洪水になれば、村全体が、家や商店、集会所、そして犬小屋までも、自動的に浮かび上がる。彼等は土の上とほとんど同じ暮らしを、今度は水の上で続ける。20mの柱はね、これがないとイカダ住宅がどこかに流れて行ってしまうからだけど、ただつなぎ止めるためなら1本の柱でよさそうなものじゃないか。4本あるのは、家の向きを変えないためなんだよ。つまり四隅とも柱につないでないと、家の向きが変わってテレビの写りが悪くなる」
「テレビ?」
「ほら、屋根の上にアンテナがある。洪水を非常時と考えるとテレビなんて、と思うかもしれないが、洪水が日常の人たちには大切な問題だ」
「電気はどうしてるんですか?」
「普段は電線で供給されているところも増えたみたいだけれど、ガソリン・エンジンがついた発電機も持っている」

 店主の話に引き込まれるように聞き入っていると、いつのまにかハルヒが隣に座っていた。
 そりゃそうだ。この手の話をハルヒが聞き逃すはずがない。
 俺は続いて何が出てくるのだろうと、無意識に腰を浮かせて机越しに見えない引き出しの中を覗こうとしていた。ハルヒがそんな俺の肩をひっつかみ強引に引き戻し、その反動で自分はバネ仕掛けのようにぶんと席から立ち上がった。
「おじさんは、家の写真、集めてないの?」
「うん。集めてるんだけど、捗々(はかばか)しくないな。うちは一人でやってるし、休みもあってないようなものだから、なかなか時間がなくてね。父親も同じ条件だったのに、何だこの量は、っていつも不思議に思うんだよ」
「それはね、協力者がいたからよ!」
ああ、断言したよ、こいつ。
「キョン、あんた、話が見えてないでしょ? おじさんはすぐにピンと来たみたいだけど」
「あ、ああ。どういうことだ、ハルヒ?」
「写真の隅っこをよく見なさい。どれにも小さくイニシャルみたいなものが入ってるでしょ?」
「ん?あ、ああ。これか。だがこれだけだと何とも言えんぞ」
「言えるのよ。さっきから何枚、写真を見せてもらったの?最初の窰洞(ヤオトン)とこっちとこっちの写真。撮影された場所はもちろん、時期も、撮った人も違うと見ていいでしょうね。筆跡から言ってもそう。なのに、どの写真にも同じイニシャルが入っている。そして、この不動産屋さんの屋号。これは名字からでしょ?」
「ああ、そうだよ。なるほど、まいったな」
「写真のイニシャルと屋号も合う。つまり、いろんな人が、おじさんのお父さんのために撮った写真なのよ、ここにある奴は全部!」

 「なるほどな。探すべきものは、余所じゃなくて、ここにあったのか」
「青い鳥って奴よ、おじさん!」
おいおい、おまえが言うのか、そのセリフ。俺は二度とは言わんけどな。
「父のアドレス帳と年賀状の束は捨てずに取ってあるから、まずそのあたりからだね」
「お父さんのネットワークが解き明かされると、きっとすごいことになるわ」
「ああ、私が全然知らなかった父が、きっといるんだろう」
 いつのまにか意気投合しちまって、二人で盛り上がる店主とハルヒ。気を利かせて横を向いててやる。
「青い鳥か。……そうか、君はもう見付けたんだな」
「ええ、そうよ」
見なくても、誇らしく胸を張っているハルヒの姿が見える。
「それから、あたしからおじさんに一つ提案があるわ」
何故だろう、嫌な予感がする。
「店番は、あたしたちに任させて、どんどん不思議探検に行っちゃいなさい!」
おい、ハルヒ、おまえな! ……いま、あたし《たち》と言わなかったか?
「難しい契約なんかは資格もいるだろうしできないけど、電話番ぐらいにはなるわ。いつお客さんが来るのかわからないのがネックなんだし、店番を活用したら,細切れ時間だって有効活用できるでしょ? まあ、話は、何日かあたしたちにやらせてみて、おじさんが『これならいける』と思ってからに当然なるけど」
 おいおい、話をどんどん進めるな。
「わかってないあんたのために、この計画のすばらしいメリットを特別に説明してあげるわ。あたしたちの場合、軍資金は少しでも多いに越したことはないし、それにこうしていれば優良物件を見逃す事もないし、物件の選び方探し方のノウハウも身に付くってものよ」
とここまで言って、早や家庭教師と変身したハルヒは、例の100ワットの笑顔を2割増しに輝かした。
「というわけでキョン、あんたへの家庭教師も《ここ》でやっちゃうからね」
「おいおい。それってバイトの掛け持ちというか、職務専念義務とかに反するんじゃないのか?」
「あんたの家庭教師はボランティアなんだし、あたしにとっては好きな本でも読んでるのと変わらないわよ。あんたが問題解くのに考えている間、どうせあたしは時間が空くんだから、これこそ効率的な時間の使い方よ! という具合に3者が3者とも得する計画なんだけど、おじさん、どうかしら?」
 なんか話の途中から聞いて笑ってましたよね。ほとんど爆笑に近いくらいに。
「あー、愉快だよ。痛快だ。こんなにむちゃくちゃで強引で、しかも筋も通っていれば利もあるなんてね。……見習い期間は月〜金の5日間、その間はバイト代なし。本採用なら次の週から早速お願いする、ということでどうだろう。時間とバイト代は委細相談の上ということで」
「かまわないわ!」

 ともあれ、これもまた明日のためのその一、ということだろうか。
 うちの親への説得も、まだ残ってるんだぞ、ハルヒ。
「わかってるわよ。それも今夜やっちゃいましょう!」
やれやれ。多分、一番の難関なんだぞ。
「わかってるわよ。でも,進まないと明日はないわ。キョン、あたしに付いて来なさい!!」


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