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辞書シリーズ/古語辞典:モノ/コト

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haruhioyaji

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 「親父、辞書貸して」
「ノックくらいしろよ。むだ毛処理してる途中だったらどうするんだ?」
「娘相手に下品な冗談、禁止! ただでさえ、冗談が下品に服着てるようなもんなんだから」
「思春期の娘に迫害されるお父さんは世に多いが、ここまで言われるのはおれぐらいだろうな」
「威張るな。ぜんっぜん、名誉なことじゃないから」
「威張ってない。おまえ、言霊って知ってるか?」
「バカにしてんの? それくらい知ってる……わよ////」
「いまのどこに地雷があった? 何故そこで照れる?」
「し、知らないわよ」
「ま、どうせハルキョンな話だろ」
「へ、へんなまとめ方すんな!」
「『服着てるようなもん』と気安くいうが、モノにもいろいろある」
「そりゃそうでしょ」
「そうじゃない。『モノ』という言葉(和語、やまとことば)が出会った漢語(漢字)は、「物」や「者」だけじゃなかった、という話だ」
「何それ? どういうこと?」
「漢字の音読みは、輸入されてきたとき、漢字にくっついてやって来た読み方だが、訓読みの方は漢字が渡来する以前から、こっちにあった言葉(和語、やまとことば)が、似てる意味をもつ漢字に割り振られたんだ。どっちかっていうと、和語、やまとことばの方が数が少なくて、その分、ひとつのコトバがもつ意味の広がりが大きかった。だから、ひとつの和語、やまとことばに、複数の漢字が割り当てられていることが多い。『類聚名義抄』っていう平安時代末期から鎌倉時代初期にできた辞書には、「おもふ」なんか、55文字の漢字と対応付けられてる。つまり55個の漢字が「おもふ」という訓を持つという訳だ」
「ふーん」
「今言った「モノ」という言葉(和語、やまとことば)だと、出会った/結び付いた漢語は「物」「者」の他にも、「鬼」なんかがあった」
「おに?」
「泣いた赤鬼みたいなジャパナイズされたやつじゃないけどな。漢語の「物」は存在一般,「こっち側にある存在」を指す言葉だが、和語の「モノ」の意味はさらに広くて、「あっち側の存在」、すなわち彼岸の/霊異なもの(物も者もおよばぬ世界)をも含んでいた。だから「物」や「者」だけでなく、「鬼」も「モノ」と結びつけないと、「モノ」が表す意味の広がりをカバーできなかったって訳だ」
「ふーん」
「鬼をモノと読めると、いままで曖昧だったのが途端にはっきりして来ることがある。たとえば「もののけ」は、どう考えても「物の怪」であるよりも「鬼(モノ)の怪」と考えるべきだろう。「物狂い」はもちろん「鬼(モノ)狂い」だったろうし、「物語」は同時に「鬼(モノ)語」だったのかもしれん。ありえない/この現実でないことだって語るんだからな。「ものしり」ってのも、安倍晴明あたりに言わせると、モノシリは「物知り」であるだけでなく「鬼(モノ)知り」でもなければならなかった、って話になる」
「こらこら。またいい加減な話を」
「まあ、いい加減だけどな。一方「コト」って言葉も、その含み持っていた意味の広がりから、いくつかの漢語に出会うことになった。和語「モノ」が漢字の「物・者・鬼」と出会って、それぞれの区別が付けられて行ったように、「コト」も、それぞれ結び付いた漢字を手がかりに、特化され分化していった。「コト」は「事」であり、「殊」「異」「別」であり、さらに「言」「辞」「詞」でもあったって訳だ。「ことば」と「ものごと」は、どちらも「コト」、そもそもが不離未分化だった。だからこそ「ことば」が実体を持ち呪能を持つ。言霊ってのは、その成れの果てだな」
「コトがことばであり、ものごとでもあった、ってのは分かったけど、最後の「殊」「異」「別」ってのは何?」
「「コト」は、一般に対しての特「殊」、個別的「事」象を指すんだ。「ことさら」とか、「こと(異)にする」というだろ? 言うなれば「物知り」が一般的・普遍的な知識に詳しい奴のことをいうなら、対して「事知り」に対応する「事情通」は、個別的事象、個々の事例についてよく知っているものをいう」
「はあ」
「もっとダイレクトにモノ/コトの対照でいうなら、『そんなことがあるものか』と言ったりするだろ。こいつはおもしろい言い方だな。「モノ」(一般)でもって、「コト」(個別・特殊的事例)を押し潰し、否定するんだから。もっとも「モノ」(一般)に例外(レア・ケース)を突きつける異能者(変人)たちによって、普遍的な知識は常に更新されてきた訳だけどな」



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