ハルヒと親父 @ wiki

終電車

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haruhioyaji

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 「あ、キョン? 随分遅いけど、今から出て来れない? ううん、今、駅。あ、駄目ならいい」
 らしくない電話だった。『今すぐ駅まで来なさい! 30秒以内!』ってのがハルヒのハルヒたるところであって、殊勝な内容は、いつもと違って聞こえる声と相まって、何か俺を不安にさせた。
「わかった。すぐ行ってやる。自転車で行くから、そんなにはかからん。ちゃんと待ってろよ!」
 この時、俺もまた、いつもなら言いそうにもないことを言っていた。

 俺たちは、違い過ぎていて、そして似過ぎていた。
 あいつの努力は空回りすることが多かったし、俺の苦労も大抵は報われなかった。
 思えば、俺たちはずっと近すぎる距離にいた。同じ教室の、すぐ後ろと前の席。
 ハルヒが望んだことなのだろうが、俺の方も異存はなかった。だがそれが、物事を複雑にしていた。
 それ以上近づこうとすれば、お互いに触れ合わざるを得なかったし、それ以上遠ざかることは、いつしか耐え難くなった。
 いつ頃からか、学校を出てからも、なるべく長く同じ時間を過ごすようになり、家に帰ってからも、部屋に入るとケータイで話し続けた。

 「電話はいいわね」
 ある時、ハルヒは無邪気に言った。
「何がだ?」
「あんたの声がすぐ耳元で聞こえる。顔が見えないのが欠点……だけど」
 途中で「しまった」という顔が見えるような、声の変わりようだった。
 こういう時、ハルヒはいつも通りの無茶を、いつもと違った意味を込めて言う。
「忘れなさい! 2秒で記憶を消し去って、決して思い出さないこと!」
 無理だ。現に、こんなささいな事を、俺は今も鮮明に覚えている。ハルヒもきっと同じだろう。

 「ハルヒ!」
 自転車を放り投げるようにして止め、改札、切符の自動販売機、とっくに閉店した売店を見回して、見つけられなかったあいつの名前を、思わず叫んでいた。なに、焦ってんだ、俺は。
 小石がこつんと頭に当たるように、後ろから声がした。
「……いるわよ」
 俺は振り返った。
「何をそんなに慌ててんの?」
 ハルヒの声に咎める色はなかったが、それでも上機嫌でないのは誰が聞いてもわかるほどだった。
「あたしがいなくなるとでも思ったの?」
 少し意地悪く笑ってみようとして、ハルヒは見事に失敗していた。多分、その時の俺の表情が邪魔したのかもしれない。
「そういうことはな、二度と言うな。あと思いついても、絶対するな」
「あんた、何をマジになって……っとにもう、わかったわよ! 言わないし、やらない」
 ハルヒは左手をグーにして、俺の顔の前に突き出した。
「なんだ?」
「約束するって言ってんの!」
 よく見ると、左こぶしから小指だけが仲間はずれにされて、立たされていた。
「指切りげんまん、か」
「ちなみに『げんまん』って『拳万』って書くのよ。指を切るだけじゃ足りず、1万回なぐるって訳」
「そんなに殴ったら、顔の形が変わっちまう」
「あんた、女の顔を殴る気?」
「いなくなった奴をどうやって殴るんだ?」
「だから!いなくなんないって言ってるでしょ!」
「だったら拳は必要ない」
 俺は指をいっぱいに開いて手を差し出した。
「手相でも見ろっての?」
「おまえの手も出せ」
「ん」
「こうすれば、お互い殴らなくて済むだろ?」
「停戦協定って訳ね」
「そういうことにしておいてもいい」
 指を絡めて、俺たちは手をつないだ。


 「で、今夜はどういう用件だ?」
「眠ろうとして眠れなくて、とにかく誰でもいい、誰かと話したい、誰かに会いたい、ってこと、あんたない?」
「ある」
と俺は言った。きっとものすごく不機嫌そうな声で。
「ちょうど今が、そうだ」
「そう」
 ハルヒはぷいと顔を横に向けた。
「あたしもね、今夜、そういう気分だったの」
「で、気は済んだのか?」
「……少し。少しはね」
「大して重いサイフじゃないが、ファミレスで朝までねばるくらいなら、なんとかなるぞ」
 ハルヒは足下にあった、でかいショルダーバッグを俺の顔めがけて押し付けた。
「んお!」
「中身、下着とか着替えとかだから、落として道にばらまかないように」
「いてて。……旅行にでも行くのか?」
「……さっきまではね。……あれよ」
 ハルヒが指差したのは、駅のホームに止まってる、いや、ちょうど走り出した電車だった。
「終電よ。どっかで鈍行を乗り継げば、相当遠くまで行けるわ」
「ハルヒ……」
「乗ろうと思ってたの」
「行っちまうぞ。いいのか?」
「いいも何も、あんたにこうしっかり捕まってちゃ、走れないわよ」
「……」
「眠ろうとして眠れなくて、もう誰にも会いたくない、知ってる奴の誰もいないところに行きたい、いっそ消えてなくなりたい、って思うこと、あんたない?」
「ある」 多分、今がそうだ。
「だからあんたに電話したの」
「……今度は、チケット二人分用意しとけ」
「付き合いのいい奴ね。お人好しも過ぎると悪い連中にだまされるわよ」
 まったく、どの口で言うんだ。
「付き合いがいい訳じゃない。誰かさんとの約束が守れるように、手を貸してやるだけだ」
「今日みたいに?」
「ああ、今日みたいに」
 ハルヒは俺からバッグを奪い取り、つないだ手をいとも簡単に振り払って、たたっと数歩、歩いてから振り返った。
「ちゃっちゃと行くわよ。そのファミレスとやらに」
「いつも行ってる店だ。少し距離がある。乗れよ」
 俺は自転車を起こして、ハルヒを追い掛ける。
「歩きたい気分なの。あんたは?」
「どうにでもしてくれ、って気分だ」
「じゃあ、決まりね!」
 何がいったいどう決まったのか? それを聞くのさえ、まずはこいつに並ばないとな。

 いつか、おれを強引に引きずっていったあの手が離れても、俺たちはもう一度、手をつなぐことも、そうしないでいることもできる。どっちにしろ、こいつが進んでいく方向と俺が追い掛ける方角とは、大した違いがないんだろう。
「待てよ、ハルヒ」
「待つ訳ないでしょ!」
 多分、こんな下らないやり取りさえ、俺たちは忘れずにいるに違いない。






















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