ハルヒと親父 @ wiki

オヤジラジオ その3

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haruhioyaji

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ハルヒ
なによ、このヘタクソなピアノは!? オヤジの奴ね!
キョン
確かにがんがんぶっ叩き系だが、ノリノリだな。お、グリッセント。
ハルヒ
これくらい、あたしにだって弾けるわよ!
キョン
そりゃ、おまえは弾けるだろうがな。あ、長門のボーカル。
古泉
お取り込み中のところ、申し訳ありません。
キョン
別に取り込んじゃいないぞ。
ハルヒ
いないわ。
古泉
……送信機の奪取に一応の目処が着きましたので、ご報告を。
キョン
随分、速いな。
古泉
探すべき場所が無線LANスポットに限定されたので、捜索に当たる人員を増員しました。市内の公衆LANスポットを手分けして一斉に当たらせてます。あ、ご心配なく。突然駆りだされたボランティアのみなさんですので。
キョン
駆りだされたら、ボランティアじゃないだろ。
鶴屋
と、言う訳なのさ。目処もついたみたいだしさ、ハルニャンたちもお昼にしないかい? いんや心配は無用にょろ。お店はすでに予約済みさ!これだけの人数だからねえ。


長門
無線LAN経由のトランスミッターは87%奪取された。残りも、95%の確率で12分30秒以内に奪取される。
オヤジ
仕掛けがわかれば、LANスポットに狙いを定めて探せばいいからな。ま、それでも全体の1/4だ。おれのツテで頼んだ私物パソコン経由のは、同じようにはいかんだろ。分布は市内全体だし、見知らぬ家に上がりこんでトランスミッターを拝借なんて真似、あいつらにはできんさ。
長門
油断大敵。
オヤジ
まあ、常識のないのが一人いるからな。
長門
自業自得。
オヤジ
四字熟語の会話って結構いけるな。
長門
馬耳東風。
オヤジ
……。
長門
何か?
オヤジ
なんだろうな、こういう場合は……驚天動地か?
長門
まもなく音楽が終わる。
オヤジ
お、メールフォームから何か来てるな。
長門
音楽をフェード・アウト。
オヤジ
周波数固定、発信地半減、あと半日残すばかりのオヤジ・ラジオだ。
イタリア、ベネチアは水没したサン・マルコ広場からお送りする。
特設サイトのメールフォームから届いた、西宮市、猫のシャミセン(♂)から、着き立てほかほかのメッセージだ。
「飼い主がうるさくて安眠が妨げられる由、妙案ありやなしや」。……ハルキョン、自重しろ。
またメール・フォームからメッセージ? おいおい、バカ娘からだ。
「大きなお世話よ」。
ちょっとは否定しろよ。オヤジは、ナーバス・ブレイク・ダウンだ。次は長門が何か弾くのか? 吹く? あー、曲は「Left alone」。


古泉
このテナーサックスは長門さんですか。さすがですね。なんというか、いつもの長門さんからは想像できないほど、情感にあふれてる。
キョン
てことは、親父さんがピアノ合わせてるのか? もはや驚かんが。
ハルヒ
適当に音ならしてるだけよ。それより、あんた、なに食べるの? 早く決めなさい!

キョン
これだけの人数がいるのに、何故だか注文の皿が、テーブルの上におさまってる。
ハルヒ
当たり前でしょ。有希がいないんだから。
キョン
いまさらながら、たくさん食べてたんだな、長門。
ハルヒ
捕虜になって、ちゃんと食べさせてもらってるのかしら?
キョン
捕虜じゃないだろ、あんなにのりのりでサックスを吹いてるのに。
ハルヒ
アウシュビッツでは、収監したユダヤ人音楽家たちに演奏会をさせてたのよ!
キョン
待て待て。今回の企画は長門から、なんだろ?
ハルヒ
むー。それがわかんないのよ!
キョン
そこにいらだってるのか。

古泉
お耳に入れたいことが。
キョン
発信機探しは完了か?
古泉
それがそうでもないようです。市内の公衆LANスポットはすべて制圧したのですが。
キョン
親父さんが一枚上手だったってことか?
古泉
そのようです。回収できたのは、おそらく1/4ほどではないかと。
キョン
あと設置されてる可能性があるとしたら、どこなんだ?
古泉
端的に言うと、ネットにつながるところなら、どこにでも。
キョン
なんだって?
古泉
たとえば、親父さんのご友人が自分のパソコンにトランスミッターを接続されているとか。この場合、発見はできても回収は簡単ではないでしょう。交渉は可能でしょうが、時間との闘いもあります。
キョン
家にネット引いてる人間なんて、人口の何割いるんだ?
古泉
市内では8割超えるとか。もっとも半数は携帯電話で接続されているようですが。
キョン
それにしたって。……あの親父さんだぞ。どこにどんな知り合いがいるか、分かったもんじゃない。
古泉
それで大変言いにくいのですが、現状を涼宮さんにご説明願えないでしょうか?
キョン
どういうことだ? ……と、聞かない方がいいか。
古泉
助かります。一度、楽観的な予想を出したこともありますが、それ以上に……
キョン
閉鎖空間って感じはしないんだがな。専門家相手に悪いが。
古泉
あなたにそう言って頂けると心強いのですが、もしそうなってしまうと、発信機回収に投じた「ボランティア」も引き上げざるを得ませんし。
キョン
お前にも急なバイトが入るしな。
古泉
こころなしか、今日のあなたには余裕のようなものが感じられますね。
キョン
今の俺に余裕があるように見えるなら、今の相手が、ハルヒのトンデモ無意識と超常現象じゃなくて、ヘンタイ親父とバカ娘の日常的親子ゲンカだからだ。こいつはめちゃくちゃに見えて、おまえのいつかの言葉を借りるなら「意外と常識的」なんだ。
古泉
その言葉、あなたにしか言えませんよ。
キョン
圧倒的な勝利は親父さんの望みじゃない、と言ったのはおまえだぞ。人海戦術がダメなら、何か別のルートがあるはずだ。このゲームが、ゲーム・バランスがでたらめの、クソ・ゲーじゃないならな。


オヤジ
周波数自在、発信地健在、ほんとは昼休みのオヤジ・ラジオだ。
切り倒された世界樹(ユグドラシル)の根元からからお送りする。
特設サイトのメールフォームのおかげで、子供相談室なメッセージが目白押しだ。これは紹介して解答するしかないよな。あ、長門、飯(めし)、先に食っていいからな。では、ひとつめ。西宮市、匿名希望、朝比奈さんからの子供相談。

「質問です。どうして他人のものだと欲しくなったり奪いたくなったりするのですか?」
 そうだな。ドイツの田舎のハイデガーという哲学者がいたが、こいつは人の考えばかりを盗んでいた。いろいろあるが、こいつの思想では一番有名な「世界内存在In-der-Welt-sein」ってのが、だいたいパクリだ。これは、岡倉天心の「茶の本The Book of Tea」の中に出てくる「処世」のパクリだ。天心ってのは、元々この本を英語で書いたんだが、「処世」というのをどう書いたかと言うと、ざっくり「Being in the world」と書いた。「世界のなかにあること」だな。ハイデガーは、まんまドイツ語にして、自分の哲学の中心概念にまでした。以上、親父の豆知識だ。
 どうして他人のものを奪いたくなるのかといえば、それは他人のものだからだな。つまり「他人の欲望の対象」であるということと、「他人の所有するもの」であるということだ。前者は、多分「掟の門とユダヤ人の秘訣」という小話をする必要があるんで今回は割愛するが、後者についてはこんなことが言える。
 清貧な人、樽に住んでたディオゲネスとか老荘思想の荘子とかが、子供が自分の手ですくって水を飲んでいるのを見て、唯一の財産である柄杓(瓢箪)を打ち捨てるという話があるが、まあ、どんな文明も民族も器(うつわ)を持たないものはない。動物というのはハンティング(狩猟)するが、ギャザリング(採集)はしない。狩猟採集民というのは人間の話だ。
 ところが東アフリカに住むハッツァという「採集」民は、器を持たない。木ノ実を採ることは採るが、どこにも蓄えたりせず、直接口に運ぶのでしまうんだ。いわば、彼らは木ノ実をギャザリングするのでなく、ハンティングするだな。近隣の種族は「あいつらヒヒと一緒や」と彼らを軽蔑してるが、彼らの間には、「奪う者」「盗む者」はいない。「所有」というのが、そもそもよくわからないからだ。

 じゃあ、次の質問。西宮市、匿名希望、国木田だそうだ。
「部屋が片付きません。どうしたらいいでしょうか?」
 ああ、一時、こういうジョークが流行ったな。今は親父しか知らないだろうから、紹介しとく。アメリカのグレゴリー・ベイトソンがこう書いている。「ものはなぜごたまぜになるのか?それは、ものがかたづいた状態より、かたづいてない状態の方が確率的に多いからです。これがエントロピーの増大則です」。でもこんなことベイトソンに言われなくたってな。
 NP問題の一つに「ナップサック問題」というのがある。NP問題というのは、 nondeterministic polynomial-time problemと言って、ひどく大雑把に説明すると、難しくってものすごく手間がかかる問題だ。これじゃあんまりなので、もう少しだけ説明すると、対象の数(n)が増加すると、手間がものすごく増加する(n!とか2のn乗とか)問題で、なおかつその答えの正否判断は、多項式の手間(普通はnの2乗とか3乗くらいで)分かるというものだ。何言ってんだろうな。
 でだ、この「ナップサック問題」とは、どういうものかと言うと、ある一定の入れ物の中に、用意されたものをどれだけうまく詰め込むことができるか、って話だ。ルールはこんなに簡単なんだが、たとえば「用意された品物」のうち、どれどどれを選んで、どんな具合につめるか、その組合せは「用意された品物」の数nが増えると、爆発的に増えてしまう。いちいち試してみるやり方では、膨大な時間がかかってしまうという訳だな。たとえば与えられた予算の中で(そして商品の値段はそれぞれ決まってる)、「満足」(経済学では効用という)を最大とするように個人は買物するのだと、経済学なんかでは説明するが(それどころか数学的な証明もついてたりするが)、これも「ナップサック問題」の一種なんで、その組み合せを探す手間は、現実には、もうめちゃくちゃすごくて有限の時間しか持たない人間には到底できっこない。
 あと、同じ話なんだが、機械の小型化が困難で、かつ、やってのけると価値があるのは、この難しい「ナップサック問題」を解くことだからだ。大抵は最上の答えでなく、適当によい組合せなら我慢した方が実用的ということでもある。だから「世界最小」って商品が、繰り返し市場に登場する訳だ。
 さて、結論。何故かたずけることがむずかしいか。いろんなものを一定のスペースに「片付ける」のは、「ナップサック問題」に相当するからだ。一番いい方法は確かに存在しするんだが(経済学者が証明したのも、この「一番いい組合せはある、どれがそれかは知らないけど」ということだ)、それを探していては、世界が終わるまでかけても間に合わないかもしれん。適当なところでやめとけ。

 じゃあ、次の質問。キョンの妹か?
「‘街’と‘町’の違いはなんですか?」
 ラジオで聞く質問じゃないな。辞書を引け。
 ‘街’は、「よつまたのみち」で、十字路のことだ。四つ角に目をつぶって立つと、自分の未来が見えるというな。そこから転じて、区画の意味になった。
‘町’の方は字の形からも分かるように、とラジオでいうことじゃないが、田圃の「あぜ」や「うね」のことだ。これは田と田との境を示すものでもあるんで、転じて区画の意味になった。
 正確にいうとだな「あぜ」で区画された内がわを「町」といい、区画全体は「坊」という。おおざっぱに言い直すと、区画に区切る(道の)方から「まち」を見ているのが ‘街’、区切られた(内の)方から「まち」を見ているのが‘町’というところだ。

 じゃあ、次の質問。西宮市、榎本さんからだ。
「演歌の歌詞をつくるにはどうしたらいいですか?」
おい、こんな質問、ほんとに来てるのか? 
 まず地図帳を用意しろ。
 演歌に必須のボキャブラリは、実は「酒」でも「女」でも「港」でもない。ずばり、地名だ。
 昔は、長崎とか京都とか金沢とか、都市の名前でも演歌になったが、いまは人里はなれた岬とか峠なんかがトレンドだ。ここ、笑うところだぞ。人妻との浮気旅行で山陰のさびれた温泉宿へいくことを想像してみろ。なお、地名はフレーズの最後に体言止めでつかうと、それらしくなる。

イエローケーキを 荷台につめば
越すに越されぬ  人形峠

ほら、できた。でも、こんなの歌ったらすぐに発売中止だな。
 演歌は、基本的にプロヴィンシャルなもので、ユニバーサルな演歌は存在しない。あるとすれば、ハルオ・ミナミが歌った「万博の歌」くらいのものだ。だから「ここは銀河の番外地〜」なんて歌詞は演歌ではあり得ない。
 昔、村田英雄が歌う「蟹工船」という、別の意味で「インターナショナル」な歌(作詞:星野哲郎/作曲:遠藤実)があったが、これも歌詞の中身は、ど根性演歌だった。というわけで、とりあえず、俺が昔作ったサイバー演歌を作例にあげとく。
http://homepage2.nifty.com/wadataku/i-kayou/data/denkyoku/denkyoku.html
1
プラスマイナス プラグが揺れる 涙で満たした 蓄電池(バッテリー)
妻の残した エレキテル 回して 未練の火花咲く
坊や眠らぬ 何故寝付かれぬ
耳の後ろの ソケットに 無理に聞かせる 浪花節
男のエレキ〜

2
「お前 へその緒 同軸コード」 不敏なこの子に 世の人が
「あなた 三つ又ソケットの 股からこの世に生まれた」と
坊や眠らぬ 何故寝付かれぬ
思う存分泣くのもいいが ボリューム最大 浪花節
男のエレキ〜

3
たとえば くたばるカエルでも 電気ながれる ガルバーニ
母のない子に この父の 熱いエレキがほとばしる
坊や何故泣く 何故泣き止まぬ
地球の果てまで逃げても無駄さ どうせ聞かせる 浪花節
男のエレキ〜

《感電ギターソロ》《逆流ピアノソロ》《発火ストリングスソロ》

オレの魂 アースにつなぐ ネコに小判だ カツオ節
男のエレキ〜

オレのエレキは 熊でも倒す 名は三太夫 ドクマムシ
男のエレキ〜

耳の後ろの ソケットに ボリューム最大 浪花節
男のエレキ〜
男のエレキ〜

 あー、次の質問。西宮市、ハカセくんからの質問。
「どうして『賽の河原』と『お賽銭』と『賽の目』は、同じ『賽』なのですか?」
 そこまで気付いたなら、自分で辞書引けよ。あと、おまえは理系に進め。
 ようするに「賽」とは何か、という話だな。漢字の成り立ちでいうと、「賽」は、「要塞」の「塞」の字と「貝」を組み合わしたものだ。
 「塞の神」といえば「道祖神」のことであるように、中国では「塞」は道路や境界の要所に土神を祀って守護神とすること、転じてそういった「守り」のことをいう。これが日本神話になると、伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神) 邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)と、いうことになる。
 貨財関係の字にはすべて「貝」のが含まれているように、貝はながらく通貨的な「財」だったが、その起源は象徴交換的な、おおざっぱにいえば「呪器」としての機能であり、神との交換=交感関係が先にあった。「お賽銭」は、「神様へ捧げるお金」なのではなく、「お金」の方が逆に「人間の間で取り交わされるお賽銭(のなれのはて)」といった訳だ。
 あわせて「賽」の原義は、「塞の神」(土神)への「奉りもの」の意で、はなっから「お賽銭」だったと言えるかもな。
 史記の封禅書(あの歴史書は百科事典でもあるので、いくつかの事項別の「書」があって、「封禅」とは、封が泰山の山頂に土壇をつくって天を祭ること、禅が泰山の麓の小丘(梁父山)で地をはらい山川を祀ること、中国古代に天子が行なった祭祀のことで、「封禅書」はそれについて簡単に時代順にまとめたものだが)、そこには、「冬、賽して祷祠す」とあり、12月に鬼神をもとめて祭祀をおこなったことが記載されている。これで「賽社」(農事が終わってのち、酒食をそなえて田の神に感謝する祭)、「賽会」(多くの人が集まって、儀仗・雑戯などを整えて、神を迎え祭ること)、「賽神」(神にささげるお礼祭り、報神)、「お賽銭」などの意が推察されるだろ。神仏に銭を参拝してあげる風習は、日本ではこの風習は16世紀半ばごろからのものと考えられ,鶴岡八幡宮に賽銭箱が置かれたのは天文年間らしい(それ以前は、打撒(ウチマキ)(米を紙に包んであげる)というのがあった)。供物としての意味と個人の罪穢(ザイエ)を祓(ハラ)い清める意味とをもち、銭がけがれを媒介してもっていくのだと解される。
 さて、賽子(さいころ)は、神との関わり合い、神占の道具であったから、当然偶然に支配されるために、あのような正確な立方体の形だった(天地四方をかたどり,1が天,6が地,5が東,2が西,4が南,3が北を表わし,対応する両面の数の和が7になる。)。やがてバクチにつかわれるようになったが、本来は神に関わり、神に問い、神に捧げ奉る祭祀のものだった訳だ。
 いちばん難しいのが、「賽の河原」だな。とある有名漢和辞典によると、法華経 方便品が出典とあるのだけれど、探しても見つからんぞ。仏典に出典があるというのは大ウソだ。辞書が間違えてるんだ。じゃ、いったい何で「賽」なのか?
 物語としては、つぎのものがよく知られている。
 子どもが死後行き,苦を受けると信じられた,冥土の三途(サンズ)の川のほとりの河原(賽の河原)。子どもは石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわし、地蔵菩薩が子どもを救う。日本版・子供版の「シジフォスの岩」だな。念のため、申し添えると、シジフォスはギリシャ神話中の人物で,ゼウスの怒りにふれ,死後,地獄で大石を山上に押し上げる刑に処せられたが,その大石はいつもあと一息のところでころげ落ちたため,また初めからやり直さねばならなかった。こういう空しい労働を指す。カミュが何か書いてるから、そっちも見ておけ。
 どうもこの地蔵菩薩が登場するところがポイントで、「賽の河原」信仰は、衆生の身代わりになって地獄での苦しみを救い、また子供の姿で現れると考えられた地蔵菩薩(特に辻々に建てられた地蔵様)と、在来の道祖神信仰(前述)が習合したものだと考えられる。つまり、「賽の河原」の「賽」は、助けにやってくる地蔵=賽の神(道祖神)から来ているんだろう。
 「賽日」といえば「やぶいり」のことで、地獄の釜が開く日のことだが(だから地獄の休日だ)、これだと「賽」が「地獄」を意味するような感じですが(「賽の河原」もそう)、これは逆に「賽の河原」信仰の後に、くっついてできた話のようだ。

 おいおい、まだあるのか? そろそろ腹ぺこで倒れそうだぞ。


その4へつづく

















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