ハルヒと親父 @ wiki

スポンサーから一言 その4

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haruhioyaji

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 「食うもの食ったし、食後の歓談までやった。バカップルにしては上出来だ。オヤジは気をきかせて、ここらで退散する」
「キョン」
とハルヒが言った。
「ああ、そうだな。……親父さん、送ります」
「お前に送られてもなあ。この辺りは、まだ馬賊でも出るのか?肉弾戦だったら、正直、ハルヒの方が役に立つぞ」
おれもそう思う。だが、親父さんの話が、あれで終わりだとは思えなかった。ハルヒも同じだろう。そしてハルヒと親父さんの間には、いつしか結ばれた、互いに弱みを見せないという相互不可侵条約があるらしい。だったら、今ここに居る人間で、その続きを聞くのは俺の役割ってことになる。
 親父さんはハルヒの顔を見て、それからおれを見た。
「なるほど。じゃあ、キョン、ついてこい。ハルヒ、こいつを借りてくぞ。馬車がかぼちゃに戻る前には帰す」

 部屋を出て、大通りで親父さんはタクシーを拾った。聞き覚えのない行き先を運転手に告げ、体重と憂鬱のすべてを預けるように、親父さんはシートに体を沈めた。
 「話があるんだろ?」
「聞きたいことが。断ってくれて構いません」
「お前が聞きたいなら、おれは何だって喋るぞ。ただし、途中で止めないからな」
おれは肯いた。
「車はどこへ向かってるんですか?」
「まだ死んでない者のところへだ。道はすいてるが、少しは時間がかかる」
「おれに想像がつくのは、平松弁護士が、親父さんとは随分前から知り合いなこと、知り合ったきっかけは今回と良く似た事件に二人が関わったこと、そしてその事件の解決も親父さんが深く関係しただろうってことだけです」
「それだけじゃないだろ?」
「平松弁護士は、多分それら一連の出来事を指して、親父さんのトラウマだと言ってました」
「あのおしゃべりめ。だが穿ちすぎだぞ、キョン。それだと、おれが何もかも分かっているみたいじゃないか。冗談じゃない」
「でも、タクシーには行き先を告げた」
「可能性の問題だ。一度死んだものをもう一度殺すより、生きた人間を殺すことの方が起こりやすい」
「ただ生きた人間というなら、一億人以上います」
「ふん。そんなにバカ親父のトラウマ話が聞きたいか。いいだろう。母さんにも話してない話だ」


 パリで女と同棲してたことがある。正確には、俺がそいつの部屋に転がりこんだんだがな。同棲というか居候だ。
 絵は……独学といえば聞こえがいいが、要は我流だ。ルーブルじゃな、申し込めばどの絵だって模写できる。自分のイーゼル持ちこんで、その絵の前に陣取れる。ピカソもセザンヌもそうやってトレーニングした。いまじゃ定年後のホビーでしかないがな。若い奴も時々は見掛けるが。
 おれはアングルを1年やっただけだ。ただひたすらその絵を写すんだ。同じ絵を何度も何度も模写する。すると、その画家が何を思いながら筆を動かしたか、次第にわかるような錯覚に陥るんだ。画家とモデルの言葉のぶつけ合い、愛憎こもった罵詈雑言の応酬なんかも聞こえてくる。こうなると完全に病気だ。
 冴え冴えとした感覚を味わうときは、筆が勝手に動くのに任せ白いキャンバスを筆先がなでていくだけで、見たことも無いようなすごい絵が現れてくる。まるで遺跡の発掘だ。刷毛で土を落としていくと、遺物が土の中から姿をあらわす、ああいう感じだ。絵が厚みのない画布に「埋まっている」、おれはそれを掘り出していくだけ、といった感じだな。もうダメだ、完全にいっちまってる。
 1年が過ぎた頃だ。時々、俺が模写してる絵を見に来ている奴が居るのに気付いた。というか、気付かされた。それまでは、周りに誰が居ようが何が起ころうが、まるで意識の外だったが、そいつは強引に割りこんで来やがった。

「感想を聞きたいな。その女(オダリスク)と私、どっちがそそる?」
アングルに聞くといい。奴なら、おまえさんも描いただろう」
「あなたに聞いているんだけどな。どうなの?」
「モデルかと思ったが、なんだ絵描きか」
「兼業してるよ。モデルの方が名前は売れてるし、儲かるけどね。絵の方が才能があるのに、こっちはさっぱり」
「不幸な勘違いだな」
「私を描きたくならない?」
「やめとこう。こっちは売れないどころか、まだ駆け出してもいないビギナーだ。そんな金、逆さにしたって出やしない」
「つまり、その気はあるということだね」
「言ってろ」
「そのアングルの娘は、ルーブルでも一二を争う美人だよ。そんなものを一年もかけて写してる。あなたはスケベだ」
「そりゃ、見たままだろ」
「私が見るところ、あなたは取りつかれてる。助けの手を差し伸べてるんだ」
「画布の中の女は抱けんぞ。そんなものに嫉妬してるのか?」
「抱けば、すべてがわかると思ってる、典型的なバカ男だね。ほら、大声でやり合うから警備員が来たよ」
「あいつには貸しがある。裏口へ案内してくれるさ」
「その後は下水道が逃走経路?まるで古い映画だ」
「古い映画だとも。だが映画が生まれて、まだ100年にもなっちゃいない。うちのじいさんの方が早生まれだ」
「どうやら誘い方を間違えたらしいね。うちに来なよ。堅いパンとぬるいスープくらい振舞ってあげる」
「パスタをつけろ。そっちはおれが茹でる。好みがうるさいんだ」

 パリに来て1年間、働きもせず、絵ばかり描いてたんだ。食うに困るのは時間の問題だった。2時間以上先のことはまるで考えられなかった。そのくせ昔のことは、やたらと詳細に思い出す。完全に過去と記憶にとっつかまってたな。絵を描くことで、なんとか自分を現在に係留しようとしてたんだ。

 女はある時、いつもの軽い調子でこんなことを言った。
「君につける薬を見つけたよ」
「さすがはパリ、バカにつける薬まであるのか?」
「孤独(ソリテュード)」
「それなら、もう知ってる」
「知ってるだけじゃだめだ」
「思い知ってる」

「あんたはなんで絵を描く?」
「才能もないのに?」
「才能はともかく……片方は見えてないだろ?もう片方もひどくなってる。医者はなんと言ってる?」
「眼のことを言ってるなら……そのとおりさ。まだ見えるうちに、できるだけのことをしたいんだ」
「治らないのか?」
「治す気がない。この世に見たいものが残ってない」
「だったら何故描く?」
「覚えておきたいものなら、あるんだ」
「それなら描く必要はない」
「そうだな。覚えておいてほしいものがある。こう言えばいい? 私は大勢の画家に描かれてきた。それはみんなその画家たちのものだ。私のものじゃない。私という女がいたことを、誰かに覚えていてほしいんだ」
「おれがあんたを覚えてる。それじゃ足りないか?」
「ただの同居人のくせに」
「ああ」
「私を抱こうともしないくせに!」
「孤独の毒が回って、思うように体が動かない」
「うそだね。本当は、孤独を知るのが怖いんだ」
「違いない。意気地がないんだ」
「……うらんでくれてもかまわない。私が孤独を教えてあげる」

 互いの気持ちを探して、それに気付きだした時、女は死んだ。転落死だ。
 同棲していた俺は第一容疑者になった。「恋人」だったのなら、動機はある。「嫉妬」だ。その女は毎晩ちがうベッドで寝てたからな。おれは一人で女の部屋のベッドを占領して毎晩眠った。傷を癒すには、孤独であった方がいい、と耳元で言われているような心持ちでだ。

 あの女が描いた絵は凡庸極まりないもので、誰も見向きもしなかった。だが、一時、パリの画廊という画廊にあいつを描いた絵がかかった。何人居たのかわからんがな。あいつを知らなきゃ、同じ女をモデルにした絵だとは気付かなかっただろう。気付いたのは、描いた画家達とおれだけだ。そう思っていた。

 何度か取り調べを受けて、留置所に居たときに、おそろしくヘタクソなフランス語を話す日本人がやってきた。鼻濁音どころか母音も子音も、すべてがおかしい。そいつが言うにはこうだ。
 「助けてやろうか?ペルソナ・ノングラータ(要注意人物)」
「そのヘタなフランス語でか?」
「法律でだ。驚くな、こんな国にも法律があるんだぜ」
「どっかの国の民法はフランス人がつくったんだろ?」
「そうだ。そいつをドイツ人と日本人が散々にパッチをあててめちゃくちゃにした。だから俺達も商売ができる」
「弁護士を雇う金はないぞ」
「同郷のよしみだ、出世払いでいい」
「悪いが世に出る予定はない」
「彼女を描いてないのか?恋人だったんだろ?」
「安い新聞を読んでるんだな」
「フランス語は趣味の範囲を出ないんだ。ル・モンドが読めるまでこの国に居ると、ド・ゴール勲章がもらえるかもしれない」
「言葉は正確に使え。おれは同居人だ」
「それに画家だろう?」
「世の中には、見るだけで満足できるものもある」
「画家とは思えん言葉だ」
「描くだけじゃ手の届かないものもある。これなら分かるか?」
「さっぱりだ。同居人なんだろ?」
「手が届かないものには、手を出さないんだ」
「そういうのを日本語では……」
「『へたれ』っていうんだろ?」
「そう、それだ。とりあえず外に出ようぜ」
「できるなら、とっくにやってる」
「いや、あんたを取り調べても、何にもならないことがパリの警官にもわかったらしいぞ」
「なら、どうしてぶちこまれたままなんだ?」
「嫉妬だろ、多分。美人と同棲してたんだ」
「あいつは美人じゃない。あと、この街で同棲してる奴は、結婚してる奴よりも多い」
「どっちもしてない奴だって居るさ。だからおれが来たんだ。平松だ」
「涼宮だ」
「よし。飯でも食いに行こうぜ」


その5へつづく














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