ハルヒと親父 @ wiki

スポンサーから一言 その3

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haruhioyaji

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 親父さんは、その後ずっと無言だった。弁護士先生の事務所に立ち寄り、資料をものすごい速さで捲っているときも、その後も。
 帰り際、弁護士先生は、弁解がましく、こう言った。
「悪く思わんでくれよな、キョン君。おれは金が好きだし、負けるのは嫌いだが、そっちは俺の人生(しゅみ)だ。おれの力の及ぶ限り自分の汗を流せばいいと思ってる。だが、負けること以上に、冤罪って奴が嫌いでね。誰がどう考えても、いけすかない野郎だが、だからといって、罪をそいつに背負わせればいいって考えに虫酸が走る。親友と呼ぶのはおこがましいが、それでも親父は、大事な友人だし恩人だ。巻き込むのは本意じゃないが、この事件は俺の手に負えないと、俺の中の何かが言ってる。親父の手を借りなきゃいかん、とな。トラウマに手を出すようなやり方はしたくなかったが、これ以上の手が思いつけなかった」
「トラウマ?」
「おっと、さすがにそこまでは話すわけにはいかない」
向こうの席でがたんと立ちあがる音がした。
「キョン、帰るぞ」
「あ、はい」
「ハルヒに電話いれとけ。悪徳弁護士に拉致られたってな」

 「ご飯ぐらい食べていきなさい! もう3人分作ったんだから、余ったらもったいないでしょ!」
というハルヒの鶴の一声で、親父さんはおれといっしょに、おれ達の部屋に立ち寄った。
 部屋に着くまでの間、親父さんは変わらず、何か考え込んだように黙ったままだったが、ハルヒの前ではそういうそぶりも見せなかった。
 このツンデレ父娘は、お互いが発してる情報を受け取ることには長けているので、それほどすれ違いを起こさない。誰かさんみたいにフラグを見落としたり、気付かずふんづけてたりすることもあまりない。つまり、相手の様子がいつもとちがうことに気付かないように見えるのは、気付かない振りをしてるからであり、「いつもと同じ振り」を演じることを許し、ある意味「相手を立てている」とも言える。ふたりは絶対に見とめないだろうが。
「どいつもこいつも暇ね」
と言いながらハルヒはおれたちをじとーっという目で睨んでくる。親父さんは、無論ものともしない。おれの方は少し体重が後ろにかかる。身が引けてくる。
「まったくだな。バカ娘、なんだこの大量のハンバーグは?おれはハクション大魔王か?」
「あんたばっかり食べるんじゃない!あと、いにしえのアニメネタには乗らないっていつも言ってるでしょ! 本来、キョンの分なんだからね。ちなみにパン粉からつくったお手製よ!」
「次は小麦からに挑戦してみろ」
「上等よ!受けて立つわ」
いや、そこは流してもいいと思うぞ、ハルヒ。

「平松のおじさんも暇ね」
あの弁護士先生、そういう苗字だったのか。
「真犯人でも、どっかにいるっての? そんな画家をはめて、誰が得するのよ?」
「真犯人だろ」
親父さんはため息をついた。
「バカ娘、ピグマリオン・コンプレックスって知ってるか?」
「何、それ?」
「自分で調べろ。親を辞書がわりにするな」
「いいから、もったいづけずに、さっさと話なさい。どうせ話したくてうずうずしてるんでしょ?」
「バーナード・ショーが書いた戯曲であっただろ。音声学者が下町の花売り娘に上流階級の言葉づかい,礼儀作法を教えこんでレディに仕立てる、ってのが」
「映画の『マイ・フェア・レディ』じゃないの」
「ショーの『ピグマリオン』って戯曲が、ブロードウェーでミュージカル化されて、それが更に映画化されたんだ。ピグマリオンってのは、古代ギリシアの彫刻家でな、自分の作った彫像があんまりいい女なんで、そいつに恋をしてしまう。作り手が自分が作りだしたものに恋愛感情を持つようになるのを、ピグマリオン・コンプレックスっていうんだ。似て非なるものにピグマリオン効果ってのがある。ローゼンタール効果ともいうが、教師がひそかに抱いている期待が生徒のパフォーマンスに影響を与えることをいう」
「で?画家が自分が描いた絵に惚れて、モデルの方を殺したって訳?親父、正気?」
「そこまで単純だと、バカ娘ここに極まれリだな。……さっきも言ったが、ヘタクソな画家には二つのタイプがある。モデルなんかみていない奴と、モデルとは必ず寝る奴だ。しかし、その両方を兼ね備えたドヘタもいる。描きあがる前は自分の描こうとしている何かを、そのモデルが持っていると信じこむ。このモデルでないと描けないと思うんだ。モデルに告白し、金をわたし、関係を持って、なんとかそのモデルを手元に置こうとする。絵を描くなんかそっちのけでな。なにしろドヘタが求める「美」ってのは、そいつの絵より、そのモデルに中にあるからだ。だが、どんな女も、描かれた絵よりは何倍も美しいが、何十倍も邪魔くさい。画家はやがてはモデルを持て余し、モデルは去り、後には真っ白なキャンバスが残る。万一、絵が完成するまで、こいつらの関係が続いたとする。しかし絵は所詮はスナップショットだ。キャンバスのなかで時間は止まっている。モデルは人間だし、画家もまた人間だ。人間は生きているかぎり変わって行く。否応なしに、そして確実にだ。絵とモデルは、時間が立てば立つほど、かけ離れて行く。もともと別物なんだからアタリマエの話だが、バカ画家にはそれが理解できないんだ」
「モデルが変わらないように、殺すって訳? バカじゃないの?」
「そうとも。モデルが変わったのなら、また別の絵を描けばいい。その時も、描きたいモデルだったらな。やっかいなのは、モデルの方が、画家の描いた絵に合わせる場合、いや違うな、未だ描かれてないもの、画家が抱いているだけで表現できてない理想的な何かを、モデルが「模倣」しだす場合だ。この場合は、もう立派な「表現」と呼ぶべきかもしれん。ピグマリオン・コンプレックスに、ピグマリオン効果の方が上回る訳だ。だが、元々「いいモデル」ってのは、画家の期待を察知して、そのとおりに演じることのできる者をいうのかもしれん。画家は自分の妄想が、生身の女に降りてきたと信じこむ。すると絵を描く必要がなくなる。やがて女は、そいつのもとを去る。すると画家は二度と絵を描けなくなる」
「なによ、それ? 体験談?」
「馬鹿言え。……ともあれ、美術の歴史には、ときどきそういうのが登場する。その時代の、めぼしい芸術家たちがみな夢中になるようなモデルがな」


その4へつづく














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