ハルヒと親父 @ wiki

二人は暮らし始めましたー場外ー親父が来る その2

最終更新:

haruhioyaji

- view
管理者のみ編集可


 計画なき逃亡をぶち上げたハルヒに、おれは首を振った。
 「ハルヒ、ダメだ。前にも言ったろ。恐怖と不安は逃げれば逃げるほど、大きく強くなるって」
「じゃあ、どうすんのよ」
「馴化だ、簡単に言えば、馴れるんだ。詳しいやり方は、今教えてやる。使えるものは3つあるんだが、まずは……ハルヒ、拳をつくってみろ」
「こ、こう」
「シャドウ(・ボクシング)まではいらん。今、鼻をかすめたぞ」
「ごめん」
「ぐっと握って、腕に、二の腕に、肩にありったけの力を入れてみろ。ぶるぶる震えるくらい。……そしたら、ぱっと一度に力を抜く」
「ふう」
「これを全部の手足、胴体でやる。筋弛緩法って奴だ。恐怖や不安と両立しない感情や生理状態があるって話も、前にしたな。怒りや食欲や性欲の満足もそうだが、リラックスってのも恐怖や不安と両立しない。怖がってるときは、体もこわばってる。だから、体を緩めてやれば、両立しない恐怖や不安のレベルが下がるわけだ。リラックスできるなら、腹式呼吸でも、なんでもかまわん。ただ恐怖のときパニックになっても、これが使えるように練習しとく必要はある。これが武器その1」
「その2は?」
「2つ目は、言語ネットワーク自体を馴化する方法だ。恐怖や不安は、言葉のネットワークにのって拡大する。大勢の前で不安が高じてしゃべることができなかった人が、人と密着する電車に乗れなくなったり、ひどくすると人と会う可能性を回避するため外出自体できなくなる。「人と会う」という言葉つながった様々な場面に、恐怖が進出していく。この作用を止めるには、言葉という刺激をくりかえして馴化させる、やり方がある。これもやった方が早いな。ハルヒ、『雷!』って聞いたら、雷鳴や稲光のイメージが頭に浮かんだりしないか?」
「い、今のは、あんたが急に大きな声を出すから、びっくりしただけなんだからね!」
「わかった、わかった。すまなかったな。……雷は直撃を受けたら死ぬかも知れんが、『雷』って言葉にはそんな力はない。言葉は、「雷は直撃を受けたら死ぬかも知れん」といった知識や、雷鳴や稲光の体験といったものと結びついて、人を恐怖させたりする。ところでハルヒ、一番好きな飲みものはなんだ?」
「一番かどうかわからないけど、今はオレンジジュースが飲みたいわね」
「オレンジジュースと言ったり聞いたりしたら、オレンジジュースの映像とか味が思い浮かばないか?それに誰とどこで飲んだとか、そういう体験とか思い出とかも」
「……な、なに言わせんのよ、バカキョン!」
「いや、心の声はともかく、今、おまえは何も言ってないぞ」
「……」
「次、進んでいいか? ちょっとした実験だが、100回、『オレンジジュース』と言ってみろ。口に出してもいいし、心の中でも構わん。100回言い終わったら教えてくれ」
「…………言ったわ」
「オレンジジュースのイメージとか思い出とか、どうなった?」
「どうもこうも、『オレンジジュース』って繰り返すので精一杯になって、他のことなんか考える余裕がなかったわ」
「これも、使えると思わないか?」
「つまり、あんたは、あたしに雷って100回言わせようっての?あたしは雷と言葉を聞くだけでも嫌なんだけど」
「ああ、すまん。できないなら、構わん」
「誰もできないなんて言ってないでしょ!わかったわよ、やればいいんでしょ、やれば!………はい、言ったわよ」
「速かったな」
「嫌だから早口でやったわ。どう?」
「おれが尋ねる方だ。稲光とか雷鳴とかのイメージは浮かんだか」
「必死で唱えてたから、それどころじゃなかったわね。でも、雷が好きになったわけじゃないわ。相変わらず、言うのも聞くのも嫌だし」
「その程度の効果だってことだ。だが、言葉は所詮は言葉に過ぎない、というのは知識としては知っていても、言葉のネットワークはそういう知識のあるなしに関わらず、言葉と他のイメージや記憶をつないでいく。実際に100回いう体験をすると、言葉のネットワークが部分的であれ休止することを体感できる。すくなくとも100回繰り返したからって、余計にあたまにこびりつくわけじゃないことがわかれば(実は頭にこびリつくのは逆に、その嫌な考えを繰り返し追い払おうとするからだ。耐え難い考えや体験の記憶ほど、回避による定着が起こりやすい)、怖い言葉でも、やってみようかって気になる。繰り返すが、逆に嫌な考えを打ち消そうとすると、ますますその考えに頭が占拠されることが多い。それよりはマシだってことだ」
「さあ、3つ目は何?」
「観察だ」
「は?」
「技法として心理療法に取りいれられるようになったのは、2000年前後になってからだが、仏教の瞑想法や西洋哲学にも同じような考え方がある。古代ローマの時代から、感情に動かされない境地が、哲学者達の目標だった。その伝統はデカルトまで続くが、次の世代のスピノザによって止めを刺される。『人は、感情をコントロールできず、逆に感情に翻弄されざるを得ない』とスピノザは断定する」
「じゃあ、ダメじゃないの」
「あわてず最後まで聞け。スピノザは、しかし、こう但し書きをつけた。『人が己の感情を対象として観察する限り、その束の間だけ、人は感情から自由でいられる』とな。感情の観察っていってもいろいろだから、具体的なやり方のひとつを説明するぞ。恐怖はおまえの『体』のどこに巣くっているか、それをつきとめるんだ。頭なのか、ばりばりになった肩か、棒のように堅くなった腕か、速く打ちつづける心臓か、速くなった呼吸をする肺か、しくしくいたむ胃袋か、それとも、さしこむように痛む腹か。頭のてっぺんから足のつま先まで、CTスキャンが体を輪切りにするように細かく確認していけ。恐怖はまだおまえと共にある。だが、それを探して見つめるおまえは、もう恐怖の言いなりじゃない」
「眉間に力が入ってる。顔がこわばってる。あとは手に嫌な汗、鼓動もいつもよりは速い。おなかは大丈夫、ふともも、足も普通……案外、体全体じゃないのね、恐怖に反応するのは。それとスキャンしてるうちに、なんか恐怖と距離を置けるようになったというか、楽になってきたわ……これは、使えそうね、キョン」
「さすがにコツをつかむのが早いな。何度か、別の恐怖をネタに練習するぞ。そうだな、ハルヒ、おまえが怖いものワースト10を書き出せ」
「そんなことするの?」
「ああ。怖さのMAXが100だとすると、雷の怖さはいくつぐらいだ?」
「あー、そうね、50くらい……かな。今ので30くらいにはなったかもしれないけど」
「恐怖の階層表ってのを、今からつくる。最高は100で最低は0で、10点刻みでいいだろう。30のところには『雷』と書いておけ」
「ほんとに書くの?……ああ、もう、書きにくいから、向こうむいてなさい!

〜 こわいものベスト10 byハルヒ 〜
100 あんたが消えて無くなること
90 あんたが、目の前からどこかへいなくなること
80 あんたが五感を失うこと
70 あんたが記憶喪失になること
60
50 朝起きたら、あんたが目を覚まさなくなってること
40
30 雷
20 
10 あんたが他の女に走ること

ちょっと全部埋まんないけどいいでしょ!?」
「それはいいが、……全部、おれがらみだぞ」
「わ、わるい!?」
「わ、わるくなんかない。……言うまでも無いが、雷以外は多分、実現性ゼロだぞ。……あと、浮気は10なのか?」
「浮気じゃないわ。あんたが他の女に本気になった場合よ。五感も記憶も確かなら、連れ戻す自信があるから。少しは心配するだろうけど、って理由で恐怖度10よ! あたしの怒りの階層表もつくる?」
「いや、いい。それは胸にしまっといてくれ」

  ●  ●  ●  

 「たのもー」
「バカ親父ね? どこの道場破りよ!?」
「なんだ、バカ娘。逃げ出す方に賭けたのに、まだいたのか?」
「あたしはね、逃げるのと負けるのが大嫌いなのよ! 昨日までのあたしと思って甘く見ないことね」
「正にそういうこと言う奴だったぞ、昨日までのおまえは。まあ、いい。せっかく用意した『怖い話』だ。冥土の土産に聞いてゆけ」
 聞かせるだけで相手を冥界に送ろうなんて、どういう怪談だ。
「キョン、おまえは耳ふさいでて、いいぞ」
いや、それ、却って怖いですよ。

(親父の怪談)
 ガキの頃、いつも一緒に居た奴が、いつ頃からか、記憶に登場しなくなってることはないか?
 ガキが住む所は自分の意思のままって訳にはいかん。親の都合とやらで、引っ越したり、別の学校へいったりするんで、離れるのはめずらしいことじゃない。
 が、ガキの頃遊んだ連中が、いい親父になって集まると、だれもそいつがどこへいったのか、それどころかいつまで一緒に遊んだのかさえ、記憶が怪しいやつが一人か二人いる。しかもどうやっても、そいつの名前が思いだせない。
 集まった連中、全員がだ。
 ひょっとしたら、おれたちは忘れなくっちゃならない記憶を掘り起こそうとしてるんじゃないか、と口にこそ出さないが、それぞれが思い始める。
 苦笑いした視線が肯き合い、結局その話題はやめて、その日はそれで別れていく。親父達はもとの慌ただしい日常に戻っていくわけだが、そのとき集まった一人が、別の一人にいきなり深夜に電話してくる。
 やつの名前を思い出した、と言ってな。
 思い出したのは、それだけじゃない。もっと重要なこともだ。
 そいつらは次の日の仕事がえりに会う約束をする。
 だが、電話してきた奴は来ない。
 夜も遅くなって、電話をうけた方が怒りながら、しかし一抹の不安を抱えながら帰途につく。
 そして次の朝、なぜ電話してきた男が来れなかったかを知る。
 そいつは、明日会う約束をした時間のすぐ後、風呂場で手首を切り自殺をはかって死んだことが、ニュースや新聞記事でわかる。
 それを見て、電話をうけた男も、思いだすんだ。
 いなくなった奴の名前と、どうしてそのことを思い出してはいけなかったのか、を。
 そして、こいつも、別の誰かにそのことを知らせようと深夜の電話をかける。
 だが肝心なことは伝えられないまま、明日会う約束だけが結ばれる。
 そして、また今度も、電話を受けた奴は待ちぼうけとなる。
 電話をした直後に、電話を書けた側はまた死に見舞われたからだ。
 男達は、次々に死が報じられるかつてのクラスメイトたちの死に恐怖し、次に電話がかかってくるのは俺にじゃないかと、戦々恐々とする。
 電話番号を変える奴、留守電にしたまま何日も帰らない奴、引越しして住所の知らせない奴、いろいろ手をつくすが、やがては「知らせ」がなんらかの手段で届く。
 あるものは、封を切らない手紙を握ったまま、引越し先のアパートで死んでいるところを発見された。
 持病もないのに、死因は心不全だ。
 手紙の差し出し人は、一番最後に死んだ男であり、封筒の中身は白紙の便箋が2枚入っていただけだという。
 そして封筒を握って死んだ男の名前で、別の者におなじような封筒が届いた。
 ……これがその封筒だ。今度はおれのようだな。


その3へつづく



二人は暮らし始めました シリーズ

  1日目  2日目  3日目  4日目  5日目  6日目  7日目
  8日目  9日目  10日目
  • 二人は暮らし始めましたー外伝
  • 二人は暮らし始めましたー場外









記事メニュー
目安箱バナー