貝児(かいちご)。鳥山石燕の『画図百鬼徒然袋』に登場。古びた貝桶の中から湧きいづる妖怪。

 貝桶というのは、貝合わせなどの遊戯に使用する貝を収納しておく桶のことで、かつて高貴な身分の女性の嫁入り道具として代々伝えられていたとのこと。つまるところこの妖怪は付喪神の一種ということになるでしょうか。

 とかく貝という生き物はふしぎなやつで、姿かたちからその中身のグロっぽさに至るまで一切があまりにふしぎすぎるため、こいつの他にも「さざえ鬼」とか「蜃気楼」とか「貝吹坊」とか、あるいは猿田彦命を挟み殺した比良夫貝とか、さまざまなかたちで妖怪化されていますね。
 貝の姿かたちや生態も当然ふしぎなのだけれど、たとえばスーパーに買い物に行くとアサリは生きたまま売っていて、砂ぬきをおこなってから食べたりするじゃないですか。あれが現代人の僕にはめっぽうふしぎでしょうがない。えっ、なんでお前流通ルートの最終段階に至ってなお生きてんの? と思って。消費者の手に渡った時点でまだ生きている一般的食材って、貝の他に何かあったかな。
 というわけで、「みずから生き物を殺して食う」という弱肉強食のことわりをダイレクトに感じさせるという意味で、現代人にとっても貝というやつはふしぎな生物な気がするんですが、どうですかね。そんなことないですかね。もしかしてみんなウシとかブタとか自分でバラして食ってたりする?

 かくいう僕の今夜の献立はボンゴレ・ビアンコなので、ちょうどいまアサリの砂ぬきを行なっているところです。僕は入水管や出水管を突き出して老廃物を吐き出すアサリの活動をひとり台所でじっと眺めては眼を細めるという常軌を逸した暗い趣味を持っており、客観的にみて気持ち悪いひと以外のなにものでもありません。
 でも、観察しているとこれが意外に飽きなくて、しかもそのうちアサリに情が移ってしまったりして、こんなにかわいいアサリたちを蒸し殺そうとしているおれはなんという悪党なのだとやりきれない気持になってしまいます。いっそのこと、このまま飼っちゃおうかと思う時もあるんですが、アサリってペットにしたら懐いたりしてくれないんですかね。愛情をたっぷり注いで飼育すればアサリも次第にデレ化し、他の人間の前では固く閉ざしたままの貝殻を、僕の前でだけは包み隠さずおっぴろげてデレデレしてくれたりするようになったりするのかもしれない。なんて魅力的なペットライフだろう。でもまあ、今晩はどうしてもボンゴレを食いたいので、今日買ったアサリはやっぱり蒸してこます。






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