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「水辺に棲む」「皿と甲羅」「小柄な体躯」「相撲と胡瓜と尻子玉が好き」「腕を伸ばすともう片方の腕が縮む」「おならで空を飛ぶ」等の個性的な特質は、はじめからこの妖怪が具有していたスキルではありませんでした。
 そもそも一口に「河童」といっても、その指し示すものは時代や場所によってさまざまで、スッポンやカワウソやサルやオオサンショウウオのような動物だったり、零落した水神だったり、漂泊の賤民集団である「河原者」だったり、あるいはフリークスとして産み落とされた赤子だったり。それら混在した「水辺の怪異」の情報がメガテンの悪魔合体みたいにガンガン統合・収斂されて現在の河童像ができあがったものと思われます。だからもうね、この妖怪はめちゃくちゃ難しいんですよ。まったくもって僕の手には負えません。


 河童の起源にも諸説ありますが、今回はとりあえず左甚五郎起源説を紹介します。

 名工・左甚五郎といえばカリスマ大工のはしりと言われていて、全国の寺社仏閣建築のオファーを受けて各地を奔走していたわけ。んでまあ、とにかく忙しすぎて人手が足りないと。このままでは予定施工期間中の落成が間に合わないという状況に陥り、カリスマの名声失墜の大ピンチ。そこで甚五郎先生は考えた。派遣だ! 派遣社員を雇おう! そして何を思ったか甚五郎先生、そのへんからオガクズやワラを集めて人形を作り始めた。地元の人々は「孤高のカリスマ、ついに発狂か!?」とその様子を心配げに眺めておったのですが、なんとカリスマ大工はカリスマ呪術を用いて人形どもに魂を吹き込み、数百体の派遣木偶人形を錬成。こいつらを昼となく夜となく過剰労務させ、期日内の寺社建立クエスト完遂してしまったのでした。すごい。やったぜ!

 当地でのクエストが終了したので、甚五郎先生は新たなクエストをこなしに次の現場へと旅立ちます。次の場所では働き手を確保出来ているので、甚五郎先生は人形たちをこの土地に置き去りにすることにしました。いわゆる派遣切りってやつですね。それを聞いた人形たちは雇い主の甚五郎先生に直談判。「住むところもなく、お金もなく、このままじゃ僕たち年を越せません!」と涙ながらに訴える。しかしまあ、甚五郎先生は元より彼らに人権など認めていなかったので、「あっそ。んじゃまあ、資格とか取って正社員目指せばいんじゃね? それが嫌なら、ゴネまくって国にでもタカれば?」などと適当なことを言い捨てて立ち去ってゆくのであった。哀れなのは後に残された非正規雇用人形たち。あくまで万事他人頼みの彼らは「年越し派遣村」の設立を期待してもみたのだけれど、あれは共産系イデオロギーの反政府活動という政治的意図なくしては成立しえないコミュニティーであり、むかしの日本にはアカもサヨクもいなかったため、もとよりそんなものが作られるはずもなし。かくして、自助努力の足りない人形たちはいよいよ落ちぶれ、河原に住み着き、そこを通りかかる人間たちを襲って尻子玉を抜いて食べる、という山賊ライクな生活に身を落とし、やがて彼らは「河童」と呼ばれる存在になったのでした。まあ、なにはともあれ自立出来たんだからよかったよね。






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