宇宙の果てや、人間の正体が解明するには、まだまだ時間がかかりそうです。100年、200年生きないと、分かりそうにありません。人間の寿命はとても短いです。現実的に知ろうとするのならば、自分が生きていなければいけません。そのため、謎の解明を待つには、クライオニクスの活用は必然的に考える必要があります。

もしあなたの乗っている飛行機が突然、海に墜落したとします。 広い海の中、何もつかまるものがりません。あなたが必死に泳いでいると、目の前に一つの丸太が浮かんでいました。

もし、生きようとするなら、この丸太につかまればいいです。 もっと大きなものがあればいいですが、今はその丸太しかないのです。 その丸太につかまって、生き残れるかは分かりません。生き残ったとしても、サメにに食いちぎられるかもしれないし、誰も助けが来ないかもしれません。しかし、何もしないと確実にあなたは溺れ死んでしまいます。 可能性を残すために、この小さな丸太につかまってみませんか? 必死に運命を変えるためにあがいてみませんか?

また、太平洋戦争時、戦争に行かないで隠れることは犯罪でした。今考えると、とんでもないことです。しかし、現在、戦争に行かなかった人を非難する人はいますか?

これに医療を当てはめてみて下さい。今の社会では高齢になり、老いて死んでいくのは当たり前です。老いた老人が『死にたくない』と言うと、エゴと見られ、変な人、と見られるだけです。

あなたがクライオ二クスをして生き残りたい 、と言ったところで、あなたは変人として世間から見られるでしょう。しかし、 上の戦争の話しのように、100年後の未来では誰もそのようには言いません。 むしろ、未来では不老不死が当たり前になっているのです。 周囲に惑わされず、あなたの心に聞き、正しい判断をすることが重要になります。

生きたいのか、生きたくないのか。実は、答えはとてもシンプルだったりします。生きるために生きようとして、何がいけないのでしょうか?死にたくないから、もがくことが恥ずかしいことですか?

また、死ぬとどうなるのか。死後の世界には様々な考え方があります。神様がいる、あるいは生まれ変わりがある。それとも何も存在しない。この三つの考えが現在、広く認識されています。 死んで見て、もし神様もいなくて、生まれ変わりもなければ、どうなるのでしょうか。 そうなると、クライオ二クスしておいて正解と言えます。 また、生まれ変わりがあるとして、紛争地帯や、貧困地帯、あるいは動物に生まれ変わるかもしれません。生まれ変わりにルールや規則性もない可能性もあります。そのためにも、クライオ二クスをしておいて良いでしょう。

死後の世界にも、様々なものが想定されます。必ずしも、私たち人間にとって良いものとは言えないのです。実際に、老人になると想像を絶する過酷さがあなたを待ち受けています。若い時のように病気はすぐに治らないし、深刻な病気が次から次へとあなたのもとへやってきます。自分が長生きすればするほど家族に迷惑がかかってしまうという、負のスパイラルに陥ってしまいます。老後を楽観せず、様々な工夫をしていくことも重要です
最終更新:2018年03月04日 15:17