勝手にコンサルティング福井
座・タイムリーふくい(20081108)
最終更新:
c291
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定点観測
観測対象
- 座・タイムリーふくい(2008年11月8日放送分)
テーマ
- 県内若手芸術家は育っているか?~次代へのバトンに黄信号~
福井を拠点に芸術活動を進める若手が減っているという。戦後は、学校の美術教師や音楽教師、書道教師らが県内それぞれの地域で活動し独創的な創作活動を続けてきた。その結果、全国的にも著名な作家が生まれ次の世代へのバトンも受け渡されてきた。そのような人材が地域にいることにどんな意味があるのか、なぜ減っているのか?福井を拠点に活動する芸術家を招き議論する。
司会
- 松枝隆一(福井テレビアナウンサー)
- 名越涼子(福井テレビアナウンサー)
ゲスト
- 楽衆玄達(横笛) 本録和美
- 写真家 水谷内健次
- 書家 吉川壽一
- 福井テレビ解説委員 前福井市美術館館長 松村忠祀
観測結果
芸術ってなに???
と言ってしまっては元も子もないので、
げい‐じゅつ【芸術】
1 特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「―の秋」「―品」
2 学芸と技術。
「大辞泉より」
って事で。
で、この番組で語られている芸術っていうのは、多分出演者していた面々が関心を持って感心するような、お行儀の良いタイプの芸術であって、大人が思わず顔をしかめそうな常識外れの芸術は含まれないだろう。まあそういう権威や常識を否定するようなタイプの芸術の居場所は、普通の田舎には無いし、そういう役割は都会のその中でもごく一部の地域やコミュニティに任せるってことで良いと思う。
で、いわゆる常識的で一般的な芸術の話だけど、これはもう番組内で「それじゃ生活できない」って結論が出ている。
書にしても音楽演奏にしても絵や写真にしても、かつては芸術性云々は別にして、サービスや商品として成立する一定レベルの技能があれば、とりあえず生活が出来たんだろう。そうして多くの職人の中から、ごく稀に飛び抜けた表現力を持った人があらわれて、特別に芸術家として評価されていったんだと思う。現代で言えば建築家とか映画監督とか、もっと身近なところでは美容師あたりかなあ。
機械やパソコンで代用できない領域が大きい仕事はいいんだろうけど、書や音楽演奏や写真ってその仕事をめぐる相当部分が機械やパソコンで代用可能になっているだけに、芸術的才能が出てくるベースとなる絶対数を確保すること自体が困難なわけで、衰退は必然って気がする。
大体、「若者が福井で真剣に芸術活動」となれば、当然それだけでは生活できないんだし必然的に実家暮らしになる。そういう状態になれば「パラサイト」だの「ニート」だのというレッテルを貼られて社会的に隅に追いやられるのは明らかで、芸術表現と向き合う以前に、社会の冷たい風に向かい合う必要がある。かといって、月給20万でヘトヘトになるまで働いた上に、芸術活動までやれといわれても・・・「そんなもん、退職金貰い終わったヒマな年寄りだけでやってくれ!!」って結論になるのが当たり前。
いわゆる芸術って金も掛かるし周囲の理解も必要だし、そもそも評価自体が相対的というか、まあ見方一つでどーとでもなる世界ってことも考えると、そのうち茶道や華道みたいに2世3世が主役って事になるじゃないかなあ。
まあ実際、本物感のある芸術家なんてそうそう出てくるわけじゃないし、この番組内で言われている芸術って、いわゆるカルチャーセンターの習い事感覚の延長での芸術の話なんだろうから、あまり難しく考えなくてもいいのかも。正直、「砂漠で書を書く」とか「和楽器、洋楽器を混合した音楽」とかにしても、ある意味トンチの領域って気がしないでもない。別に馬鹿にして言ってるわけじゃなく、モダンアートなんて本当トンチの連発。金沢21世紀美術館あたりでも耳をすませば、数々の作品から「そもさん!」「せっぱ!」の応酬が聞こえてるはず・・・。とか言うとやっぱり馬鹿にしてるみたいに見えるかもしれないけど、別にそういう意味じゃないんだよ、ホント。ただ芸術を名乗るなら解釈を要求するなって言いたいだけ。
(以上越081109)
(以上越081109)
越は馬鹿にしている訳ではないらしいが、オレは「吉川壽一の砂漠書道」も「楽衆玄達の和ロック」もお笑いにしか思えないし、実際爆笑だ。そこに加えて松村忠祀解説委員が「狂人」だの言い出すもんだから今回の放送はとても面白かった。
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タイムリー福井で楽衆玄達の本録和美さんが「巣窟」を「すくつ」と言ってますた。