中国のミステリ作家・御手洗熊猫の長編推理小説『島田流殺人事件』

2010年12月24日

 このページは、ブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の阿井幸作さんと、当サイト(アジアミステリリーグ)のDokutaが共同で作りました。

このページについて

Dokuta (アジアミステリリーグ)

 2009年11月に日本で翻訳刊行された中国の推理小説 水天一色(すいてんいっしき)『蝶の夢』の巻末解説や、2009年12月刊行の『本格ミステリー・ワールド2010』に掲載された天蠍小豬(てんかつしょうちょ)「中国ミステリー事情」でその名が紹介され、作品は1作も訳されていないものの、その印象的な筆名から日本の一部ミステリマニアの間では知る人ぞ知る存在になっている中国のミステリ作家 御手洗熊猫(みたらい ぱんだ)が、このほど初の長編作品『島田流殺人事件 -DARK SIDE OF THE AZOTH』を中国で自費出版することになりました。このニュースはブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の2010年12月7日の記事「熊猫 風雲急を告げる」で日本にももたらされ、Twitter上でも少々話題になりました(Togetter:「御手洗熊猫 他 中国ミステリについて」、2010年12月10日)。

 御手洗熊猫は、日本語で読める公刊された文献では以下のように紹介されています。

水天一色『蝶の夢』(2009年11月、講談社)巻末解説 池田智恵「発展途上の中国ミステリー」より引用(p.392)
御手洗熊猫:中国ミステリー界の鬼才。幼い頃から文学に傾倒し、さまざまなジャンルのSF、武俠小説、詩歌、純文学などを書くが、特にミステリーに興味を抱き、「新しさ」と「社会派ミステリーを書くには、高レベルなトリックと謎解きが必要である」ことを信条とする。ニ〇〇八年雑誌『推理』に発表した『異想天開之瞬移魔法(奇想天外の瞬間移動マジック)』によって衝撃的なデビューを果たす。探偵役は「御手洗濁」といい、日本の新本格ミステリー、特に島田荘司作品の影響を受けている。『二十角館的無頭屍(二十角館の首なし死体)』『島田流殺人事件』などがある。

本格ミステリー・ワールド2010』(2009年12月、南雲堂)掲載 天蠍小豬「中国ミステリー事情」より引用(p.29)
中国本土のミステリー作家に目を向けると、中でも最も著名な作家は水天一色だ。(中略)その他には、杜撰(ずさん)、文澤爾(ぶんたくじ)、御手洗熊貓、普璞(ふはく)、周浩暉(しゅうこうき)、王稼駿(おうかしゅん)、馬天(ばてん)、言桄(げんこう)などが新作を発表しており、(中略)たとえば「不可能犯罪」ものの短編を書き続けている杜撰や、幻想ロマン溢れる筆致で島田荘司のような作風の確立を目指している御手洗熊貓、島田荘司推理小説賞の一次選考通過作となった江暁雯(こうぎょうぶん)『謀殺紅樓夢』などがそれにあたる。
【引用者注:原文では作家名に読み仮名が付されていないので、慣例に従ってこちらで付けました】

 水天一色『蝶の夢』の巻末解説では、御手洗熊猫の作品として短編「奇想天外の瞬間移動マジック」「二十角館の首なし死体」と長編『島田流殺人事件』のタイトルが紹介されていますが、『島田流殺人事件』は実際にはまだ刊行されていませんでした。島田荘司の5つの傑作長編『占星術殺人事件』、『斜め屋敷の犯罪』、『異邦の騎士』、『奇想、天を動かす』、『北の夕鶴2/3の殺人』に挑戦し、冒頭に「島田荘司に捧ぐ」、「新本格に捧ぐ」という献辞を据え、日本語の書籍に換算して1000ページにもなるこの大長編は、日本を舞台にしているということがネックになり中国での出版が決まらず、現在自費出版の道を模索しているとのことです。

 このページでは、御手洗熊猫氏本人の許可をいただき、『島田流殺人事件』の目次・登場人物紹介・内容紹介の日本語訳を掲載しています。ページ作成にあたっては、以前からブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」で御手洗熊猫の作品紹介をなさっていた阿井幸作さんにも協力していただきました(というよりも、翻訳はまず全体を阿井さんに訳していただき、そののちに二人で話し合って語句を調整するという方式で進めました)。 
 日本では翻訳の予定がなく、そして作品そのものは読んではいないので傑作であるかも分からないこの作品ですが、「島田荘司の作品に挑戦した大長編」が国境を越えて執筆され、刊行されるということ自体が一つの大きなトピックだと思います。いつの日か日本でも、この作品が翻訳紹介されることを願っています。

(右上の写真は、御手洗熊猫の現在までに刊行されている唯一の単行本『御手洗濁的流浪 -Mitarai Daku is Wandering』。5編収録の短編集。中国の書籍を販売している日本のネット書店「書虫」での該当ページはこちら→「御手洗濁的流浪-推理書系原創系列.017」。版元で品切れになっていなければ、購入できるはずです)

中国本土ミステリとの出会い


 北京での留学中に、キオスクで買った『歳月・推理』の誌面に奇妙な名前の新人作家を見つける。その名も御手洗熊猫、なんとも人を喰ったペンネームだ。
 作品も他と比べて常軌を逸していた。新本格好きなら垂涎するような設定、まるでトリックのために用意された舞台、混濁した世界に秩序をもたらす名探偵は小説家島田荘司が御手洗潔というキャラクターを作るモデルとなった(という作中設定の)御手洗濁という浮浪者。

 新作が掲載されるたびに無茶があるトリックだと思ったし、記述が矛盾していないかと疑うこともあった。

 しかし作品が持っている吸引力は他の掲載作品と比べて特出していた。荒唐無稽なトリックはともすればバカミスに分類されるような危うさを孕んでいたが、探偵御手洗濁が考え抜いた末に披露する推理には不思議な説得力があった。

 そして12月に入り、御手洗熊猫渾身の長編『島田流殺人事件』がなんと自費出版という形で世に出ることになる。このニュースは当然中国のミステリファンに衝撃を与え、予約購入者が相次いだ。

 日本でも徐々にではあるが中国ミステリが認知されていく中で、自分もこの件に何か加わることが出来ないかと落ち着かないでいた。すると以前から中国ミステリを通じて交流があった本サイトの管理人Dokutaさんが既に御手洗熊猫氏と連絡を取り、本作のあらすじを日本語訳にする許可を頂いていたことを知る。

 両者の了解を得て自分もこの翻訳活動に参加できることになったが、自分もDokutaさんも翻訳については門外漢で作者の意図を完璧に表すことができたかどうか自信がない。しかしこのページを見ていただいた方が、中国に御手洗熊猫という奇才がいることを知り、中国のミステリブームの熱を感じ取っていただければ幸いである。

 本作『島田流殺人事件』は島田流を銘打っているだけあり、各所に島田荘司作品からの引用がある。引用文探しに奔走し、翻訳にも骨を折っていただいたDokutaさんにはこの場を借りて御礼を申し上げます。

基本情報

『島田流殺人事件』
作者:御手洗熊猫
字数:32万字(ほかに、冒頭の推薦文、巻末解説、同じく巻末に付された特別理論編が合わせて3万字程度)
 *注:日本でも刊行されている寵物先生(ミスターペッツ)『虚擬街頭漂流記』が中国語で13万2千字なので、その約2.5倍の分量。『虚擬街頭漂流記』の日本語版は全406ページであり、単純計算すれば、『島田流殺人事件』は約1000ページの大作ということになる)
ジャンル:長編オリジナル推理小説

 以下、御手洗熊猫氏本人が中国のSNSサイト「豆瓣」(Douban)に書き込んだ「《島田流殺人事件》預訂中」(2010年12月4日)より翻訳。

目次

『島田流殺人事件 - DARK SIDE OF THE AZOTH』

御手洗熊猫 著
【島田荘司に捧ぐ】
【新本格に捧ぐ】

推薦文:新本格の中国での新たなスタートライン (by老蔡(ラオツァイ)) *注:2000年8月に開設された中国最大手の推理小説情報サイト「推理之門」の創設時のメンバーの一人


上巻:謎編

第一部 巨人の解体

私は空を飛んでいた、といいましたが、それは本当ではありません。私は、白い巨人の右手にむんずとからだをつかまれ、天高く持ちあげられていたのです。
   ――島田荘司『奇想、天を動かす
第一章 憑依
第二章 驚異

第二部 斜め屋敷と騎士

朽ちていく流氷館の傾きは、今となってはひどく象徴的だ。この館は今やその役割を終え、ごく短い生を生き抜いて、土に帰ろうとしている。そう考えるとこの家は、沈みゆく、巨大な船のようでもある。
   ――島田荘司『斜め屋敷の犯罪
しかし、計画者の計算外の糸が、そこに一本だけまぎれ込んでいた。この糸が絡みつき、一糸乱れず機能していた無数の糸をもつれさせた。
   ――島田荘司『異邦の騎士
第三章 流氷館と黒塞屋敷(カーザ・ヘッセ)と黒死館
第四章 死体が三度起こした奇跡
第五章 人形ジャックに連れられて……

第三部 アゾート

「来れ汝、奈落の、地上の、そして天上のボンボー、街道、四辻の女神よ。光をもたらし、夜にさまよい、光の敵、夜の友にして伴侶たる汝。犬の吠声と流されたる血に興じ、幽鬼に混じり墓場をさまよう汝。血を欲し人間に恐怖をもたらす汝。ゴルゴ、モルノ、千にも姿を変える月よ、仁慈の(まなこ)もて我々の供犠に立会いたまえ」
   ――島田荘司『占星術殺人事件
その暗がりに、ふいに鎧冑(よろいかぶと)が現われた! (中略)そして信じ難いことには、その鎧冑は、後ろ向きだった!
   ――島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人
第六章 島田荘司研究会
第七章 密室、死体、後ろ向きにさまよう鎧武者
第八章 屍たちの最後の変化

★読者への挑戦★

下巻:解決編

第四部 島田流の幻想

 私はあっと言った。
 目の前で消えた! 蜃気楼のように。
 (中略)首筋の後ろあたりがしきりに鳥肌立つのが感じられた。
   ――島田荘司『占星術殺人事件
「そう、(中略)まったくこれはとんでもない事件でした」
   ――島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人
第九章 夢幻の中の夢幻
第十章 鏡像の中の鏡像

後書き

解説:中国式の島田荘司流を飛翔させる作品 (by 長念州) *リンク先 中国語

特別理論編:世界性トリック (by 御手洗熊猫)

登場人物

御手洗濁――――――――流浪者
鴉城仙冬――――――――映画監督
鮎川野馬――――――――刑事
鮎川漂馬――――――――刑事、野馬の息子
石岡次郎――――――――落ちぶれた学者
梅沢――――――――――自殺した奇人

デミアン―――――――――新島田荘司研究会会長
ハリー・ハラー―――――――新島田荘司研究会会員
ヨーゼフ・クネヒト――――――新島田荘司研究会会員
ゴルトムント――――――――新島田荘司研究会会員
ナルチス―――――――――新島田荘司研究会会員
ペーター・カーメンツィント―――新島田荘司研究会会員
シッダールタ――――――――新島田荘司研究会会員

大貫――――――――――島田荘司研究会会長
パフ――――――――――島田荘司研究会会員
アカ――――――――――島田荘司研究会会員
タック―――――――――島田荘司研究会会員
夏樹――――――――――島田荘司研究会会員
糸井――――――――――島田荘司研究会会員
久保――――――――――島田荘司研究会会員

島田荘司――――――――推理小説の神

内容紹介

 拳銃自殺を遂げた奇人梅沢は奇妙な手記を残していた。中にはかつて自分が巨人アゾートのバラバラになったところを目にし、更に自分もアゾートの一部分に取り憑かれたという恐怖の体験が書き記されていた。
 時を同じくして新島田荘司研究会の会員たちは新しく建て直された『流氷館』で何者かに次々と殺害される。生き残った者はおらず、ある死体は三度、多重密室の中に現れた。
 御手洗濁はこの二つの事件の間に計り知れない大きな関連があると考えた。前者には『占星術殺人事件』、そして後者には『斜め屋敷の犯罪』との関連性があったからだ。もっとも、前者の事件ではバラバラにされた死体がいまだ見つかってはいないが。
 調査が進展するにしたがい、22年前に起こったアゾート塔連続殺人事件が浮かび上がった。1982年、九つの惑星が一直線に並ぶ惑星直列という天文学史上まれに見る奇跡が起こった日に、アゾート塔を訪れた島田荘司研究会員は新会員の歓迎会を開いた。ところがその晩、会員全員は身体の最も優れた一部分をそれぞれ奪い取られ、彼らの死体は三重の密室に放置された…
 梅沢、奇妙な手記、アゾートの伝説、バラバラにされた死体、多重密室、夜鳴き石、後ろ向きにさまよう鎧武者、雪上に刺さった二本の棒、奇怪な音、これらは全て島田荘司の小説を模倣した犯罪なのか、それとももっと別な深い意味のある『社会への挑戦』なのか。

 これは文字数で32万字の、中国語で書かれたものとしては最長の推理小説である。
 この作品は、島田荘司の5篇の傑作長編に挑戦したものである。
 この作品は、歴史上唯一の、謎編(謎の提出部分)と解決編の分量の割合が1:1の作品である。
 この作品を書き終えた時に作者は、これは新本格の未来の道を指し示すことのできる作品であることを確信した。
 この作品が示すのは、「世界性」トリックの存在である。
 これはまた、市場の流通には馴染まない、非常に個人的な作品である。
 作者は、この作品により、トリックをまったく新しい領域へと展開させることを志している。

『島田流殺人事件』の批評

 *注:リンク先はすべて中国語
中国式の島田荘司流を飛翔させる作品(2009年1月21日) (by 長念州)
本格推理のトリックの饗宴 ― 御手洗熊猫『島田流殺人事件』評(2010年12月6日) (by 老蔡)
貪欲なまでのトリックの饗宴、最も純粋な本格の謎解き トリックに再び眩惑されることなかれ――『島田流殺人事件』(初稿)に関する雑感(2009年1月10日)
熊猫の『島田流殺人事件』読了。まさに奇書!(ネタばれなし)(2010年11月4日)
小綺麗にまとめるより、荒唐無稽に――『島田流殺人事件』を読んで(2009年1月18日)
『島田流殺人事件』――華麗な作品と穏和な批評(2009年1月6日)
『島田流殺人事件』:幻視力の原始的な輝きと映像投影(2009年2月25日)

私個人(熊猫氏)の評論は以下の通りです。

この小説は鮮やかな描写に徹底した創作です。
これは重度の本格マニアであってはじめて書くことができる作品です。
あらゆる面から見て欠点の尽きない作品ですが
私の心の中では奇書として数えられます。
何故なら最後のトリックだけではなく(一番最初の間違った推理にこそ心を惹かれるという人もいますし)、
この作品が私にとってある種の神性を持っているからでもあります。
解答編を書き終える前は、この作品が新本格の未来を照らす不思議な光を示していることなどは見て取れませんでした。
しかし最終章を書き終えて、作品の神秘的な構成と形態が作者自身すらも驚かせることになりました。
この瞬間に、作者はもう一つの本格の世界の存在を感じ取り、このために尽力しようとしました。
この作品が奇書だと言えるのは、作品がいつの間にか自分に対する超越を実現していたからです。
この超越を前にすれば欠点や長所やましてやトリック自身などほんのわずかに過ぎません。
竹本健治と同い年になって私は、広義的な意味における(作品本体の狭義的な意義がないと言っているんじゃありません)革命への前哨的な意味を持つ作品(もちろん革命性なんかじゃなく単なる混沌とした啓蒙にすぎません)を創り出すことができました。だから出版できるかどうかなんかもうどうでもいいんです。

 *注:「竹本健治と同い年になって」――熊猫氏が『島田流殺人事件』を書き終えた年齢が、竹本健治が『匣の中の失楽』を書いた年齢とほぼ同じであったことを指している。熊猫氏は、『島田流殺人事件』を書く時に自分を励ましてくれた作品として、竹本健治『匣の中の失楽』と我孫子武丸『殺戮にいたる病』を挙げている(「『島田流殺人事件』――華麗な作品と穏和な批評」(2009年1月6日)に寄せたコメント)。

  • 黒塞屋敷(目次 第三章)…原文では「黒塞屋」。「黒塞」(Heise)はヘルマン・ヘッセ(赫尔曼・黒塞)の中国語表記で、「黒塞屋」はヘッセが暮らした家、カーザ・ヘッセのこと。英語版Wikipediaの記事「Hermann Hesse」のCasa Camuzzi(カーザ・カムッツィ)の項参照。

島田荘司作品の引用元

 島田荘司の小説からの引用部分は、現在までに刊行されているそれぞれの作品の最新版を参照し、引用した。

南雲堂『改訂完全版 占星術殺人事件』(2008年1月初版1刷)p.23、p.421-422
南雲堂『改訂完全版 斜め屋敷の犯罪』(2008年3月初版1刷)p.365
講談社文庫『改訂完全版 異邦の騎士』(2004年7月初版13刷(1998年3月初版1刷))p.430
光文社文庫『奇想、天を動かす』(2008年8月初版17刷(1993年3月初版1刷))p.138
南雲堂『改訂完全版 北の夕鶴2/3の殺人』(『島田荘司全集III』(2009年5月初版1刷)に収録)p.78、p.228

  • 『北の夕鶴2/3の殺人』からの引用部分である「その鎧冑は、後ろ向きだった!」という箇所は、本来は「後ろ向き」に傍点がついているが、太字で代用した。

関連記事


アジアミステリリーグ
(御手洗熊猫作品が掲載される雑誌)

その他の外部リンク


最終更新:2011年01月08日 15:48