2012年2月23日
『ミステリマガジン』2012年2月号(2011年12月24日発売)はアジアミステリ特集号で、台湾や中国、インドなどのミステリ事情や日本でのアジアミステリ受容史などを紹介する記事が掲載された。これらの特集記事の中でも一番の驚きをもたらしたのはおそらく、今まで日本のミステリ界ではまったくといっていいほど言及されることのなかったミャンマーのミステリ事情を紹介した高橋ゆり氏の
「ミャンマー・ミステリ事情 ドイルも知らなかった「ホームズ」熱帯事件録とその後」だろう。それによれば、なんとミャンマーでは100年近く前から探偵小説が書かれていたのだという。
シュエウーダウン(1889-1973)という小説家が1917年から1960年代初頭にかけて、
《名探偵サンシャー》シリーズ全166編を執筆。この《名探偵サンシャー》シリーズはホームズ物の翻案やシュエウーダウンの創作などから成っており、なかにはホームズ物のパスティーシュを翻案したものもあるという。2010年には調査研究の進歩を踏まえた改訂新版の『名探偵サンシャー集成』全3巻が刊行されているそうで、現在でもミャンマーでは高い人気を誇っているようだ。
さて、ネット上を「名探偵サンシャー」で検索してみると、なんとこの《名探偵サンシャー》シリーズの邦訳が在日ミャンマー人を主な読者とする日本語・ミャンマー語の月刊紙『シュウェ・バマー』(
出版社サイトでの紹介)に掲載されたことがあるということが分かった(Webサイト
けろけろ開運堂 >
けろけろ日記帳 2005年12月15日)。さっそく近くの図書館で『シュウェ・バマー』のバックナンバーをチェックしたが、そこには過去2年分しか所蔵されておらず、名探偵サンシャーの邦訳は見つけることが出来なかった。
そこで、『シュウェ・バマー』を発行している株式会社ニューコム(
公式サイト)に名探偵サンシャーの邦訳がいつごろ掲載されたのか尋ねるメールを出したところ、非常に丁寧な回答を頂くことが出来た。お忙しい中、バックナンバーをわざわざ調べていただき本当に感謝しております。ありがとうございました。
掲載号が分かったので、国立国会図書館・関西館に所蔵されている『シュウェ・バマー』の該当号を東京本館に取り寄せ、コピーを入手することが出来た。以下に『シュウェ・バマー』に掲載された《名探偵サンシャー》シリーズの一覧を示す。翻訳者は『ミステリマガジン』にミャンマー・ミステリ事情を寄稿した高橋ゆり氏で、ホームズ物(パスティーシュ含む)の翻案短編7作品が掲載されている。国会図書館は「
遠隔複写サービス」を行っており、会員登録をすればコピーを自宅まで郵送してもらうことも可能である(ただし1回の申し込みにつき複写依頼は20件〔20か所〕まで)。
『シュウェ・バマー』に掲載された《名探偵サンシャー》シリーズの邦訳一覧
ホームズの正典の翻案が5作、ホームズ物のパスティーシュの翻案が2作。
名探偵サンシャーシリーズの初出年および元になった作品のタイトルは『シュウェ・バマー』で示されている。
# |
名探偵サンシャー |
初出 |
元になった作品 |
初出 |
収録短編集 |
1 |
「タグークークー」 |
1920年頃 |
「ボスコム谷の惨劇」コナン・ドイル |
1891年 |
冒険 |
2 |
「壊された柱時計」 |
1961年 |
「七つの柱時計の事件」アドリアン・コナン・ドイル & ジョン・ディクスン・カー |
1954年 |
(功績) |
3 |
「家に隠れるインド女性」 |
1927年 |
「覆面の下宿人」コナン・ドイル |
1927年 |
事件簿 |
4 |
「ウー・サンシャーの初事件」 |
1919年 |
「グロリア・スコット号」コナン・ドイル |
1893年 |
思い出 |
5 |
「イギリス人将校夫妻」 |
1961年 |
「色の浅黒い男爵の事件」アドリアン・コナン・ドイル & ジョン・ディクスン・カー |
1954年 |
(功績) |
6 |
「恋人捜索大作戦」 |
1930年 |
「花婿失踪事件」コナン・ドイル ※ |
1891年 |
冒険 |
7 |
「猟奇 耳切り事件」 |
1927年 |
「ボール箱」コナン・ドイル |
1893年 |
思い出 |
※「恋人捜索大作戦」の元になった作品として『シュウェ・バマー』では別の作品のタイトルが書いてありますが、正しくは「花婿失踪事件」だと翻訳者の高橋ゆり様よりご連絡いただきました。
掲載情報
『シュウェ・バマー』(Shwe bamar)は『ミャンマー・タイムズ』の後継紙。『ミャンマー・タイムズ』が2002年6月号(75号)を最後に休刊となり、2003年4月に『シュウェ・バマー』(意味は「金に輝くミャンマー」)として復刊した。「ミャンマー文学遊歩道」はその復刊第1号(通巻76号)から全24回連載された。この連載では「名探偵ウー・サンシャー」という表記になっている。「ウー」は成人男性の名につける敬称だとのこと。
国会図書館では『シュウェ・バマー』は「Rvhe bama」というタイトルで登録されているので注意。
『シュウェ・バマー』 |
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記事タイトル |
記事サブタイトル |
備考 |
2003年4月1日号(No.76) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(1) |
名探偵ウー・サンシャー 「タグークークー」(その1) |
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2003年5月1日号(No.77) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(2) |
名探偵ウー・サンシャー 「タグークークー」(その2) |
|
2003年6月1日号(No.78) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(3) |
名探偵ウー・サンシャー 「タグークークー」(その3) |
|
2003年7月1日号(No.79) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(4) |
名探偵ウー・サンシャー 「タグークークー」(最終回) |
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2003年8月1日号(No.80) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(5) |
名探偵ウー・サンシャー 「壊された柱時計」(その1) |
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2003年9月1日号(No.81) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(6) |
名探偵ウー・サンシャー 「壊された柱時計」(その2) |
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2003年10月1日号(No.82) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(7) |
名探偵ウー・サンシャー 「壊された柱時計」(その3) |
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2003年11月1日号(No.83) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(8) |
名探偵ウー・サンシャー 「壊された柱時計」(その4) |
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2003年12月1日号(No.84) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(9) |
名探偵ウー・サンシャー 「家に隠れるインド女性」(上) |
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2004年1月1日号(No.85) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(10) |
名探偵ウー・サンシャー 「家に隠れるインド女性」(下) |
国会図書館の所蔵資料に不鮮明箇所あり(判読は可能) |
2004年2月1日号(No.86) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(11) |
名探偵ウー・サンシャー 「ウー・サンシャーの初事件」(その1) |
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2004年3月1日号(No.87) |
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国会図書館、欠号 |
2004年4月1日号(No.88) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(13) |
名探偵ウー・サンシャー 「ウー・サンシャーの初事件」(その3) |
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2004年5月1日号(No.89) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(14) |
名探偵ウー・サンシャー 「ウー・サンシャーの初事件」(その4) |
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2004年6月1日号(No.90) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(15) |
名探偵ウー・サンシャー 「イギリス人将校夫妻」(その1) |
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2004年7月1日号(No.91) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(16) |
名探偵ウー・サンシャー 「イギリス人将校夫妻」(その2) |
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2004年8月1日号(No.92) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(17) |
名探偵ウー・サンシャー 「イギリス人将校夫妻」(最終回) |
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2004年9月1日号(No.93) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(18) |
名探偵ウー・サンシャー 「恋人捜索大作戦」(その1) |
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2004年10月1日号(No.94) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(19) |
名探偵ウー・サンシャー 「恋人捜索大作戦」(その2) |
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2004年11月1日号(No.95) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(20) |
名探偵ウー・サンシャー 「恋人捜索大作戦」(最終回) |
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2004年12月1日号(No.96) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(21) |
名探偵ウー・サンシャー 「猟奇 耳切り事件」(その1) |
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2005年1月1日号(No.97) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(22) |
名探偵ウー・サンシャー 「猟奇 耳切り事件」(その2) |
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2005年2月1日号(No.98) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(23) |
名探偵ウー・サンシャー 「猟奇 耳切り事件」(その3) |
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2005年3月1日号(No.99) |
7面 |
ミャンマー文学遊歩道(24) |
名探偵ウー・サンシャー 「猟奇 耳切り事件」(最終回) |
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※国会図書館の遠隔複写サービスを申し込む場合、コピー用紙サイズはA3になるので料金は1枚50円になります。
関連エッセイ
『シュウェ・バマー』2003年4月号~2005年9月号には高橋ゆり氏のエッセイ「ミャンマー・カタログ この国の人、モノ、コト」も連載されている(2003年10月号~12月号は同氏による特別記事「ちょっと強気よ マーマーエー物語」(上)(中)(下)が掲載されており、このエッセイは休載)。全27回のエッセイでは何度かミステリに言及がある。
2003年7月1日号(No.79) |
5面 |
ミャンマー・カタログ この国の人、モノ、コト その4 雨 |
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2005年7月1日号(No.103) |
7面 |
ミャンマー・カタログ この国の人、モノ、コト その25 読書 |
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2005年8月1日号(No.104) |
7面 |
ミャンマー・カタログ この国の人、モノ、コト その26 シャーロック・ホームズ |
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ミャンマーを代表するもう1人のミステリ作家、ミンテインカ
高橋ゆり氏が『ミステリマガジン』に寄稿したミャンマー・ミステリ事情によれば、名探偵サンシャーシリーズの作者シュエウーダウンの後継者と目される作家にミンテインカ(1939-2008)がいる。ミンテインカの幻想冒険小説『マヌサーリー』(
amazonリンク)は高橋氏の翻訳で2004年に出版されている(「マヌサーリー」は女神の名前)。本格推理小説も書いたとのことだが、邦訳はない。
おまけ:アジアのホームズたち
中国
ミャンマーのシュエウーダウン(1889-1973)は1917年から1960年代にかけて名探偵サンシャーシリーズを書いたとのことだが、中国では程小青(てい しょうせい、1893-1976)が1910年代から1940年代にかけて、中国版ホームズといえる名探偵霍桑シリーズを発表している。これは程小青のオリジナル作品だったが、キャラクター造型等でホームズの影響を強く受けている。中国では19世紀末にはホームズ物の翻訳が始まっており、ホームズ全集が出版されたのは日本よりも中国の方が早かった。
また詳細は不明だが、1920年代ごろに張慶霖(ちょう けいりん)という小説家が上海の名探偵・曙生と、そのワトソン役の「私」=羅儀が活躍する探偵譚を発表している。曙生は作中では「東方のホームズ」と呼ばれている。『新青年』1931年新春増刊号には曙生が活躍する短編「無名飛盗」が翻訳掲載されている。程小青と異なり、張慶霖は現在では完全に忘れられた作家となっている。
近年では、20世紀末頃に莫懐戚(ぼ かいせき、1951- )という小説家が「東方のホームズ」シリーズ(東方福爾摩斯探案集/东方福尔摩斯探案集)を発表している。
韓国
ホームズ物が初めて韓国語に翻訳されたのは1918年だった。韓国推理小説の創始者とされるキム・ネソン(金来成、1909-1957)は日本留学中に探偵雑誌『ぷろふいる』で探偵作家デビューし、朝鮮に戻ってからは創作探偵小説を発表するかたわら、欧米探偵小説の翻訳・翻案を行った。キム・ネソンによる最初のホームズ物の翻案は「まだらの紐」を原作とする「深夜の恐怖」(1939)で、ほかに「赤毛連盟」の翻案である「白髪連盟」、「六つのナポレオン像」の翻案である「ヒトラーの秘密」を発表している。キム・ネソンによる翻案ではホームズの名前はペク・リン(白麟)となっている。
戦後、1940年代後半から1960年代半ばにかけてパン・イングン(方仁根、1899-1975)が探偵チャン・ビホ(張飛虎)シリーズを発表している。これはホームズ物の翻案だったそうだが、詳細は分からない。チャン・ビホシリーズは現在の韓国ではほとんど忘れ去られており、新刊書店で入手することはできない。
2009年にはハン・ドンジンの短編集『京城探偵録』が刊行されている。1930年代の京城(けいじょう、現在のソウル)を舞台に、シャーロック・ホームズをもじった探偵ソル・ホンジュと、ワトソンをもじった漢方医ワン・ドソンが活躍するシリーズである。2011年には第二短編集『血の絆』も刊行された。
台湾
台湾では戦前には、後世に名を残すような探偵作家は生まれなかった。1923年には餘生(余生)という人物が「智闘」というタイトルで、ホームズを探偵役にした作品を書いているようである。台湾人がホームズを台湾に招いて事件の解決を依頼する話で、ホームズは台湾の言語に精通していることになっているとか。【2012年11月24日追記:この「智闘」という作品、オリジナル作品ではなく、ルブランの『ルパン対ホームズ』に収録の「ユダヤのランプ」のパリを台湾に変えた翻案作品だったようです。不正確な情報失礼しました……。】
最終更新:2012年02月23日 17:34