【翻刻】江戸川乱歩 随筆「韓国の探偵作家」(金来成について)

2018年12月30日公開

 江戸川乱歩が、15歳年下の韓国人作家・金来成(キム・ネソン)との交流について書いた随筆。

 随筆原文の「金来成」の部分にルビは付されていないが、当時の『探偵作家クラブ会報』などから、乱歩は「きん らいせい君」「きん君」と呼んでいたことが分かる。金来成本人も、日本では「きん らいせい」と名乗っていたと考えるのが普通だろう。




随筆「韓国の探偵作家」 (『宝石』1952年9・10月号、「内外近事一束」[pp.304-309]より)

江戸川乱歩

 七月はじめ、大韓民国釜山市在住の作家金来成君から、飛行便の手紙が着いた。金君はその前に、岩谷書店気附で九鬼澹【=九鬼紫郎】君に手紙をよこし、私の住所を訊ね、もとの池袋に居ることがわかったので、今度は直接私の所へ手紙をくれたのである。
 今、朝鮮へは、正しいルートでは、日本の本や雑誌は入らないが、闇で入る事があり、「宝石」なども読んでいて、私の随筆や写真を見て、随分お年をおとりになったなどと書いて来た。金君と東京で会っていた頃から十八年もたった事を、同君の手紙で気ずいたわけである。

 昭和十年頃に、「ぷろふいる」の寄稿家が、東京で探偵小説新人会*1というものを作り、その内の数人が同人誌「探偵文学」を発行したが、それらの青年諸君がよく私の家にやって来た。蘭郁二郎、中島親、大慈宗一郎など、今の読者にも少しは知られている人々の外に、光石介太郎、左頭弦馬、平塚白銀などという人々がいた。多い時には十数人の青年諸君が集まったが、その中に早稲田の角帽をかぶった金来成という朝鮮青年がまじっていた。金君は「ぷろふいる」に探偵小説を投じて、「楕円形の鏡」*2が入選し、つづいて「探偵小説家の殺人」*2という作を同誌に発表した関係で、これらの青年諸君のグループに加わっていたのである。九鬼君は当時の「ぷろふいる」編集長で、金君を大いに激励し、屢々会ってもいたので*3、先ず九鬼君に手紙を出したのであろう。
 私は当時同君と二三度しか会っていない。朝鮮に帰るといって、暇乞いにやって来たのは、はじめて会ってから一年もたっていなかったのではないかと思う。非常な感激屋で、情熱家で、文学青年であった。今度来た手紙にも、その性格が充分残っている。しかし、同君も随分おもかげが変った。四十三四才だが、著書の巻頭に入っている写真を見ても、ちょっと昔の姿は浮かんで来ない。金君の方でも、「宝石」の私の写真を見て、説明文がなければ分らなかっただろうと書いている。その金君の写真は網目銀板なので、うまく出ないかも知れぬが、この頁に掲げておく。



 飛行便の手紙から数日後に、船便で送ってくれた同君の著書が着いた。それは「秘密の門」*4という短篇探偵小説一冊と、「青春劇場」という五部作の大著五冊であった。金君は昭和十年頃朝鮮に帰ってから、「朝鮮日報で三年間記者生活をやり、その後はずっと探偵小説を書いています。丁度日本に於ける江戸川師のような立場で創作探偵小説の開拓者として云々」(九鬼君への手紙)と書いている。今度の戦争で、京城【=ソウル】の家を焼かれ、身を以て釜山にのがれ、今はそこに定住して、作家生活をつづけている。送って来た五部作の「青春劇場」は普通小説だが、これが最近の南鮮に於けるベストセラーとなり、同君は流行作家になっているらしい。
 送って来た著書は皆、諺文で書かれているので、私には読めないが、「青春劇場」は通計四六判二千数百頁に及ぶ大著で、「青春の伝説」「民族の悲劇」「暴風の歴史」「大地の審判」などの各部から成り*5、かの国の民族の悲劇に取材した大規模の小説らしく思われる。

 同君の探偵小説は今私に分っているものが三冊ある。それを列記して見ると、
○長篇探偵小説「魔人」*6(前篇)犯罪篇(後篇)探偵篇。倒叙探偵小説に属するもののように思われる。
○短篇探偵小説集「怪奇の画帖」*7(内容)霧魔。復讐鬼。狂想詩人。仮想犯人。第一夕刊。題から想像すると、純探偵小説でないものが多いようだ。
○短篇探偵小説集「秘密の門」(内容)秘密の門。異端者×××。*8(諺文の活字で組む煩をさけて、諺文は×にしておく)悪魔派。白蛇図。罰妻記。探偵小説小論*9。この集も本格ものは少いように思われる。

 右の最後の本は送ってくれたので、内容を見ることが出来るのだが、巻末の「探偵小説小論」*9というのは、金君が一九三九年に放送講演をやった筆記で、四六判十三頁の小論。(一)序論(二)正統的探偵小説(本格の意)(三)傍系的探偵小説(変格の意)(四)探偵小説の歴史の四項に分けて書いている。文中に点在する漢字だけを拾って見ると大体内容の想像がつくが、彼は本格はむろん認めるけれども、どちらかと云えば文学派的性格が強いように思われる。歴史の項では、ポー、ガボリオ、コリンズ、ドイル、チェスタトン、ルブラン、クリスティー、ノックスその他多くの作家について記し、一転して日本の探偵小説史に入り、黒岩涙香、押川春浪を語り、江戸川乱歩の登場を述べ、小酒井不木、甲賀三郎、平林初之輔、横溝正史、大下宇陀児、浜尾四郎、夢野久作、海野十三、水谷準、渡辺啓助、城昌幸、木々高太郎、小栗虫太郎、久生十蘭などの名をあげている。

 同君は自作を日本訳にして、こちらの雑誌にのせたい希望のようだし、又久しぶりで東京に来て、旧知に会いたい、東京の作家クラブの様子も見たい意向なのだが、渡航がむずかしいので、探偵作家クラブの名で招待状を送って下されば、渡航出来るかも知れないと、九鬼君への手紙に書いている。クラブの幹部に相談して、その便宜をはかりたいと思っている。

底本

底本(初出):『宝石』1952年9・10月号(岩谷書店)、「内外近事一束」(pp.304-309)より
入力・校訂:松川良宏
2018年12月30日公開

※随筆「内外近事一束」は、以下の6節から成る。本ページではこのうち「韓国の探偵作家」のみを翻刻した。
  • 「韓国の探偵作家」
  • 「マスロヴスキ君との文通」
  • 「グーリック氏の近況」
  • 「レドマン氏の探偵小説滅亡論」
  • 「卒業論文に探小論」
  • 「日本探偵小説掌史」

 本随筆は冒頭に「主として海外消息のお伝えしておきたいことが幾つか溜まったし、国内の事もちょっと書いておきたいことがあるので、例によって「三十年」を休んで、それを記す。」とあり、それに続いて、「韓国の探偵作家」という小見出しの節が始まる。引用中の「三十年」とは当時、乱歩が『宝石』に連載していた「探偵小説三十年」のことである。現在では『探偵小説四十年』として知られている。

註釈

 簡単な註釈は【】で本文中に入れた。

+ *1~9(クリックで展開)
*1~9
  • *1 - 「探偵小説新人会」というのは、探偵作家新人倶楽部のことだと思われる。これは『ぷろふいる』の愛読者の集まりで、1934年10月に『新探偵』を創刊している。その後、方針の違いから探偵作家新人倶楽部を離れた一団が1935年3月に『探偵文学』を創刊。この『探偵文学』の同人に乱歩が挙げている蘭郁二郎、中島親、大慈宗一郎らがいた。一方、乱歩が挙げている光石介太郎、左頭弦馬、平塚白銀は、それとはまた別のYDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーベリスト)ペンサークルを結成していた。こちらは、『ぷろふいる』1935年2月号に短編「綺譚六三四一」が掲載された光石介太郎が、同誌デビューの新人に声を掛けて結成したものである。乱歩はこれらの団体・グループを混同しているようだが、金来成が参加していたのは光石介太郎が主宰したYDNペンサークルである。
  • *2 - 「楕円形の鏡」は『ぷろふいる』1935年(昭和10年)3月号掲載、「探偵小説家の殺人」は同誌1935年(昭和10年)12月号掲載。どちらも日本語で書かれた短編であり、現在は『金来成探偵小説選』(論創社、2014年)で読める。金来成は続いて3作目の探偵小説である長編『思想の薔薇』を日本語で執筆したが、この作品は発表の機会がなく、戦後、1950年代に自ら韓国語に翻訳して韓国で発表した。日本語の原稿はすでに失われたと思われるが、「日本語原文→作者本人による韓国語訳→翻訳家の祖田律男氏による日本語訳」という「日→韓→日」の《重訳》を経て、同じく『金来成探偵小説選』に収録されている。
  • *3 - 乱歩は九鬼紫郎(九鬼澹)と金来成がしばしば会っていたと書いているが、九鬼自身は『幻影城』1975年6月号に掲載された回想で、金来成とは酒を一回飲んだだけだと書いている。
  • *4 - 短編探偵小説集「秘密の門」の正確な表記は「秘密의門」である。このとき乱歩のもとに届いた6冊は現在も池袋の旧乱歩邸に所蔵されている。『金来成探偵小説選』405ページに写真を掲載した。なお、著者本人による『秘密の門』序文は、拙訳で2013年に公開した。
  • *5 - 乱歩が随筆中で書いている『青春劇場』の各部の副題「青春の伝説」「民族の悲劇」「暴風の歴史」「大地の審判」は、第一部から第五部までの副題を順に並べたものだが、第二部の副題が抜けている。第二部の副題は「사랑의生理」と前半がハングルになっており、乱歩の身近にも読める人はいなかったのだろう。「사랑의生理」の「사랑(サラン)」は近年の日本では比較的知られていると思うが、「愛」の意。「의(エ)」は日本語の助詞「の」に相当する。「愛情の生理」あるいは「愛情の原理」とでも訳すのがよいだろうか。
  • *6 - 長編探偵小説『魔人』は2014年、《論創海外ミステリ》(論創社)の1冊として祖田律男氏の翻訳で刊行された。乱歩は前篇が「犯罪篇」、後篇が「探偵篇」であることから「倒叙探偵小説に属するもののように思われる」と推察したようだが、実際には倒叙ものではない。
  • *7 - 短編探偵小説集「怪奇の画帖」(怪奇の畫帖)の正確な表記は「怪奇의畫帖」。収録短編のうち、「仮想犯人」は金来成が日本語で書いた短編「探偵小説家の殺人」を自ら韓国語に翻訳・改稿したものである。ここに挙げられている2冊の短編探偵小説集『怪奇の画帖』および『秘密の門』について乱歩は本格ものは少なそうだと推察しているが、これはその通りで、2冊とも基本的には変格短編が多い。金来成が朝鮮半島に帰ってから発表した変格短編は2018年末現在、商業出版で翻訳されたものは存在しない。ただ、『怪奇の画帖』の収録作である短編「霧魔」は拙訳で2011年より公開している。「霧魔」を選んだのは単に一番短い作品だからである。
  • *8 - 短編探偵小説集『秘密の門』の収録作である短編「異端者×××」の正確な表記は「異端者의사랑」である。「의(エ)」と「사랑(サラン)」の意味は註5で説明したとおりであり、訳すと「異端者の愛」となる。
  • *9 - 乱歩が献呈を受けた『秘密の門』の巻末に収録されている「探偵小説小論」というのは、正確には「探偵文学小論」(探偵文學小論)である。

校訂

 原文は旧字体、新仮名遣い。
 人名も含め、漢字はすべて新字体に直した(原文では金来成は「金來成」)。また、拗音の「ゃ、ゅ、ょ」、促音「っ」は原文では大書きだが、小書きに直した。
 太字化は校訂者によるものである。また、読みやすいように何箇所か「一行空け」を入れたが、これも校訂者が入れたものである。

+ その他(クリックで展開)
その他
 あきらかな誤植は訂正した。

中島[観] → 親
網目銀 → 板

その他の修正
  • (内容)霧魔。復讐鬼。狂想詩人。仮想犯人。第一夕刊。題から想像すると、純探偵小説でないものが多いようだ。
    • 「第一夕刊」と「題から想像すると」の間は原文では読点「、」だが、前後の書き方から誤植と判断し、句点「。」に直した。

原文の維持
  • 同君の手紙で気いたわけである。
    • 原文のままとした。
  • 「秘密の門」という短篇探偵小説一冊と、
    • 短篇探偵小説一冊、の「集」の脱落かと思われるが、原文のままとした。

解説

 金来成(キム・ネソン、きん らいせい、1909-1957)は早稲田大学在学中の1935年、日本語で書いた短編探偵小説「楕円形の鏡」が探偵雑誌『ぷろふいる』に掲載されデビュー。1936年に早稲田大学を卒業して朝鮮半島に帰ったのち、発表の当てもないまま、日本語で長編探偵小説『思想の薔薇』を執筆した。
 また、1937年には韓国語での創作活動を開始。長編探偵小説『魔人』(1939)、ジュブナイル探偵小説『白仮面』(1937-38)、『黄金窟』(1937)など、名探偵・劉不亂(ユ・ブラン)が登場する作品群のほか、「霧魔」(1939)など1ダースほどの変格短編探偵小説を発表した。現代韓国において、「韓国推理小説の父」と呼ばれている。

 金来成は乱歩に私淑し、乱歩のような作品を書きたいという目標を持っていた。『ぷろふいる』1936年1月号の「新人の言葉」コーナーに寄稿したコメント「書けるか!」(p.115)には以下のようにある。全文を引用する。

  書けるか!
 「一年の計が元旦にある」とは思わないから、別に感想も気焔もないのだが――
(一)脅し文句を用いずに刺戟的な探偵小説が書きたい。出来るかしら?
(ニ)探偵小説で人間が書きたい。出来るかしら?
(三)最初の一字を見たら飛びつくようなものが書きたい。出来るかしら?
(四)探偵小説を二度繰返して読んだ覚えがない。だがある。江戸川乱歩氏の初期の諸作である。私にそのような作品が書けるかしら? 書けたら書きたいと思う。書けなかったら?

(読みやすいように改行したが、原文は改行なし。また、原文は旧字旧仮名遣い)

 金来成の乱歩への憧れや、光石介太郎ら日本の探偵作家との交流については、私(=松川良宏)が執筆した『金来成探偵小説選』の解題(pp.387-424)が、日本語で読めるものとしては一番詳しい、と思う。400字詰め原稿用紙換算で90枚分ぐらいの分量になっているが、金来成はその生涯を知るだけでもかなり興味深いので、論創海外ミステリの『魔人』や『白仮面』で金来成を知ったという方には、ぜひ『金来成探偵小説選』解題にも目を通していただければと思います。

『金来成探偵小説選』解題/節題一覧
  • 1 乱歩に私淑し、「韓国の乱歩」となった金来成
  • 2 探偵小説との出会いから作家デビューまで
  • 3 YDNペンサークルへの参加
  • 4 乱歩への憧れ
  • 5 探偵小説芸術論争
  • 6 朝鮮半島初の探偵小説専門作家として活躍
  • 7 戦後の江戸川乱歩との文通
  • 8 金来成の晩年とその後
  • 9 作品解題


更新履歴

  • 2018年12月31日
    • 「註釈」と「校訂」を追加。


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最終更新:2018年12月31日 13:47