シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(7) ソ連編


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2013年8月22日

 1940年代~50年代にソ連の推理作家ニコライ・シパーノフが発表した 探偵ニール・クルチーニン のシリーズについて。邦訳はない。

Index

「ソ連のシャーロック・ホームズ」?

 『日本探偵作家クラブ会報』の1957年7月号(第120号)に「ソ連の探偵小説界近況」という記事が載っている。執筆者はソ連のSFや推理小説の翻訳者として知られる袋一平氏。そこに気になる記述がある。なんでも、ソ連に「N・シパーノフ」という作家がいて、この人は 「ソ連のシャーロック・ホームズを創造するという意気で探偵小説を書いている人」 なのだという。
 この記事には作家のフルネームが書かれていないのだが、ソ連の推理小説について書かれているほかの日本語文献を渉猟してみたところ、ソ連の推理作家のロマン・キムが江戸川乱歩に送った手紙(の和訳)にそれと関連していそうな記述を見つけた。

江戸川乱歩「ソ連と中共の近況 ――ロマン・キム氏から第二信――」(『宝石』1957年1月号) - ロマン・キムからの第二信を和訳掲載したもの。原卓也訳。
ニコライ・シパーノフはソヴェートの有名な探偵作家の一人で、作品の中では常にニール・クルチーニンという探偵が活躍します。彼の「最後の金庫破り」という中篇に目をとめて下さい。

 結論からいえばこれはまさに同じ作家のことで、「N・シパーノフ」とはソ連の推理作家、SF作家の ニコライ・シパーノフ (Николай Шпанов, 1896-1961、ロシア語版Wikipedia)のことだった。そして彼が生み出した「ソ連のシャーロック・ホームズ」の名は ニール・クルチーニン (ニール・プラトノヴィッチ・クルチーニン Нил Платонович Кручинин)、その相棒を務めるのは友人の スレン・グラチーク (Сурен Грачик)である。

長編『魔法使いの弟子』

 ネット上をざっと検索してみると、ニール・クルチーニン・シリーズの書籍は以下の2冊が刊行されているらしいことが分かった(サイトによってタイトルや出版年に少々異同がある)。

  • 1955年:短編集 『ニール・クルチーニンの冒険――真実の探求者』 (Из похождений Нила Кручинина. Искатели истины)
  • 1956年:長編 『魔法使いの弟子』 (Ученик чародея)

 『ニール・クルチーニンの冒険』は1945年・1946年発表の短編3編を収録。『魔法使いの弟子』ももとは1949年に雑誌に発表されたものであるらしい(単行本化に当たって加筆訂正があったのかは分からない)。
 長編『魔法使いの弟子』は、実は最初に言及した袋一平氏の「ソ連の探偵小説界近況」(『日本探偵作家クラブ会報』1957年7月号)であらすじが紹介されている。ニコライ・シパーノフについての部分を全文引用する。

袋一平「ソ連の探偵小説界近況」(『日本探偵作家クラブ会報』1957年7月号)
「魔法使の弟子」 N・シパーノフ
舞台をラトヴィアにとり、ドイツの捕虜から故国へ帰ってきたクルミヌイシという青年が殺される。グラチークという探偵が犯行を追って、それが「西」につながることをつきとめ、ほとんどひとりで犯人をつかまえる。シパーノフは㐧二大戦の裏側を五千枚ぐらいの長篇に書きあげた作家で、それ以後の作品ではソ連のシャーロック・ホームズを創造するという意気で探偵小説を書いている人。

 ラトヴィアは当時はソ連内の一共和国。探偵の名前が「グラチーク」となっているが、これは先ほど書いたように、ニール・クルチーニンの相棒、ワトソン役の人物の名前である。袋一平氏が少々記憶違いをしていたのだろうか。あるいは、この作品ではグラチークの方が主要な役割を果たしたりするのだろうか。ちなみに、ニコライ・シパーノフのロシア語版Wikipedia記事にリンクがあったが、『魔法使いの弟子』はこちら(リンク)で全文読める(もちろんロシア語)。著作権保護期間は満了しているのだろうか? また、2013年に復刊されている(ロシアのオンライン書店リンク)。
 公開されているテキストを機械翻訳で見てみると、この小説は三人称小説で、グラチークはワトソン役とはいっても語り手を務めるわけではないようである。

 ところで、引用中に「シパーノフは㐧二大戦の裏側を五千枚ぐらいの長篇に書きあげた作家」とあるが、これは1949年の『放火者』(Поджигатели)と1951年の『謀略者』(Заговорщики)のことである。この二作については袋一平氏が『宝石』1955年12月号の「ソヴエトの推理小説」で紹介しているので、ニール・クルチーニン・シリーズの作品ではないが、引用しておく。

袋一平「ソヴエトの推理小説」(『宝石』1955年12月号)
いちばん大規模な構想と量とで私たちをおどろかせたのは、一九四九年に出たシパーノフの二部作「放火者」と「謀略者」である。そこには超探偵的興味をもって第二世界戦の全カラクリが描かれている。ウィルソン大統領の私室にはじまり、舞台は世界中にひろがって、ベルリン陥落に終る。日本のスパイが蒙古あたりで活躍するくだりもあるし、ヒトラーとエヴァ嬢とのむつごとの場面もある。「モンテ・クリスト伯」の現代版みたいにおもしろい読物であるが、例によって量が尨大で、何かの拍子で有名にでもならない限り、日本の読者にはついて行けないだろう。ざっと七千枚。

ニール・クルチーニン・シリーズ作品リスト

 ニコライ・シパーノフは1920年代半ばに小説家デビューしたようだ。そしてニール・クルチーニン・シリーズは1940年代・1950年代に発表されている(作者は1961年に死去)。
 ロシア語サイトから借用して、作品リストを掲げる。 日本語タイトルは、ないよりはましだろうということで、機械翻訳したものをつけておく (ロシア語が分かる人からすると笑ってしまうような間違いがあるかもしれませんが……)。

  • ニール・クルチーニン・シリーズ(情報源 ※リンク先ロシア語)
    • 長編
      • Ученик чародея 『魔法使いの弟子』(1949年雑誌発表 / 1956年書籍出版)
    • 中短編
      • 1: Тайна трех (1945)(三の秘密)(別題「それは北にあった」、「オレ・アンセン事件」)
      • 2: Похождения Нила Кручинина (1945)(ニール・クルチーニンの冒険)(別題「大みそか」)
      • 3: Желтые перчатки (1946)(黄色い手袋)(別題「ニール・クルチーニンの個人的な幸福」)
      • 4: Медвежатник (1957)(金庫破り)(別題「最後の金庫破り」)

  • 1の別題:«Это было на Севере»(それは北にあった)、« Дело Оле Ансена»(オレ・アンセン事件)
  • 2の別題:«В новогоднюю ночь»(大みそか)
  • 3の別題:«Личное счастье Нила Кручинина»(ニール・クルチーニンの個人的な幸福)
  • 4の別題:«Последний медвежатник»(最後の金庫破り)

 中短編の通し番号は便宜的に付けたもの。1955年出版の短編集『ニール・クルチーニンの冒険』は1~3の3編を収録。4はロマン・キムの第二信(『宝石』1957年1月号)でタイトルが挙げられていた作品である。『宝石』1957年1月号でこの作品のタイトルが見られるということはつまり、「最後の金庫破り」の初出は1957年ではなく実際には1956年以前ということになると思われる(ロマン・キムが発表以前に何らかの方法で読んだ可能性もあるが)。

  • 関連資料リンク:ニコライ・シパーノフの書誌は「こちら」も詳しい(ロシア語サイト)

ホームズ型探偵譚をソ連に適用すべきではないとの批判

 さて、「ソ連のシャーロック・ホームズ」と聞いて、 「当時のソ連で欧米風のミステリを自由に書くことなんてできたの?」 ともし疑問に思った人がいたら、その直感は正しい。ロシア文学者の黒田辰男氏の「海外文学便り ソビエトの探偵小説」(『読売新聞』1958年8月18日夕刊、3面)によれば、当時のソ連の新進気鋭の推理作家の一人だったアルカージー・アダモフが『文学新聞』(1958年?)7月1日号に寄稿した論文「探偵物と生活の真実」で、ニール・クルチーニン・シリーズのような探偵が一人で事件を捜査・解決するタイプの作品を「現実・生活の真実から離れたもの」として批判しているのである。アルカージー・アダモフは警察組織による集団的捜査を描くタイプの小説を得意とする作家だった。彼もシャーロック・ホームズ・シリーズを外国作品としては推奨していたが、その作品の型をソ連に適用することには反対だったのである。

黒田辰男「海外文学便り ソビエトの探偵小説」(『読売新聞』1958年8月18日夕刊、3面)
アダモフは、外国作品としては「シャロック・ホームズ」を推(ママ)しているが、これとてもホームズが孤立した超人として示されているところにブルジョア的な本質があるとしており、多分にこういう影響の下に書かれたものとしてシパーノフの「ニル・クルーチンの事件」「魔術師の弟子」をあげ、犯罪の摘発はつねに才能ある一個人によってでなく、全集団の複雑かつ危険な活動によって成しとげられるものであるゆえ、これらの作品は、現実・生活の真実から離れたものと批判している。アダモフの主張では、ソビエトの冒険・探偵小説は肯定的な主人公を特殊な才能をもった探偵としてではなく「人間」としてその現実・生活的真実の中に、心理的に深く掘り下げて描かなければならない。単なる筋の複雑な転変による推理的興味だけに頼り、安価な効果をねらったものでなく人間の形象を芸術的に描き上げ、現実・生活の重要な諸面を照し出し、社会的問題を提起または解決するものでなければならないとして、探偵小説に高い芸術性を要求している。

 引用中の「ニル・クルーチンの事件」「魔術師の弟子」は当ページで『ニール・クルチーニンの冒険』、『魔法使いの弟子』と書いている作品のことだろう。このようにニール・クルチーニン・シリーズが名指しで批判されているのである。

 アダモフは自分の作品の中でも、シャーロック・ホームズ譚はおとぎ話であり、集団的捜査による事件解決こそが現実であるということを刑事の一人に述べさせているそうだ。(アダモフのどの作品なのかは不明)

イリーナ・ボガートコ(岡野肇訳)「ソヴェートの推理小説 ――最近年間の作品の概観――」(『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号[48号])、p.242より
アダーモフのこのセルゲイ・コルシューノフは、彼が一人で大きな犯罪をあばいたかのように取られる新聞の記事にたいする自己の不満を表明している。「シャロック・ホームズのように。――と腹立たしげに彼は言っている――だが、これは美しいお伽噺だ。一人の人間が犯罪を解明することはできない、まして複雑な犯罪では。それでなければ、それは純粋な偶然なのであろう、そこにはつねに多くの人間が活動している。」

 そしてこのような見方はアダモフ個人の物というよりは、当時のソ連推理小説界の総意に近かったのではないだろうか。この批判を受けてか、ニコライ・シパーノフはこの後、3年後の1961年に死去するまで、ニール・クルチーニン・シリーズの作品を新たに発表していない(と思われるが、ネット上にある作品リストが完全なものなのかも分からない)。

◆1950年代ソ連でのドイルの受容

 この当時のソ連でのシャーロック・ホームズ・シリーズの出版状況は分からないが、いくつか関連する文を引用しておく。

袋一平「ソヴエト推理小説の動向」(『探偵倶楽部』1955年10月号)
ソヴエトでも近来は科学空想小説、冒険小説、そして推理小説が非常に盛んになってきました。ジュール・ヴェルヌやコナン・ドイル、ジャック・ロンドンやアラン・ポーなどはいわゆるベストセラーの中にはいっております。

ロマン・キム第三信(江戸川乱歩「海外近事 ――アメリカ、ソ連、オランダ――」『宝石』1957年8月号 ※ロマン・キムからの第三信の大部分を和訳掲載したもの。木村浩訳)
わがソ連邦では、探偵小説に対する興味が、それも特に本格探偵小説に対するそれが非常に高まっています。最近、コナン・ドイルの大きな選集の新版がでました。雑誌「外国文学」は、近々、今日の欧米の探偵小説の特集号をだす予定です。

 以上の2つから1950年代当時のソ連でコナン・ドイルの作品が読まれていたことは確かなようだが、そこにシャーロック・ホームズ物が含まれていたのかは分からない。

◆アルカージー・アダモフについての補足

 最後に、アルカージー・アダモフ(Аркадий Адамов, 1920-1991, ロシア語版Wikipedia)について少々補足。
 アルカージー・アダモフは1956年発表の長編『雑色事件』(邦訳なし、原題:Дело «пёстрых»、ロシア語版Wikipedia)により、ソ連における警察小説創作の先陣を切った人物。この作品は翌1957年には早くも中国語訳『形形色色的案件』が刊行されており、ほかに少なくともドイツ語訳『Die Bunte Bande von Moskau』(1962年)がある。日本ではまったくといっていいほど知られていない作家だが、中国では当時のソ連推理小説界を代表する作家だと見なされている。たとえば中国で1998年に出版された推理小説史、曹正文(そう せいぶん)『世界偵探小説史略』には「旧ソ連と東欧の探偵小説」という章があるが、この章の構成は「第1節 旧ソ連探偵小説の形成と特徴」、「第2節 アダモフと探偵文学」、「第3節 東欧文学の中の探偵小説」となっており、アダモフの紹介に一節が割かれているのである。
 ところでアダモフと聞いて、ソ連のジュヴナイルSF『海底五万マイル』を思い出した人がいるかもしれない。1956年に《少年少女世界科学冒険全集》の1冊として邦訳出版され、その後も何度か再刊されたこの作品の作者のグリゴリー・アダモフ(1886-1945)は、アルカージー・アダモフの父親である。

 中薗英助は1966年9月にモスクワを訪れ、ロマン・キムの紹介でソ連の推理・冒険小説作家3人と食卓を囲んでいる(ロマン・キムも含めると4人)。通訳は、幼少期を日本で過ごし流暢な日本語を話したというロマン・キムが務めた。その3人の作家のなかにはアルカージー・アダモフもいた。中薗英助はこのときアダモフから著書『キツネの足跡』(След лисицы)を贈られたという。また、それについて書いたエッセイではアダモフのこんなエピソードを紹介している。

中薗英助「ロマン・キムさんの想い出」(『日本推理作家協会会報』1967年10月号[第238号])
小説の取材という話になったとき、アダモフは、たとえば殺人事件がおきたとき、自分の車で現場にかけつけて、元捜査官作家の顔と腕をフルにふるう。彼は有名なので、現場への立入りもフリーパスらしい。

+ さらなる補足(アルカージー・アダモフ『雑色事件』のあらすじ)