江戸川乱歩が所蔵していた唯一の韓国探偵小説、金来成『秘密の門』の序文


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2013年8月3日

 1935年に日本で探偵作家デビューし、翌年に朝鮮半島に戻ってからも探偵作家として活躍した 金来成(キム・ネソン) は、日本留学時代に江戸川乱歩と何度か面会している。終戦後、1952年になって金来成は久々に江戸川乱歩に手紙を送り、その後著書6冊を送った。そのうちの1冊が、探偵小説集『秘密の門』(『秘密의門』)である。このページではその序文を翻訳紹介する。
 金来成が日本で探偵作家として活動した1935年~1936年は、ちょうど甲賀三郎と木々高太郎の間で「探偵小説芸術論争」が起こった時期だった。そのことが金来成にも大きく影響を与えていたことが、この序文からもうかがえる。

 なお、『秘密の門』の収録作は「秘密の門」、「異端者の愛」、「悪魔派」、「白蛇図」、「罰妻記」の5編。どれも邦訳はない。末尾に「探偵文学小論」が付されている。

金来成『探偵小説 秘密の門』(1949年)、序

※翻訳は1952年の青雲社版より

 序

 これは第一創作集「狂想詩人」に次ぐ、私の二番目の探偵創作集である。そしてこの一冊は、過去十五年間における私の探偵作家としての燃え上がるような情熱が一つに結晶した創作集である。
 今回の上梓にあたって、校正の筆を執りつつじっくり考えてみると、作品ごとに探偵文学への純粋な情熱が炎のように躍動していることを発見して、当時の幸福だった自分自身が回想され、現在の自身を限りなく寂しく思う。なぜならば、現在の私にはこのような熱狂的な作品を執筆する情熱が完全に失われてしまっているからだ。
 歌を忘れたカナリヤは、いつまた歌を歌うのだろう?

 終戦後に執筆した作品というのは一つもない。そのために、ここに収録されている作品もすべてが日本統治期のものだ。ただ、収録作中には校正時に時代背景を終戦後に直したものも一、二作あるということを附記しておく。

 「探偵小説は芸術作品たり得ないか?……」
 それに答えるために私は 「悪魔派」 (「屍琉璃」改題――「文章」誌)を書き、 「白蛇図」 (「農業朝鮮」誌)を書き、 「異端者の愛」 (「農業朝鮮」誌)を書き、「狂想詩人」(第一創作集収録)や「霧魔」(第一創作集収録)等の一連の作品を書いた。この一連の創作活動で在来の探偵小説をいったいどの程度まで芸術作品に引き上げることができたか?……という成果の問題についてはなんともいえないが、在来のもっぱら「パズル」の解決だけを目標としてきた安易な作品、または冒険活劇を主とするいわゆる「スリラー」から抜け出そうと努力をしてみたのが、この一連の作品である。
 ここで私は従来の探偵小説のような機械的で人形的な人生観の代わりに、もっと深みのある、血の通った人生観を描くことを企図した。

 ここに収録した作品を簡単に解題してみると、 「悪魔派」 は二人の悪魔主義的傾向を持った青年画家が、一人は強者として、一人は弱者として、女性一人をめぐって展開する、芸術と人生の両面における深刻な闘争を主題としたもので、 「異端者の愛」 もやはり芸術家(詩人)と科学者(医師)の恋愛観または愛欲観を極端に追究した作品である。

  「白蛇図」 は探偵小説というよりも怪奇文学または神秘小説と見るのが合っているだろう。迷信と無知と美貌を合わせ持つ妖艶な巫女と、その年若い夫の間における、恐怖と神秘に富んだ愛欲図だ。 「罰妻記」 は教育者と芸術家の人生観の差異から来る犯罪を描いたもので、創作集の表題となっている 「秘密の門」 は、「影法師」というタイトルで十年前に放送されたのち「農業朝鮮」に掲載され、終戦後に再度放送劇として改作したものが放送され、さらに舞台劇として改編したものが「実業朝鮮」に掲載された、ある程度知られた一種の大衆探偵小説である。
 その次の「探偵文学小論」は一九三九年に放送講演をした際の原稿だが、これを収録して同好者のささやかな研究資料として供することができれば幸いである。

         一九四九年四月十二日
                              著者

 序文の原文は「漢字ハングル交じり文」。
 日本語が「漢字仮名交じり文」で書かれるのと同じように、かつて韓国語は「漢字ハングル交じり文」が使われることがあった。たとえば、序文の二段落目の一文目は原文では以下のような表記になっている。

 이번 上梓에 臨하여 校正의 붓을 들면서 가만이 생각하니 作品마다 探偵文學에의 純粹한 情熱이 불꽃처럼 躍動하고 있는것을 發見하고 當時에 幸福했던 나 自身을 回想하여 現在의 自身을 限없시 쓸쓸히 생각한다。

 『秘密の門』で「漢字ハングル交じり文」が使用されているのは序文と「探偵文学小論」。小説5編は基本的にすべてハングル表記になっている。

 序文で言及されている作品のうち、「霧魔」は当サイトで2年前に翻訳公開した。この作品を訳したのは単に金来成の探偵小説のなかで一番短かったからであり、金来成の探偵小説のなかでこの作品が必ずしも上等の作品というわけではない。


解説

 韓国にかつて、「韓国の江戸川乱歩」とも形容される金来成(キム・ネソン)(1909-1957)という探偵作家がいた。金来成は日本の早稲田大学に留学に来ていて、その在学中の1935年に日本の探偵雑誌『ぷろふいる』で探偵作家デビューした。江戸川乱歩を敬愛しており、乱歩邸を訪れて乱歩と対面したこともある。また、戦後の一時期には乱歩と手紙のやり取りもした。
 金来成は日本では短編探偵小説2編と掌編1編、探偵小説評論1編を発表し、デビューの1年後には早稲田大学を卒業して朝鮮半島に戻る。翌1937年、日本で発表した「探偵小説家の殺人」を韓国語に翻訳・改稿した「仮想犯人」で朝鮮半島において探偵作家として再デビュー。その後の数年間で長編探偵小説数編と、短編探偵小説1ダースほど、それから少年向け長編探偵小説数編を発表した。なかでも長編探偵小説『魔人』はベストセラーになった。

 『秘密の門』の序文にもあるように、終戦後、金来成は探偵小説への情熱を失ってしまったようだ。1949年には大衆文学『青春劇場』の新聞連載を開始。最終的に全5巻となったこの作品は大好評を得、金来成は今度は探偵作家ではなく大衆文学作家として一時代を築くことになる。戦後も少年向けの探偵小説は書いたが、一般向けの探偵小説はほとんど(あるいはまったく?)書いていない。1950年代半ばには探偵小説と純文学の融合をはかった長編探偵小説『思想の薔薇』を連載・上梓しているが、これは金来成がデビュー翌年に日本語で執筆した長編探偵小説『血柘榴』を、自ら韓国語に翻訳したものだった。連載を複数抱えて多忙だった時期であり、おそらくそのために、発表の機会がなかった過去の原稿を引っ張り出して来たのだろう。残念ながら、この『血柘榴』の日本語原稿は残っていないそうである。

 金来成は1952年、乱歩のもとに手紙を送っている。乱歩も返事の手紙を書き、その年のうちに何度か手紙のやり取りがあったようだ。このとき乱歩は金来成から著書を6冊受け取っている。すべてハングルで書かれたもので、残念ながら乱歩は読めなかった。そのうちの1冊が、金来成の探偵小説集『秘密の門』(秘密의門)である。

江戸川乱歩「内外近事一束」(『宝石』1952年9・10月号)
  韓国の探偵作家
 七月はじめ、大韓民国釜山市在住の作家金来成君から、飛行便の手紙が着いた。金君はその前に、岩谷書店気附で九鬼澹【=九鬼紫郎】君に手紙をよこし、私の住所を訊ね、もとの池袋に居ることがわかったので、今度は直接私の所へ手紙をくれたのである。
【中略】
 飛行便の手紙から数日後に、船便で送ってくれた同君の著書が着いた。それは 「秘密の門」 という短篇探偵小説一冊と、 「青春劇場」 という五部作の大著五冊であった。金君は昭和十年頃朝鮮に帰ってから、「朝鮮日報で三年間記者生活をやり、その後はずっと探偵小説を書いています。丁度日本に於ける江戸川師のような立場で創作探偵小説の開拓者として云々」(九鬼君への手紙)と書いている。今度の戦争で、京城【=ソウル】の家を焼かれ、身を以て釜山にのがれ、今はそこに定住して、作家生活をつづけている。送って来た五部作の「青春劇場」は普通小説だが、これが最近の南鮮に於けるベストセラーとなり、同君は流行作家になっているらしい。
【中略】
○短篇探偵小説集「秘密の門」(内容)秘密の門。異端者×××。(諺文の活字で組む煩をさけて、諺文は×にしておく)悪魔派。白蛇図。罰妻記。探偵小説小論。この集も本格ものは少ないように思われる。
 右の最後の本は送ってくれたので、内容を見ることが出来るのだが、巻末の「探偵小説小論」というのは、金君が一九三九年に放送講演をやった筆記で、四六版十三頁の小論。(一)序論(二)正統的探偵小説(本格の意)(三)傍系的探偵小説(変格の意)(四)探偵小説の歴史の四項に分けて書いている。文中に点在する漢字だけを拾って見ると、大体内容の想像がつくが、彼は本格はむろん認めるけれども、どちらかと云えば文学派的性格が強いように思われる。【後略】