『歌姫殺傷事件』は、ウイルヘルム・ハウフが残した貴重な推理小説である。ハウフの名は、我国では多く、というよりもむしろ全部が、童話作家としてのみ知られて来た。【中略】ここに紹介した『歌姫』は、もちろん初めての邦語訳である。ハウフ生存の時代には、恰もかのドイツ文学界の鬼才として尊敬されたホフマンが、いう所の怪奇小説風のものを多く発表し、人々の注目をあびていたわけであるが、この『歌姫殺傷事件』もホフマン張りの豊富な想像力によって創り出され、当時のものとしては珍らしい推理小説の体裁をととのえているのである。しかも、ハウフ独特の穏やかな諷刺とユーモアが混じえられている点に、注目して頂きたい。訳者は、我国では未だ紹介されなかったこの作品を訳出することによって、推理小説と文学というものの脈絡を更に検討する一つのよすがになればと考えるものである。【改行は省略した】
それはともかく、ドイツに対犯罪機関ができた時代に、童話の形式だったが、純粋に探 偵 小 説 的 な性格をもったものとしては、ドイツで一番早かったヴィルヘルム・ハウフの短篇「何も見なかったユダヤ人アブナー」(一八二七年)が出ている。散歩にいったアブナーは実物を見なかったにもかかわらず、逸走した馬と犬との特徴を詳しく述べることができた。するどい眼力をもった彼は、散歩途上の砂や木にあった痕跡から一部始終を読みとったのであった。筆者がこの作品をこれ以上強調しないのは、申すまでもなくこれには原作があるからで、すなわちヴォルテールがその小説の主人公ザディクにアブナーと同じ冒険をさせているのである。
英米でも著名な作家が探偵小説を書いている。そしてわが国でもその傾向は同じであるが、ドイツでも純文学作家の中にちらほら探偵小説――厳密な意味に於ては犯罪心理小説かも知れない――を書く人が現われ、特に、ヨアヒム・マース「グフェー事件」エーリヒ・ケストナー「紛失したミニアチュア」ヤーコプ・ワッサーマン「マウリチウス事件」フリードリヒ・デュレンマット「判事と首切役人」等は所謂文学的探偵小説として一読に価する。
1954年3月号 | 5巻3号 | 264-298 | 「二重生活者の悲劇」 | オシップ・シュービン(チェコ)(Ossip Schubin、1854-1934) | |
1955年6月号 | 6巻6号 | 180-203 | 「怖ろしき一夜」 | インゲボルク・フィーゲン(Ingeborg Fiegen) | |
1955年8月号 | 6巻8号 | 382-410 | 「塀の向側(むこうがわ)の二人の女」 | R・A・ヴェーラア | |
1955年9月号 | 6巻9号 | 128-151 | 「私は告白する」 | ハインツ・オットー・クイツ(Heinz Otto Quitz) | 道本清一名義 |
156-186 | 「事件は終りぬ」 | ウィルヘムス・スパイヤー&パウル・フランク | |||
1955年10月号 | 6巻10号 | 146-182 | 「深夜の跫音」 | ヘルムート・ザンデル(Helmut Sander) | |
1956年10月号 | 7巻11号 | 80-110 | 「もう一つの鍵」 | H・バウムガルテン(Harald Baumgarten) | 道本清一名義 |
1957年5月号 | 8巻4号 | 134-169 | 「追跡する女」 | コリンナ・ライニング | |
1958年8月号 | 9巻10号 | 281-285 | 「知りすぎた男」 | エルンスト・シュムッカア | 道本清一名義 |
1958年10月号 | 9巻12号 | 92-95 | 「詐術」 | ベルタ・ブリュックナア |
+ | 「戦争花嫁事件」に付された訳者の伊東鍈太郎のコメント |
「コレンカンプ事件」戦前のベルリンを舞台に自動車会社の社長が殺され、彼の甥が疑わしい。まだ若い未亡人にもかくした過去があり、その昔の恋人や自動車運転手も臭い。ベルリン警察署長が人情家で、腕利の探偵に捜査させながら段々未亡人に愛情を感じてゆく。本格もの。
1956年3月号 | 11巻4号 | 269-315 | 「少年殺人犯」 | ワルタア・エーベルト(ドイツ)(Walter Ebert、1907-????) | のちに『カインの末裔 他二篇』に収録 |
1957年4月号 | 12巻5号 | 130-141 | 「夜の国境」 | カール・ヒルシュフェルド | |
1957年7月号 | 12巻9号 | 40-73 | 「索溝」 | フェリイ・ロッカー |
フェリー・ロッカー 巴里に住んでいたので、しばしばフランスを舞台にし、また作品の多くは英国を舞台にしている。既に五、六作あるが、そのうち「ラテン区の銃声」と「ジョン・ケネディーの客達」が良い。前者は巴里のラテン区にある本屋のおやじが殺され、その甥の青年に嫌疑がかかる。巴里警察の中老の探偵が人なつこい態度で調べているうちに被害者や彼を取巻く人々に関する意外な事実が次々に分ってくる。巴里の庶民的な気質と風物が巧みに描込まれている。本格物。「ケネディーの客達」は前者とは打って変って、英国の流行作家が十人の友人をロンドン郊外の別荘へ招いて週末を過そうとして、その夜殺される。作家を取巻く十人の人物が相当によく書別けられ、筋の運びも謎の伏せ方も、意外性もよく、米、英の古典的本格物を読むような気持を起させる。
ミステリ・ファンにとってドイツという国はわからない国だ。というのはドイツ・ミステリという言葉がないためで、SFのローダン・シリーズみたいな看板ミステリがないせいだろう。(『ミステリマガジン』1980年7月号、海外ミステリ情報コーナー、p.111、執筆者署名なし)