シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(6) ラテンアメリカ編

2012年11月30日

Index

ラテンアメリカ編(1)メキシコの怪盗紳士、マキシモ・ロルダン

邦訳なし

 「北欧編(2)」で、スウェーデンの作家のフランク・ヘラーが書いた北欧の怪盗紳士フィリップ・コリン・シリーズを紹介したが、なんとアルセーヌ・ルパンやフィリップ・コリンが活躍したヨーロッパから海を隔てた北米大陸のメキシコでも、ご当地の「怪盗紳士」が活躍するシリーズが書かれていたようである。このメキシコの怪盗紳士のシリーズは、エラリー・クイーン選定のミステリ短編集名著リスト「クイーンの定員」の1冊に選出されている。メキシコの怪盗紳士について述べる前に、まずは「クイーンの定員」について改めて見ておこう。

◆「クイーンの定員」に選ばれた非英語圏の短編集(8冊)

 「ドイツ語圏編(2)」で説明したが、エラリー・クイーンは1951年、古今東西のミステリ短編集から歴史的意義などを基準に106冊を選定した名著リスト「クイーンの定員」(Queen's Quorum)を発表している。より正確に説明すると、その原型は1948年刊のエラリー・クイーン編のアンソロジー"Twentieth Century Detective Stories"(二十世紀探偵小説)で発表されており、その後1948年から1950年までの分が増補され、1951年にエラリー・クイーン『クイーンの定員』(Queen's Quorum)として刊行されたのである。この本では106の短編集(一部、短編も含む)が刊行年順に配列され、それぞれに詳細な紹介が付されている。
 クイーンが選考基準としたのは歴史的重要性(Historical Significance)、文体とプロットの独創性における質的価値(Quality)、初版の稀覯本としての希少価値(Rarity)の3つである。それぞれの短編集にはこの3つのどれが選出理由になったかが明示されている。たとえばエミール・ガボリオの短編集『バチニョルの小男』には「HQR」というアルファベットが付されており、これはこの短編集が歴史的重要性(H)、質的価値(Q)、希少価値(R)のすべてにおいて評価されたことを意味している。

 『クイーンの定員』は1969年に増補版が出版され、全125冊のリストとなっている(対象年は1967年まで)。この125冊のうち、非英語圏から選出された短編集は以下の8冊である。(フランス語圏 5冊、ドイツ語圏 1冊、スペイン語圏 2冊)

「クイーンの定員」に選ばれた非英語圏の短編集
#8 エミール・ガボリオ 『バチニョルの小男』 Le Petit Vieux des Batignolles
(The Little Old Man of Batignolles)
1876年
(1884年)
HQR
#37 モーリス・ルブラン 『怪盗紳士ルパン』 Arsène Lupin, Gentleman-Cambrioleur
(The Exploits of Arsene Lupin)
1907年
(1907年)
HQR
#44 バルドゥイン・グロルラー 『探偵ダゴベルトの功績と冒険』 Detektiv Dagoberts Taten und Abenteuer
(Detective Dagobert's Deeds and Adventures)
1910年
(未刊)
HR
#69 モーリス・ルブラン 『八点鐘』 Les Huit Coups de L'horloge
(The Eight Strokes of the Clock)
1922年
(1922年)
HQR
#85 ジョルジュ・シムノン 『十三人の被告』(邦題『猶太人ジリウク』) Les 13 Coupables
(The 13 Culprits)
1932年
(2002年)
HQR
#96 H・ブストス=ドメック 『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』 Seis Problemas para Don Isidro Parodi
(Six Problems for Don Isidro Parodi)
1942年
(1981年)
HQR
#102 アントニオ・エル 『殺人の報酬』 La Obligación de Asesinar
(The Compulsion to Murder)
1946年
(未刊)
HQR
#118 ジョルジュ・シムノン 『メグレ警視の小事件簿』
(The Short Cases of Inspector Maigret)

(1959年)
-
  • 増補分(#107~#125)には「H」「Q」「R」の評価は付されていない
  • #44と#102の英訳は少なくとも単行本の形ではいまだに出ていないようである
  • #118は米国オリジナル編集の短編集

 フランス語圏の作品(ガボリオ1冊、ルブラン2冊、シムノン2冊)についての詳しい説明は省略。ガボリオの短編集『バチニョルの小男』の表題作はかつて黒岩涙香が「血の文字」(青空文庫)というタイトルで訳した作品で、各務三郎編『クイーンの定員 I』(光文社文庫、1992年3月)には「バチニョルの小男」のタイトルで松村喜雄訳版が収録されている(ハードカバー版の『クイーンの定員 I』[光文社、1984年]には収録されていない)。

 ドイツ語圏からは、オーストリアのバルドゥイン・グロルラーの『探偵ダゴベルトの功績と冒険』が選ばれた。これついては「ドイツ語圏編」で紹介した。非英語圏の短編集でこの1冊だけ評価が「HR」となっているのがなんとも悲しい。「Q」がついていないということは、クイーンはこの短編集の質についてはそれほど高く評価しなかったということになる。もっとも、この短編集の収録作はいまだに英語には全訳されていないと思われるので、クイーンは未読を理由に判断を保留にしただけかもしれない(当時は少なくとも「奇妙な跡」が英訳されていたが、ほかにどの作品の英訳があったのかは分からない)。「クイーンの定員」#45のトマス・W・ハンシュー『四十面相クリークの事件簿』も同じく「HR」の評価だが、この短編集は昨年(2011年)論創社から邦訳が出て、『本格ミステリ・ベスト10』で第3位になるなど好評だった。「Q」がついていないからといって、そこまでそれをマイナスに考えることもないだろう。

 残るはラテンアメリカから選ばれた2冊である。まず#96としてH・ブストス=ドメックの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』が選ばれている。1942年、アルゼンチンで刊行。『クイーンの定員』のこの短編集についての記述は以下の一文のみである。(『クイーンの定員』[1969年]は小鷹信光氏の訳で『EQ』1981年1月号~1982年3月号に連載・全訳されている)

エラリー・クイーン『クイーンの定員』より引用(小鷹信光訳、光文社『EQ』1982年1月号)
本書は注目に値する作品――おそらくはスペイン語による最初の短編探偵小説集である。

 当初は秘密にされていたが、H・ブストス=ドメックというのはホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899-1986)とアドルフォ・ビオイ=カサーレス(Adolfo Bioy Casares、1914-1999)の合作ペンネームだった。日本では長らく邦訳が待望されており、2000年についに邦訳が出ると『本格ミステリ・ベスト10』で第1位という高い評価を得た。

 『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』はそのタイトルの通り、短編を6編収録している。探偵役を務めるのは、無実の罪で刑務所に捕らえられているドン・イシドロ・パロディ。邦訳書の解説によると、ドン・イシドロ・パロディが登場する作品はほかに、二人がB・スアレス=リンチのペンネームで出版した中編小説『死のための計画』(1946年)があるそうだ。この作品も「一応推理小説という形を取ってはいる」とのこと。ちなみに、殊能将之が『美濃牛』で登場させた探偵・石動戯作(いするぎ ぎさく)の名はこの「イシドロ・パロディ」をもじったものなのだとか。ボルヘスとビオイ=カサーレスの合作にはほかに、短編小説集『ブストス=ドメックのクロニクル』(原著1967年/邦訳1977年、国書刊行会)などがある。

 さて、問題は残る1冊である。#102、アントニオ・エルの『殺人の報酬』(La obligación de asesinar)とは一体どのような作品集なのだろうか。

◆「クイーンの定員」#102、アントニオ・エル『殺人の報酬』

 まずは『クイーンの定員』から、アントニオ・エル『殺人の報酬』に関する部分を引用する。

エラリー・クイーン『クイーンの定員』より引用(小鷹信光訳、光文社『EQ』1982年1月号)
 同じころメキシコではアントニオ・エルが探偵小説の<国境の南>派を創始しつつあり、最初の偉大なるメキシコ人マンハンター、マキシモ・ロルダンを生んでいた。合衆国に紹介されたごく初期の作品で、ロルダンは複雑にしてやっかいな殺人を解き明かし、犯罪がひき合うことを立証する。つまり、その殺人を解決することで、ロルダンは一万ペソの宝石を懐ろに収めたというわけだ。彼は(探偵としての)仕事と(くすねる)喜びを一体化したのだ。ロルダンの犯罪語辞典では、罪の報いが――捜査なのである。このメキシコのアルセーヌ・ルパンの驚異の冒険譚は次の書にまとめられている。

 上の記述に続けて、『殺人の報酬』というタイトルが示される。この本についての記述はこれですべてである。
 さて、上で引用した記述によると、『殺人の報酬』は「メキシコのアルセーヌ・ルパン」とでもいうべきマキシモ・ロルダンの活躍譚を収録したものであるらしい。各務三郎編『クイーンの定員 III』(光文社文庫、1992年4月)の各務三郎氏による解説には、マキシモ・ロルダンは1928年に初登場したという旨の記述がある。アメリカでは『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1944年11月号にアンソニー・バウチャーの翻訳で「The Stickpin」が掲載されたのが最初の紹介だったそうだ(おそらく1928年初登場というのは、この『EQMM』に書いてあったことなのだろう)。

 マキシモ・ロルダン・シリーズやその作者であるアントニオ・エルについて記述した日本語文献は、あるのかもしれないが見たことがない。そこで、2004年にアメリカで刊行されたダレル・B・ロックハート編『ラテンアメリカ・ミステリ作家ガイド』(Darrell B. Lockhart編『Latin American Mystery Writers: An A-to-Z Guide』、Greenwood Pub Group)(邦訳なし)を見てみることにしよう。この本はラテンアメリカのミステリ作家54人の経歴を紹介した本で、2005年のエドガー賞最優秀評論・評伝賞にノミネートされている(同書で紹介されている54人の作家の一覧は「こちら」でまとめました)。アントニオ・エルについての記述はpp.105-108にあり、このうち前半のpp.105-106が運よくGoogleブックスで読めるようになっている(現物は持っていません)。

 同書によると、アントニオ・エル(Antonio Helú、1900-1972)はメキシコの作家。1900年にメキシコのサン・ルイス・ポトシに生まれ、1920年代半ばに小説の創作を始めた。マキシモ・ロルダン(Máximo Roldán)の初登場作品がいつ発表されたのかということは残念ながら(Googleブックスで見られる範囲には)記述がない。これについては、1928年に初登場したという前記の情報を信頼しておこう。マキシモ・ロルダン・シリーズは全部で7編(短編6編と短めの長編『殺人の報酬』)があるそうだが、『クイーンの定員』に選ばれた1942年刊の作品集『殺人の報酬』の収録作がこの7編と一致するのかは分からない。マキシモ・ロルダンは元々は普通の社会人だったのだが、第1作で犯罪に手を染めて逮捕され、第2作で脱獄する。これはアルセーヌ・ルパン・シリーズの第1作が「アルセーヌ・ルパンの逮捕」、第3作が「アルセーヌ・ルパンの脱獄」なのとそっくりである。「メキシコのアルセーヌ・ルパン」という形容はまさにその通りのようだ。

 ちなみに、マキシモ・ロルダンの「ロルダン」(Roldán)は、スペイン語で「泥棒」を意味する「ladrón」のアナグラムになっている。このことを最初に指摘したのは、アメリカにおけるラテンアメリカミステリ研究のパイオニアであるドナルド・A・イェイツだそうだ。

 Googleブックスで見られるpp.105-106では、マキシモ・ロルダン・シリーズの7編のうち6編のタイトルしか示されていない。そこでその6編のタイトルを検索窓に打ち込んで検索してみたところ、残る1編のタイトルも見つかった。以下の7編のうち、星マーク(★)をつけたのがシリーズ中の代表作で、アンソロジー等によく収録されるという。

  • マキシモ・ロルダン・シリーズ一覧(邦訳なし)
    • 短編
      • Un clavo saca a otro clavo (One good turn deserves another)
      • El hombre de la otra acera (The man on the opposite sidewalk)
      • El fistol de corbata (The tie pin) ★
      • Piropos a medianoche (Piropos at Midnight) ★
      • Cuentas claras (このタイトルだけは『ラテンアメリカ・ミステリ作家ガイド』で未確認)
      • Las tres bolas de billar (The three billiard balls) ★
    • 短めの長編
      • La obligación de asesinar (The obligation to murder または The compulsion to murder)(殺人の報酬)

 この7編のうち、短めの長編である『殺人の報酬』にはなんとマキシモ・ロルダンは登場しないのだという。この作品の主人公を務めるのはロルダンのワトソン役であるカルロス・ミランダ(Carlos Miranda)で、マキシモ・ロルダンは名前が言及されるだけなのだそうだ(カルロス・ミランダはロルダンのワトソン役とされているが、単にロルダンの相棒・助手という意味なのか、それともロルダンの活躍譚の語り手まで務めているのかは分からない)。カルロス・ミランダが殺人事件の濡れ衣を着せられてしまうというのがこの作品の発端で、非常に気になることに、「この作品は古典的な密室物で、その謎は論理的な推理によって解かれる」*注と解説されている。まさか密室物だったとは! メキシコの怪盗紳士マキシモ・ロルダン・シリーズ、ぜひいつか邦訳が出てほしいものである。

  • 注:原文 The story is a classic locked-room puzzle-narrative in which the crime is solved through logic and deductive reasoning.

 『ラテンアメリカ・ミステリ作家ガイド』によれば、アントニオ・エルのほかの作品では、死刑囚の一人称で語られる短編「死刑前日」(Un día antes de morir)が屈指の出来であるという。彼は2件の殺人事件の犯人として死刑判決を受けたが、実はこのうち彼が実際に関わったのは片方だけで、しかもそれは正当防衛に近いものだった。彼の主張は誰にも受け入れられなかったが、死刑の前日、彼は手記の形で真実を書き残すことを決意する――というストーリーだそうだ。


ラテンアメリカ編(2)ホームズ風の特徴を多数持っているというブラジルのドクター・レイテ

邦訳なし

 「ラテンアメリカ編」で紹介するのがメキシコの怪盗紳士マキシモ・ロルダンの1人だけでは格好がつかないので無理矢理2人目を探してみたが、書けることが実はあまりない。

 今までに紹介してきた「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァル」たちよりだいぶ遅くの登場だが、ブラジルでは1950年代、ルイス・ロペス・コエーリョ(Luiz Lopes Coelho、1911-1975)という作家がドクター・レイテ(ポルトガル語表記 Doutor Leite / 英語表記 Doctor Leite)というブラジル人の探偵役を創造している。この作家以前にもブラジルでミステリを書いた作家はいたようなのだが、コエーリョ以前の作品は舞台を外国にしていることが多く、探偵役も外国人が務めていた。コエーリョは1950年代から、ブラジルのサンパウロを主な舞台としてブラジル人を探偵役に据えたミステリを書き、現在ではブラジル最初の本格的なミステリ作家だとみなされているようだ。そして、コエーリョが生み出したドクター・レイテは、ホームズ風の特徴を多数持っている……らしい。

 ルイス・ロペス・コエーリョに関する以上の記述は、Webサイト「G. J. Demko's Landscapes of Crime」の「Bloody Murder in Brazil」という記事に基づく。

 ちなみに、『ラテンアメリカ・ミステリ作家ガイド』で扱われている54人の作家のうち、ブラジルの作家はこのルイス・ロペス・コエーリョと、フーベン・フォンセッカ(Rubem Fonseca、1925- )の2人だけである。

 フーベン・フォンセッカ(フーベン・フォンセーカ、フーベン・フォンセカ、ルーベン・フォンセカ、ルベン・フォンセカ などとも表記)は1963年デビュー。『ユリイカ』2000年12月臨時増刊号に掲載の国安真奈「懐疑主義の罠 R・フォンセーカのノワール」によれば、ブラジルでは1964年の軍事クーデター以来厳しい言論弾圧が20年間続いたが、フォンセッカはその弾圧下で「都会の暴力的な人間関係を文字にし続けてきた、おそらく唯一の作家」だという。



最終更新:2012年11月30日 23:30