シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(5) 東アジア編

2012年11月29日

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東アジア編(1)本国でも忘れ去られた上海のシャーロック・ホームズ、曙生(シュシェン)

邦訳:短編1編当サイトで翻刻・公開中

 「ドイツ語圏編」、「北欧編」で見てきたように、戦前の『新青年』には英米やフランスの探偵小説だけでなく、ドイツやオーストリア、ノルウェー、スウェーデン、デンマークなど多様な国の探偵小説が翻訳掲載されていた。そしてなんと『新青年』には、中国の探偵小説も掲載されているのである――と、そんなことをいわれても、当時の中国で探偵小説なんか書かれていたのかといぶかしむ人もいるだろう。実は中国では19世紀末にホームズ・シリーズの翻訳が始まっており、1916年にはホームズ物の全集『福爾摩斯(ホームズ)偵探案全集』(44編収録)も出版されている。そしてそのような状況のなかで、さまざまな作家がホームズにならって中国オリジナルの探偵を誕生させているのである。

 『新青年』1931年新春増刊号に訳載された「無名飛盗(ウー ミン フェイ タオ)」はおそらく1920年代ごろに書かれた作品で、上海の名探偵・ 曙生(シュシェン) が登場している。彼は作中で「東方のホームズ」と呼ばれており、ワトソン役の「私」=羅儀(ローイー)とともに事件の謎を解く(以上の作品名および登場人物名の振り仮名は『新青年』で振られているもの)。作者の 張慶霖 (ちょう けいりん)は1923年に創刊された中国最初の探偵雑誌『偵探世界(ていたんせかい)』などで作品を発表していた作家だが、詳細は不明。中国の推理小説史にも名前が出てこない忘れられた作家である。

 この「無名飛盗(ウー ミン フェイ タオ)」は当サイトで翻刻しているので、興味のある方はぜひお読みになってみてください。


【補足情報】
  • 20世紀初頭の中国で誕生した探偵の代表格は、前述の『福爾摩斯(ホームズ)偵探案全集』(1916年)に訳者の一人として携わった程小青(てい しょうせい、1893-1976)が生み出した名探偵・霍桑(かくそう/フオサン)だろう。程小青は1910年代から1940年代にかけて、霍桑とそのワトソン役である包朗(ほうろう/バオラン)が活躍するシリーズ短編を70編ほど発表している。中国では1980年代以降何度か全集が出ており、作者の程小青は中国推理小説の父とみなされている。この霍桑シリーズ、ある出版社の編集者氏が翻訳出版を企画中だとTwitterでつぶやいていらっしゃったので、遠からず日本でも読めるようになるはずである。
  • Webサイト「翻訳書肆・七里のブーツ」では、霍桑(かくそう/フオサン)シリーズの「別荘の怪事件」(別墅之怪)が全訳されて公開されています。

【曙生(シュシェン)、羅儀(ローイー)の読み方について】
  • 「シュシェン」、「ローイー」というのは新青年で振られている振り仮名をそのまま使ったものだが、曙生(Shusheng)は「シューション」、羅儀(Luoyi)は「ルオイー」とカタカナ書きするのが普通である。

東アジア編(2)台湾で活躍した日本人探偵、真田九郎

日本語作品:シリーズ短編全2編

 20世紀前半の台湾には、「台湾人が中国語で書く探偵小説」以外に、「日本人が日本語で書く探偵小説」、「台湾人が日本語で書く探偵小説」があった。1930年代には 福田昌夫 という経歴不詳の人物が、台湾の鉄道従事員を対象にした専門誌『台湾鉄道』に探偵小説を5編発表している(そのため、福田昌夫自身も台湾の鉄道従事員だと推定されている)。そのうち、「二将軍の壁画」(1935)と「魔の椅子事件」(1935)の2編に登場するのが、素人探偵の 真田九郎 である。この探偵は作中で、ホームズやルパンを地で行くような人物だと描写されている。

  • 真田九郎シリーズ
    • 「二将軍の壁画」(『台湾鉄道』1935年2月号・3月号、全2回連載)
    • 「魔の椅子事件」(『台湾鉄道』1935年8~12月号、全5回連載)
      • 2編とも中島利郎編『「台湾鉄道」作品集 一』(緑蔭書房、2007年2月)に収録 ※当時の誌面をスキャンしてそのまま掲載した本

 「二将軍の壁画」は福田昌夫の『台湾鉄道』に載った最初の作品であり必ずしも出来はよくないが、「魔の椅子事件」の方はさまざまなサスペンスが盛り込まれていて飽きさせない、探偵小説の佳作である。この作品では、台湾のある旧家に先祖代々伝わる古い椅子があり、一族が三代にわたってその同じ椅子の上で変死しているという謎に、素人探偵の真田九郎と語り手の「私」が挑んでいる。

 素人探偵の真田九郎は、台湾の南門町の下宿に住んでおり(魔の椅子事件)、台湾に来る前は東京に住んでいた(魔の椅子事件)。職はないが、金に困っている様子はない(魔の椅子事件)。また「二将軍の壁画」では、語り手のK弁護士(「魔の椅子事件」の「私」とは別人)により以下のように描写されている。

何んという奇怪なそして恐るべき青年でしょう。私は今度こそは、はっきりと彼を観察しました。一見すると二十二三の銀行員か資産家の若主人といった上品な、お坊っちゃんらしい()()腰の青年ですが、眼は鋭く理知的に閃めいて会話中時によると二十六七か或は三十前後にも見えたり、笑ったり等すると、今度は十七八の少年にも見えるのです。顔立整った好男子で、今朝ほどお秀が彼に見つめられて赤くなったのも成程と頷けるのです。背は高くなく五尺三寸位【約160cm】でしょう。私は果然この青年に好意が持てるようになりましたばかりか尊敬の念さえ湧き起って、ファンがスポーツマンに対する時と同じような親しみと憧憬を抱くようになってしまったんです。

聞けば聞く程、真田青年の推理力……探偵力というんでしょうか、その才能は誠に恐るべきではありませんか、何処から嗅ぎ出したか知らないが、我々だって到底知るを得ない秘密を探知して王悪【おう あく、登場人物の名前、悪人】等から五千円という金を獲得したのです。アルセーヌルパンかホーム(ママ)を生地で行くという天才的な探偵イヤ或は悪人かもしれないんです。

どうです。何んと恐るべき青年ではありませんか、日本のルパン、いやルパン以上です。私は其後彼とは逢いませんが、いつか又彼と相見ることが出来るだろうことを信じています。

 福田昌夫は「二将軍の壁画」と「魔の椅子事件」の間に「港町の殺人事件」(1935年4~6月号、全3回連載)を、「魔の椅子事件」のあとに「山は裁く」(1936年2~7月号、全6回連載)を発表しているが、これらには真田九郎は登場しない。この2作品も『「台湾鉄道」作品集 一』で読むことができる。また、1939年5月号では「久太夫捕物帳 返討雨隅田堤」を発表しているが、未見。福田昌夫の探偵小説は以上の5編である。その後福田昌夫は、1939年から1942年にかけて『台湾鉄道』誌上で4編の一般小説を発表している。このうち、長編恋愛小説『若き者の領域』(1940年1月号~1941年1月号、全12回連載[1940年9月号は掲載なし])と、戦争を背景とする小説「亜細亜の土」(1942年3-6、8、10月号、全6回連載)の2編は、中島利郎編『「台湾鉄道」作品集 二』(緑蔭書房、2007年2月)で読むことができる。

 なお、「魔の椅子事件」には以下のような一文がある。語り手の「私」が古井戸に落ちてしまったシーンである。

江戸川乱歩の「暗に蠢く」という小説にも光りと音とを奪われて暗の地下室に監禁される場面があるが、それは凡て作者の想像の所産であると考えていたのだが、光りを失った今の私にとっては、偽ることの出来ぬそれは切実な経験であることが判った。

 この一文を読むと、福田昌夫が江戸川乱歩の『闇に蠢く』(1926年『苦楽』連載、1927年に三章分を加筆して完結・単行本化)を読んでいたことが分かる。

【補足情報】
  • 『台湾鉄道』には1934年1月号から4月号にかけて、臍皮乱舞(ほぞがわ らんぶ?)・大舌宇奈児(おおした うなる?)・無理下大損(むりした おおそん?)・正気不女給(まさき ふじょきゅう?)というどこかで聞いたような名前の4人によるリレー探偵小説「連作怪奇探偵小説 木乃伊の口紅」も掲載されている。執筆陣の名前は、それぞれ江戸川乱歩、大下宇陀児、森下雨村、正木不如丘のもじりだろう。この作品では犯人当て懸賞まで実施されているが、はっきり言って出来の良い作品ではない。この作品も、中島利郎編『「台湾鉄道」作品集 一』(緑蔭書房、2007年2月)で読むことができる。

  • この節の参考文献
    • 中島利郎「雑誌『台湾鉄道』解説」(『日本統治期台湾文学集成21 「台湾鉄道」作品集 一』緑蔭書房、2007年2月、pp.373-392)
      • 『日本統治期台湾文学集成22 「台湾鉄道」作品集 二』にも同じものが収録されている。
    • 中島利郎編「『台湾鉄道』文芸関係目録(伝統文学は除く)」(『日本統治期台湾文学集成21 「台湾鉄道」作品集 一』緑蔭書房、2007年2月、pp.393-408)

東アジア編(3)韓国の翻案ホームズ譚で探偵役を務める名探偵ペク・リン(白麟)

邦訳:短編1編当サイトで公開中[拙訳]

 19世紀末から20世紀初頭の日本では、欧米の小説は忠実な翻訳ではなく、登場人物や舞台を日本化して人々になじみやすいようにした「翻案」で紹介されることも多かった。たとえば、シャーロック・ホームズが初登場する作品である『緋色の研究』(1887)が1899年に『血染の壁』として翻案されたとき、ホームズは「小室泰六」、ワトソンは「和田進一」となっていたそうである。また、同じく『緋色の研究』の翻案である『神通力』(1906)では、ホームズは「堀見猪之吉」、ワトソンは「和田真吉」となっているという。

 日本の探偵雑誌『ぷろふいる』で1935年にデビューし、その後韓国(朝鮮)に帰って探偵作家として活躍した 金来成(キム・ネソン) (1909-1957)は、1930年代から40年代にかけてホームズ物の翻案を何編か手掛けている。そのうちの1編が、1939年に雑誌『朝光』(ちょうこう/チョグァン)に掲載された「深夜の恐怖」である。原典は「まだらの紐」(1892)だが、金来成(キム・ネソン)が英語の原典から翻案したのか、日本語訳をもとにして翻案したのかは分からない。当サイトではこの作品を日本語訳し、公開している。


 この作品ではホームズは ペク・リン(白麟) 、ワトソンはキム・ジュンという名前になっている(キム・ジュンの「キム」は「金」だと思うが、「ジュン」の漢字表記は不明)。韓国でのシャーロック・ホームズ受容史なども同ページにまとめておいた。「東南・南アジア編」で紹介した名探偵サンシャーがホームズ譚の翻案のみならずオリジナルの活躍譚も有していたのとは違って名探偵ペク・リンにはオリジナルの話はないので、「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち」の一人として紹介するのはおかしいのだが、せっかく訳したのでここで一緒に紹介させていただく。

 ところで、殊能先生が以前にサイトで、以下のような冗談企画案を書いていた。

『世界シャーロック・ホームズ全集 全1巻』

 ビルマ(現ミャンマー)のシュエウダウンをはじめとする、世界各国のホームズ翻案小説のアンソロジー。8編収録されているが、内容はすべて「まだらの紐」。
(サイトは現在は消えてしまっているが、Internet Archiveで一応該当ページは見ることができる[2002年12月26日にInternet Archiveに保存されたページ])

 少なくとも、韓国に「まだらの紐」の翻案作品があることは分かった。ミャンマーにもきっとあるだろう。タイでもインドネシアでも、1910年代~30年代にはホームズ物の翻訳・翻案が盛んに行われたそうだ。欧米ではどうだったのだろう? 果たしてこの企画が実現する日は来るのだろうか。

  • 20世紀初頭のタイとインドネシアでのホームズ翻訳・翻案事情は以下の論考に詳しい
    • 宇戸清治「タイ・ミステリーの過去と現在」(チャッタワーラック『アジア本格リーグ2 二つの時計の謎』[講談社、2009年9月]巻末解説、pp.275-283)
    • 柏村彰夫「インドネシアの推理小説」(S・マラ・Gd『アジア本格リーグ5 殺意の架け橋』[講談社、2010年3月]巻末解説、pp.387-395)