2012年9月20日
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2002年、ミステリの売り上げに占める日本作品の割合は1.1%
日本の推理小説の韓国での翻訳出版は1960年代に始まり、1970年代~80年代には
松本清張や
森村誠一、
梶山季之の作品が人気を集めた。そして1990年代には
島田荘司の『占星術殺人事件』や
綾辻行人の館シリーズ(6作目まで)、
赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズ、
大沢在昌の『相続人TOMOKO』および新宿鮫シリーズ(4作目まで)、
桐野夏生の『顔に降りかかる雨』、『OUT』、
高村薫の『マークスの山』、『照柿』、
森博嗣のS&Mシリーズの第3作『笑わない数学者』などが翻訳出版されたりしたが、英米のミステリと比べれば翻訳出版数はあまり多くなく、韓国における日本の推理小説の存在感はまだそれほど大きくなかったようである。韓国大手の書店チェーン教保文庫のデータによれば、教保文庫の2002年のミステリ小説の売り上げは英米の作品が86パーセント、韓国の国産作品が7パーセントを占めており、売り上げに占める日本の作品の割合は1.1パーセントに過ぎなかった(参照:中央日報2012年6月19日「
国別に楽しむ推理小説」※リンク先韓国語)。
日本ミステリの翻訳の急増
日本ミステリの翻訳出版数が急増するのは2006年・2007年ごろからである。韓国推理作家協会が年間のミステリ出版点数を2006年から記録しているので、元言語別のデータを見てみよう。
韓国におけるミステリの年間出版点数(韓国推理作家協会『季刊ミステリ』34号[2011年冬号]より)
|
英語圏 |
日本 |
韓国 |
その他 |
合計 |
2006年度 |
77 |
32 |
20 |
18 |
147 |
2007年度 |
111 |
72 |
17 |
35 |
235 |
2008年度 |
103 |
96 |
27 |
41 |
267 |
2009年度 |
125 |
98 |
38 |
33 |
294 |
2010年度 |
113 |
125 |
32 |
32 |
302 |
2011年度 |
90 |
95 |
44 |
49 |
278 |
※毎年末に刊行の『季刊ミステリ』冬号にデータが掲載されるため、集計期間はそれぞれ前年12月~当年11月である。
※広義のミステリ。また、復刊や新訳も含まれる。
これを見ると、まずミステリの出版点数自体が2006年以降急増していることが分かる(残念ながらそれ以前のデータがないので、この「急増」が正確にいつ始まったのかは分からない)。2006年におよそ150点だった出版点数が3年後の2009年には年間約300点と倍になっている。その中でも特に伸びが見られるのは日本ミステリの出版点数である。2006年に韓国で翻訳出版された日本ミステリは32点だったが、それが翌年には72点と倍以上になり、そしてその翌年には100点近くに達している。
いくら日本ミステリの翻訳出版数が伸びているとはいえ、それでも韓国では英語圏のミステリの翻訳出版数の方が多い――と、少し前までは説明していたのだが、つい最近になってやっと2010年と2011年のデータを手に入れたところ、ついに2010年には日本ミステリの翻訳出版数が英語圏ミステリの翻訳出版数を上回ったということが分かった。もっともそんなに大差がついているわけではないので、韓国では英語圏と日本のミステリの翻訳出版数が均衡していて、どちらもだいたい年間100点ほど出版される、とここ数年の傾向をまとめてもいいだろう。
気になるのは、2006年以来上昇傾向にあったミステリ全体の出版点数が2011年に減少に転じていることである。英語圏ミステリも日本ミステリも出版数が減少している。これは一時的なものなのか、それともこのまま減少の傾向が続いてしまうのか、気になるところである。全体的な減少の中で非英語圏ミステリの翻訳出版数が増加しているが、これは北欧やドイツのミステリの翻訳出版が増えているためである。
韓国の国産ミステリの割合は毎年10パーセント台である。1980年代初頭から1990年代初頭にかけて、韓国ではキム・ソンジョン(金聖鍾)を筆頭とする国内作家が人気を集め、国産ミステリが比較的好調な時期が続いた。それがアジア通貨危機(1997年)などによる出版不況で低迷期に入るのが1990年代後半のことである。作品を発表できる機会が少なくなり、新人がデビューするための道も閉ざされ、ミステリ市場における国産作品の存在感は低下していった。有望な新人が出るなどして韓国の国産ミステリが復活の兆しを見せ始めたのはここ数年のことである。
- ちなみに韓国では現在、年間600点ほどのペースでライトノベルが出版されている。そのうち、日本のライトノベルの翻訳が占めるのは約530~540点で、残りの約60~70点が韓国の国産ライトノベルである。詳細は「韓国におけるライトノベルの年間出版点数と歴史」参照。
人気・評価の高い作品は?
日本のどの作家の作品が訳され、どの作品の人気・評価が高いのかを知るには、日本ミステリのファンが集う韓国のWebサイト「日本ミステリを楽しむ」が参考になる。このサイトでは2007年以降、日本ミステリの年間ランキングを決定するためのアンケートを毎年実施している。
韓国のWebサイト「日本ミステリを楽しむ」の日本ミステリランキング
|
2007年 |
2008年 |
2009年 |
2010年 |
2011年 |
1位 |
『暗黒館の殺人』綾辻行人、『ZOO』乙一 |
『贄の夜会』香納諒一 |
『告白』湊かなえ |
『密室殺人ゲーム王手飛車取り』歌野晶午 |
『奇想、天を動かす』島田荘司 |
2位 |
- |
『インシテミル』米澤穂信 |
『警官の血』佐々木譲 |
『首無の如き祟るもの』三津田信三 |
『山魔の如き嗤うもの』三津田信三 |
3位 |
『殺戮にいたる病』我孫子武丸 |
『倒錯のロンド』折原一 |
『私が殺した少女』原尞 |
『名探偵の掟』東野圭吾 |
『カラスの親指』道尾秀介 |
4位 |
『OUT』桐野夏生 |
『GOTH リストカット事件』乙一 |
『天使のナイフ』薬丸岳 |
『沈黙の教室』折原一 |
『密室殺人ゲーム2.0』歌野晶午 |
5位 |
『チーム・バチスタの栄光』海堂尊 |
『楽園』宮部みゆき |
『生ける屍の死』山口雅也 |
『冤罪者』折原一 |
『追想五断章』米澤穂信 |
こうして見ると、日本の最新の話題作が軒並み翻訳されていることが分かる。
最も多く作品が翻訳されている作家は?
ランキングを見るだけでは分からないが、21世紀以降の日本ミステリの翻訳出版ブームで最も多く作品が翻訳されているのは東野圭吾と宮部みゆきだろう。東野圭吾は1999年に『秘密』が翻訳されたのが最初で、以来2011年末までに約50点の翻訳書が出ている。特に2007年から2009年にかけては年間平均9点というペースで翻訳書が出版されていた。東野圭吾の代表作の一つである『白夜行』が日本より早く韓国で映画化されたということにその人気が伺える。ほかに『容疑者Xの献身』も韓国で映画化の予定である(2012年10月公開予定)。宮部みゆきは2000年に『火車』が翻訳されたのが最初で、2011年末までに約40点の翻訳書が出版された。『火車』は韓国で映画化されている。なお韓国では東野圭吾は「ヒ先生」、宮部みゆきは「ミミ女史」という愛称で呼ばれることもある(一応説明しておくと、「ミ」ヤベ・「ミ」ユキのようにイニシャルを取っているわけである)。韓国のミステリファンの方に聞いてみたところ、この種の愛称で呼ばれるのは今のところこの二人だけだそうである。
ミステリ作品の割合はそれほど多くないが、
恩田陸も2005年に『夜のピクニック』が訳されて以来、40点ほどの翻訳書が出ている。その人気のほどは、2001年にデビューした韓国のファンタジー作家のチョ・ソニ(조선희)が近年、「韓国の恩田陸」と呼ばれるていることにも伺える。「韓国の恩田陸」という呼び方は今では出版社も使っているが、最初に使い出したのが読者たちなのか、それともそもそも出版社側が使い始めたものなのかは分からない。韓国にはほかに、「韓国の東野圭吾を夢見る若い作家の誕生!」という売り文句でデビューしたヤン・ジヒョン(양지현、1983年生)という作家もいるが、2010年のデビュー作『
記憶は眠らない』以降、新作は刊行されていない。「韓国の宮部みゆき」と呼ばれている作家はいないようである。
主なミステリ作家の翻訳状況
2011年に韓国で出版された日本ミステリで、ファンの間で最も高い評価を得たのは島田荘司の『奇想、天を動かす』だった(上で示したランキング参照)。なおこの作品は、2011年に韓国で出版された全ミステリ小説を対象とするランキングでも1位に輝いている。
韓国のミステリ情報サイト「ハウミステリ」(How Mystery)のミステリランキング
順位 |
タイトル |
作者 |
国 |
年 |
1位 |
奇想、天を動かす |
島田荘司 |
日本 |
1989年 |
2位 |
死んだギャレ氏 |
ジョルジュ・シムノン |
ベルギー |
1931年 |
ラスト・チャイルド |
ジョン・ハート |
アメリカ |
2009年 |
4位 |
パイは小さな秘密を運ぶ |
アラン・ブラッドリー |
カナダ |
2009年 |
5位 |
精神自殺(*仮) |
ト・ジンギ(都振棋) |
韓国 |
2011年 |
6位 |
フランス白粉の謎 |
エラリー・クイーン |
アメリカ |
1930年 |
7位 |
山魔の如き嗤うもの |
三津田信三 |
日本 |
2008年 |
8位 |
白雪姫には死んでもらう(*仮) |
ネレ・ノイハウス |
ドイツ |
2010年 |
9位 |
弁護側の証人 |
小泉喜美子 |
日本 |
1963年 |
戻り川心中 |
連城三紀彦 |
日本 |
1980年 |
シャーロック・ホームズのライヴァルたち |
チョン・テウォン編訳 |
英米 |
- |
島田荘司は中国語圏で高い評価を受け、台湾でも中国でも作品が軒並み翻訳されている。一方で、実は韓国ではまだあまり翻訳が進んでいない。1990年代に『占星術殺人事件』が『顔のない時間』、『アゾート』、そして原題通りの『占星術殺人事件』とタイトルを変えて三度刊行されていたというのは「
韓国ミステリ史 第四章」で述べた。その後、2006年に『
占星術殺人事件』が新訳で刊行され、2007年に『
魔神の遊戯』、2008年に『
龍臥亭事件』、2009年に『
斜め屋敷の犯罪』、2010年に『
異邦の騎士』が翻訳され、それに続く6作目の翻訳紹介作として2011年2月に刊行されたのが『
奇想、天を動かす』である。この作品の評価が高かったこともあってか、その後島田荘司作品は2012年9月現在までにさらに5作品が翻訳出版されている。
翻訳書が10点以上出ている作家
さて、そのほかの作家の翻訳状況だが、挙げていけばきりがないので、翻訳書が10点以上出版されている作家をまず見てみよう(ここでは近年の翻訳ブームについて記述しているので、主に1990年代までに翻訳され、その後はほとんど翻訳されていない作家[たとえば森村誠一や西村京太郎、笹沢左保ら]については言及しない)。
綾辻行人、有栖川有栖、折原一はそれぞれ翻訳書が10点ずつ出ている。
綾辻行人の作品は、まず1997年に《館シリーズ》の最初の6作品(十角館、水車館、迷路館、人形館、時計館、黒猫館)が翻訳刊行されたが、売れ行きが振るわずすぐに絶版になってしまった。しかし数年経つとミステリマニアの口コミで評判が広まっていく。2005年に『
十角館の殺人』と『
時計館の殺人』が復刊され、2007年にはシリーズ第7作『
暗黒館の殺人』が翻訳された。《館シリーズ》はその後、2011年1月に『
迷路館の殺人』、2012年3月に『
水車館の殺人』が新訳で刊行されたが、『人形館の殺人』と『黒猫館の殺人』についてはまだ入手不可が続いている。シリーズ第8作『びっくり館の殺人』は訳されていないが、最新のシリーズ第9作『奇面館の殺人』は2012年内には翻訳刊行される予定である。また、『黒猫館の殺人』の復刊(新訳?)と《囁きシリーズ》の第1作『緋色の囁き』の翻訳出版も予告されている。《館シリーズ》以外では『
霧越邸殺人事件』、『
殺人方程式』、『
Another』が翻訳されている。
松本清張と赤川次郎についてはのちほど扱う。
その他の作家
まず、翻訳書が7点~9点ほど出ている作家を目についた限りで挙げていく。
以下は、ページ作成者の趣味で新本格作家やメフィスト賞作家の翻訳状況について。
旧作の翻訳は?
横溝正史とその他の探偵作家
翻訳されるのは比較的新しい作品が多く、1970年代以前の作品の翻訳は毎年数えるほどである。そんな中で、
横溝正史の金田一耕助シリーズは韓国で異例の人気を得ている。エキサイトニュースの記事「
韓国で今、横溝正史がヒットするワケ」(2008年10月17日)によれば、韓国では漫画『金田一少年の事件簿』の人気が先にあって、その結果「金田一耕助って誰?」ということで横溝人気に火がついたのだという。同記事によると、『犬神家の一族』は韓国では発売から1か月半で1万6000部を販売している。『犬神家の一族』発売の1か月後に刊行されたジャンル小説誌
『ファンタスティーク』18号(2008年10月号)では横溝正史特集が組まれている。2005年から2012年9月現在までに、韓国・時空社から翻訳出版された金田一耕助シリーズ作品は順に『
獄門島』、『
八つ墓村』、『
悪魔の手毬唄』、『
犬神家の一族』、『
悪魔が来りて笛を吹く』、『
夜歩く』、『
女王蜂』、『
三つ首塔』、『
本陣殺人事件』(「車井戸はなぜ軋る」、「黒猫亭事件」併録)の9点である。
江戸川乱歩の作品は中国では海賊版も含めれば軒並み翻訳されており、紹介が遅れていた台湾でも2010年から2012年にかけて島崎博氏監修の全13巻の《江戸川乱歩作品集》が刊行された。一方、韓国では2008年から2009年にかけてちくま文庫の『江戸川乱歩全短篇』(全3巻)が翻訳されているというのは乱歩ファンとして嬉しいが、ほかに韓国で出ているのは長編『孤島の鬼』および、『陰獣』を表題作とする短編集(「陰獣」+新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』に収録の9編)ぐらいである。
2005年には
小栗虫太郎『
黒死館殺人事件』が翻訳され、2011年には
新訳版も出た。2008年には
夢野久作『
ドグラ・マグラ』が翻訳されている。三大奇書の残りの1冊である
中井英夫『
虚無への供物』は2009年に翻訳された。なお、四冊目の奇書とされる
竹本健治『匣の中の失楽』は、韓国推理作家協会の理事などを務めたミステリ評論家・翻訳家のチョン・テウォン(鄭泰原、1954-2011)氏による翻訳が完成しているらしく、数年前には出版が予告されていたが、いまだに出版されていない。
夢野久作はほかに、2011年に『
少女地獄』が出ている。収録作は角川文庫の『少女地獄』と同じである。ほかに戦前の探偵作家では、2009年に
小酒井不木の短編集『
恋愛曲線』、2010年に
岡本綺堂の『
半七捕物帳』、2012年に
甲賀三郎の短編集『
血液型殺人事件』が出ている。
松本清張と赤川次郎
松本清張は1970年代~80年代にはよく訳されたが、近年では代表作しか入手できない状態が続いていた。2012年2月からは推理小説の出版社ブックス・フィアーと歴史小説の出版社モビーディックが手を組み、松本清張の著作を翻訳刊行している。両社で計30点ほどが出版される予定である(2012年9月までで既刊5点)。
その他
2010年には
鮎川哲也『
りら荘事件』が翻訳されている。鮎川哲也の韓国語訳書は今のところこの1点のみである。また2011年には、日本で2009年に復刊されて話題を集めたことが影響したのか、
小泉喜美子の『
弁護側の証人』が訳されている。
泡坂妻夫は2010年に『
亜愛一郎の狼狽』、2012年に『
亜愛一郎の転倒』が訳された。
連城三紀彦は2011年に初期作の『
戻り川心中』と『
夕萩心中』が訳されており、ほかに2011年に『
美女』、『
白光』、2012年に『
造花の蜜』が訳されている。
関連記事
- 韓国ミステリ史
- 第一章 (20世紀初頭~1930年代)
- 第二章 (1940年代~1960年代)
- 第三章 (1970年代)
- 第四章 (1980年代~20世紀末)
- 第五章 (21世紀) ※未公開
最終更新:2012年09月21日 20:12