スペイン語圏・ポルトガル語圏推理小説略史

2012年5月2日

 「スペインのミステリ小説」と聞いて多くの人が最初に思い浮かべるのは、最近ではおそらく、カルロス・ルイス・サフォン(1964- )の『風の影』(邦訳2006年)や『天使のゲーム』(邦訳2012年)ということになるだろう。2006年に邦訳された『風の影』は『IN☆POCKET』の文庫翻訳ミステリー・ベスト10で第1位、『週刊文春』のミステリーベスト10で第2位、『このミステリーがすごい!』で第4位と高評価を得た。あるいは、ホセ・カルロス・ソモサ(1959- )の『イデアの洞窟』(邦訳2004年)を思い浮かべる人もいるかもしれない。古代ギリシアでの殺人事件を描いたこの怪作は、『本格ミステリ・ベスト10』で第7位、『週刊文春』のミステリーベスト10で第9位という評価を得た。

 このようなヒット作、高評価作もあるとはいえ、スペインミステリの邦訳はあまり多くない。早川書房の“ポケミス”ではフランスやドイツ、イタリア、ロシア(ソ連)の作品、さらにはポーランドや北欧の作品も刊行されているが、スペインの作品が刊行されたことはない。ただ、ポケミスではメキシコの作品が刊行されたことはある。メキシコはいうまでもなく、スペイン語圏の国である。ブラジルを除く中南米のほとんどの国ではスペイン語が公用語になっている、ということもわざわざ説明する必要はないだろう。

 スペイン語を公用語とする中南米諸国のミステリでは、ギジェルモ・マルティネス(1962- )の『オックスフォード連続殺人』(邦訳2006年)やパブロ・デ・サンティス(1963- )の『世界名探偵倶楽部』(邦訳2009年)が日本の新本格ミステリを思わせるとして話題になった(たとえば、原書房『2010本格ミステリ・ベスト10』に掲載の「「海外本格」座談会 長編ミステリの曙からアジア・南米の異色〈新本格〉まで」などを参照のこと)。どちらもアルゼンチンの作品で、前者は『本格ミステリ・ベスト10』で第4位にランクインしている。アルゼンチンの作品ではほかに、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)とアドルフォ・ビオイ=カサーレス(1914-1999)が合作した古典ミステリ『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』(原著1942年/邦訳2000年)も『本格ミステリ・ベスト10』で第1位となっている。

 ボルヘスといえば、2008年には扶桑社文庫で『ボルヘスと不死のオランウータン』というミステリが翻訳出版されている。これも中南米のミステリだが、作者はブラジルのルイス・フェルナンド・ヴェリッシモ(1936- )で、つまりスペイン語ではなくポルトガル語で書かれた作品である。ボルヘスを探偵役に据えたこの衒学的ミステリは2008年度『IN☆POCKET』文庫翻訳ミステリー・ベスト10の「翻訳家&評論家が選んだベスト10」で第7位にランクインした。ポルトガル語圏のミステリの邦訳もやはり少ない。ブラジルではほかにJ・ソアレス(1938- )の『シャーロック・ホームズ リオ連続殺人事件』(邦訳1998年)があるが、ポルトガルのミステリの邦訳というと、ルイス・ミゲル・ローシャ(1976- )の『P2』(邦訳2010年)ぐらいしか見当たらない。

  • このページの作成者はスペイン語・ポルトガル語は読めません。
  • このページは、スペイン語圏およびポルトガル語圏の推理小説について書かれた日本語および英語の文献を元に作成したものです。
  • 邦訳のある作品は『水色』で示しました。


Index

(1)スペインミステリ略史

スペイン古典探偵小説の時代

【この節は2012年9月28日に追加】

 19世紀から20世紀前半にかけてのスペインの探偵小説に関する日本語の文献は見当たらない。パトリシア・ハート(Patricia Hart)の"The Spanish Sleuth: The Detective in Spanish Fiction"(スペインの探偵 : スペインのフィクションにおける探偵物)という本が1987年に出ており、17ページから25ページが"Detective Beginnings in Spain"(スペインの探偵物の始まり)となっているので、まずはそれに従ってスペインミステリの草創期を見てみよう(該当ページはGoogle Booksで閲覧可能)。なお、「G. J. Demko's Landscapes of Crime」という英文サイトでもG・J・デムコ氏がスペインのミステリ事情(Spanish Mysteries)を紹介しているが、明示されてはいないものの、デムコ氏もやはり"The Spanish Sleuth"を参考にしているようである。

 "The Spanish Sleuth"によると、スペイン最初のミステリはペドロ・アントニオ・デ・アラルコン(Pedro Antonio de Alarcón、1833-1891、Wikipedia)が1853年に発表した「釘」(原題 El clavo)だとするのが通説だという。ポーの「モルグ街の殺人」が1841年なので、その12年後の作品ということになる。この作品は戦前に邦訳がある。

  • ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン「釘」
    • 『世界短篇小説大系 探偵家庭小説篇』近代社、1926年、谷口武訳
    • 博文館 世界探偵小説全集第1巻『古典探偵小説集』、1930年、訳者不明 ← 当サイトで全文公開中

 ペドロ・アントニオ・デ・アラルコンはこれ以外にも邦訳が何作品かあるが、その中に探偵小説があるかどうかは未調査。なお、「釘」(英題 The Nail)を表題作とする英訳短編集"The Nail and Other Stories"が1997年に出版されている。

 "The Spanish Sleuth"の記述に従って続けると、イギリスで1887年にシャーロック・ホームズが誕生すると、探偵物の人気はスペインにも到達し、オリジナルの探偵物も書かれるようになる。1909年(1914年とも)にはホアキン・ベルダ(Joaquin Belda、1883-1935、スペイン語版Wikipedia)がスペイン最初の長編探偵小説ともいわれる『誰が撃った?』(¿Quién disparó?)を発表。探偵役を務めるのはガピ・ベルムデス(Gapy Bermúdez)で、そのワトソン役たる語り手は作者と同名のベルダ。ベルムデスは相手が煙草を吸わないことを見抜いたりといったホームズ的ふるまいをするそうだ。ただ、この作品は探偵小説そのものというよりは、探偵小説のパロディという側面が強いらしい。

 そしてこの時期にスペインで探偵物を書いた作家にはエミリア・パルド・バサン(Emilia Pardo Bazán、1851-1921、スペイン語版Wikipedia)のようなスペインの高名な作家もいた。エミリア・パルド・バサンは1911年に短編(または中編?)の「血の滴」(La gota de sangre)という作品を発表している。これは、探偵小説好きのマドリッドの紳士イグナシオ・セルバ(Ignacio Selva)が、身近で起こった殺人事件での自分の無実を証明するため自ら素人探偵となって事件の捜査をするというストーリー。エミリア・パルド・バサンの作品は『スペイン幻想小説傑作集』(白水社、1992年)と『イワシの埋葬 スペイン短篇選集』(彩流社、1996年)に邦訳があるが、ミステリ作品かどうかは未確認である。

 また、"The Spanish Sleuth"によれば、1916年にはエンリケ・ロペス・アラルコン(Enrique López Alarcón)とホセ・イグナシオ・デ・アルベルティ(José Ignacio de Alberti)が脚本を書いた演劇"Sebastián el Bufanda o el robo de la calle de Fortuny"(セバスティアン・エル・ブファンダ、フォルトゥニ通りの泥棒)が上演されている(1918年には出版もされた)。これはセバスティアンという宝石泥棒を主人公にした探偵物である。

 その後、1920年代にはエミリオ・カレーレ(Emilio Carrere、1881-1947、スペイン語版Wikipedia)が探偵小説を発表。1930年代にはE・C・デルマル(E.C. Delmar)がバルセロナを舞台にした長編探偵小説を3編発表しており、1930年代から1940年代にかけてはベンセスラオ・フェルナンデス・フローレス(Wenceslao Fernández Flórez、1885-1964、スペイン語版Wikipedia)も探偵小説を発表したようだ。ベンセスラオ・フェルナンデス・フローレスの邦訳状況については、フヂモト・ナオキ氏の「ウィアード・インヴェンション~戦前期海外SF流入小史~050 スペイン編(その一) ベンセスラオ・フェルナンデス・フローレス/永田寛定訳「真夏の海魔」」(SFファングループTHATTA、オンライン・ファンジン『THATTA ONLINE』283号(2011年11月号))が詳しい。『スペイン幻想小説傑作集』(白水社、1992年)などに邦訳があるが、ミステリ作品の邦訳はなさそうである。

戦後スペインのミステリ作家たち

 ローベール・ドゥルーズ「スペインのミステリー小説」によれば、第二次世界大戦後のスペインで出版されていたミステリは英米作品の翻訳ばかりで、1953年にマリオ・ラクルース(Mario Lacruz、1929-2000、スペイン語版Wikipedia)が『無実』(El inocente)を発表するまで、スペイン国内に特筆すべき作品は生まれなかった。そして1970年代初頭になって、スペインのハードボイルド小説の父とされるマヌエル・バスケス・モンタルバン(Manuel Vázquez Montalbán、1939-2003、Wikipedia)が登場し、スペインのミステリ小説は本当の意味で開花することになったという。モンタルバンの《私立探偵カルバイヨ》シリーズの作品はフランス推理小説大賞(翻訳作品部門)やドイツ・ミステリ大賞(翻訳作品部門)、スウェーデン推理作家協会が優れた翻訳小説に送るマルティン・ベック賞などを受賞しており、スペイン国外でも評価が高い。日本では1980年代に《私立探偵カルバイヨ》シリーズの長編『楽園を求めた男』『死の谷を歩む男』(以上2点、創元推理文庫)、『中央委員会殺人事件』(西和書林)の3作品が翻訳出版されている。

 井上知「世界のミステリ雑誌 各国ミステリ雑誌大紹介 スペイン」によれば、スペインミステリ界の大御所といえば、《私立探偵カルバイヨ》シリーズのマヌエル・バスケス・モンタルバンと、1980年代から《メンデス警視》シリーズを発表しているフランシスコ・ゴンサレス・レデスマ(Francisco González Ledesma、1927-2015、スペイン語版Wikipedia)の二人だという。ゴンサレス・レデスマの作品は邦訳はないようだが、調べてみると2003年のスペイン語ハメット賞を受賞しており、ほかにフランス・ミステリ批評家賞を1993年と2007年の二度受賞していたりと、国境を越えて人気のある作家のようだ。

 なお、バスケス・モンタルバンやゴンサレス・レデスマに先駆けてミステリを発表していた作家にガルシア・パボン(García Pavón、1919-1989、スペイン語版Wikipedia)がいる。田舎の警察署の名物署長プリニオを探偵役とするユーモアミステリを執筆した。邦訳のある『雨の七日間』(1984年、西和書林)はプリニオシリーズの1編である。

 同時期にはほかにどんなミステリ作家がいたのだろうか。ドゥルーズ「スペインのミステリー小説」では、以下5人の推理作家が紹介されている。


 このうち、エドゥアルド・メンドサは『奇蹟の都市』(国書刊行会、1996年)が邦訳出版されているが、これはミステリではなさそうである。メンドサの未邦訳の「mad detective」シリーズは、捜査への協力を条件に精神病院から連れ出された名無しの「mad detective」が探偵役を務める、探偵小説とゴシック小説の雰囲気を併せ持ったパロディ的シリーズであるらしい。シリーズ第1作の"El misterio de la cripta embrujada"は1979年発表。その後、1982年に第2作、2001年にシリーズ第3作を発表。最新のシリーズ第4作"El enredo de la bolsa y la vida"は2012年に刊行された。
 【2013年4月1日追記】翻訳ミステリー大賞シンジケートに掲載された柳原孝敦氏の連載エッセイ「黒、ただ一面の黒」の「第1回 なんだかおかしな黒:エドゥアルド・メンドサ」(2013/04/01)で、この名無しの探偵シリーズの第4作(2012)が紹介されている。柳原氏はシリーズ名を「名もなき探偵」シリーズとし、第1作のタイトルを『魔の地下納骨堂の謎』、第4作のタイトルを『銀行強盗と人生はややこしい』と訳している。

 ドゥルーズ「スペインのミステリー小説」ではほかに、ガルシア、ドミンゲス、レヴェ((ママ))ルテという作家の名も挙げられているが、ファミリーネームしか示されていないので詳細は分からない。

現代スペインのミステリ作家たち

 1990年代にはアルトゥーロ・ペレス・レベルテ(1951- )の作品の邦訳が始まった。

  • アルトゥーロ・ペレス・レベルテのミステリ作品の邦訳
    • 原著1990年:『フランドルの呪画(のろいえ)』(1995年、集英社/2001年、集英社文庫)
    • 原著1993年:『呪(のろい)のデュマ倶楽部』(1996年、集英社) - 映画化に合わせて『ナインスゲート』に改題して文庫化(2000年、集英社文庫)
    • 原著1995年:『サンタ・クルスの真珠』(2002年、集英社)
    • 原著2002年:『ジブラルタルの女王』(上下巻)(2007年、二見文庫)
    • 原著2006年:『戦場の画家』(2009年、集英社文庫)

 ペレス=レベルテはジャーナリスト出身の小説家。上に示した歴史ミステリ小説の邦訳のほか、少年向け歴史小説シリーズ《アラトリステ》の邦訳がある(《アラトリステ》邦訳版公式サイト)。『呪のデュマ倶楽部』は1999年にフィンランド・ミステリ協会賞(外国作家部門)を受賞している。

 カルロス・ルイス・サフォン(1964- )が2001年に発表した『風の影』は2006年に集英社文庫で邦訳版が出ると、《『IN☆POCKET』文庫翻訳ミステリー・ベスト10》第1位、《『週刊文春』ミステリーベスト10》第2位、『このミステリーがすごい!』第4位など高い評価を得た。2012年7月には同シリーズの第2弾『天使のゲーム』(集英社文庫)も邦訳されている(2012/07/20加筆)。こちらは《『IN☆POCKET』文庫翻訳ミステリー・ベスト10》で第2位、『このミステリーがすごい!』で第9位、《『週刊文春』ミステリーベスト10》で第10位にランクインした。

 ほかに21世紀に入ってからは、ホセ・カルロス・ソモサ(1959- )の『イデアの洞窟』(邦訳2004年、文藝春秋)やフリア・ナバロ(1953- )の『聖骸布血盟』(邦訳2005年、ランダムハウス講談社文庫)、フアン・ボニージャ(1966- )の『パズルの迷宮』(邦訳2005年、朝日出版社)、サンティアーゴ・パハーレス(1979- )の『螺旋』(邦訳2010年、ヴィレッジブックス)、『キャンバス』(邦訳2011年、ヴィレッジブックス)が出ている。ホセ・カルロス・ソモサは別の作品で2002年のスペイン語ハメット賞を受賞している。
 また、フランシスコ・アヤラ『仔羊の頭』(邦訳2011年、現代企画室)に収録の短編「言伝(メンサヘ)」はミステリの手法を使った作品だという(参照:逢坂剛による書評「スペイン内戦の悲惨  鋭く描く」朝日新聞2011年5月29日)。

 ここ数年、北欧ミステリが日本ミステリ界を席捲している。スペインやポルトガル、イタリア、ギリシャなどの南欧ミステリが日本ミステリ界を席捲する日は来るのだろうか。

未訳の作家たち

 スペインの最近のミステリ作家にはほかにどんな作家がいるのだろうか。『ミステリマガジン』の洋書案内〈世界篇〉コーナーは非英語圏のミステリを紹介するコーナーで、2008年1月号でコーナーが始まって以来、スペインのミステリ小説が3度紹介されている(「『ミステリマガジン』洋書案内〈世界篇〉で紹介された本とその邦訳状況」参照)。

  • 2009年5月号:スサーナ・フォルテス『クアトロチェント』(2007年) 紹介者:宮崎真紀
  • 2010年9月号:アンヘラ・バルベイ『詩人殺人事件』(2008年) 紹介者:井上知
  • 2011年2月号:ドミンゴ・ビリャール『水の眼』(2006年) 紹介者:井上知 ※スペイン北西部で使用されているガリシア語で執筆する推理作家

 この3人の作家のうち、ドミンゴ・ビリャールは別の作品が2011年の英国推理作家協会インターナショナル・ダガー賞の候補になっている。
 アメリカのミステリ雑誌『Ellery Queen's Mystery Magazine』には非英語圏の短編ミステリを英訳掲載する「Passport to Crime」コーナーがある(2003年6月号開始、毎号掲載)(日本からは法月綸太郎、光原百合、伊坂幸太郎、横山秀夫、長岡弘樹の作品が掲載されている)。全部は調べていないが、スペインの作家では以下の2人が見つかった(2005年1月号~2008年1月号は確認していない)。

  • 2010年9・10月号:Marc R. Soto(1976- 、スペイン語版Wikipedia
  • 2012年3・4月号:Teresa Solana ※スペイン東部で使用されているカタルーニャ語で執筆する推理作家
    • 2012年3・4月号に掲載されたTeresa Solanaの"Still Life No. 41"は、2013年のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)エドガー賞最優秀短編賞にノミネートされた(受賞作の発表は2013年5月2日)。

スペインのミステリ雑誌

 井上知「世界のミステリ雑誌 各国ミステリ雑誌大紹介 スペイン」では2002年創刊のミステリ雑誌『PRÓTESIS』が紹介されている。ほぼ年に1回の発行で、2008年までに6冊刊行されているとこの記事では紹介されているが、グーグル検索と機械翻訳に頼って調べてみると今年の3月には7号が出たようで、かろうじて継続中のようである。なお、「こちら」がこの雑誌のWebサイトのようだ。また、同記事では季刊のWebマガジン『Revista .38』が2008年6月に創刊され、第2号まで刊行されていると紹介されている。誌名で検索するとすぐに「サイト」が見つかったが、どうやら2008年12月の第3号が最後になってしまったようである。

スペインの非スペイン語ミステリ

 ところで、スペインではいわゆる「スペイン語」だけが使用されているわけではない。スペイン語(カスティーリャ語)はスペイン全域の公用語となっているが、それ以外にも、スペイン語によく似た言語であるカタルーニャ語とガリシア語、そしてスペイン語とはまったく系統の異なる言語であるバスク語が地方の公用語となっている。そして今までに何度か言及したが、地方公用語であるカタルーニャ語やガリシア語でもミステリが書かれている(バスク語で書かれたミステリもおそらくあるだろう)。カタルーニャ語版Wikipediaには「カタルーニャの推理小説」(Novel·la detectivesca catalana)というページがあり、カタルーニャ語圏の推理小説の歴史がまとめられている。
 カタルーニャ語で書くミステリ作家の作品の邦訳は、マリア・アントニア・オリベール(Maria Antònia Oliver、1946- 、カタルーニャ語版Wikipedia)の短編「どこにいるの、モニカ」(サラ・パレツキー編『ウーマンズ・アイ』下巻、ハヤカワ・ミステリ文庫、1992年)がある。この邦訳書での著者名表記はマリア・アントニア・オリヴァー。

(2)スペイン語を公用語とする中南米諸国のミステリ

 中南米の多くの国ではスペイン語が公用語になっている。

 早川書房の『ミステリマガジン』では、2012年2月号のアジアミステリ特集が好評だったことを受け、今度は南米やアフリカのミステリの特集を組むことも考えているという(2012年3月号の編集後記参照)。ぜひとも南米ミステリ特集号の実現を期待したいものである。

アルゼンチン

 アルゼンチンの推理小説への日本での言及は、おそらく『探偵作家クラブ会報』第27号(1949年8月)に掲載の記事、島田一男「世界の四隅」が最初だろう。この記事はアメリカのミステリ雑誌『Ellery Queen's Mystery Magazine』の1948年8月号すなわち《世界のミステリ》特集号の内容を紹介するものである。当時『EQMM』で実施されていた短編ミステリ・コンテストでは応募作品の言語を英語に限定しておらず、第3回のコンテストではヨーロッパや南米、さらには日本や中国、フィリピンなど世界各地から応募原稿が集まった。この1948年8月号は第3回コンテストの入選作5作(オーストラリア、アルゼンチン、南アフリカ共和国、ポルトガル、フィリピン)および、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ベルギー、イタリア、ハンガリー、ソ連、チェコスロバキアの9か国の代表作品、計14作品を掲載している。入選作にはエラリー・クイーンによるその国のミステリ事情の紹介文が添えられており、島田一男はそれを抄訳しつつ、いくつかの国のミステリ事情を紹介している。以下にアルゼンチンについての箇所を引用する。

 アルゼンチンでは探偵小説がかなり古い歴史を持っているようである。それは探偵小説というより怪奇小説乃至は幻想小説と称すべきものであるかも知れぬが、アルゼンチン文壇の一つの存在に、謎を中心とした文学が認められていることは事実である。
 コンテストの入選者ジョルジ・ボルゲスの如きも、詩人であり評論家であり、更に探偵作家として既に十余年に亘る名声を維持している。彼は終始一貫迷路を題材にした探偵小説を書き、読者の拍手を浴びているということで、処女作は一九三三年の十一月発表した“迷路の神”【注】そしてコンテストに入選したのは“迷路の花園”――流石に十余年の筆は光り、一番面白く読まされた。

 ここで名前が出てくるジョルジ・ボルゲスというのが、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899-1986、Wikipedia)のことであるのはいうまでもないだろう。第3回短編ミステリ・コンテストに入選したボルヘスの作品は、アンソニー・バウチャーの英訳で『EQMM』に掲載された。引用文中では入選作のタイトルは「迷路の花園」とされているが、今日では八岐(やまた)の園」が一般的な訳である。
 「八岐(やまた)の園」(1941)および、ボルヘスの代表的なミステリ作品である「死とコンパス」(1942)、そして推理小説仕立ての「裏切り者と英雄のテーマ」(1944)の3編は岩波文庫の『伝奇集』で読むことができる。ほかに推理小説仕立ての作品としては、「アベンハカーン・エル・ボハリーおのれの迷宮にて死す」「エンマ・ツンツ」などがある。この2編は『不死の人』(土岐恒二訳、白水社)または『エル・アレフ』(木村榮一訳、平凡社)で読める。『不死の人』と『エル・アレフ』は表題作が違っているが、どちらも短編集"El Aleph"(1949)を訳したものである。

 ボルヘスは推理小説の愛読者で、1943年と1952年には友人のアドルフォ・ビオイ=カサーレス(Adolfo Bioy Casares、1914-1999、スペイン語版Wikipedia)とともに『推理小説傑作選』を編んでいる。収録内容は「本棚の中の骸骨:藤原編集室通信」の「ボルヘス&ビオイ=カサーレス編 『傑作探偵小説集』」で紹介されている。

 1942年、アルゼンチンで『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』(邦訳2000年)という短編ミステリ集が刊行されている。無実の罪で刑務所に捕らえられているドン・イシドロ・パロディを探偵役とする短編を6編収録したもので、著者の名義はH・ブストス=ドメック。当初は秘密にされていたが、これはボルヘスとビオイ=カサーレスの合作ペンネームで、ブストスはボルヘスの曽祖父の名前、ドメックはビオイ=カサーレスの曽祖父の名前だった。日本では長らく邦訳が待望されており、2000年についに邦訳が出ると、『本格ミステリ・ベスト10』で第1位という高い評価を得た。邦訳書の解説によると、ドン・イシドロ・パロディが登場する作品はほかに、二人がB・スアレス=リンチのペンネームで出版した中編小説『死のための計画』(1946年)があるそうだ。この作品も、「一応推理小説という形を取ってはいる」とのこと。二人の合作にはほかに、『ブストス=ドメックのクロニクル』(原著1967年/邦訳1977年、国書刊行会)などがある。

 一方でビオイ=カサーレスには、妻のシルビーナ・オカンポ(Silvina Ocampo、1903-1993、スペイン語版Wikipedia)と合作した長編ミステリ『愛するものは憎む』(Los que aman, odian、1946年)などの作品もあるそうだ。この作品は邦訳はないが、『ミステリマガジン』2010年12月号の洋書案内〈世界篇〉で垂野創一郎氏がレビューを書いている。ビオイ=カサーレスの単著の邦訳には、『モレルの発明』や『脱獄計画』などがある。シルビーナ・オカンポも短編が何編か邦訳されている。

 ボルヘスの親友であったマヌエル・ペイロウ(Manuel Peyrou、1902-1974、スペイン語版Wikipedia)も探偵物の短編集『眠れる刀』(La espada dormida、1945年)やサスペンス・スリラー『薔薇の雷鳴』(El estruendo de las rosas、1948年)を発表しているようだが、これらの作品の邦訳はない。ペイロウの作品の邦訳には、「ジュリエットと奇術師」(『魔術ミステリ傑作選』創元推理文庫、1979年)と、「わが身にほんとうに起こったこと」(『北村薫の本格ミステリ・ライブラリー』角川文庫、2001年 等)がある。

  • 【注】一般的な邦題は「迷宮の神」。この作品は実在しない。ボルヘスは架空の人物の架空の作品に関する書評「ハーバート・クエインの作品の検討」を発表しているが、「迷宮の神」はその書評で言及されている作品で、ハーバート・クエインが1933年11月に発表したとされている推理小説である。クエインのデビュー作でもある。ボルヘスの処女作が「迷宮の神」だと紹介したのはエラリー・クイーンのジョークだったのだろうか。あるいは、応募短編に付した経歴にボルヘス自身がジョークを交えていたのかもしれない。

ボルヘス、ビオイ=カサーレス以後

 ボルヘスやビオイ=カサーレス、ペイロウといったアルゼンチンミステリの草創期の作家たちののち、21世紀になるまでにどのような推理作家がいたのかは分からない。この時期のアルゼンチンのミステリ作品で邦訳されているのは、マルコ・デネービ(Marco Denevi、1922-1998、スペイン語版Wikipedia)が1960年に発表した『秘密の儀式』(Ceremonia secreta)ぐらいだろう。この作品は1968年にイギリスで製作されたスリラー映画『Secret Ceremony』の原作である。邦訳は1985年に西和書林から出ている。

 21世紀のアルゼンチンミステリで邦訳のある作品には、ギジェルモ・マルティネス(Guillermo Martínez、1962- 、Wikipedia)の『オックスフォード連続殺人』(原著2003年/邦訳2006年)、『ルシアナ・Bの緩慢なる死』(原著2007年/邦訳2009年)、パブロ・デ・サンティス(Pablo De Santis、1963- 、Wikipedia)の『世界名探偵倶楽部』(原著2007年/邦訳2009年)がある。

 最近では、「「アルゼンチン・ノワール」の旗手による異色作」という宣伝文句のカルロス・バルマセーダ(Carlos Balmaceda、1954-)『ブエノスアイレス食堂』(原著2005年/邦訳2011年、白水社)が刊行されている。カルロス・バルマセーダは初の長編作品『透視者の祈り』(未訳)で、スペイン語で書かれた新人の長編ミステリの年間最優秀作品に与えられるシルベリオ・カニャーダ記念賞を受賞している。

 アメリカのミステリ雑誌『Ellery Queen's Mystery Magazine』の「Passport to Crime」コーナーで最近英訳紹介されたアルゼンチンの作品には、ボルヘスの「死とコンパス」(2008年8月号[再録?])や、その作品へのオマージュであるChristian X. Ferdinandusの「The Center of the Web」(2008年6月号)がある。Christian X. Ferdinandusは、Christian MitelmanとFernando Sorrentino(英語版Wikipedia)が合作する際のペンネームである。また、「Passport to Crime」コーナーの短編を集めたアンソロジー『Passport to Crime』(2007年1月)にはアルゼンチンからはマルコ・デネービとIsaac Aisembergの作品が収録されている。

 エドゥアルド・サチェリ(Eduardo Sacheri、1967- 、スペイン語版Wikipedia)の2005年の長編小説"La pregunta de sus ojos"は邦訳はないが、2009年に『瞳の奥の秘密』(El secreto de sus ojos)というタイトルで映画化されており、日本でも公開された。このミステリー映画はアカデミー賞の外国語映画賞を受賞している。

アルゼンチン文学のなかのミステリ

 鼓直(つづみ ただし)氏の「今、アルゼンチン文学がおもしろい!」(New Spanish Books JP)によると、メンポ・ヒャルディネジ(Mempo Giardinelli、1947- 、スペイン語版Wikipedia)の『熱い月』(Luna caliente、1983年)やリカルド・ピグリア(Ricardo Piglia、1940- 、スペイン語版Wikipedia)の『現ナマは燃やせ』(Plata quemada、1997年)、マヌエル・プイグ(Manuel Puig、1932-1990、Wikipedia)の『ブエノスアイレス事件』は推理小説に属するといっていい作品だという。このうちリカルド・ピグリアは2011年のスペイン語ハメット賞を受賞している。

メキシコ

 メキシコのミステリの歴史については、佐藤勘治「メキシコ・ミステリ事情:タイボ二世成功の理由」(『ミステリマガジン』1999年3月号)が詳しい。それによれば、メキシコでは1940年代に欧米のミステリが紹介され、メキシコ人による推理小説も発表されるようになった。ロドルフォ・ウシグリ(Rodolfo Usigli、1905-1979、Wikipedia)の『犯罪のリハーサル』(Ensayo de un Crimen、1944年)はメキシコミステリ黎明期の代表作だという。この小説はルイス・ブニュエルが脚色し、『アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生』として映像化されているようだ。
 その後、ラファエル・ベルナル(Rafael Bernal、1915-1972、スペイン語版Wikipedia)がアメリカのハードボイルド小説の影響を受けた作品を発表した。代表作の『モンゴルの陰謀』(El complot mongol、1969年)はメキシコシティの中国人居住区を舞台に、国の要請を受けたメキシコの調査員が中国の関係する国際的陰謀を追う作品だという。
 1970年代になると、初めて商業的に成功をおさめるメキシコ人推理作家が現れる。それがパコ・イグナシオ・タイボ二世(Paco Ignacio Taibo II、1949- 、Wikipedia)である。タイボ二世の作品の邦訳は、《探偵ベラスコアラン・シェイン》シリーズの『三つの迷宮』(邦訳1994年、“ポケミス”で刊行された唯一のスペイン語圏ミステリ)と、ノンシリーズ作品の『影のドミノ・ゲーム』(邦訳1995年、創元推理文庫)がある。タイボ二世は国際推理作家協会の創設メンバーの一人で、二代目の会長にもなっている。国際推理作家協会については後述する。タイボ二世はスペイン語ハメット賞を3度受賞している(1988、1991、1994年)。

 メキシコの作品では、セルヒオ・ピトル『愛のパレード』(邦訳2011年、現代企画室)の日本での宣伝文句が「ナンセンスな不条理、知的な諧謔に満ちた多声的(ポリフォニック)な、瞠目すべき〈疑似〉推理小説」とされている。


キューバ

  • キューバのミステリの主な邦訳
    • ベゴーニャ・ロペス(1923-1989)『死がお待ちかね』(邦訳1989年、文藝春秋)
    • ダニエル・チャヴァリア(1933- )『バイク・ガールと野郎ども』(邦訳2002年、ハヤカワ・ミステリ文庫)
      • この作者は1992年のスペイン語ハメット賞を受賞している。
    • アルナルド・コレア(1935- ) 『キューバ・コネクション』(邦訳2007年、文春文庫) ※著者が初めて英語で書いた作品
    • ホセ・ラトゥール(1940- )『追放者』(邦訳2001年、ハヤカワ・ミステリ文庫)、『ハバナ・ミッドナイト』(邦訳2003年、ハヤカワ・ミステリ文庫)
      • 『追放者』は著者が初めて英語で書いた作品。『ハバナ・ミッドナイト』も英語で書かれたもの。
      • 『追放者』は1999年に英語で発表されたのち、2002年にスペイン語でも発表されている。このスペイン語版は2003年のスペイン語ハメット賞を受賞した。
    • レオナルド・パドゥーラ(1955- )『アディオス、ヘミングウェイ』(邦訳2007年、ランダムハウス講談社文庫)
      • 『アディオス、ヘミングウェイ』は刑事(元刑事)マリオ・コンデ・シリーズの第5作。このシリーズの第4作と第6作はそれぞれ1998年と2006年のスペイン語ハメット賞を受賞している。

 キューバのミステリはある程度邦訳があるようだが、その歴史については分からない。ベゴーニャ・ロペス『死がお待ちかね』は文藝春秋が主催していたサントリーミステリー大賞の第7回の大賞受賞作である。この賞は日本語以外での応募も許可していたらしく、この作品はスペイン語で執筆された作品であるらしい。大賞を受賞し、1989年に邦訳出版された。
 アルナルド・コレアは邦訳書『キューバ・コレクション』の巻末解説(北上次郎)によれば、「キューバ犯罪小説を勃興させた三人の作家のうちの一人とみなされている」とのことだが、ほかの二人が誰なのかは書かれていない。
 レオナルド・パドゥーラに関しては、未訳のスペイン語作品を紹介するサイト「New Spanish Books」のこちらのページで、2011年発表の未訳作品『蛇の尾』(La cola de la serpiente)の詳細なあらすじ紹介を見ることができる。また、毎日新聞の「新世紀・世界文学ナビ:スペイン語圏/16 レオナルド・パドゥーラ」でもこの作家が紹介されている。

 アメリカのミステリ雑誌『Ellery Queen's Mystery Magazine』の「Passport to Crime」コーナーで翻訳紹介されたキューバの作家には以下の2人がいる(2005年1月号~2008年1月号は確認していない)。

  • Luis Adrián Betancourt (2004年3・4月号、2009年3・4月号、2011年6月号)
  • Rodolfo Pérez Valero (2008年3・4月号)

 このうち、Luis Adrián Betancourtの2004年3・4月号の作品「Guilty」はアンソロジー『Passport to Crime』(2007年1月)に収録された。Rodolfo Pérez Valero(ロドルフォ・ペレス・バレロ、スペイン語版Wikipedia)は国際推理作家協会の創設メンバーの一人である。

その他

 ウルグアイの作家で熱烈なレイモンド・チャンドラー愛好家であるイベア・コンテリース(Hiber Conteris)の『マーロウ もう一つの事件』(原著1985年/邦訳1988年)が角川文庫より刊行されている。
 また、2003年に邦訳されたコロンビアのホルヘ・フランコ(Jorge Franco、1962- 、スペイン語版Wikipedia)の『ロサリオの鋏』は、2000年のスペイン語ハメット賞受賞作である(邦訳書の著者紹介では「ハムレット国際小説賞」とされている)。この作者の作品の邦訳はほかに、『パライソ・トラベル』がある。

 『ミステリマガジン』2011年9月号に、2010年にイギリスで翻訳出版された非英語圏ミステリの一覧が掲載されている(イギリスのミステリ情報サイトeurocrimeが調べたもの)。それによると、2010年にはイギリスでスペインのミステリは1冊も翻訳されていないが、中南米のミステリは4冊が翻訳出版されている(ちなみに、このリストに載っている日本の作品は吉田修一『悪人』のみである)。

  • アルゼンチン:パブロ・デ・サンティス『Voltaire's Calligrapher
  • アルゼンチン:Ernesto Mallo『Needle in a Haystack』 ※2011年英国推理作家協会インターナショナル・ダガー賞候補作
  • チリ:ロベルト・ボラーニョ『The Skating Rink』 ※『通話』『野生の探偵たち』『2666』の邦訳あり
  • ペルー:Santiago Roncagliolo『Red April

 ペルーの作家では、Alonso Cueto(スペイン語版Wikipedia)の作品が米国『EQMM』2010年5月号の「Passport to Crime」コーナーで英訳紹介されている。

(3)スペイン語圏のミステリの祭典《セマナ・ネグラ》

 スペイン語圏のミステリの祭典である《セマナ・ネグラ》について説明するには、まず国際推理作家協会の創設に言及する必要がある。

タイボ二世らによる国際推理作家協会の創設

 1986年、世界中のミステリ作家の親睦と翻訳出版の促進を目的とする国際推理作家協会が創設された。中心になったのは中南米やソ連のミステリ作家たちである。1987年2月末にメキシコで発足準備会議が開かれ、14か国のミステリ作家が参加。初代会長はソ連のユリアン・セミョーノフ、副会長(3人)はメキシコのパコ・イグナシオ・タイボ二世、アメリカのロジャー・L・サイモン、スペインのマヌエル・バスケス・モンタルバン【注】。主任書記はキューバのロドルフォ・ペレス・バレロ。理事はフランスのジャン=パトリック・マンシェット、イギリスのジュリアン・シモンズら。日本のミステリ作家では、『大いなる幻影』(The Master Key)と『猟人日記』(Lady Killer)の英訳が好評を博していた戸川昌子が協会側から打診を受け、日本代表理事となっている。

 1987年6月にヤルタ(当時はソ連、現在はウクライナ)で行われた国際推理作家協会の第1回会議には、北米のアメリカ、カナダ、欧州のイギリス、フランス、イタリア、スペイン、オーストリア、ポーランド、チェコスロバキア、ブルガリア、フィンランド、中南米のメキシコ、キューバ、アルゼンチン、グアテマラ、そして日本と開催国のソ連の計17か国のミステリ作家が集まった。日本代表の戸川昌子は日本推理作家協会の中島河太郎理事長(当時)のメッセージのロシア語訳を読みあげ、たくさんの拍手をもらったという。

 国際推理作家協会の年1回の会議は今でも行われている。近年は日本からはミステリ評論家の松坂健氏が毎年参加しており、『ミステリマガジン』誌上にレポートを書いている(2007年12月号、2008年11月号、2009年10月号、2010年9月号、2011年9月号)。2011年の会議についての簡単なレポートは日本推理作家協会会報2011年8月号(リンク)にも掲載されている。2012年2月には東京での国際推理作家協会非公式ミーティングが予定されていたが、原発事故のため延期となった。

  • 【注】木村二郎「国際犯罪作家協会(IACW)発足?」ではこの3人が副会長とされているが、オットー・ペンズラー「Crime Column #67 国際犯罪作家協会、チェス……」では副会長とされているのはタイボ二世とロジャー・L・サイモンの2人で、モンタルバンの名は挙げられていない。

世界中のミステリ小説の年間ベストを決定するハメット賞の構想

 国際推理作家協会の創設時には、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語およびその他の言語で出版された長編ミステリの中から年間の最優秀作品を選出するダシール・ハメット賞が構想されていた(「その他の言語」の作品は推薦があれば候補にするとされた)。第1回の受賞作は1987年10月のフランクフルト国際ブックフェアで発表されるとされていたが、実際に発表されたのかどうかは分からない。仮にこのような賞を実現させようとしたらその苦労は並大抵のものではないだろう。現在、「ハメット賞」としては国際推理作家協会北米支部が主催するハメット賞が知られているが、これはいってみれば、当初構想されていたハメット賞の地区予選のようなものである。
 日本ではハメット賞といえば普通、この国際推理作家協会北米支部のハメット賞のことを指すが、スペイン語作品を対象とするハメット賞も国際推理作家協会の主催で毎年実施されているようである(後述のミステリ大会《セマナ・ネグラ》で受賞作が発表される)。今までにパコ・イグナシオ・タイボ二世やダニエル・チャヴァリア、レオナルド・パドゥーラらが受賞している。国際推理作家協会北欧支部のスカンジナヴィア推理作家協会は、北欧5か国の長編ミステリから年間の最優秀作品を選出する「ガラスの鍵賞」を主催している。賞の名前に『ガラスの鍵』というハメットの作品タイトルが使われているのは、国際推理作家協会がその規定(リンク)で、それぞれの支部の賞はダシール・ハメットに関する名称にすることが望ましいとしているからである。
 北米支部のハメット賞、スペイン語圏のハメット賞、北欧支部のガラスの鍵賞などの「地区予選」を勝ち抜いた作品で本選が実施される日が来るのかは分からない。

 なお、国際推理作家協会が創設した賞にはハメット賞以外にアレクセイ・トルストイ賞とロドルフォ・ウォルシュ賞がある。アレクセイ・トルストイ(1883-1945、日本語版Wikipedia)はロシアの冒険小説・探偵小説・SF小説作家。その名を冠したアレクセイ・トルストイ賞はミステリの分野での功績を称える功労賞で、1987年6月のヤルタの会議で決定した第1回の受賞者はジョルジュ・シムノンだった。
 ロドルフォ・ウォルシュ(Rodolfo Walsh、1927年生、スペイン語版Wikipedia)は全体主義政府の追及を受けて消息を絶ったアルゼンチンのジャーナリストで、ロドルフォ・ウォルシュ賞は調査報告を主眼とするノンフィクションに与えられるとされた。前述のヤルタの会議では候補作としてジョゼフ・ウォンボー『メキシコ国境の影』(邦訳1987年、早川書房)などが挙がったそうだが、その後受賞作が決定したのかは分からない。

ミステリの祭典《セマナ・ネグラ》

 スペイン北部のヒホンという町では毎年夏にセマナ・ネグラ(Semana Negra de Gijón、ヒホンの黒週間)というミステリ大会が行われている【注】。このイベントはヒホン出身のメキシコの推理作家、パコ・イグナシオ・タイボ二世の発案により始まったもので、もとは国際推理作家協会の主催するイベントだったようだが、現在どういう位置づけになっているのかはよく分からない。現在はミステリに限らず、さまざまなジャンル小説のファンが集うイベントになっているようだ。10日間の会期にのべ100万人の参加者が集うヨーロッパでも有数のイベントだという。前述のスペイン語圏のミステリを対象とするハメット賞やシルベリオ・カニャーダ記念賞の受賞作の発表はこの大会中に行われる。
 第1回大会は1988年6月29日から7月6日にかけて開催され、英語圏のミステリ作家も特別ゲストとして多数参加した。国際推理作家協会の理事会も同時に開催されている。

 なお、『ブエノスアイレス食堂』の著者のカルロス・バルマセーダはアルゼンチン・ブエノスアイレス州の都市マル・デル・プラタでセマナ・ネグラの南米版とでもいうべきミステリ大会《黒玉フェスティバル》(Festival Azabache)を主催している。

  • 【注】セマナ・ネグラは日本語では「ヒホン・ノワール週間」という訳語が使われる場合もある。スペイン語のネグラ(黒)はフランス語のノワール(黒)に対応し、ミステリ全般を指す形容詞としても使われる。


シルベリオ・カニャーダ記念賞(Premio Memorial Silverio Cañada)
※この表は2013年3月16日に追加
受賞者 作品
2002 Sergio Álvarez La lectora コロンビア
2003 カルロス・バルマセーダ La plegaria del vidente アルゼンチン
2004 Juan Aparicio Belmonte Mala suerte スペイン
2005 Francisco Pérez Gandul Celda 211 スペイン
2006 Bernardo Fernández Tiempo de Alacranes メキシコ
2007 Ernesto Mallo La aguja en el pajar アルゼンチン
2008 Carlos Salem Camino de Ida アルゼンチン
2009 Rogelio Guedea Conducir un tráiler メキシコ
Willy Uribe Sé que mi padre decía スペイン
2010 Gregorio Casamayor La sopa de Dios スペイン
2011 Javier Calvo Corona de flores スペイン
2012 Enrique Ferrari Que de lejos parecen moscas アルゼンチン


ペペ・カルバイヨ賞(Premi Pepe Carvalho)※スペイン語ではなくカタルーニャ語表記
※この賞については2013年5月10日に追加

 マヌエル・バスケス・モンタルバンが生んだ私立探偵ペペ・カルバイヨの名を冠した賞。推理作家の生涯の業績に対して贈られる賞で、バルセロナのミステリ祭《BCNegra》で2006年より授与されている。《BCNegra》が始まったのは2005年。毎年2月開催。

第1回(2006年) Francisco González Ledesma (フランシスコ・ゴンサレス・レデスマ) スペイン
第2回(2007年) ヘニング・マンケル(Henning Mankell) スウェーデン
第3回(2008年) P・D・ジェイムズ(P. D. James) 英国
第4回(2009年) マイクル・コナリー(Michael Connelly) 米国
第5回(2010年) イアン・ランキン(Ian Rankin) 英国
第6回(2011年) Andreu Martín (アンドレウ・マルティン) スペイン
第7回(2012年) Petros Markaris (ペトロス・マルカリス) ギリシャ
第8回(2013年) マイ・シューヴァル(Maj Sjöwall) スウェーデン
(年は贈呈の年を示す。受賞者の発表はその前年)



ガルシア・パボン賞
※この賞については2013年5月10日に追加

Premio de Narrativa Francisco García Pavón
Premio de Novela Negra Francisco García Pavón
Premio de Novela Francisco García Pavón de Tomelloso

 スペインのミステリ創作の先駆者であるガルシア・パボンの名を冠した長編ミステリの公募賞。ガルシア・パボンの出身地であるトメジョーソ市(Tomelloso)が主催。受賞作は出版される。賞金7500ユーロ(第16回)。毎年7月に受賞作が発表され、10月に発売される。第10回(2007年)からRey Learが出版。

第6回(2003年) José Luis Muñoz Lluvia de níquel
第7回(2004年) Raúl Argemí Patagonia Chu Chu
第8回(2005年) José Javier Abasolo Antes de que todo se derrumbe
第9回(2006年) Francisco Balbuena El oráculo de la tortuga
第10回(2007年) Paco Piquer Vento El caso del cadáver sonriente (出版社
第11回(2008年) Robert Lozinski La ruleta chechena (出版社
第12回(2009年) Mariano Sánchez Soler Nuestra propia sangre (出版社
第13回(2010年) Manuel Nonídez Frío de muerte (出版社
第14回(2011年) Alejandro M. Gallo Asesinato en el Kremlin (出版社
第15回(2012年) 受賞作なし

(4)ポルトガル語圏のミステリ

 このページのタイトルは「スペイン語圏・ポルトガル語圏推理小説略史」としたが、ポルトガル語圏のミステリに関する日本語文献はあまり見当たらない。

ポルトガル

 島田一男「世界の四隅」(『探偵作家クラブ会報』第27号、1949年8月)は前述のとおり、島田一男がアメリカのミステリ雑誌『Ellery Queen's Mystery Magazine』の1948年8月号すなわち《世界のミステリ》特集号の内容を紹介する記事である。この記事ではポルトガルのミステリ事情にも言及がある。

 ポルトガルでは、ドロッシー・セイヤーズ、E・C・ベントレー、H・C・ベイリー、アンソニー・バークレイ、ディクソン・カー、オースチン・フリーマン、スタンレー・ガードナー、ダシエル・ハメットの名は全く知られていない。リスボンの或る出版業者が曽つて探偵小説の廉価選書を出版したが、これによって((ママ))めてクイーンの“変装の家”、クリスチーの“メソポタミヤの殺人”、バン・ダインの“僧正殺人事件”が紹介された。
 ところで、このポルトガルからコンテストの入選者が出た。ビクター・マニュエル・ポーラ・カルモという二十六才の美術家で、装飾美術で生計を営むかたわら、探偵小説に熱中し、この探偵小説不振の国で“短篇探偵小説の歴史”という評論集を出版している。もちろん売れる筈はなく、ポーラー((ママ))の言葉によれば“探偵小説では飯が食えない”そうである。八月号に掲載された彼の作品は“金槌と剣ととがった矢”というカー張りの密室物であるが、鏡を利用したトリックで非常に程度が低い。

 EQMMに「金槌と剣ととがった矢」(The Maul, the Sword, and the Sharp Arrow)を投稿したポルトガルの青年ビクター・マニュエル・ポーラ・カルモがその後どうなったのか気になったのでネット上を適当に検索してみたが、おそらくはポルトガル語版Wikipediaに項目のあるVictor Palla(1922-2006)と同一人物だろう。機械翻訳で読んでみると、どうやらその後、美術界の大物になったようである。

 日本版『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の創刊号(1956年7月号)によれば、当時『EQMM』は本国アメリカ版以外に、イギリス版、カナダ版、オーストラリア版、フランス版、イタリア版、スウェーデン版、そしてポルトガル版も出版されていたという。

◆ポルトガル・ミステリ史 (この節、2013年6月17日追加)

 探偵小説の黄金時代(the Golden Age of Detection)についての英文ファンサイトで、ポルトガルの本格ミステリの歴史についての記事「Portuguese GAD」を見つけたので、それに完全に依拠する形で、ポルトガルのミステリ史を紹介する。
 それによれば、ポルトガルのミステリの歴史は19世紀半ば、フランスの新聞小説の大家ウージェーヌ・シュー(Eugène Sue、1804-1857)やそのフォロワーの強い影響下に始まった。19世紀のポルトガルが生んだ偉大な作家の一人であるカミーロ・カステーロ・ブランコ(Camilo Castelo Branco、1825-1890)もその影響を受けた作家の一人で、彼の作品は「探偵小説」とはいえないが、犯罪とその解決がよく扱われている。
 (カミーロ・カステーロ・ブランコの作品の邦訳には『破滅の恋 ある家族の記憶』(小川尚克訳、彩流社、2011年10月)があるが、あらすじを読む限りではミステリの要素は見当たらない。)

 19世紀の最後の30年にはポーやガボリオの作品がよく読まれたが、ポルトガル人による創作探偵小説は探偵小説のパロディの形を取ることが多かった。その最初期のものとしては、エッサ・デ・ケイロース(Eça de Queirós、1845-1900)が1870年に友人の作家でガボリオファンのラマーリョ・オルティガン(Ramalho Ortigão、1836-1915)との共著で新聞連載した『シントラ通りの謎』(O Mistério da Estrada de Sintra)がある。奇怪な殺人事件の顛末をつづった新聞編集者あての書簡を掲載する、という体(てい)で連載されたもので、最終回ですべてフィクションだったと明かされるまで読者はみな現実の事件を扱ったものだと信じていたという。
 (エッサ・デ・ケイロースの邦訳単行本は『縛り首の丘』(中編2編収録)、『アマーロ神父の罪』、『逝く夏 : プリモ・バジリオ』があるが、これらにはミステリ要素はなさそうである。なおボルヘスは随筆で、探偵小説の発展に寄与した作家としてウィルキー・コリンズやディケンズと並べてエッサ・デ・ケイロースを挙げている。)

 その後、ホームズシリーズの影響がポルトガルにも波及し、マリア・オネイル(Maria O'Neill、1873-1932)がSilvestre子爵シリーズ、ロシャ・マルティンス(Rocha Martins、1879-1952)がChief Jacobシリーズを書いた。また1911年にスウェーデン系ポルトガル人のGustaf Bergströmがシャーロック・ホームズのパスティーシュを収録した本を出版している。

 1920年代~30年代のポルトガルの「黄金時代」探偵小説は英米仏の模倣でほとんどはつまらないものだったが、レイナルド・フェレイラ(Reinaldo Ferreira、筆名Repórter X、1897-1935)だけは例外で、くだらない作品も書いたが、魅力的な不可能犯罪物や安楽椅子探偵物も残した。フェレイラの作品はどれも型破りで、コナン・ドイルとエドガー・ウォーレス、黄金期の探偵作家、そして史上最低のミステリ作家といわれるハリー・スティーヴン・キーラーを混ぜ合わせたような作風だという(もっとも、フェレイラは彼らの作品をほとんど読んでいないらしい)。

 その後ポルトガルには、José da Natividade Gaspar(1904- ??)、Fernando Luso Soares(1924-2004、ポルトガル語版Wikipedia)、Artur Varatojo(1926-2006、ポルトガル語版Wikipedia)ら、まっとうな「黄金時代」探偵作家も生まれた。1950年に翻訳物を装って出版されたJames A. Marcus『Um crime branco』(White Murder)はエラリー・クイーン風の推理が展開される本格ミステリの傑作であるらしい。Marcusはその後さらに長編3作と短編集1冊を発表しているが、それらは第1作にはおよばないという。Marcusは80年代~90年代まで、イギリスの作家だと信じられていた。


◆ポルトガル・ミステリの邦訳

 2010年には新潮文庫より、ルイス・ミゲル・ローシャ(1976- 、ポルトガル語版Wikipedia)の『P2』が刊行されている。「『ダ・ヴィンチ・コード』をも凌ぐ迫力。ヴァチカン、そしてフリーメーソンを侵蝕する闇の勢力。世界が震撼した歴史的大事件の真実を暴く!」(新潮社公式サイトより)という作品である。『ミステリマガジン』2011年9月号には前述のとおり、2010年にイギリスで翻訳出版された非英語圏ミステリの一覧が掲載されている。ポルトガルの作品では、ルイス・ミゲル・ローシャの『The Holy Assassin』(別題 The Holy Bullet)がリストに載っている。

ブラジル

 ブラジルは南米で唯一、ポルトガル語を公用語とする国である。

 ブラジルのミステリでは、J・ソアレス(1938- 、ポルトガル語版Wikipedia)の『シャーロック・ホームズ リオ連続殺人事件』(講談社、1998年)が邦訳出版されている。シャーロック・ホームズが19世紀末のリオデジャネイロに赴き、難事件に挑むというパロディ作品である。邦訳書の訳者あとがきによれば、J・ソアレスは俳優、コメディアン、脚本家、コラムニストなどの多数の肩書を持つ、ブラジルでは知らない人はいないほどの著名人であるという。この作品はソアレスが初めて書いた小説だが、1995年にブラジルで出版されると大反響を呼び、ヨーロッパ諸国でも大ベストセラーになった。日本ブラジル中央協会の会報『ブラジル特報』2012年1月号に掲載された岸和田仁「ジョー・ソアレスのベストセラー小説と1930年代のリオ」によれば、寡作ながらもその後もミステリを書き続けているようである。

 ブラジルのミステリはほかに、ルイス・フェルナンド・ヴェリッシモ(1936- )の『ボルヘスと不死のオランウータン』(邦訳2008年、扶桑社)がある。

 国安真奈「懐疑主義の罠 R・フォンセーカのノワール」では、ブラジルの作家フーベン・フォンセッカ(Rubem Fonseca、1925- 、ポルトガル語版Wikipedia)が紹介されている(検索してみると、「フーベン・フォンセーカ」、「フーベン・フォンセカ」、「ルーベン・フォンセカ」といった表記も使われている)。フォンセッカは1963年デビュー。この記事によればブラジルでは1964年の軍事クーデター以来、厳しい言論弾圧が20年間続いたが、フォンセッカはその弾圧下で「都会の暴力的な人間関係を文字にし続けてきた、おそらく唯一の作家」だという。『Ellery Queen's Mystery Magazine』の「Passport to Crime」コーナーではフーベン・フォンセッカの作品は少なくとも4回(2003年8月号、2004年8月号、2008年11月号、2012年1月号)英訳掲載されている。そのうち、2004年8月号に掲載された「Winning the Game」はアンソロジー『Passport to Crime』(2007年1月)に収録された。

 フォンセッカ以外のブラジルの作家では、少なくとも以下の3人が「Passport to Crime」コーナーで英訳紹介されている。


 ポルトガル語圏のミステリが日本に本格的に紹介される日は来るのだろうか。


参考文献

  • スペイン語圏
    • Patricia Hart "The Spanish Sleuth: The Detective in Spanish Fiction"(1987年)
    • ローベール・ドゥルーズ「スペインのミステリー小説」(ローベール・ドゥルーズ『世界ミステリー百科』JICC(ジック)出版局、1992年10月、pp.243-244)
    • 井上知「世界のミステリ雑誌 各国ミステリ雑誌大紹介 スペイン」(『ハヤカワミステリマガジン』2009年1月号、pp.32-33)
    • 島田一男「世界の四隅」(『探偵作家クラブ会報』第27号、1949年8月、pp.2-3) ※アルゼンチン
    • 野谷文昭「[国別・地域別/未訳ミステリ紹介]ラテンアメリカ 虚構の上に構築された知的ゲームを楽しむ」(『翻訳の世界』1991年7月号、p.55) ※アルゼンチン
    • 佐藤勘治「メキシコ・ミステリ事情:タイボ二世成功の理由」(『ミステリマガジン』1999年3月号【特集:世界のミステリ】、pp.42-43)

  • ポルトガル語圏
    • 島田一男「世界の四隅」(『探偵作家クラブ会報』第27号、1949年8月、pp.2-3) ※ポルトガル
    • 国安真奈「懐疑主義の罠 R・フォンセーカのノワール」(『ユリイカ』2000年12月臨時増刊号、pp.166-167、[コラム 世界のノワール ブラジル])

  • 国際推理作家協会および《セマナ・ネグラ》について
    • 木村二郎「国際犯罪作家協会(IACW)発足?」『ミステリマガジン』1987年6月号、p.108
    • インタビュー「戸川昌子氏に聞く ヤルタの国際犯罪作家会議に招かれて」(聴き手=ミステリマガジン)『ミステリマガジン』1987年9月号、pp.170-171
    • オットー・ペンズラー「Crime Column #67 国際犯罪作家協会、チェス……」『ミステリマガジン』1987年11月号、pp.104-106
    • 戸川昌子「I・A・C・W(国際犯罪小説作家協会)のこと」『日本推理作家協会会報』1987年11月号
    • オットー・ペンズラー「Crime Column #78 ミステリ祭「黒い週間」」『ミステリマガジン』1988年10月号、pp.104-105 - 「セマナ・ネグラ(黒い週間)」について

関連リンク

  • G. J. Demko's Landscapes of Crime > Mysteries in Foreign Lands
    • 英文だが、スペイン、アルゼンチン、メキシコ、キューバ、ブラジルのミステリおよび「スペイン語圏のミステリ」についての解説がある。

  • スペイン語が読める方はセルバンテス文化センター本家ウェブサイトの「Novela policiaca」もご覧ください。


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最終更新:2013年01月10日 02:40