金来成「霧魔」(1939) 解説

2011年9月30日

金来成の短編「霧魔」(1939)の解説です。読了後にお読みください。


登場人物と舞台に関するいくつかの註釈

 主要登場人物は「私」=(キム)と、その友人の()君、そして怪奇派の探偵作家白雄(ペク・ウン)である。「私」は(キム)という名前でもあるし、明らかに自身をモデルにしたキャラクターだろう。金来成も作中の(キム)と同じく、1939年当時は新聞社(朝鮮日報社)に勤めながら探偵小説を発表していた。
 作中では、「私」と白雄(ペク・ウン)の2人が朝鮮半島において探偵作家として活躍しているとされている。では、当時の朝鮮半島に白雄(ペク・ウン)に相当するような実在の人物がいたのかというと、そうではない。実際は、当時の朝鮮半島で探偵小説専門の作家は金来成しかいなかった。白雄(ペク・ウン)というのは、「正統派」探偵作家でもあり「怪奇派」探偵作家でもあった金来成の後者の一面を顕在化させたキャラクターだと言えるだろう。もっとも、金来成が朝鮮に戻る以前から、朝鮮で探偵小説は発表されていた。探偵小説「専門」の作家が金来成一人だったというだけで、一般の文学作家や児童文学作家が探偵小説を発表するということはあったのである。
 「私」の友人の()君は東京のある私立大学を卒業しているという設定だが、これは早稲田大学卒業という自身の経歴をそのまま使用したものだろう。
 なお、最後に少しだけ出てきた新世界社の(ホン)編集長はその名前から見て、金来成が勤めていた朝鮮日報社の文芸部長だった洪起文(ホン・ギムン)がモデルになっているのではないかと思う。

 物語の舞台になっているのは現在のソウルである。当時は京城(けいじょう)と呼ばれていた。()君が奇妙な男から話を聞かされる社稷(しゃしょく)公園(韓国語の発音ではサジク公園)は、現在の住所でソウル市鍾路(チョンノ)区にある実在の公園である。当時、付近には路面電車が走っていた。

江戸川乱歩「陰獣」および光石介太郎「霧の夜」との共通点

「陰獣」と「霧魔」

 「霧魔」には二人の探偵小説家が登場している。一人は「正統派」の探偵小説を執筆する「私」=(キム)君であり、もう一人は「怪奇派」の探偵小説(犯罪小説)を執筆する白雄(ペク・ウン)である。この設定を見て、江戸川乱歩の代表的な中編「陰獣」を思い出す人は多いだろう。「陰獣」には語り手の「私」=寒川と、謎の人物である大江春泥(おおえ しゅんでい)という二人の探偵作家が登場する。冒頭部分を引用してみよう。

江戸川乱歩「陰獣」(1928)冒頭 (『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』(東京創元社 創元推理文庫、1984年)より引用)
 私は時々思うことがある。
 探偵小説家というものには二種類あって、一つの方は犯罪者型とでもいうか、犯罪ばかりに興味を持ち、たとえ推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐な心理を思うさま描かないでは満足しないような作家であるし、もう一つの方は探偵型とでもいうか、ごく健全で、理智的な探偵の径路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などにはいっこう頓着しない作家であると。
 そして、私がこれから書こうとする探偵作家大江春泥は前者に属し、私自身はおそらく後者に属するのだ。

 乱歩に心酔していた金来成がこの作品を読んでいなかったとは考えづらい。「霧魔」の執筆の際にはおそらくこの作品のことも念頭に置いていただろう。また、金来成がこのような二人の探偵作家を登場させたことは、甲賀三郎と木々高太郎の間で行われた本格/変格論争が影響を与えたということもありそうである。本格/変格論争はちょうど金来成が日本で探偵作家として活動していたころに起こっており、金来成もそれに反応した「探偵小説の本質的要件」という小論を発表している(次節で改めて紹介する)。「霧魔」の作中では「正統的探偵小説」と「犯罪小説」、「正統派」と「怪奇派」という言葉が使われているが、これはそのまま「本格派」、「変格派」という単語に当てはまる。ただ、単に「本格派」「変格派」と言っただけでは朝鮮の読者に伝わらないため、それをこのように言い換えたのだろう。
 なお、乱歩には「二人の探偵小説家」(1926)というタイトルで発表された中絶作品があるが(後に「空気男」に改題)、それと「霧魔」との間には特に関連性は見いだせない。

「霧の夜」と「霧魔」

 「霧魔」の外枠部分(第一節、第二節、第六節)の登場人物にはこのように「陰獣」との類似性が見られるが、一方で内側の部分、すなわち()君が霧の夜に奇妙な男と出会って奇怪な話を聞く部分(第三節~第五節)は、あまり有名な作品ではないかもしれないが、光石介太郎(1910-1984)の「霧の夜」を思い起こさせる。
 金来成はデビュー後、光石介太郎が結成したYDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーベリスト)ペンサークルの会合に出入りしていた。探偵作家であり『ぷろふいる』の編集者であった九鬼紫郎(1910-1997)は、「金君は乱歩さんの弟子の、光石介太郎と親しかったように思う」(「「ぷろふいる」編集長時代」『幻影城』1975年6月号)と回想している。光石介太郎が雑誌『幻影城』に寄稿した回想エッセイでは金来成は少し名前が出てくる程度なので、光石介太郎と金来成がどれほど親しかったのかは分からないが、少なくとも光石介太郎の証言から金来成がYDNペンサークルの会合に参加していたことは判明している(光石介太郎が金来成に言及しているのは、「YDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーベリスト)ペンサークルの頃」(『幻影城』1975年7月増刊号)及び「靴の裏 ―若き日の交友懺悔」(『幻影城』1976年2月号))。この会合では、お互いの作品を読んで批評し合うということが行われていたようなので、そういった中で、おそらく金来成は光石介太郎の「霧の夜」を読んでいただろう。以下に「霧の夜」の冒頭を引用し、あらすじを紹介する。

光石介太郎「霧の夜」(『新青年』1935年1月号)冒頭 (光文社『EQ』98号(1994年3月号)より引用/鮎川哲也編『怪奇探偵小説集2』(角川春樹事務所 ハルキ文庫、1998年)等にも収録)
 濡れるほどの霧の降りしきる夜だった。
 夜ふけの街で、どこもかしこも、ボーッと霞んでしまった一面の霧の中から、ゆらゆらと私に近づいて来て、タバコの火を借りたその男は、短くなった紙巻きを吸いつけると、どこへ帰るつもりなのか、無言で私とならんで歩き出した。
 外套も着ずに、古びたスコッチの襟をたてて、やや足元を見詰めるようにしながら歩くその男は、小脇に何やらかさばった新聞紙の包みを大事そうに抱えていてときどき思い出したように、ゆすりあげゆすりあげした。つばの下がったヨレヨレのソフトの下からは、意外に端正なまだ若い淋しい思いに沈む横顔がのぞいていた。

「霧の夜」あらすじ
  • 霧の街を歩いていた「私」は奇妙な男に出会う。男はなにやら新聞紙の包みを小脇に抱えている。二人は並んで歩いていくが、その男が突然、「ひとを殺すってことは淋しいことですね」と言って、自分は実は恋人を殺したのだという打ち明け話を始める。男はサーカスで、的に立たせた女の体の周りにナイフを投げるナイフ投げ師をしていた。彼は同じサーカスに所属していた空中ブランコ乗りの恋人との間に子供もいたが、恋人が自分を裏切って別の男と不義を働いていることを知ってしまう。ある日、彼はナイフ投げの的にその恋人を立たせることに成功する。(以下、ネタばれ反転)男は恋人に、「ぼくの目を見詰めて、出来るだけ体を縮こめるようにしていなければいけないよ」と言って、彼女の体のすれすれのところにナイフを投げていく。女が恐怖のあまり体を縮こませるようにしていると、なんとだんだんその体が縮んでいき、やがては女は消滅してしまったのであった――。死ぬほど愛した女がこの世から完全に消滅してしまうぐらいなら、殺さない方がましだったと嘆く男に、「私」は子供はどうなったのかと尋ねる。どうやら子供は、母親が死んでからひどく衰弱してしまったらしい。「今どこに?」と「私」が尋ねると、男は「いつも連れて歩いているんです」というので「私」はぎょっとする。「お見せしましょうか」といって男が新聞紙の包みを広げようとするのを見て、「私」は逃げだしたのだった。(ネタばれ以上)

 霧の街で出会った奇妙な男が語るストーリーの内容は「霧の夜」と「霧魔」でまったく異なっているが、全体としてはかなりの共通点が見受けられると言っていいだろう。別に金来成がこの作品を模倣したのだと言いたいわけではないが、金来成が「霧魔」を執筆した際にはこの作品のこともやはりどこかで意識していたのではないだろうか。(もっとも、主人公が謎めいた男と出会って謎めいた話を聞かされるというプロット自体、そこまで珍しいものではないと言えるかもしれない)

 なお、金来成は戦後は大衆文学作家に転じたが、光石介太郎も戦後は純文学作家に転じている。両者ともに芸術としての小説への志向があったようだし、生まれ年も一年しか違わないので、結構馬が合ったかもしれない。

金来成が理想とした探偵小説

 金来成がどのような探偵小説を理想としていたかは、たとえば彼が『ぷろふいる』1936年1月号の「新人の言葉」コーナーに寄稿したコメント「書けるか!」でうかがい知ることができる。全文を引用する。

『ぷろふいる』1936年1月号、p.115
  書けるか!
 「一年の計が元旦にある」とは思わないから、別に感想も気焔もないのだが――
(一)脅し文句を用いずに刺戟的な探偵小説が書きたい。出来るかしら?
(ニ)探偵小説で人間が書きたい。出来るかしら?
(三)最初の一字を見たら飛びつくようなものが書きたい。出来るかしら?
(四)探偵小説を二度繰返して読んだ覚えがない。だがある。江戸川乱歩氏の初期の諸作である。私にそのような作品が書けるかしら? 書けたら書きたいと思う。書けなかったら?
(読みやすいように改行したが、原文は改行なし。また、原文は旧字旧かな遣い)

 このコメントから、金来成は江戸川乱歩の初期作品を理想としていたことが分かる。
 また金来成は、『月刊探偵』1936年4月号に掲載の探偵小説論「探偵小説の本質的要件」で、自身の探偵小説観を披露している(『幻の探偵雑誌9 「探偵」傑作選』(ミステリー文学資料館編、光文社文庫、2002年)に再録)。これは、甲賀三郎と木々高太郎の本格/変格論争に反応して執筆されたものだと思われる。探偵小説の本質とは何であるかを論じたごく短いものだが、現代の「本格とは何か」という議論とも通じる、なかなかに先進的な探偵小説論である。(以下、引用部分は「」で括り、太字で示す)

 金来成はここで、「探偵小説の本質は、「エッ?」という心持であり「ハッ!」という気持であり「ウーン!」と頷ずく心理作用である」と述べている。探偵小説というとまずは形式的要件、すなわち「謎の提出、論理的推理、謎の解決」という形式が思い浮かぶが、読者がそこで求めるものは、「刺激的な犯罪、図抜けた推理、意外なる解決」である。探偵小説においては、「謎の提供にしろ、推理にしろ且又解決にしろ、それがまかり間違っても平凡であってはならない」のである。そうだとすると、探偵小説の本質はその形式(「謎の提出、論理的推理、謎の解決」)にあるのではなく、「奇異に原因する衝動」を与えることこそが探偵小説の本質だということになる。金来成の「奇異に原因する衝動」という言葉は、驚き(「エッ?」)、気付き・感心・感嘆(「ハッ!」)、納得(「ウーン!」)という複数の心理作用を指すものだと見ていいだろう。そして、探偵小説と芸術作品は、「大いなる衝動を与えてくれれば呉れる程、作品はそれで本来の使命を果たしたことになる」という点で共通点がある。なかでも探偵小説の使命は、「平凡への反抗、奇への憧憬、現実から絶えず飛躍せんとする我々の限りなき浪漫性」を刺激し、衝動を与えることである。金来成は、形式的要件はこのような「奇異に原因する衝動」を与えるのに都合のいい形式ではあるが、この形式的要件(「謎の提出、論理的推理、謎の解決」)のみにこだわって、その本質(「奇異に原因する衝動」を与えること)を忘れてしまうのは本末転倒だと断じている。

 金来成が日本で発表した二編の探偵小説は、探偵小説の形式的要件(「謎の提出、論理的推理、謎の解決」)にのっとった作品だったが、金来成は朝鮮に帰ってからは、そのような形式から離れた短編を書くようになっていった。「霧魔」もやはり形式的要件を離れた作品だが、果たして読者の皆さんに「エッ?」、「ハッ!」、「ウーン!」などの心理作用を与えることに成功しただろうか。もし成功していたら、この作品は金来成の考える「探偵小説」の理想を実現できたということになる。


最終更新:2011年09月30日 15:48